こんな日を僕は待っていたんだよ
いつものように青く澄んだ空。
いつものようにせっせと動く東京の街。
いつものような日常がそこにはあった。
さっきまでは。
時は9月中旬。
まだ夏が終わったばかりの蒸し暑さが残る気温に、秋を感じさせる風が入り乱れる季節。
夏休みという長期休暇を終え、再び仕事や勉強に腰が入る頃だ。
ここ東京の大都会から少し離れた街でさえ、忙しく車や人が行き交っている。
ファミレス、オフィスビル、コンビニ、ゲーセン、パチンコ。
彼らはそれぞれの目的地へと散らばっていく。
食事、仕事、買物、娯楽。
人々は毎日に目的を見出して生きているのだ。
近くに大きなビル群は見られないが、あちらこちらにはドッシリと構えてある。
街の隙間には木々が緑を見せており、川沿いには並木道が直線を成し、春には桜、秋には紅葉と、街の表情を豊かにする。
そんな街の端っこにただすむ都立青蓮高校。
都会の割に敷地は広く、10年ほど前に改築されており、外見としてはなかなか綺麗である。
隣には近頃取り壊し予定である、旧校舎がある。
といっても昔から生徒たちが授業を受ける校舎と違い、特別棟の役割をしており少し離れて位置している。
今は一切使われておらず、資料や機材が無造作に置かれている。
他には校庭、プール、部室棟と一般的な高校設備を備えているだけだ。
高校一年生、曽納努人はその学校の生徒である。
おっとりとした目鼻口、一般男子高校生の平均的な体格。
普段、穏やかで真面目な性格が見られる反面、負けず嫌いで闘志を燃やすこともある。
これといった特徴もなく。成績やスポーツなども普通といったところだろう。
そんな彼が慕っているのは、天羽雅という男。
しっかり鍛え上げられた肉体を持つ上、的確な判断力を見せ、リーダー格の素質を兼ね備えている。
努人とはあるきっかけで中学以来の親友である。
そんな彼らが在籍する1-Cではいつも通り授業が行われ、昼休みや昼食、午後の授業というようにスムーズに通常日課が進められた。
ただ、昼休みに努人のもう一人の親友である艶善流馬という男が体調不良を訴え、早退していただけがいつもと違うことであった。。
1-Cの6時限目の科目は数学だった。
6時間目ということもあり、何人かの生徒は眠気との勝負を繰り広げていた。
ようやくその1日を締めくくる授業を終えた生徒達は開放感とともに騒ぎながらもそれぞれ帰宅や部活の準備をし始める。
帰りの会、いわゆるホームルームに担任の先生が来るのを待ちながら。
10分、20分と時刻は通り過ぎる。
だが、いつまで経っても一向に先生が来る様子がない。
何かあったのだろうか?
担任は決してホームルーム活動などを有耶無耶にする先生ではない。
なにか嫌な予感がする。
果たしてそれは他のクラスも一緒だった。
どのクラスにも先生が現れないのだ。
しばらくして生徒の何人かがイラつき始める。
「おいおい、先生たちがボイコットかよ。」
「大会が迫ってんだから早くして欲しいわー。」
そして、クラスの委員長が見かねて、姿を見せない先生達を呼びに行こうと立ち上がった、
しかしその瞬間、まるで委員長の行動を制御するかのように各クラスに設置されたスピーカーから放送が聞こえてきた。
ガチャガチャと機械音が鳴る。
放送からは生徒たちに呼びかける声。
だが、それは先生によるものではなかった。
「こちら、No.23。生徒諸君。こんにちは。」
その声の主は機会音のように淡々と生徒全員に語りかけた。
おそらくこの放送はこのクラスだけじゃない。
学校全体に静寂が広がっていた。
No.23。それが何を意味するのか、そして、一体誰なのか理解していよう者は一人としていなかった。
「これから各人に拳銃を配布いたします。それを使って皆さんで殺し合いをしてもらい、生存者5名になった瞬間に開放しましょう。タイムリミットは1週間。それまでに決着しなかった場合は私No.23が勝手に5名を選び出します。」
唐突に告げられた放送に生徒達は全員耳を傾けていたが、あまりにも不明な内容から何者かによる冗談だと受け取ったのか、その言葉に真面目に対応する人など皆無に等しかった。
「はあ~?誰だよこんなふざけたやつやってんの~。」
「超笑える、中二病かよ。」
「てか、先生は?何やってんの?」
再びクラス中が騒ぎ立てる。
こんな時雅なら...何をする?
