【8】テオとの出会い
前世で初めてテオに出会ったのは、俺がベッドで女に襲われている時だった。
今考えると、とんでもない出会い方だと思う。
大国の末の王子で、当時十二歳だった俺にはすでにエリシアという年上の婚約者がいた。
けれどエリシアはヴェルテという島国の出で、俺たちの国では影で蛮族と呼ばれて蔑まれていた。
加えて俺の国は側室もありだったから、ぜひうちの娘をと貴族達が俺の部屋に送り込んでくる事があったのだ。
襲ってきた女からは、きつい香水の匂いがして、エリシアのやわらかな花のような香りとは全く違った。
幼く力も弱かった俺は押さえつけられ、気持ちの悪い手つきで色んなところを触られて、ろくな抵抗もできなかった。
「賊に出入りを許した覚えはないんだけど?」
ぐっと体にかかる重みが消えて、恐る恐る目をあければ、そこには騎士の服を付けた俺とそう変わらない歳の少年がいて。
「王子が寝室に呼んでくれたのです!」
「オレには無理やり事に及ぼうとしているように見えたけど。そこのところどうよ、王子様?」
慌てた様子の女に、冷たい声色で少年はそう言った。
「賊だ。外に放り出してくれ」
「かしこまりました」
俺がそう言えば、少年はうやうやしく礼をして、抵抗する女を羽交い絞めにしながら部屋を出て行って。
すぐに部屋にルドルフが駆けつけてきてくれた。
ルドルフはこの国が腐敗していることと、俺が孤立していることを見抜いていたんだろう。
俺の国であるグリムントから俺に仕わされていた護衛とは別に、自分の部下を一人俺に付けていた。
影ながら守られていたということを、この時の俺は初めて知った。
「よろしくな、王子様」
ルドルフから紹介されて、先ほど助けてくれた少年――テオは気さくに手を差し出してきた。
金髪に青い目。彼の両親は共に俺の国であるグリムントの民で、彼の見た目もグリムントの民の特徴を色濃く受け継いでいた。
しかし、彼は生まれた時からヴェルテで育ったらしく、自分のルーツであるグリムントへ行きたいと志願して、こんな遠い国まで来たらしい。
俺が襲われてから、テオは堂々と俺の側にいるようになった。
王子である俺に対しても、飾らない態度。
ルドルフにたしなめられていたけれど、それも気にもせずに話しかけてくる。
それが新鮮で、それでいて嬉しかった。
歳も近かったこともあって、テオとはすぐに仲良くなった。
王城から離れて、ルドルフに守られながら、エリシアやテオと過ごす日々。
思えばこの時が俺にとって一番幸せな時間だった。
兄王子達のいじめによって心を閉ざしていた俺は、素直な感情を出せるようになっていった。
俺が回復したことを、王は喜んだのだろう。
そろそろ王城に顔を出せと、十四歳になったある日俺を呼んだ。
滞在期間は十日。
すぐ上の王子の結婚式が終わるまで。
その期間は、俺にとって地獄のようなものだった。
行く前から憂鬱な俺と違い、テオは上機嫌だった。
王城に行ってみたいとずっと思っていたらしい。
理由を聞けば、テオの父は元々グリムントの王の騎士だったとの事だった。
つまり俺の父の騎士だったという事になる。
父とは親友の間柄だったらしいのだけれど、王になった父に意見して、国外追放になり、ヴェルテに移住したという事情があったようだ。
「今度の結婚式に父も呼べって手紙が、王様からオレにきてたんだ。これって仲直りしたいってことだよな!」
きっとそうだと、テオは嬉しそうだった。
父親がどうして生まれ育った国を捨てて、島国ヴェルテへ行く必要があったのか。
テオは父親をかなり尊敬しているようだったから、国外追放なんていう不名誉をずっと気にしていたんだろう。
よかったなと言いながら、やっぱり俺の気分は晴れなくて。
兄たちに会って、また大切なものを奪われてしまったらと怖くなった。
幼い頃に刻まれた恐怖は、俺の中に刷り込みのように存在していたのだ。
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王城に呼ばれたのは俺だけで、エリシアは呼ばれなかった。
たぶん嫌がらせの一種だったんだろうが、俺にとっては都合がよかった。だからこれ幸いとエリシアを残して、王城に向かった。
ルドルフはエリシア付きの騎士だから、俺には付いてこなくて、代わりにテオが護衛として一緒に付いてきた。
「お前、大丈夫か?」
「平気」
心配そうなテオに答える。
「なら……いいけどよ」
ルドルフから俺を取り巻く状況を聞いてはいたのだろうけれど、テオは俺のいつにない様子に戸惑っているみたいだった。
「やぁ、弟よ。会いたかったぞ」
全くそう思ってないくせに、城に着いたら兄王子が出迎えてくれた。
「このたびはご結婚おめでとうございます、兄上」
そう答える声は、自分でも驚くほどに平坦だった。
最近出さなくなっていた、何の感情もこもらない声。
