【5】王子の大切なもの
秋吉にエリシアと会ったことを話そうかとも思ったけれど、そうすると俺が本当は前世を覚えているということを言わなくちゃいけなくなるわけで。
結局俺は言い出せずに、大学を卒業した。
教師になった俺を受け入れたのは、教育実習でお世話になった小学校だった。
若槻にまた会うのかと思うと、少し尻ごみする気持ちになったけれど、心のどこかでは再会を喜んでいた。
担当することになったのは、二年生になった若槻のクラス。
一年の時の若槻の担任の先生が体調を崩したまま、そのまま退職してしまい、一人飽きがでている状態だった。
これも、運命なのかと思ってしまうほどに、出来すぎていて思わず笑った。
それにこの小学校にはエリシアである若槻だけじゃなくて、もう一人前世の知り合いがいた。
エリシア付きの騎士で、ルドルフの部下。
それで俺の親友だった、テオだ。
「聞いてください瀬尾先生。ずっと独身でいようねって約束した友達が裏切ったんです。あんたも彼氏くらいつくったら? とか言ってくれちゃって。できたらすでにやってるつーの!」
授業用の資料をつくる俺の横で、今日も愚痴を零している、もうすぐ三十路の女性教師。
性格は社交的で、快活で、大雑把。
まんま女版テオだ。
なんというか、竹を割ったようなさばさばした性格で、女としての魅力にはかけるところがある。
なんだかんだ言いながら、俺の面倒をよく見てくれるのはありがたいのだけど、戸惑いは隠せなかった。
こいつは俺を刺したというのに、前世の記憶なんかこれっぽっちも持ってなかった。
俺や秋吉のように後ろを振り返るタイプではなく、エリシアと同じ前向きなタイプだったからなんだろう。
まぁでも、俺は刺されたからと言って、前世のテオの事を恨んでいるわけじゃなかった。
あの時の俺は止まることができなくて、誰かの手による終わりを求めていた。
それをテオが買って出てくれただけだ。
むしろ、テオには悪い事をしたなと思っているし、感謝している。
王宮は火に包まれていたから、きっと俺を殺してすぐに、テオも死んだことだろう。
そんな結末がわかっていたのに、テオはわざわざ俺に終わりを持ってきてくれたのだ。
自分の手を汚してまで、主である俺の願いを叶えてくれた。
「あーそうですか、大変ですね」
しかし、前世の親友だったからと言って、現在のテオに絡まれるのは正直面倒だったので、棒読みで返事する。
「わかってくれるんですね! 瀬尾先生ならわかってくれると信じてました! 私と結婚してください!」
前世のテオは結構お調子者でテンションが高かったが、今世のテオは前世以上だ。
加えて言動が軽い。
たぶんこれだから、相手の男に引かれているんだろうと、簡単に想像がつくところだった。
「嫌です。俺にそんな趣味はないし、飲む前から酔わないでください。あとそういうこと職員室で言わないように。誤解されると迷惑だから」
溜息をつきながら、ぞんざいにあしらう。
他の女性に対してはこんな口調で話したりしないのに、テオ相手だとそういう風に繕うのが難しかった。
しかし、それを今世のテオはあまり気にしていないようだった。
「わかってますよ、ちゃんと周り見て冗談言ってますから。それに、私イケメンって大好物なんですけど、瀬尾先生だけはなんか手が伸びないんですよねー。なんか腹黒そうっていうか、一緒にいても女としての危機を感じないというか」
かなり失礼なことを、さらりと言って彼女はけらけらと笑う。
「じゃあ、一人で飲んだら?」
「そんな寂しいこと、言わないでください! 謝りますし、おごりますから!」
調子がいい所は前世と同じで、だからついつい相手をしてしまう。
こんな風に、何も意識せずに若槻とも話せたら、どんなにいいだろうか。
俺は大きな溜息をついた。
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さすがに若槻がエリシアでも、小学生相手にときめいたりはしない。
最初こそ懐かしさのあまり、抱きついてしまいそうになった俺だったが、しばらく立てば落ち着いた目で若槻を見られるようになった。
今世のエリシアである若槻は、大分子供らしくない子供だった。
気が利きすぎるというか、さりげない行動が上手い。
若槻は俺のことを心配してくれているのか、よく喋りかけてきてくれた。
クラス委員に自分から立候補してくれた若槻は、他の子たちの行動や、生徒の性格などをそれとなく教えてくれる。
喧嘩があったりしたら、仲裁も買って出てくれた。
俺よりもよっぽど子供の面倒を見るのが上手い。
若槻は一人っ子らしいけど、まるで皆の姉のようで。
エリシアは兄妹がたくさんいたから、それが影響しているのかもしれないと密かに思う。
けど、この落ち着きっぷりは、エリシアにはなかったものだ。
前世のエリシアには、お転婆で子供っぽい部分があった。
時折城を抜け出して、祭りを楽しんだり。
二人でルドルフに悪戯をしかけて、怒られたこともあった。
若槻のこの部分は、今世になってから培われたものなんだろう。
父親が作った借金で苦労して、母親が夜遅くまで仕事に出ている間、若槻は一人で過ごしているらしい。
それどころか、家事の全般を任されているという。
こんな、小さいというのに。
そんな苦労をしているのに、いつだって若槻は楽しそうで。
エリシアから若槻になっても、根っこの俺が好きな部分は、何も変わっていないんだなと思ってしまった。
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「今日から一週間、朝になったらウサギにエサをあげるんだ。手を噛まれないように注意しろ。いいか、手本を見せるからな」
