05. あぶれ者同士、意気投合
もはや合コンというより、「魔王城エリート筋トレ部&キラキラ筋トレ女子、合同決起集会」と化した宴の中、すっかり輪からあぶれてしまったリンは、テーブルの端へ移動せざるを得なくなっていた。
(あー、もう帰りたい)
虚無の表情で、冷めかけた料理をつつく。隣には、同じように周囲の筋肉談義についていけず、肩身が狭そうに身を縮めているミシェルが座っていた。
ふと目が合い、リンは苦笑した。
「大変ですね、いろいろと」
労うように声をかけると、ミシェルは頼りなく肩を落とし、力なく笑った。
「リンさんも、ですよね。俺、一応これでも自宅で筋トレは試みているんですが」
「そうなんですか?」
見かけによらず、鍛えようとはしている。その前向きな言葉に、リンは目を丸くした。
「ええ。今や筋肉の有無は、自己管理能力の指標みたいになっていますからね。職場でも、筋肉がないと居づらくて」
ミシェルは小さくため息をつき、烏龍茶の入ったグラスをくるくると回しながら続けた。
「動画サイトで『初心者向け! 毎日五分で劇的変化!』みたいなのを見ながらやるんですけど、三日後には全身が悲鳴を上げて、そのままフェードアウト。毎回その繰り返しです」
「あぁ、分かりみが深すぎます」
(よかった。仲間がいた……!)
マッチョたちの怒号のような筋肉談義が、背景音へと退いていく。リンは身を乗り出すと、さっきまでの鬱憤を晴らすように声をひそめた。
「去年、奮発してお高めのヨガマットとダンベルを買ったんです。でも今や、ダンベルは『ちょっと重いドアストッパー』、丸めたヨガマットは『ポスターを差しておく筒』になってますから」
「ドアストッパー……それ、うちにある腹筋ローラーと同じ運命ですね。今は完全に、自動掃除機の障害物と化してます」
「ふふっ、同じですね。筋トレの器具って、使わなくなった瞬間に、部屋のインテリアとしても最悪の存在感を放ち始めますよね」
「そうなんですよ!」
ミシェルは少し声を上ずらせた。
「『俺はここにあるぞ』っていう圧がすごくて。視界に入るたびに、謎の罪悪感を植え付けられてます」
「分かります。だから私、ステップ台とか、最初から『ただの踏み台』だと思い込むようにしてますもん」
「俺のエアロバイクは、完全にコートハンガーですね。冬場は特に重宝してます」
二人は顔を見合わせ、くすくすと声を殺して笑い合った。
部屋の中央では、魔王城勤務のエリート魔族男子が「大胸筋の収縮速度について」熱弁を振るい、キラキラ女子たちがプロテインのフレーバーについて黄色い声を上げている。
「でも、ちょっと安心しました」
ミシェルがグラスをテーブルに置き、照れくさそうに目元を緩めた。
「ここにいる人たち、みんなストイックすぎて。自分だけが落第生みたいな気分だったんです」
「こちらこそですよ。みんながプロテインで乾杯してるのを見た時、本気で脱出しようか迷ってましたから」
「あ、俺もです。非常口の場所、三回くらい確認しました」
リンが「仲間ですね」と微笑むと、ミシェルはどこか吹っ切れたような顔で、目の前のチキン南蛮に箸を伸ばしながら頷いた。
部屋の片隅で意気投合した二人は、さらに筋トレ挫折あるあるを披露し合った。リンが失敗談を話せば、ミシェルも真剣な顔で深く頷き、さらなる敗北の記録を差し出してくる。
互いの痛々しくも愛おしい挫折談に花を咲かせるうちに、二人は示し合わせたかのように深いため息をついた。
「「でも、筋肉って、そこまで重要ですかね……」」
見事に声が重なり、リンは思わずミシェルの顔を見た。ミシェルも驚いたようにこちらを見て、次の瞬間、二人そろって吹き出してしまう。
「私、前から思ってたんですけど、最近の魔界の食べ物って、何でもかんでも『高タンパク!』とか『筋肥大!』ばかりで疲れませんか?」
「あっ、すごく分かります! どこへ行ってもプロテイン配合とか、脂身の少ないパサパサの鶏胸肉ばかりですよね。俺も胃腸が弱いので、筋肉のためだけに食べる食事より、温かい煮込み料理とかのほうがずっと好きなんですけどね」
「本当ですか?」