すっと表情を消す。
あちらの生活で得たものを、皆鍵をかけて大切に奥底へしまう。
傷つけられないように、壊されないように。
横に控えていたテオが、そんな俺を驚いたような目で見ていた。
「蛮族の姫はどうした。つれてこなかったのか?」
「招待されませんでしたので、城に置いてきました」
楽しそうな兄王子の声に、淡々と応じる。
「あぁ悪かったな、手違いで送るのを忘れたようだ。蛮族に字が読めるのかと心配して、心を砕いているうちに、書類の中にでも紛れてしまったのだろう」
あからさまな嫌味。
悔しそうな顔をすれば、喜ばせるだけだと俺は知っていた。
「お気遣いありがとうございます。それでは、父上に呼ばれていますので失礼します」
何も反応を示さない俺に、兄王子はつまらなそうな顔をする。
その横を通り過ぎて、奥へと足を進めた。
「おい、さっきの何なんだよ」
しばらく歩いて、誰もいなくなって。
テオが痛いくらいに肩を掴んで、俺の歩みを止めてきた。
「なにが?」
「それだよ。何でそんな何でもないような顔してるんだよ! エリシア様が馬鹿にされたんだぞ! どうして何も言い返さない!」
テオはこれ以上ないというくらいに、怒っていた。
「こんなのお前らしくない。あんな言われっぱなしでいいのかよ!」
「らしくない? これが元々の僕だ」
冷たく凍らせた心には、テオの怒りも遠く感じられた。
「オレは、お前があいつに言い返すと思ってた。エリシア様が招待されてないことに、文句の一つくらい言うと思ってた。なのに、何だよあれは!」
激しい感情をぶつけてくるテオを俺は冷めた目で見ていた。
「お前、エリシア様の事ちゃんと好きじゃないのかよ。言われっぱなしで馬鹿にされて、悔しいと思わないのか!」
問い詰めるような、テオの言葉。
何も知らないくせにと思う。
俺が大切なものを見つけたと知ったら、あいつらは壊しにくるのだ。
大切だったウサギのラビのように。
だからこそ、どんなに悔しくても、エリシアを大切だというそぶりを見せるわけにはいかなかった。
「臆病者。見損なった」
黙った俺に、そんなテオの言葉が胸に刺さった。
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兄王子たちは暇なのか、滞在中によく俺にちょっかいを出しにきた。
嫌がらせは言葉だったり、時には偶然を装って水をかけられたり。
そのたびに兄王子たちに切りかかろうとする勢いのテオを、なだめるのが大変だった。
「主がそんなんじゃ、騎士もたかが知れてるな。聞けば王に反逆して、国外追放になった犯罪者の息子だというじゃないか」
第四王子の口調には馬鹿にした響きがあった。
テオの父親には、すでに彼の結婚式への招待状が送られていたが、それを招待者である彼自身、知らなかったようだった。
兄王子たちは、何も反応を見せない俺に飽きて、テオで遊ぶことにしたらしかった。
「テオは僕の騎士ではありません。護衛をしてくれているだけです」
テオの父に関する事を説明すれば庇ったと思われ、ますますテオが標的にされてしまう。
それなら、関係があまりないという風を装う方がいいと思った。
だからあえて突き放すように答えれば、テオが傷ついた顔をした。
「あぁ、そんな蛮族かぶれが騎士じゃ、さすがのお前も嫌だということか」
テオの表情を見て、愉快だというように兄王子は笑った。
「可哀想にな、こんなに慕ってくれているようなのに、当の王子はお前に剣を捧げられたくないそうだ。信頼されていないんだな」
兄王子はテオに向かって、ねっとりとなぶるようにそう口にする。
テオが、その言葉に唇を噛む。
その表情に、胸がちくりと痛んだ。
「テオは僕にはもったいない騎士です。信頼してないわけではありません」
気づけば、とっさにそんな言葉が口をついて出ていた。
ほぉと、兄王子の目に面白がる光が宿る。
しまったと思った。
テオがそんな顔をするから違うと言いたくて、つい口にしてしまっていた。
思わず口元に手を持っていったけれど、出てしまった言葉は戻らずに、兄王子は楽しそうに目を細めた。
ここにきて初めて、俺が反応を示した事が嬉しかったのだろう。
「そうかそうか。お前がそれほどまでに言う騎士なら、その実力に興味があるな。ぜひ結婚式の余興で、私の騎士と手合わせをしてもらえないか」
にこやかに兄王子はそんな事を言う。
兄王子の横には、体格のいい騎士。
三十代くらいの筋肉を鎧のようにまとった男がそこにいた。
「お引き受けします」
「テオっ!」
俺が断りの言葉をいう前にテオが答える。
無表情の仮面を捨て、焦って叫んだ俺を見て、兄王子は満足そうに笑った。
「その言葉しかと聞いた。では、当日楽しみにしているぞ」
去っていくその背を見送りながら、俺は絶望的な気分を味わっていた。