努人はチラッと雅の席に目を向けたが、そこに雅の姿はなかった。
どこに行ったのだろうか?
先生を呼びに行ったのだろうか?
真面目な性格故にそうに違いないだろう。
さすがは雅。判断力も早いし、行動力もある。
そう、努人が雅に感心した時だった。
教室の後方で1人の女子生徒が急に金切り声にも近い悲鳴を上げだした。
それを起爆材にクラス中、学校中へと悲鳴や驚きの声が響き渡った。
さっきまでの騒ぎ方とはまるで違う。
悲鳴の源へと振り返る。
だがそれは努人にとっても同じことだった。
それに気づいた時、動揺を隠し切る事は不可能だった。
努人は自分の手元に湧いた冷たい感触と違和感を恐る恐る確認した。。
そこには拳銃が握られていた。ゴツゴツしてはおらず、スラッとしたL字型。
自分の指と拳銃とが無意識のうちに不思議と絡み合っている。
何が起きたのか分からない。いや、分かりたくない。
それは突如、自分の掌の中に出現したのだ。
学校中が悲鳴を上げていたのはそれが理由だった。
先程の放送では拳銃の配布と言っていた。
単なる悪ふざけではないのか。
いや、それ以前にどうやって誰として気付ずに、しかも生徒ひとりひとりの手に拳銃を配布したというのか。
もはや先生がどうこうという場合ではない。
突如流れる放送。手元にある拳銃。そして、放送内容の意味するもの。
努人の頭は混乱の渦に巻き込まれていた。
No.23って一体誰だ?何がしたい?
そして、こんな時に限って雅はどこに行ったんだ?
依然として学校中は騒ぎ倒している。
だが、次の瞬間、そんな騒音は突如として静寂へと化した。
それは1つの音が原因だった。
学校中を静める程の音。
どんなに遠くにいても耳に残るような音。
その音は、無機質で、無慈悲で、無表情だ。
銃声。
今、全員が全員拳銃を持たされている状態。
それは1-C、努人のクラスから発せられたものだと努人は理解した。
古木坂勤。彼は根暗な性格、体型も肥満型で、女子から毎日のように臭いキモイなどの罵声を浴びせ続けられていた。
それでも彼は何かに耐えるようにして我慢していた。
時にはヤンキー風な男たちから暴力を加えられていた。
金を奪われたり、水を掛けられたり、踏まれて殴られて。
日頃の生徒たちのストレスのはけ口として利用されていたのだ。
それでも彼はおとなしく耐えた。
そんな様子を努人はただただ黙って見ていることしかできなかった。
そういう自分が悔しかった。
たった今彼の我慢の限界が爆発した瞬間だった。
一時の静寂の後、再び校内の音量は爆発した。
誰かが撃った。人が死んだ。
恐怖と不安と混乱が混じりあって校内を駆け巡った。
努人のクラスの皆は息を荒げ、恐る恐るその古木坂の銃口の向く先をのぞいていた。
そこには胸から溢れる真っ赤な鮮血をが広がり、おそらくもう息をしていないのだろう、微動打にしていない。
古木坂を日々いじめていた主犯格である日比谷緑の体が無惨にも横たわっていた。
手足は力なく床の上に放られている。
いまだ真っ赤な血が被弾した箇所から溢れ出てきているのが見て取れる。
「神様...。これは僕にとっての救いなんだろう?」
彼は誰に向かってでもなくただ一人呟いていた。
もはや誰も彼の言っていることなど微塵も理解できないだろう。理解したくない。
この光景を目の当たりにしたクラスの皆は慌てふためき、悲鳴をあげて我が先と教室から一目散に飛び出していく。
だが努人は身の危険感じてはいるのに、なぜか恐怖のあまりそこを動けずにいた。
「だって、こんなこと有り得ないじゃないか。」
いつの間にか、他の生徒達はとっくに教室から姿を消していた。