リンは少しだけ声を落とした。
「実は私、休日に出汁から取って、野菜の煮込み料理を作るのが趣味なんです」
「えっ、出汁から。素晴らしいですね。食べたいものを我慢してまで無理に筋肉をつけるより、そうやって料理を楽しめる方のほうが、俺にとってはずっと理想的ですよ」
「ありがとうございます。でも、筋肉のことが常に頭の片隅にあるせいで、大豆製品とか卵とか食べなきゃって、自分に言い聞かせちゃうんですよねぇ」
「分かります。流行りに乗ろうとして、俺もわざわざ硬いブロッコリーと味のないゆで卵を、無理して胃に流し込んだりして。結局、筋肉がついた実感もなくて、悲しくなりました」
「そうですよね。我慢して食べて、結局筋肉もつかないなんて、ただの踏んだり蹴ったりじゃないですか」
リンが力説すると、ミシェルが何度も大きく頷いた。
「筋肉のために食べるものを制限するなんて、本末転倒な気がします」
「完全同意です。とはいえ、そもそもこんな見た目じゃ誰の目にも留まらないから、筋肉を求める気持ちも捨てきれないんですけどね」
リンは自嘲気味に息を吐き、箸の先でパサついた高タンパク豆腐カツをつついた。
「この前なんて、服を買いに行ったら、店員さんに『もっと肩幅があれば映えるんですけどね』って苦笑いされちゃって。別にモデルになりたいわけじゃないのに、なんでこんなに肩身の狭い思いをしなきゃいけないんだろうって」
「そんなこと、絶対ないですよ」
ミシェルのまっすぐな声に、リンは顔を上げた。
「服の形に自分を合わせる必要なんてないですし、俺は……今のリンさんの雰囲気が、すごく柔らかくて素敵だと思います」
「ミシェルさん」
胸の奥が、ふわりと温かくなる。そんなことを言われたのは、いつ以来だろう。
(って、こんな素敵なセリフ、言われたことなかったわ……)
悲しい事実に気づき、リンは目が泳ぎそうになるのを必死に抑えた。
「それに、周りに流されずに『美味しいものを丁寧に作って食べる』って、本当はすごく豊かなことじゃないですか。俺、憧れます」
その飾り気のない言葉が、プロテインで疲れ切っていたリンの心に、出汁の効いたおかゆのように優しく染み渡っていく。
「ありがとうございます。ミシェルさんにそう言ってもらえると、なんだか救われます」
「いえ、偉そうなことを言ってますけど、俺もリンさんと同じです。自分らしくあろうと思っても、やっぱり筋肉が欲しいし、オーガやオークみたいに筋肉適性値の高い種族に生まれたかったなとか、つい、ないものねだりをしちゃうんですよ」
ミシェルが苦笑しながら肩をすくめると、リンは「分かります」と大きく頷いた。
「周囲のマッスル至上主義の圧、すごいですもんね。強いイコール筋肉、みたいな」
「そうなんですよ。だから俺も、見た目だけでも強そうにしなきゃって、無理してプロテインを飲んだり、ジムの体験に行ったりして。結局、自分の心と胃腸を痛めつけてるだけなんですよね」
そこまで聞いて、リンは少し意外に思った。
(この人、思った以上に話すんだ)
最初は、物静かで頼りなさそうな人だと思っていた。ところが、筋トレの苦労話になった途端、次から次へと愚痴が飛び出してくる。どうやら、普段からいろいろと思うところがあるらしい。
「だいたい、ジムのパーソナルトレーナーもおかしいんですよ。『追い込んでからが本番です!』とか爽やかに言うけど、こっちは追い込まれた時点でもう限界なんです。なんで俺、お金を払って拷問を受けてるんですか? 意味が分からないですよ」
「あはは! すごく分かります」
身を乗り出して熱弁するミシェルに、リンは相槌を打ちながら笑った。
「この前なんて、職場の先輩に『ミシェル、脱いだらスゴいタイプ?』って聞かれて、『脱いでもそのままです』って答えたら、すごく哀れむような目で見られたんですよ。脱いだらスゴいって何ですか! 隠れマッチョじゃないと生きちゃいけないんですか、この街は!」
「ふふっ、ミシェルさん、相当溜まってたんですね」
「あ」
ミシェルが固まった。ぎゅっと握りしめていた烏龍茶のグラスをそっとテーブルに戻すと、耳まで真っ赤にして俯く。
