02. モテたい堕天使系魔族
魔王城の一角に位置する事務区画。
先祖に堕天使を持つ魔族の青年、ミシェルは、デスクに高くそびえ立つ書類の山を前に、今日何度目になるかわからない深いため息をついていた。
すっと通った高い鼻梁に、吸い込まれそうな切れ長の瞳。しなやかな肢体と、透き通るような白皙の肌。
人間基準で見れば、誰もが息を呑み、思わず振り返るほどの超絶美形男子である。
しかし、ここ魔界において、そんな容姿は何の役にも立たなかった。
『もっと鍛えろよ、ミシェル! そんなヒョロヒョロじゃ、魔王城の床も抜けねえぞ!』
『翼が細すぎて飛べる気がしねえな。風が吹いたら折れるんじゃねえか?』
『お前、ちゃんとメシ食ってるか? プロテイン飲め、プロテイン!』
廊下ですれ違うたび、分厚い大胸筋をピクピクと揺らした筋肉自慢の同期たちから浴びせられる、悪気のない同情と憐れみの視線。
そのたびに胸へ突き刺さる言葉に、ミシェルは心の中でそっと膝を折っていた。
(俺だって、好きでこんなヒョロガリに生まれたわけじゃないんだ……)
筋肉至上主義が横行する現在の魔界では、男の価値とは一にも二にもバルク量。
華奢な肉体しか持たないミシェルが、この街で誰の恋愛対象にもなれないまま一生を終える未来など、本人にとってはあまりにも容易に想像できた。
(いいさ。祖先も闇落ちしたんだ。俺だって、最悪の場合は人間界で闇落ちして好き放題してやる……)
そんなヤケクソな考えが浮かぶのも、無理はない。
実際、人間界であれば、自分の容姿が正解であることをミシェルは過去に実証済みだった。
以前、仕事の出張ついでに人間界のシンジュクを訪れたことがある。私服の黒シャツを軽く羽織り、街をぶらぶら歩いていただけなのに、通りかかる人間たちがこぞって息を呑み、あちこちから黄色い悲鳴が上がった。
『ヤバい、あの人超イケメンじゃない?』
『儚げな感じがいいよね。もしかして芸能人かな?』
『サインください! 写真撮ってください!』
あっという間にミシェルの周囲には人だかりができ、街中を女の子たちに追いかけ回される羽目になった。
命からがら魔界へ逃げ帰ってきたあの日は、恐怖半分、誇らしさ半分。なんとも複雑な思いを抱えたものだ。
(でも、あの感じだと、人間界の基準なら俺は間違いなくモテる男のカテゴリに入るはずだ)
魔界ではちっともモテないミシェルにとって、あの日の経験は唯一の勲章だった。彼は今でも、あのとき浴びた黄色い悲鳴を心の支えにしている。
とはいえ、ここは筋肉こそが絶対の正義とされる魔界だ。ヒョロガリな自分をチヤホヤする者など、どこを探しても存在しない。
「はぁ……人間界に移住しようかな」
本気でヤケクソな現実逃避を考え始めていた、そのときだった。
「おい、ミシェル! 何暗い顔してんだ! お前もこれを活用しろ!」
ドガン、とデスクが激しく揺れた。
デスクワークで凝り固まった肩を跳ねさせたミシェルの目の前に、同期で同僚でもあるオーガ族のタケルが、魔導スマホの画面を突きつけてきた。
しかも、なぜかドヤ顔である。
「……なにこれ?」
「マッチングアプリ『マッスル&サタン』だよ! 今、魔王城の出会いを求める若手の間で大流行中なんだ。いいか、ミシェル。今の時代はアプリだ! 恥ずかしがらずに自分をアピールして、恋人を作ってこい!」
バシバシと力任せに背中を叩かれ、強引にアプリをインストールさせられたミシェルは、嵐の去ったデスクに一人取り残された。
「あいつ、モテるくせに性格もいいとか、親ガチャ成功しすぎだろ」
立ち去っていくタケルの、惚れ惚れするほど盛り上がった三角筋を恨めしそうに見送りながら、ミシェルはぽつりと呟いた。
運動神経抜群、性格は快活で世話焼き、おまけにあの惚れ惚れするような筋肉量。
魔界におけるモテの頂点を地で行くような男からの、親切という名の暴力だった。悪気がない分、余計に心へのダメージが蓄積する。
「はぁ……」
ミシェルは痛む背中をさすりながら、手元に残された魔導スマホへ視線を落とした。
画面には、先ほど強引にインストールされたアプリの初期設定画面が開いている。
『マッスル&サタンへようこそ! 運命の肉体を見つけよう!』
キャッチコピーまで筋肉に偏重した、なんとも暑苦しい画面だ。
「消すか……」
指を画面に滑らせ、アプリをアンインストールしようとして、ミシェルはピタリと動きを止めた。
「いや、でも……」
脳裏をよぎったのは、先ほどまで考えていた「人間界への逃避行」と「一生独身」の二文字だった。
(アプリなら……直接顔を合わせないなら、少しは俺にもチャンスがあるんじゃないか?)
