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愛のカタチ  作者: 夕崎まほろ
<IFル-ト>
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番外編 櫛と疑惑(5)

 じゃり、とした感覚が舌を擦り、苦味が口の中に広がる。向かいを見やると、エヴァンがほんの少し、顔を歪めたのが目に入った。

「……苦いなら、無理しなくてもいい」

 躊躇いがちに言葉をかけたが、エヴァンは首を振る。

「確かに苦いけど、美味しいよ。君がつくったものだから」


 —そう言ってくれるのは、ありがたいが。


 苦いものや辛いものが苦手なエヴァンには、辛いはずだ。無理をしてまで食べて欲しいとは、思わない。

 美味しく作れたものを、美味しいと言ってもらえれば、それでいいのだ。そのためにかける労力など、些細なものでしかない。

 焦げた臭いがするミルク煮に視線を落とす。食べられない味ではないが、作り直せるならそのほうがいい。貝は使ってしまったからもう入れられないにしても、それ以外の食材ならまだ余りはあった。

「エヴァン」

「……嫌だ」

 席を立って声をかけると、クラウスが何をするのか察したのだろう、エヴァンは食器を持ち上げて、威嚇するようにクラウスを睨み上げる。聞き分けのない子どものように首を振る仕草に、苦笑が漏れた。

「俺が、作り直したいんだ」

「嘘だ」

 間髪入れずに飛んできた声に驚きながらも、柔らかい声で否定する。

「嘘じゃない」

「嘘だ。それならなんで、君はそんなに悲しそうな顔をしてるんだ!」

「——」

 予想外の言葉に、絶句した。

(悲しそうな顔?)

「……俺が?」

 呆然と呟くと、他に誰がいるんだ、と怒ったようにエヴァンが言う。そのまま彼は腕を伸ばしてクラウスの手を掴み、引き寄せた。

「君は、今日、何時間台所に立っていた?」

「……」

「貝を洗って砂抜きする間に竈の火を入れて、パンの生地を練って、この間僕が作って寝かせておいたパン生地を焼いていた。焼きあがるまでに野菜とベーコンを刻んで炒めて、別の鍋でソ-スを作って……それだって、君はものすごくこだわって作ってる」

 若葉色の瞳が、クラウスを射抜く。

「僕が味わってるのは、そういうものだ。単なる美味しさだけじゃない。君がどれだけ手をかけてこれを作ったか知ってるから、世界一なんだ」

 器の中のものをスプ-ンで掬い、見せつけるようにエヴァンは口に運ぶ。そうして、くしゃりと破顔した。

「うん、美味しい。最高だ。……だからほら、席に戻って。一緒に食べたら、もっと美味しいから」

「……敵わないな、君には」

「ふふ。ルークとセドリックも、君を慰めたいみたいだ」

 いつの間にか足元に寄ってきた犬たちを、屈みこんで撫でる。聡い子たちだ、とよく手入れされた毛並みを梳いていると、クラウスの頭に温かなものが乗った。さりさりとそれが上下する。撫でられているのだと気づいて、気恥ずかしさに赤面した。

「エヴァン……俺は、犬じゃないよ」

「やりたくなったんだ。駄目?」

「……いいや。君がしたいようにすればいい」

「うん」

 目を閉じて、両手と頭の感覚に集中する。料理が冷めてしまうのは分かっているが、もう少しだけ、この贅沢を享受していたかった。

「……ああ、そうだ、クリス」

 エヴァンの声に顔を上げようとすると、ぐっと手に力を入れられて、止められた。仕方なく、犬たちを見ながら声を聞く。

「前、君の浮気を疑って、ごめん。君がそんなことする人じゃないとは思ってたけど、君は魅力的すぎて、ときどき不安になるんだ。……たぶん、君が思っているより、僕は君がものすごく大事だし、その……あ、愛してる。だから、離れていかないで欲しい」