一人、何もできずに固まる努人。
「こんな日を僕は待っていたんだよ。誰一人として逃がさないよ。」
古木坂は不敵な笑みを浮かべ、その顔を上げる。
憎しみを込めて、目の前にある日比谷の死体を強く重い一蹴り。
そして、構えていた拳銃を降ろさず、そのままゆっくりとただ呆然と立つ努人へと向けた。
「こいつは僕をいじめ弄んだ悪い奴。死んで当然。そんな奴らを見て見ぬ振りしたやつも悪い奴...だよね?」
それは努人に向かって発せられたのだろう。
古木坂にはすでに自我というものが存在しておらず、その瞳はどこまでも黒く、どこを見つめているのではなかった。
今まで残虐非道な扱いを受け、誰も助けてくれない孤独な状況にただ一人で苦しみ、耐え抜いてきた人生。
そんな人生を狂わせた人間をこうやって復讐できる機会が生まれた。
NO.23という見ず知らずの奴な感謝。
彼は今自分の死というものには全く恐れていなかった。
とうの昔に彼の心は死んでいたのだから。
「だから、君も同罪。」
そう古木坂が呟いて、努人に向けて拳銃の引き金を引いた。
女子には忌み嫌われ、男子には暴力を振るわれ、何をしたでない、反抗すらしない、それなのに、それなのに。
先生も案外相手にしてくれない。親には心配をかけられない。
友達などいるはずもなく、永遠に孤独と戦い続ける日々。
誰も助けてくれない。誰も頼ることができない。誰にも救われない。
でも今日、たった今、そんな彼に救いの手が差し伸べられた。
手にした拳銃。彼には迷いなどあるはずもなかった。
彼の頭の中に詰まりに詰まった憎しみが放たれた時。彼は笑えた。
心から笑えた。過去の自分を捨てた気がした。
だから今、銃弾を受けても痛みを感じなかった。
それでいて何か開放感を感じていた。
自分って一体なんだったんだろう。
何の為に誰のために今まで生きてきたんだろう。
そんな疑問も全て捨ててしまえる。
古木坂の軽くなった身体はドサリと床に倒れ込んだ。
努人はそれが一瞬の出来事で、戸惑いを隠せなかった。
たった今銃口を向けてきた人間が、目の前で倒れたのだ。
すべてはスローモーションで再生された。
古木坂は努人の目の前で倒れて...死んでいる。
努人自身、拳銃は持っているものの古木坂になんか向けていない。
むしろ撃つことなんて出来ない。
この教室にいた生徒たちはもう逃げ散っていったはずだ。
じゃあ...
「お前、何やってんだよ。」
唐突になその力強い声をかけられてから、視線を左にずらすと人の姿が目に入った。
ツンとしたヘアスタイル。身が鋭くキリッとした強面。身長も高く、筋肉のついたがっしりした体型。
努人の親友である天羽雅がそこに立っていた。
拳銃を古木坂のいた空間に向けて。
努人が古木坂に打たれる直前、雅が古木坂を撃ち殺したのだ。
「早く逃げるぞ。急げ。」
教室の窓越しから雅が声をかける。
いまだその状況を把握できず、努人は動揺を隠せない。
再び雅は怒声を放つ。
「そこのお前も!何やってんだよ...ね、寝てんのか?おい。」
その言葉は努人に向けられた言葉ではないのは理解した。
じゃあ雅は誰に向けて?
自分以外教室から出ていったはずじゃ?
努人はゆっくりと体をひねり後方に目を移す。
そこには先程まで授業を受けていた生徒達の座っていた椅子や机が無造作にも配置されている。
校庭や郊外の市街地が一望できるガラス窓、ベランダはいつもどおりの日常を写す。
だが努人はその視界にまるでカメレオンの如く身を潜めていた人間を捉えた。
いや、正確に言うと自ら身を潜めていたわけではない。
彼女は、その長い青髪をだらりと机に流し、華奢な体から細く白い手を垂らし...