現実の自分は、魔王城の床すら抜けなさそうなヒョロガリ堕天系男子。だが、画面の向こうならば、少なくとも筋肉量を直接測られることはない。
「試すだけ、試してみるか」
ミシェルは意を決すると、画面の指示に従ってプロフィール作成を進めていった。そして、ついに訪れたのが、運命のプロフィール写真選択画面である。
画像フォルダを開き、以前友人に撮ってもらった奇跡の一枚を選び出す。それは、光の加減と奇跡的な角度によって、線が細い自分がいつもより少しだけ筋肉質に見える、自慢の一枚だった。
「よし、これなら……」
安堵したのも束の間、画面には無情な警告ポップアップが表示された。
『警告:マッチング率が低下するおそれがあります。もっと【圧倒的バルク】をアピールしましょう!』
「圧倒的バルク……?」
戸惑うミシェルの視線の先で、アプリが勝手に「初心者おすすめ・即マッチ補正」のページを開いた。
『誰でもカンタン! 一発で理想のバルクを手に入れよう!』
そこには、ご丁寧にも画像加工の方法が親切かつ詳細に解説されていた。
「なるほど。まあ、せっかくだし、少し試すくらいなら……」
そう呟きながら、ミシェルは【ビルドアップ加工(極大)】のフィルターをタップした。
まずは体型を選択して、スライダーを右へ動かす。すると、細かった肩がみるみる横へ広がり、大型トラックも顔負けの横幅へと変貌した。
「おお……」
気を良くして、スライダーをグングン右へと移動させると、胸板には分厚い装甲板のような大胸筋が貼り付けられ、背中からは丸太のように太い漆黒の翼が生えていく。
ミシェルは画面を食い入るように見つめた。
「ふむ。これくらいあれば、いいか」
さらに仕上げとして、人間界なら国宝級と謳われるであろう自身の美貌すらも、【顔面ビルドアップ・彫り深め(極大)】で削り上げる。
綺麗な輪郭は角張った頑丈な顎へと変貌し、切れ長の目は鋭い三白眼へ。繊細な鼻筋は古代ギリシャ彫刻のように太く隆起した。
画面の中で、ミシェルの顔がどんどん厳つくなっていく。
やがて完成した姿を見て、ミシェルはしばらく無言で画面を見つめた。
もはや、元の美青年としての面影は微塵もない。画面に映っているのは、戦場で数多の人間を素手で引き裂いてきたかのような、全身どころか顔面までバキバキの超絶鬼神マッチョだった。
ミシェルは画面の中の自分をじっと見つめ、それから深く頷いた。
「……うん。魔界でモテたいなら、これくらい威厳と重量感がなきゃダメだよな」
自分の美的感覚が正しいのかどうか、ミシェルにはもはや分からなかった。
ただ、魔界で生きていく以上、これくらいの筋肉が必要なのだろう。
少なくとも、モテ男タケルならそう言うはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、ミシェルはユーザーネームの入力欄へ指を走らせた。
筋肉をアピールしつつも、謙虚さは失いたくない。そんな願いを込めた結果、妙な名前が完成した。
『鋼鉄の羽@運動不足』
「……これでいいか」
満足げに登録を完了させ、ミシェルはおすすめユーザーの欄をスクロールし始めた。
いくつかのプロフィールを流し見していた指が、あるところでピタリと止まる。そこに表示されていたのは、ダンプカー並みの巨躯を持つ人造ゴリマッチョだった。
『超絶バルク@煮込み中』
ミシェルの目が輝く。
吸い寄せられるように画面を凝視した。
「うわ、なんて凄いんだ……!」
広大な肩幅。分厚い大胸筋。鍛え抜かれた腕。
どこか哀愁を帯びた、キリリと鋭い彫りの深い顔立ち。
ミシェルの目には、それがまさしく理想の女性に見えた。
「まるで古代の闘技場を制した女帝みたいだ……」
さらにプロフィールへ目を移す。名前の末尾に添えられた「煮込み中」という言葉が目に入った。
「煮込み料理が好きなのか?」
圧倒的な筋肉と家庭的な趣味。その組み合わせに、ミシェルの胸が妙に高鳴った。
「……最高じゃん」
プロフィールには、穏やかな性格で、価値観の合う相手を希望すると書かれている。
しかも、居住地は王都で、趣味は読書と料理。
画面に並んだ情報を読み進めるほど、ミシェルの期待は膨らんでいった。
「こんな人となら、きっと話が合う気がする」
自分のようなインドア派にも理解がありそうだし、筋肉だけをひけらかすタイプでもないらしい。それなのに、この圧倒的な肉体美。
自分にはないものをすべて持っているように思えた。
「完璧だ……」
ミシェルは、ダンベルマークの「いいね!」ボタンを力強くタップした。




