01. モテたい魔女
健康診断に向けて、ストイックに筋トレと向き合っている時期に執筆した作品です。自分では気づかなかったけれど、ストレスを溜め込んでいたのかもしれません……。
お楽しみいただければ、幸いです。
魔界に平和が訪れてから、百五十年になる。
人間との和平条約が結ばれた当初こそ、魔族たちは「人間と仲良くするなんて気持ち悪い」と散々文句を言っていたものだが、平和というものは存外、快適だった。
戦争がなくなれば、軍事や防衛にかかる費用を減らせる。浮いた予算は魔族たちの暮らしを快適にするために回され、インフラの整備や都市部の開発が急ピッチで進められた。各地に教育施設が建ち、識字率も飛躍的に向上した。
かつて血で血を洗う戦場だった場所には、今やタワーマンションが立ち並び、巨大なショッピングモールまで建っている。
人間の文化や技術も急速に流入し、魔界の住人たちは魔導スマホに各種アプリをインストール。自宅のリビングにいながら、魔界から人間界まで、指先一つで商品を買い漁る日々を送っていた。
命の危険に怯えることも、飢えを心配することもなくなった魔界で、次に花開いたのは文化であり、トレンドだった。そう、平和すぎる世の中で持て余したエネルギーは、すべて美意識へと向かったのだ。
かつて人間を殺戮する暴力の象徴だった筋肉は、いつしか健康美と自己管理能力の象徴へと意味を変えた。
魔王城発行の広報誌では毎月、極太の上腕二頭筋を誇らしげに掲げる魔族モデルたちが表紙を飾り、魔導ネットにアクセスすれば、「理想的なPFCバランス」「プロテインの美味しい飲み方」といった情報が嫌でも目に飛び込んでくる。
戦いのための鍛錬ではなく、モテるための筋トレ。
生き残るための強さではなく、見せるためのバルクアップ。
平和になりすぎた魔界は、今、空前の「筋肉至上主義」に包まれていた。
そして、この平和の恩恵を最大限に享受しながらも、その陰で時代の波に乗れず、頭を抱えている二人の魔族が、今日も魔導スマホの画面と睨み合っていた。
*
二十歳の魔女リンは、王都の片隅で占い師をしている。得意分野は、ずばり恋愛相談だ。
「意中の相手の気持ちが知りたい」
「運命の人と、いつ出会える?」
そんな悩みを抱えた客たちが、今日も彼女の占いの館へと押し寄せていた。
水晶玉に魔力を注ぎ、タロットカードを滑らかにめくるリンの手つきは、まさにプロフェッショナル。的確かつ温かなアドバイスは評判を呼び、リピーターも後を絶たない。
恋の導き手として王都で名を馳せるリンだったが、客たちが去り、一人きりになった館で、深いため息をついた。
「人の恋路を占っている場合じゃないのよ、私は……」
大勢の恋愛相談に乗っておきながら、当の本人の恋愛事情は絶望的だった。
彼氏いない歴七年。唯一の交際相手は、十三歳の頃に付き合った魔法使いの男子だが、「妹にしか見えない」という理不尽すぎる理由で、わずか一か月で振られた。そんな苦い初恋以来、リンには浮いた話の一つもない。
「あーあ、どこかに落ちてないかなぁ。腹筋がバキバキのシックスパックで、優しくて、将来をちゃんと考えられる彼氏」
口から出たのは、あまりにも切実で強欲な独り言だった。
「落ちてるわけないか、そんな都合のいい物件」
誰もいない館に、リンの虚しい声だけが響く。
平和になった魔界を覆う筋肉至上主義の波は、彼女自身の恋愛観もすっかり毒していた。男性といえば、バキバキに鍛え上げられた肉体こそが至高。上腕二頭筋は誠実さの証、割れた腹筋は自己管理能力の象徴。そんな価値観を本気で信じ込んでいるのだから、始末が悪い。
「今の魔界って、モテたいと思ったら、筋肉がないとお話にならないのよね……」
リンは自分の細い腕を見下ろした。