寝ていた。
「へ?」という素っ頓狂な声をあげて半開きの目をこねりながら顔を起こす。
幼い顔立ちのその少女の額はずっと眠っていたために赤くなっていた。
「え、あの~。授業終わっちゃった感じですか?」
寝言は寝て言え、という矛盾した言葉でさえ当てはまりそうなあまりにも緊張感のない問い掛けに努人と雅は目を点にしてその場で立ちすくんでいた。
「お前...授業どころか人生も終わってたかもしんないんだぞ...」
呆れたように雅はため息をつく。
「え、あ、はぁ。」と、その少女は理解すらままならず答えた。
努人はそんな無知な少女を見て、なんだか気持ちが落ち着いたようであった。
それでも状況は変わらない。
目の前で殺人が起きてしまった。教室内には二人の死体がピクリとも動かずに横たわっているのだ。
「ん~、分かんねえけど早く逃げるぞ。」
努人にもここにいてはいけない、早くここから立ち去らなければならないということは嫌にも分かっていたので、そしてとっさに「ごめん。」と言いながら、その少女の手を取り、教室から出た。
少女は寝起きゆえにもたついた足取りでついて行った。
「ひとまず早く学校から出よう。先生たちが通報してくれるんじゃないか?」
率先して動く雅。とにかく落ち着かせようと安心さを与える言葉。
だが努人は分からなかった。
ついさっき雅は人を殺してしまったのだ。確かに自分を守ってくれた。感謝すべきだ。
しかし、人を殺した。どうしてこんなにも冷静でいられる?
何か前を行く雅の背中が怖い。小さくも大きくも見えた。
これからどうなるのだろうか?どう説明するのか。
突如拳銃が現れた?変な放送が入った?いきなり殺人が起きた?
どれも信じてくれないんじゃないか?
このまま警察に連れていかれて雅が帰ってこなかったら?
自分を守ったがために雅が犠牲となってしまうのか?
どんどんとマイナスな思考ばかりが頭の中を駆け巡る。
冷静さを保つことはできなかった。
普通の日常が一変して努人は未だついていけない。
それは逃げた生徒たちもそうだ。この少女は分からないがおそらく雅だって。
その時、努人のその黒く濁った思考をかき消すかのような一声が遠くから聞こえてきた。
ふと、雅はその足を止める。
つられて努人と少女も足を止めた。
誰かが、いや、他にも沢山の人が叫んでいる。
銃声ではない。叫び声。
「なんで、なんでだよ!!」
生徒たちが泣き喚いている。
それはここ4階にいる三人にも鮮明に聞こえてきた。
涙混じりのその声はここにいる三人の耳にも鮮明に聞こえてきた。
「なんで外に出られないんだよおお!!」
旧校舎一階。
長年昔から使われており木造であるこの旧校舎は、二階建て構造で一階にはまだ使える資料などが残存している。
また、文化祭など決まった行事にしか表に出さない道具や機材などがしまわれていたりもする。
対して、二階は誰も立ち入ることなく、埃が舞うのみだ。
だが校内合宿をするものがたまに度胸試しに立ち入ったりすることがあるらしい。
機材どころか使用不能とみなされた机や椅子等が無造作にも置かれているだけだが。
歩く度にキシッキシッと木造ならではのラップ音を奏でたりする。
そこにいた男は制服のポケットからカルパスを取り出しては齧り付いた。
おやつ感覚で食べられるのと程よい辛さを気に入っている。
たまたま授業後に日直という理由で旧校舎一階の棚からとある資料を取ってきてくれと頼まれ、嫌々ながらもも承諾してここに来たのだ。
しかし、旧校舎を出ようとしたその時、あの放送を聞いた。
一通り聞き終わると、その男は掴んでいた資料を手から離し、ばらまく。
口元には微かな笑い。垣間見える白く鋭いそれでいて綺麗に整った歯。
死んだように暗い目。誰も引き寄せないような闇をまとったイメージがピタリと当てはまる。
その男を生徒たちは皆、絶と呼んでいる。
以前、とある生徒が慣れていないがために彼を苗字で呼んだとき、憤怒の形相でその人を睨みつけ、こう言った。
「これから一切俺のことを苗字で呼ぶな。ぶっ殺すぞ。」
どうして苗字で呼ばれることを嫌悪しているかは判明していない。
それからというもの他のクラスメイトは彼に近づこうとはしなかなった。
こうやって彼は一匹狼として確立していった。
