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六天楼の宝珠  作者: 伯修佳
第二部
23/24

九 春嵐

 一言に仲直りさせるといっても、方や昼間は外に決して出ない蟄居ちっきょの身だ。

 しかもお互いに自発的には会おうとはしないだろうし、今の時点では翠玉自身すら季鴬に表立っては会うのを許されていない。


──まずはそこから解決していかなければ。


 あれこれ思いを巡らせていると、「失礼致します」と紗甫が角盆を掲げ持って房に入って来た。


「本日は第一節気の中日ちゅうじつでございますから、薬玉を飾らせていただきます」


 盆には色とりどりの紐が複雑に結ばれた、円形の紅い鞠の様なものがいくつか載っている。紐の中心には若葉の枝も添えられていた。


「そうだったわね。今年は春が来るのが早かったから、忘れそうになっていたけど」


 紗甫は房の入り口と庭に向いた扉に手早く薬玉を結びつけ、にっこり笑う。


「本日の夕餉は寒粽かんそうになります」

「……わかったわ」


 冷たい餅を思い浮かべて、翠玉は苦笑した。実はあまり好きではないのだ。

 暦の上では節気をもって春夏秋冬を分けるのだが、邸では入りと中間日に様々な飾りつけを行う。

 それは貴人の家に限った話ではなく、彼女の生家でも春の節気には冷たいものが食卓に出た。寒粽とは主食の穀物を蒸してから敢えて冷やす料理で、味はともかく妙に固いので食べにくい。

 侍女が出払った房の中で、美しい意匠の薬玉を眺めていた翠玉の頭にふと、ひらめくものがあった。


──紅い玉……。


「緋鉱石が見てみたい、ですか?」


 その日の晩、元通りに宵をめがけてやってきた碩有に思い切って聞いてみると、彼は少しだけ不思議そうな顔をしたものの、穏やかに聞き返してきた。


「はい。桐で採れるのでしょう? 珍しい石だと聞いて、もし出来れば見てみたいなと思って」

「珍しいというより、産業によく使われるものですから貴重ではあります。物自体は手に入りにくいわけではありません」


 「珍しいと言えば」と碩有は固い料理にも顔色を変えることなく、優雅な仕草で箸を付け口に運んだ。寒粽は食べにくさを考慮して小さく作られている。ややあってから再び口を開いた。


「貴方が何か欲しいというなんて、よほど気になったのですね」

「え、ええ。黒くてそれでいて光の加減で紅く見えるのでしょう。神秘的だわ」

「ですがあれは飾りに出来るものでもないですよ」

「いいのです。一度眺めたらお返ししますから」


 翠玉は少しの間逡巡した。季鴬と会ってもいいか、と聞いてみたかったが今はどうにもその時期ではない様な気がした。

 ふと、碩有が何かを思い出す様な表情をしているのを見咎める。


「どうかなさったのですか?」

「──緋鉱石と言えば、父の霊廟にもそんなものが飾られていたなと思いまして」

「本当ですか!?」


 妻のあまりの驚きぶりに、今度は碩有が唖然とする番だった。


「遺言の形見分けにも入れられておらず、お祖父様も処遇に困りまして結局ずっと持っていたとか。──今、そんなに驚くこと言いましたか?」

「ああいえっ! ちょっと話が早いなと思っただけで──何でもありません!」

「そうですね、確かに霊廟に行けばわざわざ取り寄せる必要もないですし。お祖父様も喜ばれるかもしれない」


 どうやら彼女の発言を違った意味に取ったらしい。


「え、ええ」


 流れで頷いたものの、そう言えば彼は蕃家の墓に来てくれたのだ。


「私が行っても良いものなら……」


 ご先祖に叱られるのでは、と付け加えると、碩有は破顔一笑して妻の危惧を軽く払った。


「どうという事もありませんよ。問題を抱えているのは、いつだって生きている者なのですから」


※※※※


「翠玉様、何をなさっているのですか」


 いつもと変わらぬ何気ない阿坤の口調にも飛び上がりそうになりながら、翠玉は目の前の枝に薬玉を結んだ。鮮やかな紅い色の飾り紐は、房にあるものを真似て彼女自身が手ずから作ったものだった。

 全く自分ははかりごとや駆け引きに向いていない、と思う。そう言えば常に感情的に真正面からぶつかってばかりな気がする。あまり自慢出来るものではないのは確かだ。

 でも、今ばかりは適当にごまかさねばならない。


「この木、ちょうど私の房から見えるでしょう? ここに薬玉をかけておけば、外を見た時に眺められると思って。無病息災の厄払いですものね」

「雨風で汚れてしまうのでは……」

「大丈夫よ。枝葉が傘になってくれるし、しばらくは月も太っているわ。雨になりそうだったら取るから」

「それを仰るなら、月の周りが白むかどうかでしょう。春嵐が来ねば良いのですが」

「まあ、似たようなものよ」


 上機嫌に言って紐を結び終えると、翠玉はさっさと踵を返して庭から房へと戻っていった。


──季鴬様、気づいてくれるかしら。


 その日は何事もなく過ぎた。碩有が再び来る様になったというのもあり、始終庭を気にかけるわけにもいかなかったが、ふとした折にでも雨戸を叩く音でもないかと神経を研ぎ澄ませて反応を待った。

