【7】王子の後悔と、テオの後悔
俺は、テオに心から感謝している。
その言葉に嘘偽りはないけれど、今世でのテオに借りはない。
前世なんてロクなものじゃないし、囚われていたってしかたないという考えは、秋吉と付き合いができた今でも変わってなかった。
なのに、こうやって面倒を見てしまうのは、どうしてか放って置けないからだった。
酔いつぶれたテオ――穂積先生を、マンションの部屋まで連れて行く。
こっちもわりと飲んでいたし、長身の彼女はお世辞にも軽いとはいえない。
ベッドに放りなげるようにして寝かせて後、勝手に少し休ませてもらうことにする。
喉が渇いたので、勝手に冷蔵庫を開けて、コップに水を注いだ。
たぶん起きたら欲しがるだろうと思ったので、テーブルの上に彼女の分も用意してやった。
ベッドの横の方に背中を預けて、水を飲む。
……よく考えると、女の部屋で勝手にやることじゃないよな。
当たり前のように部屋に入ってくつろいでいるが、普通はやらない。
テオに対する気安さから、彼女にも同じように接してしまう自分がいた。
そろそろ行くかと立ち上がれば、彼女がベッドから起き上がる。どうやら起こしてしまったらしい。
「起きたなら、水飲むか?」
「ん、ありがとな」
尋ねれば、まだまどろみの中にいるのか、穂積先生はとろんとした瞳をしていた。
ベッドの端に座って、俺からコップを受け取る。
「じゃ、俺帰るから」
「なんだよ、折角なんだしもう一杯くらい付き合っていけよ」
帰ろうとすれば彼女は不満げな声をあげた。
あんなに飲んだのに、まだ飲み足りないのか。呆れたようにそう思いながら、妙な違和感を覚える。
いつもの穂積先生と話す口調が違う。
それはまるで、前世の親友だったテオのような喋り方だった。
そんなはずはないと思いながら、トクトクと心臓が鳴った。
「どうしたアレン。そんな変な顔して」
「っ!」
悪戯っぽい笑み、懐かしいその呼び方。
声は違っていたけれど、イントネーションは変わらない。からかうような口調が、テオそのものだった。
穂積先生は立ち上がって、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
それからその一つを手渡してくる。
「まさかオレからの酒を拒みはしないよな、アレン?」
茶目っ気たっぷりにこちらに視線を寄越して、彼女はどかっと床に座った。
大学時代に何度か秋吉に酒を飲ませたことがある。
飲みすぎると、前世の記憶が今世とごっちゃになることがあるらしい。
時々秋吉は自分とルドルフの境目がわからなくなるのか、俺のことを前世が王子である瀬尾隆弘ではなく、王子・アレンそのものして扱うことがあった。
あれと同じ現象が起きているのかもしれない、と気づく。
「……わかった」
テオと話ができる。
そう思うと、手のひらに汗が滲んだ。
「さすが親友、話がわかるな!」
感極まったように、穂積先生――テオが抱きついてくる。
むにゅりと質量のある胸が押し付けられたかと思えば、頬へちゅっとキスをされた。
「お前、それやめろって何度も言ってるだろ!」
「いいじゃん、親愛の証だろ? 照れずにほらアレンも」
頬を押さえてそういえば、ちょんちょんとテオが自らの右頬を差し出してくる。
スキンシップが激しいテオは、昔からよくこうやって頬にキスをしてきた。
テオや俺の婚約者だったエリシア、秋吉の前世であるルドルフが暮らしていたヴェルテ式の、親愛を示す行為。
親しい相手との間にだけ行われ、頬にキスをされたら、相手にも頬にキスを返すのが礼儀だ。
俺の国にはそんな習慣はなく、初めてテオからこの頬のキスを受けたときは、かなり戸惑った。
「……っ、この酔っ払いめ!」
振り払えば、テオはおお怖いというように肩をすくめて笑う。
真面目にこの親愛のキスを返したのは、素直だった子供の時だけだ。
あぐらをかいて、テオが床に座る。
缶を開けてビールをいっきに飲み、ぷはぁとおっさんじみた声をあげた。
中身がテオでも、その仕草が今世の穂積先生となんら変わりないのが、彼女の残念っぷりの表れのような気がした。
「こうやって酒を飲むのは久しぶりだな」
「さっきも一緒に飲んでただろ」
すでに営業時間を過ぎている居酒屋に居座ったことを、今のテオは覚えていないようだった。
「そうだったっけか? まぁいいや。今日は気分がいいしな」
テオは、やたらと上機嫌にそんなことを言う。
「さっきまでさ、いい夢を見てたんだ。オレとお前と、ルドルフ様とそれにエリシア様も一緒にいた。皆笑ってたんだ」
「そうか」
幸せそうにいうから、それだけしか返せなかった。
テオには聞きたいことがあった。
けれど、答えが怖くてそれを躊躇する。
「まーた何か考え込んでるだろ。そんな顔ばっかりしてたら、ルドルフ様みたいに眉間のシワが増えるぞ」
「ははっ、そうかもな」
ルドルフの真似をして、眉の間にシワを寄せてみせるテオに、思わず笑う。
それはお決まりの冗談みたいなものだった。テオは相変わらずで、それが懐かしくて、涙が出てきそうだった。
「……お前は俺に剣を捧げたことを、後悔したりはしなかったのか?」
心を決めて、ずっと聞きたかったことを口にする。
成人の際に、テオは正式に俺の騎士となった。
けれどそれは、テオの意志でというわけではなかった。
俺がヴェルテの作法を知らないで、気づかない間にテオを自分の騎士にすると誓約してしまったという経緯があったのだ。
それを口にしたら、テオが大きな溜息を付いた。
「オレが後悔してるのは、お前にそう思われる行動しか取れなかった事だな。オレとしてはあれでも、主であり親友であるお前の願いを、最大限に汲み取って叶えたつもりだったんだぜ?」
それは民を先導して、王子である俺に対して反旗を翻したことに対する言葉なんだろう。
心の中にあったしこりが、軽くなったのを感じた。
「だいたいな……そうやって疑われること自体、論外なんだよ。オレはあの時から剣を捧げるなら……お前だって決めて……」
そこまで言って眠くなってしまったのか、テオは机に突っ伏してしまった。
ぐーぐーと寝息が聞こえてくる。
揺すってみたけれど、起きはしない。
完全に落ちてしまったみたいだった。
「まったく、仕方ないヤツだな」
そう呟いてから、抱き上げてベッドに寝かせる。
「おやすみ、テオ」
一声かけてそっと親愛のキスを頬に返し、俺は部屋を後にした。