ただ、先生に対しては特別反抗態度はとらず、このように資料を取ってくる任務も承った。
そんな彼は旧校舎を出る直前、学校中がなにやら騒ぎ立てているのを感じ取る。
彼にも銃声の音が聞こえていた。そしてあの放送も。
そして自分の手元にも現れた拳銃を強く握っては不敵な笑みを浮かべる。
多くの生徒たちが校舎から抜け出し、恐れをなして俄然飛び出してきたのを遠くに確認する。
「なるほど、哀れだな。」
その声は透き通って、しかも流れるように発せられた。
一歩前へと踏み出し、先程の持っていた資料を踏み潰す。
その瞬間、自分の足から体の隅々まで鳥肌が拡散するのを感じた。
自分でもわからないが、一種の興奮を覚えたのだろうか。
生きなければならない俺は。
これは自分への試練だ。
そう言い聞かせる。
「待っていろ。今...」
そう呟いて校門めがけて歩き出した。
今、地上を微かに吹き抜けていた風が完全に止んだ。
三人は確かに聞いた。
外に出られない。この学校の敷地から出ることができない。
つまり、閉じ込められた?いや、誰がどうやって?
しかしその質問には突然聞こえてくる悲鳴が答えてくれた。
「は!?なんだよこれ?おい。意味わかんねえ。」
「どうしたんだよ?早くしろよ!」
「分かんねえけど、見えない壁みたいのがあるんだよ!」
それは皆、いち早くこの学校から逃げ出したいだろう。
中には、古木坂の件に偶発されてか、何人かが発泡を試みていたのだ。
もしかしたら自分に銃口が向けられたら...。
そんなことを思えばいてもたってもいられないだろう。
しかしそんな彼らの心を弄ぶかのように、外に出ることを阻む見えない壁というものが校門に出現したらしい。
「渡り廊下から校門の様子を確認してみよう。」
教室のある普通棟から音楽室や図書室のある特別棟に行くにはガラス張りの渡り廊下を渡って移動しなくてはならない。
ちょうどその渡り廊下から校門の様子が一望出来るのだ。
三人は恐る恐る教室の前を通り過ぎ、渡り廊下の端から下の校門の様子を垣間見た。
そこには五十人ほどの生徒たちがその見えない壁に苦戦しながら群がっているのが見える。
一見、高校の敷地外の様子にまったく異変は見られない。
何台か車が行き来しており、さらには通行人だって校門の前を通り過ぎていくのだ。
しかし、校内の異変に気づく様子は微塵もない。
まして大声をあげてドンドンと叩こうが見向きもされなかった。
壁一枚を隔ててまるで世界が違うような感じだ。
また、何が起こるかわからないため拳銃を持っている生徒は多くいるのだが、中には持っていない生徒も見受けられた。
恐怖のあまり捨ててしまったか、逃げる際に落としてしまったのだろうか。
彼らは早くこの学校から出たいがために何度もその見えない壁に対して体当たりを繰り広げている。
そこで、何人かが携帯を取り出し、外と連絡を取る素振りを見せていた。
それ見て、あ、と気付いたように雅は声をかける。
「努人、携帯あるか?」
雅の問いかけに「あ、うん。」と答えては、制服のポケットから携帯を取り出す。
幸い携帯の電源は切れてはいなかった。
だが、いざ右上注目してみると、そこに表示されるであろう電波受信マークは見当たらず、代わりに圏外という二文字が外と連絡を取ることができないということを示していた。
公共マナーモードに設定しているわけでもなく、日常的に校内では携帯を使用することはできたはずだ。
しかし、この携帯は電波通信ができなくなっている。
それは下にいる生徒たちも同じ状況だった。
校外にいる人間と連絡が取り合えない。
つまり、この異変を伝えることも出来ないし、助けも呼べないということだ。
彼らにもイライラが募る。
「先生たちは何やってんだよ!!」
一人の怒声で気がついた。
そういえば、こんな大きな騒ぎが起こっているというのに誰一人として先生の姿を見たという情報は入ってこない。。
放送もなければ、駆けつけてくることもなかった。
完全におかしい。
何らかの異変が起きたのは授業が終わったあと、帰りのホームルームが始まる前ということになる。
その間に、この学校の先生たちに何かが起きたに違いない。
まさかテロリスト?先生たちはどこかに匿われているのか?
