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六天楼の宝珠  作者: 伯修佳
第一部 
11/24

十 証明

「あれは扶慶殿を引きずり出す為の小細工です。正攻法を色々やりましたが成果が挙がらなかったので──そうでなければ、流石に最初から騙し討ちの様な真似はしませんよ」


 夕餉の席で翠玉は口も利かずに膨れていた。食事が終わり長椅子に場所を移しても状況が変わらず、碩有は苦笑しながらようやく打ち明けたのである。

 結局あの後彼は妻を六天楼に送り届けるなり「詳細は夜に」と言い置いてさっさと戻って行ってしまった。

 朗世や仕事、そして呼び出したあの扶慶とか言う男の件などで忙しいのだろう、それは翠玉も充分わかっている。

 けれど言い訳もしないままいなくなられた事に多少なりとも腹を立てていたので、素直に話を聞く気にはなれずにいた。


「あの男は桐の町長を長年務めていました。お祖父様の頃にはそれなりの政治を心掛けていたものを、代替わりした途端に領主の言葉を聞かなくなった。面白い話です、亡くなる五年程前からほとんどの政務を私が継いでいたというのに」


 碩有は少年の頃から領土内の主な町には特に調査を進めていた、と続けた。特産物が何で、全体の内どれ程の産業価値があるか。そして長たる人物がどの様な素行をしているか。

 職務を全う出来ない者や長として不適格な者を、近年では彼が実質処罰していたのだと打ち明けた。


「騙し討ちにせよ、書面を突き付けられれば選択肢は二つしかありません。観念して認めるか、違うと訴え覆す為の証拠を揃えるか」


 翠玉は横を向いたまま、ちらりと視線だけを夫に動かした。


「もし覆せる様な証拠が出て来たら……全くの冤罪になってしまうのではありませんか?」

「証拠は既にこちらで押さえてましたし、反証があるならば尚の事彼はもっと早い段階で出さなくてはならなかったのです」

「そんなものかしら……」

「厳しい様ですが、本来領主より詮議があった事を軽んじるだけでも処罰するのは可能です。私がそうしなかったのはひとえに扶慶殿の対処の仕方を測る為でしたから、失策を犯したと言う他はありませんね」


 いつもと変わらない、天気の事を話す様な碩有の穏やかな表情。

 彼は紛れもなく政治を行う君主なのだと、改めて思い知らされる。

 祖父戴剋が名君と称されていたのはただの領民だった頃、彼女も知っていた。周囲で賞賛する声を聞いていたからだ。

 民が平和に暮らせるのは君主がきちんと政治を行っているからなのだが──陰には色々な苦労があったのかもしれない。

 自分は本当に彼の一面しか知らないのだと、翠玉はいたたまれない気持ちになった。


「……榮葉さんは、あの人と何か関わりがあったの?」


 単なる嫉妬に取られたくなくて、渋々顔を正面に戻した。

 案の定碩有の視線をまともに受けて戸惑う。

 また「関係ない」と言われてしまうだろうか。


「あの、どうしても話せない様でしたら無理にとは……」

「でも、気になるのでしょう?」


 翠玉は慌てた。いつの間にか夫が自分の手を取って弄び始めている事に気付いたから尚更だ。


「私はただ……榮葉さんの様子がちょっと腑に落ちなくて、それで聞いただけですっ」

「腑に落ちない?」

「一度だけお見かけしましたが、随分とお顔の色が優れませんでした。それに」


 自分の首飾りを知っていると言った──続く言葉を彼女は呑み込んだ。


「いえ、何かひどくお悩みを持たれているのかと思ったのです。だから昼のあの人の様子が関わりがあるのではないかと」


 「そうですね」と、碩有は少し表情を曇らせた。


「これは本人の名誉に関わる事なので、詳しくはお話し出来ませんが。……彼女は私と別れた後、結婚が決まっていた相手がいました。それを、横恋慕した彼に邪魔されたのです。だから私は彼女を一旦こちらに引き受けて、婚約者の元へ送り出そうと考えました。蓉天楼に置いたのはその為です」

「邪魔? 他に婚約者がいたのに、ですか」

「はい。彼の女好きは有名でした。相手がいようがいまいが、然程重要な事ではないらしいのです」


 確かにそれだと「終わった話だ」と言った碩有の言葉の辻褄は合う。

 自分が許婚と別れなければならなかった時の記憶が勝手に蘇って来た。今でこそほろ苦い思い出になりつつあるが、当時はひどく悲しかった。複雑な思いがあったから余計に、だったかもしれない。


