クリストハルトの憂鬱(1)
お待たせしました。クリストハルトサイドの番外編です。
本編から約十五年後の話となっています。
別に、恋愛対象が男だというわけではない。
かと言って、女性が恋愛対象なのかと言われても、困る。
エヴァンしか、知らないのだ。
自分を拒絶しないで欲しい。
自分だけを見ていて欲しい。
自分の傍にいて欲しい。
-そんなふうに、焦がれてしまうのは。
(今日は、いつもより慌ただしいな)
玄関に通じる階段を下りながら、ふっとそんなことを思う。
階下から聞こえてくる声から察するに、すでに自分と長男を除いた家族全員が集まっているようだ。長男のヴィンセントはもう学園に戻っているので、どうやらクリストハルトが一番最後らしい。
「もう、用意はできたのか?」
そう声をかけると、一斉に皆がこちらを振り向いた。その中心で、ぱっと顔を上げた少年に、はっと瞠目する。
柔らかくて色の薄い髪に、妻のそれより少し明るい緑色の瞳。優しげな雰囲気。
こうして制服を着て立っている姿は、遠い昔に別れたある人を、否応なく思い出させた。
「父様、僕の制服、似合ってますか?」
「……ああ。よく似合っているよ。これでジュリアンも、立派な学園の生徒だな」
頬を紅潮させて聞いてくる息子に笑顔で答えながら、複雑な思いで見下ろす。
白い肌に、線の細い体つき。少女めいた儚げな美しさを持った、どことなく浮世離れした性格のこの息子のことが、昔から心配でならなかった。
顔も体つきも全然似ていないのに、不思議とかつて愛した人を思わせるからこそ、余計に不安がつのるのだ。—いつかこの子が、自分達と同じことをしてしまうのではないか、と。
「ジュリアン、本当に学園では気をつけてくれ。何かあったらヴィンセントを頼るんだ。人気のないところには絶対に行かないこと。何かあれば、教えてきた護身術で身を守れ。それと、定期的に家に報告を入れること。あとは―」
「あなた、もうそろそろ時間ですわ。ジュリアンが遅刻してしまいます」
妻に遮られて、渋々口を閉じる。
「大丈夫ですよ、父様。学園で、頑張ってきます。あまり心配なさらないでくださいね!」
(……本当に、分かっているのか……?)
のほほんとした笑顔で馬車に向かっていく息子を見送って、小さくため息をついた。
「何回も言っていますが、お父さまは過保護すぎます。ジュリアンが人目を惹く容姿なのは確かですが、もう十三歳の男の子。大事に守ってやるような時期は、とうに過ぎてますわ」
ジュリアンを乗せた馬車が去った後、長女のエルシ-に、そう諭された。自分はよほど、ひどい顔をしていたに違いない。
「……分かっている、エルシ-。お前たちにばかり苦労をかけて、すまない」
そう言うと、娘は切れ長の瞳を不機嫌そうに細めた。
「ずっとその言葉を聞いていますけれど、お父さまもお母さまも過保護なままですわよね」
返す言葉もない。
自分達はどうしても、ジュリアンにエヴァンの面影を重ねてしまうのだ。そうしてつい、甘やかしてしまう。ジュリアンが次男で、長男がしっかりしているから、余計に。
「ジュリアンがあんなふうなのは、お父さまやお母さまのせいもあると思いますの。いつまで経ってもぼんやりしてて、世間知らずで……学園で揉まれて、少しはしっかりしてくれないと。お父さまもこの機会に、子離れをするべきですわ」
「……ああ。そうしてみる」
娘に言われるとは情けない限りだが、エルシ-の言う通りだ。甘やかすのはジュリアンのためにもならない、と頷いたが、疑わしげな目で見られてしまう。
「本当に?ヴィンセントに何かあったら、ジュリアンがお父さまの跡を継ぐんです。そのとき使いものにならなかったら、困るのはお父さまだけじゃないんですのよ」
「お姉さま、お父さまをいじめちゃ駄目よ?」
突如割り込んだ末娘の声に、クリストハルトは目を瞬いた。
「フランチェスカ……」
エルシ-が、困ったような声を上げる。膝をついて妹と同じ目線になると、エルシ-は真剣な顔でフランチェスカを見た。
「わたくしがお父さまをいじめるわけないでしょう」
「でも、お父さま、辛そうなお顔だわ。お姉さまは怒ってる」
「そんなんじゃないわ、もう……。そろそろ家庭教師が来る時間じゃないの?早く行かないと」
何か言おうとして諦めたのか、エルシ-は小さくため息をついて、フランチェスカの手を引いた。
「はあい。お父さま、お姉さまを怒らせないであげてね」
末娘の無邪気な声が、胸に痛い。
わかった、と頷いて、クリストハルトは二人の娘に背を向けた。
―霧雨の日というのは、妙に感傷的な気分になる。
執務室の机に座って書類を眺めながら、クリストハルトは重いため息をついた。
窓の外を見やると、ぼんやりとけぶる景色に、どうしてか学園の教室から見た景色が重なった。エヴァンと二人で、会話もなく眺めていた王都の街並み。自分達の関係を変えてしまう、最初のきっかけになってしまったあの秋の日も、ちょうど今くらいの時期だった。
久しぶりに見たエヴァンの顔は血の気が失せていて、なんだかやつれている気がした。記憶にあるよりも細くなった体が、ひどく脆いものに思えた。
あの頃のクリストハルトは、傲慢だった。教師からも生徒からも注目され、多少の無理は通してもらえた。それが自分の持っている力で、自分はどんなことからもエヴァンを守り通せるのだと、愚かにも勘違いしていた。
―だから。
『頼れるわけがないだろう!君たちと一緒にいるからこんなことになってるんだ』
その言葉が、胸を抉った。
分かっているつもりだった。
エヴァンが、クリストハルトやジェイソンといるせいで、嫌がらせをされていること。
クリストハルトもジェイソンも、それとなく犯人と思われる人たちに注意していたけれど、それによっていっそう陰湿で、犯人が特定しにくいものになっていったこと。
それでも自分はエヴァンを守れると信じていたから、頼ってくれないことにもどかしささえ感じていた。エヴァンが一言、助けて、と言ってくれれば、すぐにでも動くのに、と。
(……なんて、馬鹿だったんだろう)
エヴァンだって一人の男だ。それに、貴族とはいえ、高位の軍人を多く輩出する家系の三男坊でもある。そんな彼が、いつまでも助けられる状況に甘んじていられるような性格ではないことくらい、少し考えれば想像がついたはずだった。
善意のつもりで差し出した言葉は、無残に叩き落された。そこでようやく、クリストハルトは自分の思い上がりを知ったのだ。
本来なら、そこでエヴァンを解放しなければならなかった。
それなのに、エヴァンの手を離すことを、心が拒んだ。たとえ恨まれてもいいから傍にいさせてほしいと口をついて出かかったその言葉で、クリストハルトは自分がとうに、正しい道から外れていたことに気がついたのだ。