「当たり前だ」

「あっこら、まだ話は終わってない」

 立ち上がろうとしたら、またもや阻止されてしまった。

「君は僕のことになると、ときどき馬鹿になると思う」

「……うん?」

「今回のミルク煮にしたってそうだ。焦がしたくらいで捨てようとするな。セドやルークも、モートン商会で取り扱っていた、血統書つきの犬なんじゃないのか?となると、けっこうな値段がしたんだろう。君のことだから無茶な買い物はしてないと思うけど、僕のためだと思うと見境がなくなるって、最近やっとわかってきた」

 椅子から降りたエヴァンが、クラウスの髪に指をくぐらせる。そのまま床に膝をついて、彼はクラウスの顔を覗きこんだ。

「僕が喜ぶようにって思ってくれるのは嬉しい。でも、特別なものなんて要らないんだ」

「エヴァン……」

「君がいてくれるだけで、十分だ。……いや、君がいてくれれば、もうそれでいい」

 —だから、どこにも行かないでくれ。

 そっと落とされた呟きは、消え入りそうなほど小さかった。

「……それは、俺の台詞だよ」

 手を伸ばして、エヴァンの柔らかな髪に触れる。彼の頭を引き寄せて、抱きしめた。

「エヴァン。もしも、だが。君が俺から離れたいと思ったときは」

「そんなこと、っ」

「聞いて。もし、君が俺を必要としなくなる日が来たら——」


 何か言いかけたエヴァンを遮って、耳元で、ゆっくりとその言葉を紡ぐ。


「……っ。それ、は」

「頼む。どんな終わりも、君の手で与えられるなら、きっとそれは祝福になる」

「本当に、君ってやつは……」

 どこか呆れたように、エヴァンが独りごちる。

「それが君の誓いだというなら、僕はそれを受け入れよう」

 厳かに、祈りのように、耳元で囁かれたその言葉に、体の力が抜けるほどに安堵した。



 どうやら、浮気なんていう言葉は、クラウスには無縁のものだったらしい。

 そんなことを、ルークのブラッシングをしている恋人を見ながら思う。

(今になって考えてみれば、浮気されているかもなんて、杞憂でしかなかったわけだ)

 ずいぶんと馬鹿馬鹿しいことで悩んでいたような気がして、くすりと笑う。クラウスが持っているあの女物の櫛が、精悍な顔の犬に使われていることもまた、笑いを誘った。

「どうした?」

「ううん、なんでもない。……櫛、もう一つ欲しいなあって。そうしたら、僕も一緒にできるから」

「ああ。確かに、順番待ちをさせるのも可哀想か……」

 クラウスが腕を止めて、すぐそばに控えているセドリックを見る。すると、ブラッシングしてもらえると勘違いしたのか、セドリックがぱたぱたと尻尾を振った。控えめながらも、無邪気に喜びを示すセドリックに、二人分の憐れみの眼差しが注がれる。

「……そうだな。もう一つ買おう」

 きっぱりとクラウスが頷く。自分の番がまだだと悟って、哀愁を漂わせ始めたセドリックを見ているのに、耐えられなくなったようだ。

「じゃあ、明日、一緒に買いに行こうか。ついでにおもちゃも買い足さない?」

「いい案だ。いつも同じおもちゃだと、飽きるかもしれないからな」

 そろそろ家で留守番するのも慣れてきただろう、と二頭を見て目を細めたクラウスに、エヴァンは相好を崩す。

「やった。君と町へ出るの、久しぶりだね。楽しみ!」

「俺もだよ」

 何をしようか、どこへ行こうか。そんなことを話して、二人で微笑み合う。

 まっさらだった明日が、きらめきを放って彩られていく。わくわくと胸を躍らせて、エヴァンは満面の笑みを浮かべて、クラウスに抱き着いた。


以上で、ifルート番外編も終了となります。長らく彼らの物語におつきあいくださって、ありがとうございました。ここで完全に完結となります(その予定です)。

何かご質問やご指摘、リクエスト等ありましたらいつでも受けつけていますので、遠慮なくお聞きくださいね。

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