 薬玉には細工がしてあって、手にとって眺めればすぐに中央に切れ目が入っているのがわかるだろう。そして中に文が入っているという事も。

 お節介なのは百も承知、けれど時ある限り望みを繋ぐのもまた、生者の特権ではないだろうかという気がしている。 霊廟に参る日程が決まらないのか、碩有からはまだ何も具体的には言われなかった。一族に反対されているのかもしれない。


「……どうかしたのですか?」


 耳をくすぐる声に逸れかけていた意識を戻し、翠玉は慌てて首を横に振った。


──小石を投げて返答がなければ、お取り込み中だと思うところだったわ。


 来るなら宵も早いうちでないと、帰られてしまっては困るのだと思いながら。


※※※※


 しかし予想に反して、次の日の晩も季鴬からは何の音沙汰もなかった。無為なまま二日が過ぎ、夜を迎えた。


「ひどい雨だわ……」


 華頭窓の格子の隙間から庭を覗き見て、翠玉は散策の時に薬玉を引き上げてこなかったのを後悔していた。

 夕方までの晴天が嘘のように夜から降り出した雨は勢い強く、屋根と庭を打ち鳴らしている。

 いきなりのものだったのでてっきりにわか雨だと思っていれば、刻を過ぎても止む気配はない。いくら緑生い茂る枝葉の中とはいえ、これだけ降っていれば水浸しになっているのは間違いないだろう。


「いつまでもそこにいると、身体を冷やしますよ」

「そ、そうですね」

「庭に何かあるのですか? そう言えばこの前も──」

「何もないですよ。ただ、庭が好きなものですから」


 房の中からこちらに近づいて来た衣衫姿の碩有を、押し戻す様にして窓を離れた。


「毎日見ているではありませんか」


 からかい気味な笑いに決まり悪くなって、「月琴でも弾きましょう」と話を逸らした。


──こんな雨降りだもの、季鴬様が来るわけもないし。


「月琴で思い出しましたが、近々隣国から客人を迎える事になりましてね」


 長椅子に並んで腰掛けると、妻の持つ楽器を眺めながら彼は言った。


しゅうという領国をご存知ですか? この月琴もそこで作られているものが有名で」


 その時だった。雨戸の外から、戸板を叩く音がしたのだった。


「え──」


 撥を構えていた翠玉よりも、碩有の表情が険しくなり、即座に立ち上がり扉に向かった。

 雨の音では決してない、高く重たい音が鳴り響く。明らかに拳で殴っている様な音だった。


──まさか。こんな天気の中?