いやそんなはずはない。各所いた先生たちを一斉に捉えることなんて不可能に近い。
まして悲鳴の一つも聞こえなかったし、テロリストのような人間も見ていない。
ほかの生徒たちもそれについて騒いでいないのだから、テロリストなんかではないことは明らかだ。
引っかかるのは、NO.23と名乗り占拠放送をしていた奴だ。
奴が拳銃を何らかの方法で皆に配布して先生たちをどこかに?
いや、それは一人でできることでは勿論無い。
ただ、あの放送とこの状況は必ずしも無関係な筈がない。
放送で奴はなんて言っていた?
生徒みんなで殺し合い。残り五名で開放。期間は一週間。
つまり、意味することは一週間以内に残り五名にるまで生徒たちで殺し合えってことになる。
ふざけるな。そんなことがあってたまるか。
どうすればいいんだ?こういう時、雅は...
...
そういえば、雅は放送の時どこかへ行っていなかったか?
「あの...雅、帰りのホームルームのときどこに行ってたの?そういえば。」
校門の様子に気を取られていたのか、ああ、と遅れて気付いて答える。
「放送室だ。あのふざけた放送をした奴を突き止めに行ったんだ。」
さすが、雅だ。行動力が凄まじい。奴の正体が分かれば話が早くなる。
「それで、NO.23って奴の正体は誰だったの?」
しばしの沈黙のあと雅は言った。
「誰もいなかった。」
「え?...そんな筈、だってその間放送流れてたよね?」
「あぁ、放送は聞こえたよ。けど放送室には誰もいなかったんだ。本当だ。定期音声だとかテープで流してるのかと疑ったがその痕跡もない。しかも、最後には放送機会の電源さえも落としたんだ。」
「どういうことなの、それ。」
「電源を切っても放送が続いたんだよ。放送内容からしてただ事じゃねえと思った矢先、手元には拳銃が現れて。急いでクラスに戻ろうとすれば、必死の形相で皆が階段降りてくるし、教室ではお前が古木坂に打たれそうになってた。撃つしか...ねえだろ。」
「その節は...ありがとう。」
「拳銃なんて触ったこともねえ。だから適当に撃ったんだ。したら、心臓らへんに当たっちまったんだろ。ついてねえよ。」
人を撃って殺してしまった雅の罪はどうなるのか分からない。
けれどまずはこの学校から脱出しなければならない。
生きて帰らなければならない。
怖いのはNO.23が言ったことを間に受けて、再び争いごとが起きないかが心配だ。
それは何としてでも阻止しないと。そんなことが起きたら奴の思う壺だ。
でも何をやればいい?
結局、何かをしようという理想は高くとも理想だけで止まってしまう。
いざ行動に出ようとすれば足がすくんで動けない。
周りに流されて終わりだ。自分を出せない。
いつも擁護してもらってばかりだ。
さっきだってそうだ。雅が来なければ今頃あの世行きだ。
それに比べて雅はすごい。率先して前に出てグループを動かすんだ。
俺だってこの状況を一転させたい!
そう、努人が意気込んだその時だった。
校門の近くで一人の生徒が叫んだ。
「みんな!物騒なものは捨ててさ、協力してここから出よう!そうすればきっと脱出できるから!」
それはまるで努人の思うことそのままを代弁していた。
彼はおそらく温厚な性格でクラス会長のようなリーダー的な役職についているのだろう。
はきはきと大きな声で懸命に伝えようとしていた。
「一回その拳銃置こうぜ、下に。この見えない壁、下の方通れないけど多分上の方とかさ行けるよ。」
生徒たちは不安な様子だったが、とある一人の生徒が自分の拳銃を置いて賛同したのを皮切りに、そこにいた多くの生徒たちが自分の拳銃を足元に置いては次々に援助に向かい始めた。
何人かが肩車をして上を目指したり、野球部だろうか、できる限り上の方に行くよう石を投げたりしていた。
しかし、結局上の方に行ってもまた見えない壁に阻まれた。
野球部の投げた石も随分上の方まで飛んでいたが、あえなく見えない壁に弾かれて急降下したのだ。
見えない壁は校門だけでなく、完全にこの敷地内を囲んでいた。
完全密室の中、脱出するという希望は儚くも散ってしまったのだ。
外との連絡も取りようがない。
つまり、残された道は...本当にNO.23の行っていた通りなのか?