──初恋、だったから。


 榮葉はどうだったのだろうと思う。碩有の言葉通り許婚を好いていたとしても、勿論哀しくて苦しくて堪らなかったはずだ。

 だが考え過ぎかもしれないが──本当に単なる心変わりで碩有と別れたのなら、自分の事をあんな風に見たりするだろうか。


「何を考えているのですか?」


 頬を撫でられる感触がして、翠玉は過去の記憶から我に返った。


「いえ……何でもありません」


 手を当て逃さない様にして、覗き込んで来る碩有の視線が少しだけ後ろめたい。翠玉は目を伏せた。


「そうですか?」


 少しばかり口調が不快そうに思えるのは、きっと気のせいだと思う事にする。


「扶慶殿は許せませんね! 領地で民に迷惑を掛けた挙句、好き合っているお二人を引き離すなんて。極刑にすべきだと思います!」


 それは本心からだったので力強く断言すると、彼は毒気を抜かれた様な表情を見せた。


「碩有様、勿論処罰なさるおつもりなんでしょう?」

「あ、はい。それは──そう、なんですが」


 余りに釈然としない顔をしていたので、多少不安になる。


「また私、何か可笑しな事でも言いました?」

「……いえ。誤解が解けたのなら、それで充分です」


 とはいえ、本心からの言葉ではないらしい。夫は失笑を堪えている風に見えた。


「じゃあ何故、そんなに笑っているのですか」


 笑いを納める気配のない彼に、翠玉は段々本気で怒ってやろうかという気持ちになって来た。

 無言で離れようと立ち上がった瞬間、腕を取られ引き戻される。


「……碩有様っ……」

「断言しておきたい事がありますが、聞いてもらえますか」


 倒れ込んだ妻の身体を胸に抱き寄せて彼は囁いた。


「覚えておいて下さい。この先もし貴女が少しでも私の心を疑う様な事があれば、私は全力でそれを阻止します。例えどんな手を使ってでも」


 愛の告白にしては余りに不穏な気配がして、翠玉は顔を強ばらせた。


「……『どんな手を使っても』って、た、例えば」

「知りたいですか?」


 昨晩と同じ様な、妖しい笑みが返って来た。


「いえやっぱり結構ですっ! もう今日は私、そろそろ休みますのでこれで」


 翠玉が必死に夫の腕から逃れようとしていると、「失礼致します」と侍女の声がした。


「就寝の支度をさせて頂きます」

「えっ? でもまだ、私呼んでないけど」


 いつも翠玉は眠る前に月琴を弾いたりするので、支度をして欲しくなったら呼ぶのが習慣だった。


「ああ、ありがとう」


 代わって当然の様に答えたのは碩有だった。


「碩有様?」

「私は取り敢えず今日もこちらに泊まります。さっきの話の続きですが、もし証明してもらいたいなんていう事があったら何時でも引き受けます。是非遠慮なく言って下さい」


 妻を羽交い締めにしたまま彼はそう言って、にっこりと笑った。

 顔が瞬時に赤くなるのがわかる。


「いえっ! もうそれは大丈夫ですから。お気になさらず戻って頂いても」

「紗甫、寝着の他に水差しと器を置いておいてくれ」

「はい」


──無視? 無視なの!?


 結局碩有はそのままつつがなく寝支度を終え、呆気に取られた翠玉を尻目に寝台へと潜り込む次第となったのである。


※※※※


 隣に横たわったはいいものの、翠玉は中々寝付けずもの思いに耽っていた。

 堂々宣言したくせに碩有は早々と眠りに入ったらしい。妻の身体にしっかりと腕を回した状態で、穏やかな寝息を立てている。


──もしかして、お疲れになっていたのだろうか。


 昨晩実は夫が一睡もしていない事など、彼女は知らない。


──だったら尚の事、ご自分の部屋で心おきなく休まれた方が……。


 来て釈明してくれたのは嬉しいけれど、無理をされては困る。

 ふとある事に気付いた。


──もし、今日碩有様がお帰りになったら私はどう思っただろうか。


 思わず夫の顔を見上げた。寝顔を見たのは初めてだが、無邪気さすら感じてつい笑みを浮かべた。


──ありがとうございます、碩有様。


 翠玉は夫の胸に頬を当て瞳を閉じた。

 満たされるのと同時に苦しさを覚える、こんな強い思いを他に知らない。


──そういえば首飾りの事、結局聞けなかった。


 余りに些細な問題の様な気がして聞けなかったが、何故榮葉は知っていたのだろう。


──もう少し、さりげない機会を掴んで。きっと、その内に。


 緩やかに音を刻む鼓動は彼女を安心させる。まるでその存在に包まれているかの様に。

 耳を傾ける内にいつしか翠玉は眠りに落ちていった。

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