10. ヒョロガリもやし同盟
「じゃあアニタさん、今までお世話になりました!」
「僕たち、目的も達成できたので、今日でこのジム、退会します!」
二人は付き合うことになったその日の帰り、真っ直ぐ受付へと向かった。
書き上げたばかりの退会届を差し出す二人の表情は、晴れやかそのものだ。
そもそも、彼らのジム通いのスタート地点は、「恋人がほしい」「モテたい」という不純かつ切実な欲望だった。
世間のトレンドに憧れ、筋肉をつければモテると信じて通い始めた、ゆるトレ専用ジム。そこで互いの素顔に惹かれ合い、見事に恋人ゲットという当初の目的を達成した以上、もう一キロのダンベルに苦しめられる必要などどこにもない。
二人は晴れて脱ジムを果たし、これからは甘いデート三昧のリア充ライフへ移行する気満々だった。
「……あら? 退会? ふふ、本気で言ってるのかしら?」
手続きを進めると思われたアニタが、妖艶な笑みを深めながら、ぬるりと二人の前に立ちはだかった。サキュバス特有の魅惑的な瞳が、怪しく光を放っている。
「ちょっとアニタさん。なんですか、その顔は」
「僕たち、もう目的は果たしましたから……っ!」
身の危険を感じ、思わず一歩後ずさる二人に、アニタはビシッと人差し指を突きつけた。
「甘いわよ、甘すぎるわ『もやしカップル』ちゃん! 恋人ができたからってジムをやめる? 冗談じゃないわ。付き合ってからが本番でしょうが!!」
「えぇっ!?」
「いい? これから二人でデートに行くんでしょう? 美味しいパスタを食べて、カフェで甘いスイーツを分け合って、ドライブして、映画館でポップコーンを頬張るんでしょう? それ、全部カロリーなのよ!!」
アニタの圧倒的な迫力に、ミシェルとリンは「ひぇっ」と肩をすくめて縮こまる。
「いいこと? 恋人ができて浮かれて運動をやめたカップルが、数ヶ月後にどうなるか教えてあげるわ」
「「ゴクリ……」」
リンとミシェルの喉が、完璧なハーモニーを奏でて鳴った。
「ふたり揃って、幸せ太り一直線よ!!」
「「し、幸せ太り……っ!?」」
「そう! 幸せ太りでぽっこり出たお腹を見て、お互いに『……あれ? こんな人だっけ?』ってなる未来が見えるわ! それでもいいの? 理想のバキバキボディは幻だったとしても、せめて等身大の可愛いスタイルくらいは維持したくないの?」
「「うっ……!!」」
ぐうの音も出ない正論が、二人の胸を鋭く穿つ。
確かに、二人で食べるパスタは最高に美味しい。ましてや、ジム帰りのデートで甘いものまで解禁してしまったら、食欲に歯止めが利かなくなる未来しか想像できない。
「それにねぇ……」
アニタは声のトーンを落とし、二人の肩にそっと手を置いた。
「二人がここでプルプル震えながらダンベルを持ち上げてる姿を見るの、私の日課の癒やしだったのよね。辞められたら、私が寂しいじゃない?」
「最後、急に個人的なワガママが入りましたよね!?」
「俺達をサキュバスの癒やしにしないでください!」
二人が必死にツッコミを入れるものの、アニタは容赦がない。
退会届を目の前でビリビリに破り捨てると、代わりに「カップル割」と書かれた契約書を二人の前に叩きつけた。
「さぁ、オトクな契約書にサインしなさい! これからは『彼氏・彼女』として、二人仲良く手を繋いで有酸素運動よ!!」
こうして、当初の目的だった恋人づくりを完璧に達成した二人だったが、晴れてジムを退会することはできなかった。
「ミシェルさん、今日もランニングマシン、あと十五分だって」
「リンさん、一緒に頑張りましょう。手を繋ぎながらなら、もう少し頑張れそうです」
「うん!」とリンが満面の笑みで頷き、二人はぎこちなくもぎゅっと手を繋ぐ。
「はい、そこのカップル割! 危ないから手を繋がない!」
今日もゆるトレ専用ジムには、一キロのダンベルとランニングマシンに四苦八苦しながらも、どこか幸せそうに汗を流すもやしカップルの甘い悲鳴が響き渡るのであった。
*
いつものゆるトレ専用ジム。
「はい、九、十! ラスト一回! ミシェルさん、頑張って!」
「くっ……ぬおおお……はいっ!!」
ミシェルがプルプルと全身を激しく震わせ、必死の形相で腹筋を追い込んでいる。たった十回で世界を救うかのような限界突破を見せるあたり、相変わらずのヒョロガリっぷりだ。
そんな微笑ましい光景を、遠くから優越感たっぷりの笑みを浮かべて眺めながら、歩み寄ってくる巨大な影があった。
合コンの主催者だったオーガの女子、グラナである。
実は彼女、最近になってガチ勢が集う『超本格派・プラチナジム』から、こちらの『ゆるトレ専用ジム』へ鞍替えして入会したばかりだった。
退会の理由は非常にシンプル。ガチジムでは周りのレベルが高すぎて、自慢の筋肉がちっとも目立たなかったからである。向こうでは「え? あなた、まだその重量なの?」と言わんばかりの圧を感じ、すっかり自尊心を砕かれていたのだ。
(ふふん。やっぱりジムはこうでなくっちゃね!)