だがそれでも校門付近にいた生徒たちは諦めていなかった。
地中から開通させんのはどうだ?もっと思い切り体当たりしてみたら?
色々な提案が左右から飛び交う。
そんな一致団結した姿を見ていたのか、ぱらぱらと周りから数人の生徒たちが協力に向かってきた。
やはり日本は捨てたもんじゃない。
こういう思いやり、協力性、チームワークがすぐに成り立っていく様子に努人は強く感化されていた。
「なあ雅、俺たちも行こう!」
そう言って走り出した努人の左肩を雅はとっさに掴む。
「ん、何?雅は行かないの?」
そんな雅は薄情な人ではないはずだ。
でもその眼差しは何やら真剣そのものだった。
「あいか、あっちの旧校舎の方から絶と呼ばれている男が校門の方に向かって来ているのが見えた。」
絶。その名を聞けば誰もが目を伏せるだろう。
この学校で、いやこの街で最も関わりたくない人物であった。
彼の鋭い目線はそこからビームが出ているんではないかと言われる程恐ろしい。
当時一年生だった頃でさえ、反感を持った上級生と張り合っていたらしい。
今、すでに最上級生となってしまった彼に対抗意識を燃やす人間など皆無に等しかった。
しかし実際のところ、彼は学校に支配の権力を振りかざすというような行為はせず、先生には一応のこと従い、成績もなかなからしいという噂だ。
「あいつ、何するか分からねえ。いやにニヤついてたからな。」
「わ、分かった。もうちょっとここから様子を見てみるよ。大丈夫だったら手伝いに行こう。」
そうして、慎重にガラス越しから絶の動向を見守った。
彼はゆっくりと校門に向けて歩を進めている。
校門の前では、有志で集まった生徒たちで協力し合い、脱出を試みている最中であった。
ふと一人の生徒が絶の足音に気づいたのか、唐突に振り向く。
そして、さらには手招きをして陽気に絶を呼び掛けた。
「あっ、ねえ人手がまだ足りないんだ。君も手伝っ...」
台詞はここで途切れた。
それから絶を呼び掛けたその生徒の後頭部からは真っ赤な鮮血が噴水のごとく飛び出した。
遅れて銃声が耳に入ってくる。
見えない壁からの脱出作業に従事していた生徒数人の背中にその血がドバッとかかった。
銃声がすぐ後ろで鳴り響いたことに慌てて振り向く生徒たち。
そこに、倒れる仲間の死体と彼らに対峙する絶が視界に飛び込んできた。
全員の拳銃は先程のある生徒の呼びかけで地面に置きっぱなしであったために手元に持っている者はいない。
時すでに遅し。次にまた近くにいた女子生徒が悲鳴を上げる間もなく綺麗に脳天をぶち抜かれる。
突如校門は和気藹々としたムードから一変、地獄絵図と化した。
絶は躊躇なく逃げ惑う生徒たちの脳天を相次いで、そして正確に撃ち抜いていく。
誰も逃がしはしていなかった。どこかに逃げる前に撃ち殺していた。
恐怖のあまりそのまま校門の端に寄り添う生徒たちもいた。
だが、そんなことはお構いなしに彼らの頭にも銃弾をねじり込む。
ッダン。ッダンッダン。ッダン。ッダン。ッダンッダン。
永遠とも言えるほど銃声が聞こえた。
その度に悲鳴をあげ嗚咽する生徒の数は減っていった。
努人達のいる四回からは絶の表情は伺えない。
泣いているのか、笑っているのか、無表情なのか分からない。
けれど絶のその背中には何か大きなものを背負っているように見えた。
そしてついには六十人ほどいた生徒全員が絶ただ一人の手によって無惨にも瞬殺されたのだ。
「悪いな、俺は早く生きて帰んないといけないんだ。」
絶はそんな死人の骸には目もくれず、捨て台詞を吐いては校門を後にした。