魔女は肉体労働とは無縁だ。移動は箒、重い物は魔法で浮かせて運ぶ。そのうえ、職場である占いの館は自宅も兼ねているので、一日にまともに歩いているかどうかすら怪しい。彼女の生活には、筋肉がつく要素など、どこにも見当たらなかった。
魔界において、それは生涯独身が確定したようなものだった。
「そろそろ本気で動いて彼氏を作らないと。このまま一人で年を取って、水晶玉だけが友達なんて絶対ごめんなんだけど」
一念発起したリンは、テーブルの上に置いてあった魔導スマホをつかんだ。
「もう私には、これしか道が残されていないってことか……」
画面に表示されているのは、現在、魔界で爆発的に流行しているマッチングアプリ『マッスル&サタン』、略して『マッサタ』のインストール画面だった。
「こうなったら、文明の利器に頼るしかないわね」
えいっと画面をタップし、リンはアプリのダウンロードを開始した。
「よしっ。まずはプロフィール作成ね」
ダウンロードしたばかりのアプリを開き、画面の指示に従って名前や職業を入力していく。そうして訪れた最大の難関が、プロフィール写真の登録だった。
「うーん、写真はどうしよう」
リンは魔導スマホの自撮りモードを起動し、画面に自分を映し出した。
ふんわりとした髪に、小柄で華奢な体型。以前、観光で人間界のシンジュクへ行った際には、「病み系マジかわいい! 一緒に写真撮って」と声をかけられた実績もある。つまり、人間界の基準なら、間違いなく「可愛い女の子」の枠に入るはずなのだ。
だが、ここは筋肉こそが正義の魔界である。ありのままの写真を載せても、イケてるマッチョたちの視界にすら入らないだろう。
「最悪、このまま相手が見つからなかったら、人間界に高飛びして凄腕の占い師として君臨するとか? 国家レベルの顧客を囲い込んで政財界を裏から支配して、最終的に人間を従えて、いまの魔界における美意識を崩壊に導くために攻め込む……っていう手もあるけど」
世界の均衡を揺るがすような野望を抱きかけたリンだったが、生まれも育ちも魔界の身としては、できれば住み慣れたこの街で、慣れ親しんだ魔界の空気に包まれて暮らしたかった。
「やるしかないわね」
リンは魔導スマホを机の上に置き、カメラを自分へ向けた。
「よし。私の魅力を最大限に引き出すのよ」
呟きながら手早く髪を整え、カメラのタイマーをセットすると小走りで壁の前へ移動した。
「ハイ、マッチョ!」
せめて掛け声だけでもと気合を入れ、渾身のサイドチェスト――腕や胸の筋肉を強調するボディビルのポーズを決める。
もっとも、ノースリーブから伸びた細い腕をどれだけ力いっぱい曲げても、力こぶ一つ浮かばない。肩幅も狭く、胸元も薄い。ポーズだけなら立派なボディビルダーだが、肝心の筋肉はどこにもなかった。
魔導スマホのシャッター音が、静かな占いの館に響いた。
「どれどれ」
リンは机の上からスマホを取り上げ、撮影したばかりの写真を確認した。そこに写っていたのは、頑張ってポーズを決めている華奢な魔女だった。
「うーん。やっぱり駄目だわ。ポーズは完璧なのに、筋肉がないせいで全然迫力がない」
眉間に皺を寄せ、写真の中の自分を見つめる。
「これじゃあ、魔界のイケマッチョたちに『いいね』してもらえないわ」
マッチングアプリ『マッサタ』は、空前のマッスルブームに湧く魔界の猛者たちが集う戦場だ。もやしっ子同然の写真を載せたところで、マッチングなど夢のまた夢だった。
「ちょっとくらい、見栄を張ったってバチは当たらないわよね」
リンはアプリ内の編集機能を起動した。美肌補正には目もくれず、選んだのは【ビルドアップ加工(極大)】のアイコンだった。
「これくらい……ううん、もっとだわ。魔界のモテ基準は甘くないんだから」