 慌てて彼女が駆け寄る間もなく、夫が扉の把手に手を掛け、開けると同時に素早く外を窺う。


「せ、碩有様、私が開けます」

「何を言うのですか。万一賊でも入り込んでいたら大変です」


 言うが早いが、彼は雨戸と内廊下の間にある廂の下へと、一歩足を踏み出した。

 歩みが止まる。


「いやもう、ひどい雨ね! 流石の私も行き倒れるかと思ったわ──」

「季鴬様!」


 夫の肩越しに声を掛けると、着物から髪から滝にでも打たれたのかという様な出で立ちの季鴬が、顎から雨滴を滴らせて呆然とこちらを凝視していた。

 正確には、間に立ち尽くすわが子の顔を。


「せ──」


 だが開かれた唇は、後が続かず止まったままだった。


「……これは一体、どういう事ですか」


 碩有は振り返り、季鴬ではなく翠玉に向かって問いかけた。


「え~と……何と言ったらいいのでしょうか。つまり……」


 騒ぎに駆けつけてきた紗甫に、布を持って来る様に頼む。所在なく咳払いなどしてみた。


「とりあえずお上がりください、季鴬様。そのままではお体を壊してしまうでしょうから」


 前に来た時と違って、季鴬は促されても房に足を踏み入れようとはしなかった。


「いえ──ここでいいわ。すぐに帰るから」


 手に持っていたものを掲げて翠玉に示す。


「雨に濡れていたから、気になって。貴方が飾ったものでしょう?」


 枝に括りつけてあったはずの薬玉は、色が変わってしまっていた。思わず手を伸ばすと、碩有が脇に避ける。翠玉はうろたえた。


「……まさか、こんなひどい雨の中においでになるとは」

「中に手紙が入っていたでしょ。『見せたいものがある』って。気になってしょうがなくて来ちゃった」


 あっけらかんと笑う様子が、ひどく子供じみていて、緊迫した場の雰囲気に全くそぐわない。

 お邪魔だったわね、と踵を返す季鴬の腕を掴んだ。


「いえ! そんな姿で帰ってはお風邪を召しますっ。せめて身体を拭いてから、回廊を渡ってお帰りになってください」

「でも……」


 ちらりと視線をやろうとするものの、見る事さえはばかられるといった様子だ。


「──翠玉。私は今日は奏天楼に戻る事にします」


 夫の声は硬かった。すぐさま歩き出そうとする袖を、こちらも掴んで留める。


「碩有様もお待ち下さい! これにはわけが」

「わけってどういうこと?」


 受け取った布で身体を拭きながら、険しい表情で口を挟んだのは季鴬だ。


「もしかして翠玉さん、これは貴方が仕向けた事なのかしら」

「し、仕向けたっていうか……その」

「よくある表現で『大きなお世話』っていうの、知ってる?」

「それはもう、重々承知しております。でも──でもですね」


 語尾が消え入りそうになるのを奮い立たせて、昂然と顔を上げる。


「仰る通りです。私は季鴬様に緋鉱石を見てもらいたかった。だから、お二人で霊廟にお参りに行ってはどうかと思ってっ!」


 申し訳ありません、と二人に頭を下げた。


「翠玉……」

「……緋鉱石? それが霊廟に?」


 それぞれ別の理由には違いないのに、親子は揃って同じ表情をしている。つまり、理解に苦しむという。


「でもあの人が亡くなる時には、形見にはそんなものなかったはずだけど……」


 あの人、という言葉に碩有は初めて視線を動かした。それまでは決して母を見ずに、そっぽを向いていたのである。


「──何故、父上のものだとお思いか」


 最初自分に掛けられたものだと思っていなかったらしく、季鴬はややあってから目を見開いた。──まるで、天上からお告げを聞いたかの様な顔をして。

 結局答えずに、俯いてしまった。

 翠玉は義母の顔を覗き込んだ。


「季鴬様。槙文様は遺言に記しはしませんでしたが、緋鉱石を持ち帰っていた様ですよ。もしかしたら、耳飾と違ってご自分で渡すおつもりだったのではないかと、私などは思うのです」


 娥玉の耳飾は以前から注文していたものだから、遺言にも書けるだろう。だが緋鉱石は、恐らく耳飾の数倍は季鴬が喜ぶであろうその石は──当時の状況を考えれば、実際に手渡して笑顔を見なければ意味がない。

 当初翠玉は、槙文を思い出すであろうその石を見せると彼女を呼び出して、碩有と鉢合わせをさせようと目論んでいた。だが。

 周到だった彼が、恐らくはたった一つだけ予定していなかった事。


「……そんなの……わからないわよ……っ。本人に聞いたわけでもないのに……」


 声を詰まらせる季鴬は、きっと置き去りにされたあの頃のままなのだろう。


「わからないですよね。だからせめて──お二人で、恨み言でも言いに行ってみてはいかがですか」


 潤んだ瞳をしきりに瞬かせ、戸惑いの表情を浮かべた。


「恨み言……?」

「私の両親と弟、立て続けに亡くなったんです。病で苦しんで、誠心誠意看病したけど駄目でした。特に父なんて、母が亡くなった後すっかり意気消沈してしまって」


 翠玉は寂しげに微笑った。灯火が消えていくのを止められない、あの無力に打ちひしがれた日々。忘れようとしても、おいそれと忘れられるものではない。


「娘の私では、生きる意味にならなかったみたいでした。元気だった時は二人ともとてもいい両親と弟だったと思います。でも、やっぱりお墓に向かうと悔しい気持ちなんかも出るから。そんな思いも話しかける事にしているんです。……で、大抵いつの間にか、ただの報告になってしまったり」

「翠玉さん……」

「もちろん亡くなった人は何も言わないんですよね。そう理解させられるのも、ふんぎりを付ける為に大事なのかなって思ってて──あ、私の話じゃないですよね。すみません」


 両肩を柔らかく包み込まれる感触に、見上げると碩有がすぐ傍に立っていた。

 一瞬こちらを見つめてから、季鴬に視線を移す。まっすぐ、捉えて。


「行ってもいいですよ。お参り」

「碩有様」


 声を上げた翠玉も、言われた当人に負けず劣らず驚いていた。


「──ただし、昼に出てもらいます。それで宜しければ」


 一拍の間を置いて、季鴬は激昂する。


「な……私が、夜しか外に出ないの知っているでしょう!」

「昼に出られない支障があるという報告は受けていませんが? 夜に霊廟に行くなど、貴方がたを連れては危険過ぎます」


 いっそ冷ややかとも取れる表情で、挑戦的に言い放つ。

 泣き出しそうな顔をしたまま、彼女は息子をしばらく睨んでいたが、ややあってぽつりともらした。ふてくされた様に。


「……貴方のそういうところ、あの人にそっくりだわ……」

「初耳ですね。邸の者達は皆、口を揃えて貴方に似ているとばかり言うのに」


 和やかな雰囲気とは程遠いが、恐らくは二十年以上ぶりの、これが親子の会話なのだ。


 素っ気なく応じる夫の強張った頬に、笑みに似たものがわずかに掠めるのを──翠玉は確かに見た様な気がした。


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