努人は大量殺戮の一部始終をこの目で見ていた。
途中そのあまりの惨さに耐えられずに吐いてしまった。目を背けてしまった。
たった今この目で見ている光景が本当なのか現実なのか分からないという感覚に陥った。
手も足も頭も生きている実感がわかなくなっていた。
先程まで恐怖を振り払ってあんなに頑張っていた姿は跡形もなく、ただ無言で横たわっているだけだ。
絶という人間がどれだけ恐ろしいか。努人が理解するのに一秒もかからなかった。
一丁の拳銃で行われた絶の行動は並大抵のことではないというのは努人にも分かりえた。
雅も一言、ありえねえ、とだけ呟いていた。
もし、雅に止められなかったら今頃あの血の海を漂っていただろう。
そう思うと吐き気が止まらなかった。
努人が気分を治すためその場にうずくまろうとすると、雅に再度止められた。
「見ただろう、今の。あれを見たのは勿論俺たちだけじゃねえ。他にもどこかであれを見てた奴がいる。それがどうだ、もし、絶が校舎内に侵入してきたら?もし自分の前に現れたら?絶の奴に完全に恐怖の種を植え付けられた。もうこの学校にいる奴ら全員がお互い疑心暗鬼に陥る。平和な考えはもう捨てろ。NO.23とか言う奴の思惑通りになっちまったよ。ゲームは始まった。放課後の銃撃戦がな。」
結局起こってしまった惨劇を止められなかった。止めようとする行動すら起こせなかった。
しまいには安易な考えから迂闊な行動に出てしまった。
また雅に助けられた。どうして僕はこんなにも弱いんだ。
助けられてばかりの人生で悔しい。
そう努人が落胆していると、先程まで右手に握られていたはずの少女の手がないことに気付いた。
それどころか彼女の姿さえ見当たらない。いつの間にか消えてしまっていた。
雅も気付いていなかったらしい。
あまりの恐怖に気付かぬうちに逃げ出してしまったのだろうか。酷い目に合わなければいいのだが...。
「おそらく校内の人達が疑心暗鬼状態になって乱射してきたりしたら怖い。ひとまずどこかに身を潜めよう。...そうだな。あ奥のの美術室の隣の使われてない客間はどうだ?」
雅は奥のほうを指さす。
雅の判断は全て正しく思える。努人は迷わず首を縦に振った。
四階の特別棟は空き教室や校長室、進路相談室、指導室といつもなら先生がいるはずなのだが、小走りで駆け抜けて様子を伺うがやはり室内には先生の人影は見えない。
四階全体を見回しても人の気配はないようだ。
皆銃声に怯えて下に降りていってしまったのだろうか。
何事も無く、客間部屋の前へとたどり着いた。
ただ、絶のあの虐殺を見てしまってから手足が震えて思うように動かせない。
ほとんど使われないだけあってか、ホコリ臭い匂いがドアの隙間からダダ漏れしていた。
ドアを開けるときも、少しキキキ...と随分昔の木造建築の面影を残す音を鳴らしていた。
客間。ドアを開けるとそこには先客がいた。
一人はところどころ剥がれスポンジが見え隠れしている革ソファに、まるで生後間もない赤ちゃんがスヤスヤと心地よく寝ているような気持ちよさそうな顔で寝ている少女の姿があった。
そう、努人の手からするりと抜けてはこの部屋にたどり着き、彼女の強い睡魔に溺れてしまったようだ。
あまりの呑気さに呆れる程だ。
もう一人、体は肥満体型でいかにも世間一般から言うオタクのイメージが溢れんばかりのその容姿。
おまけにメガネときてそれはもう完璧である。
だが、油断していた。
彼の右手には努人、雅と同じように拳銃が握られており、その銃口はまたもや努人の方に向けられていたのだ。
努人は完全にチェックメイトを被った。