スライダーを右へ、右へと力任せに滑らせる。すると、画面の中のリンは凄まじい変貌を遂げていった。
華奢だった肩幅がダンプカー並みに広がり、二の腕には丸太のような上腕二頭筋が隆起する。首は太くなり、胸元には分厚い大胸筋が盛り上がった。細かった腹部にも、バキバキに六つに割れた腹筋が浮かび上がる。
「おお……!」
リンの目が輝いた。そこには、先ほどまでの華奢な魔女の面影がほとんど残っていない。
「完璧だわ!」
しかし、しばらく眺めているうちに、リンは再び首を傾げた。
「あれ? 体はバキバキでバッチリだけど、なんだか顔だけ浮いてるわ」
画面の中では、世界大会で優勝するレベルの超絶ボディビルダーの肉体が完成している。ところが、その上に乗っている顔だけは、ふんわりとした髪に小顔で可愛らしい、いつものリンのままだった。
もはや、悪質なコラ画像にしか見えない。
「これじゃあ、筋肉の妖精っていうか、ただの珍獣じゃない」
いくらなんでも不自然すぎる。これでは、せっかくのビルドアップ加工も台無しだ。男心をくすぐるどころか、恐怖を植え付けてしまいそうだった。
「こんなの、一発で加工だとバレちゃうわよね」
リンは真剣な表情で画面を見つめた。
「よし、顔も少しマイルドに補正しとこっと」
すぐさま別のフィルターを選択する。
【顔面ビルドアップ・彫り深め(極大)】
「これね」
リンは迷いなく、スライダーを右へと一気に滑らせた。
丸かった輪郭は、クルミすら噛み砕きそうな角張ったエラと頑丈な顎へと変貌する。ぱっちりしていた目はキリリと鋭い三白眼になり、鼻筋は古代ローマ彫刻のように高く、くっきりとした。
仕上げに、眉間へ数々の修羅場をくぐり抜けてきたかのような渋い皺を一本刻み込む。
「うん。これなら、絶対モテるわ……」
完成した画像を見て、リンは満足げに頷いた。
画面の中にいるのは、もはやリンの面影ゼロ。戦場で数多の敵を叩き潰してきたであろう、顔面までバキバキの美女ゴリマッチョだった。
リンは画面の中で人造ゴリマッチョと化した己の姿を、うっとりと見つめた。
「これくらい引き締まった顔なら、王都勤務のエリート筋肉男子たちの目にも、きっと留まるはずだわ」
リンは大真面目だった。微塵の迷いもなく、現実の自分とは何一つ共通点がないその写真を、マッチングアプリ『マッスル&サタン』に登録した。
「ええと、次は自己紹介ね」
画面に表示された入力欄へ、指を走らせる。
『はじめまして。王都在住です。
休日は家で静かに読書をしたり、美味しい煮込み料理を作ったりするのが好きです。
世間のトレンドについていけず、筋肉もまだまだ発展途上ですが、お互いの価値観を大切にできる誠実な方と出会えたら嬉しいです。よろしくお願いします!』
文章だけを見れば、どこまでも等身大で可憐な二十歳の女の子。だが、その上に飾られているのは、本人の面影など欠片もない人造ゴリマッチョの写真だった。
「よしっ、登録完了!」
リンは満足げに息を吐くと、画面を「おすすめユーザー」のページへ切り替えた。
「さてさて、どんな素敵な筋肉男子がいるのかしら」
画面を軽くスワイプした次の瞬間、リンの指がぴたりと止まった。
現れたのは、「鋼鉄の羽@運動不足」という名の男性ユーザーだった。そのプロフィール写真を見た途端、リンの瞳がキラキラと輝きを放つ。
「す、素敵……!」
そこに写っていたのは、見事なまでに仕上がった超絶筋肉男子だった。広大な肩幅、はち切れんばかりの大胸筋。そして、どこか哀愁を帯びた、キリリと鋭い彫りの深いイケメン顔。
「まさに理想の筋肉美! こんなに強そうなのに、自己紹介文には『仕事に追われて運動不足気味です』なんて書いてある……くっ、なんて奥ゆかしい人なの」
リンは迷わず、ダンベルマークの「いいね!」ボタンを力強くタップした。