「す、すみません! 俺、取り乱して、勝手に熱くなっちゃって。引きましたよね。すみません」
「ううん、全然!」
リンは嬉しくなって、笑顔を向けた。
「むしろすっきりしました。同じこと思ってたんだなって」
こんなに自分の気持ちを分かってくれる人がいる。それだけで、今日この場に来た甲斐があったような気がした。
リンは少しだけ声をひそめた。
「ミシェルさん、あの……実は私、最近通い始めたジムがあるんです」
「えっ、ジムですか?」
ミシェルが目を丸くする。
「魔界には珍しい『ゆるトレ専門ジム』なんです。マッチョお断り……とまでは言わないですけど、私たちみたいな筋肉がつきにくい種族にも優しいジムなんですよ」
「マッチョお断り寄りの、優しいジムですか?」
「そうなんです!」
リンは得意げに頷いた。
「インストラクターさんが『無理して鍛えると関節を痛めますからね~』って、まるで孫を甘やかすおばあちゃんみたいなテンションで励ましてくれるんですよ」
「天国……! 天国が実在したんですか!?」
あまりの食いつきのよさに、リンはまた笑ってしまった。
「そうです。しかも館内BGMは、筋トレ特有のド派手なEDMじゃなくて、アルファ波が出そうなクラシックの名曲のオルゴールアレンジなんです」
「まさかの癒やし系……! 俺が今まで行ったジムは、心臓にダイレクトに響くEDMが爆音で流れてて、重機みたいな鉄塊がガシャガシャ鳴ってて、トレーナーが『あと三回! 限界を超えろ!』って咆哮してる修羅の国だったのに」
ミシェルが目を見開く。その反応がおかしくて、リンは肩を震わせた。
「もしよければ、今度、体験レッスンに一緒に行きませんか?」
思い切って誘ってみると、ミシェルの目がさらに丸くなった。
「いいんですか? 俺なんかが行って」
「もちろんです。器具の使い方くらいなら教えられますし、一人で黙々とやるより楽しいですよ」
言いながら、リンの脳裏に、最軽量のダンベルを持ち上げた途端、「無理!」と音を上げた自分の姿が蘇る。
(最軽量のダンベルすら持ち上げられない私が使い方を教えるとか、どの口が言ってるの? って感じだけど……)
ほんの少しだけ良心が痛んだ。けれど、自分と同じ運動初心者の仲間ができる嬉しさには勝てない。それに、ミシェルと一緒なら、きっと楽しい気がした。
「ぜひ、お願いします。俺でよければ、一緒に行かせてください」
ミシェルが嬉しそうに微笑む。その表情を見ているうちに、リンの頬にも自然と笑みが浮かんだ。
「じゃあ、ひとまず連絡先を交換しませんか?」
「あ、はい」
二人は魔導スマホを取り出し、連絡先を交換した。
それは、ほんの些細な約束だった。けれど、リンにとっては、今日初めて出会った、気を遣わずに話せる相手との新しいつながりでもあった。
周囲では相変わらず、男たちが大胸筋をピクピクさせながら、「俺、ベンチ何キロまで上がると思う!?」と暑苦しく盛り上がっている。その隣では、魔界のトレンドの最前線を走るモテ女子たちが、「プロテインのおかわりくださぁーい!」と華やかな声を上げていた。
熱気と筋肉の躍動、そしてプロテインの匂いが渦巻く、完璧な魔界のリア充空間。その狂宴から遠く離れた最果ての席にだけ、タンポポの綿毛がふんわりと舞うような、平和で穏やかな時間が流れていた。
筋肉のカットの深さも、プロテインの摂取量も、今の二人には関係ない。アプリでのバキバキな鬼神加工も、背伸びした虚勢も、ここではすべて脱ぎ捨てている。少なくともこの瞬間は、等身大の「筋肉至上主義についていけないあぶれ者同士」として、初めて本当の意味で意気投合していた。
けれど、二人はまだ知らなかった。目の前にいる相手こそが、毎晩スマホ越しに甘いメッセージを送り合っている、あの「古代ギリシャ彫刻風ゴリマッチョ」と「ダンプカー級人造マッチョ」の正体であることを。
互いに「こんな理想的な相手が自分を選んでくれるなんて」と胸を高鳴らせていた二人は、今まさにその本人を隣にして、仲良く煮込み料理の話をしている。
その事実に気づいていないのは、本人たちだけだった。