グラナはムキムキの腕を組み、鼻息荒く心の中でほくそ笑む。
(ガチジムなんて行ってらんないわよ! ここなら周囲は見渡す限り『もやし』ばっかり! 私が圧倒的にできる子っぽく振る舞えるし、ダンベルをちょっと持ち上げるだけで、みんなが『凄ーい!』って羨ましそうな視線を向けてくる。ああっ、承認欲求が満たされまくるわ!)
もやしたちの王として君臨し、無力な初心者たちにアドバイスという名のドヤ顔をキメるため、グラナは堂々たる足取りでミシェルの元へと進み出た。
「あれ、ミシェルさん? 最近ちょっと筋肉ついてきたんじゃない?」
その一言に、ミシェルの顔がぱあっと明るくなった。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ」
「よかったね、ミシェルさん!」
隣でリンが、自分のことのように目を輝かせて喜ぶ。
「ありがとう。毎日ジムに通った甲斐があったよ」
努力が実を結んだことを素直に喜ぶミシェルを見ながら、グラナは今度はリンの二の腕へと視線を移した。
「リン、あなたの上腕二頭筋もチョモランマ……までは全然いかないけど、ミニ亀の甲羅くらいは、こぶができそうじゃない」
「そうかな? まだまだじゃない?」
リンは「どうだ!」と言わんばかりに両腕をぐっと曲げ、上腕二頭筋を見せびらかすポーズをとった。
ミシェルも横から興味津々で覗き込む。
「リンさん、すごい。ほんとに『こぶ』がしっかりできてる。順調に仕上がってきてる証拠だ」
「嫌よ!!!!!」
突然、リンが本気の悲鳴を上げた。ジム中に響き渡る絶叫である。
「えっ!? なんで? 順調に仕上がってるって、褒め言葉だよね?」
目を丸くするミシェルに、リンは涙目でぶんぶんと首を振った。
「嫌に決まってるでしょ! 筋肉がついちゃったら、私が普通にモテるようになっちゃうじゃないの!」
「……ぶっ」
思わず吹き出したミシェルは、困ったように眉を下げながらも、リンの手をぎゅっと愛おしそうに握りしめた。
「それは、とても困りますね」
「でしょう!? だったら、一緒に筋トレを頑張った責任を取ってくれる?」
リンは少し拗ねたように唇を尖らせ、ミシェルの目をまっすぐ見つめる。
「責任を取って、ずっと私の隣で『もやし同盟』のパートナーでいてくれなきゃ困るんだから」
「はい、喜んで。責任を持って、一生リンさんの隣にいるよ」
ミシェルのまっすぐで優しい答えに、リンの頬がぽっと赤く染まる。
「じゃあミシェルさん、次は有酸素運動行く?」
「そうだな。手を繋いで走ると、またアニタさんに叱られるから気をつけないと」
「たしかに」
二人は顔を見合わせ、心底楽しそうに笑い合った。
筋肉があろうがなかろうが。
加工で時空を歪ませようが、一キロのダンベルで悲鳴を上げようが。
世間が何を普通やトレンドと呼ぼうと、二人にはもう関係ない。
お互いの情けないところも丸ごと愛せる、このもやし同盟の絆こそが、二人にとって一番心地よい「最強のフィジカル」なのだから。
⋆⋅⋅⋅⊱∘――⋆完⋆――∘⊰⋅⋅⋅⋆
お読みいただきありがとうございます。
鉄板筋肉ネタでした。また来年健康診断前に暴走するかもしれません。
年間通して鍛えろって話なんですけどね……。
次作でまたお会いできたら嬉しいです。ほんとうに、ありがとうございました。感謝です。