今週はウサギの餌当番で、俺はみんなにえさのやり方を説明していた。
ニンジンのスティックを持つ手が震える。
大丈夫平気だと、心の中で唱えてから、俺はウサギを直視した。
長い耳に、ふわふわの毛並み。
一瞬見ただけで眩暈がした。
やっぱり駄目かと思う。
前世で飼っていたウサギを殺されて、その肉を食わされて以来、俺はウサギを見ると気分が悪くなった。
料理されて出てきた、大切だったウサギを思い出すからだ。
味が臭みのある鶏肉と言った感じだったせいで、俺は鳥の肉自体も食べられはしなかった。
心臓の音が早くなり、視界が霞み始める。
「先生、わたしがやりたいです」
これはちょっとヤバイかもしれないと思った時、若槻が進み出てくれた。
「そうか……じゃあお願いしようかな」
「はい」
俺からニンジンスティックを受け取ると、若槻は危なげない手つきで、皆の見本となるようウサギにエサをやった。
「先生って、ウサギが苦手なんですか?」
放課後、誰も教室にいなくなってから若槻が俺に尋ねてきた。
「やっぱり気づいてたのか」
「気分悪そうにしてましたから。もう大丈夫ですか?」
心配そうな顔で見上げてくる。
「平気だ。色々ありがとな」
「いえ、先生のお役に立てたならよかったです」
大の大人が可愛いウサギが怖いなんて、変だ。
気になるだろうに、若槻は詮索しないでくれた。
その優しさがうれしくて、自然と俺は微笑んでいた。
「あのさ、若槻……今お前は幸せか?」
それはたぶん、今世で若槻を見つけてから、俺がずっと確認したかったことだった。
いきなりの質問に、若槻が戸惑った顔になる。
けど、俺がじっと答えを待っていたら、その小さな口を開いた。
「はい、幸せです。お父さんはいないけど、お母さんはわたしのために働いてくれていますし、最近は料理も上手になったんですよ!」
若槻は、最後は少し得意げにそう言った。
その答えを聞いて、やっぱりこの子は俺の好きなエリシアなんだなと、そう思った。
エリシアとは見た目も、年齢も何もかも違うのに。
俺が好きだった、そのたくましくて強い部分は何も変わらない。
「そうか、いい子だな若槻は」
撫でてやると、若槻は少し子供らしい顔になる。
「頭なでられるの、好きなのか?」
「はい。父さんはあまり撫でてくれませんでしたから。お父さんがいたら、こんな感じなのかなぁって」
「……お父さん、か」
少し照れて口にしたような若槻の言葉に、思いの他ショックを受けている自分がいた。
先生とか、お父さんとか。
そういう風にしか若槻の目に映っていないということに、苛立つのを感じた。
こっちは前世から、彼女しか見えていないというのに。
そんな本音が、心の中で漏れて。
気がつけば、俺の体が勝手に動いていた。
「お父さんっていうほどに、歳は離れてないと思うんだけどな?」
しゃがんで目をあわすと、若槻はきょとんとした顔になる。
「せめて彼氏がいたら、こんな感じなのかなぁくらいにしとけ。俺若槻だったらいつでも頭撫でてやるぜ?」
先生らしくない、普段女を口説くときの口調。
お兄さんくらいにしとけばよかったのに、口から出てきたのは彼氏という言葉だった。
頭を撫でながら、微笑みかけると若槻は赤くなる。
その表情がとても可愛らしくて。
愛おしいと思った。
「せ、先生。からかわないでください!」
そういいながらも、若槻は手をどけようとはしない。
耳まで赤くなっている。
別に対象外というわけでもないんだなと確認すると、心地よく胸に温かいものが広がっていく。
「ははっ、はははっ」
そんな自分に、笑いがでた。
「せ、先生?」
「いや、もうヤバイよな。小学生でもいいなんて、さすがに洒落になんねぇ」
戸惑う若槻の側で、しばらく笑いが止まらなかった。
俺はエリシアと若槻の、根っこの部分に惚れている。
見た目が変わろうと、世界が変わろうと、そこはもう変わりはしない。
そう、気づいてしまった。
どんな状況だって幸せだって言い切れる彼女がうらやましくて。
愛おしくて、守ってあげたいと思う。
今更、小学生だからとか、そんな理由で諦められるはずがない。
こっちは、若槻が生まれるずっと前から好きなんだから。
前世だの、小学生で生徒だからなんだのと自分に言い訳をしたところで、もうすでに惚れてしまっているのだから、最初から手遅れだった。
大切で守りたいものを、若槻の中に見つけてしまった。
なら、今度こそは守るだけだ。
勝手にどこでも幸せを見つける彼女が、誰よりも幸せになれるように。
自分の意思で、一番の幸せを、掴み取れるように。
大人になった時に、彼女が自分で幸せを選べるように。
それまでは俺が守ろう。
勝手に、そう決めた。
「よし、帰ろう。家まで送ってやる」
「せ、先生。なんか性格変わってませんか?」
今まで無難に先生っぽく振舞っていたから、若槻が戸惑っていた。
「こんな俺は嫌か?」
「いえ、この方が先生らしいような気もします。今まで、ちょっと無理をしているような感じでしたから」
何も知らないくせに、なんて普通の女相手なら言ったところだけど、若槻に言われるとすんなりと受け入れられた。
むしろ、無理をしていると、気づいてくれていたんだと少し嬉しくなる自分が、単純すぎて嫌になる。
我ながら、相当に終わっていると思った。
「なぁ、若槻。海は遠いから、今度一緒に水族館に行こうか」
「どうしてですか急に」
死ぬ間際にエリシアと、結婚したらヴェルテに行こうと約束していた。
魚がいっぱいいる、綺麗な場所があるのだと、エリシアは嬉しそうに言っていて。
その時の約束を、せめて別の形で叶えてやりたいと思った。
「若槻、海好きだろ?」
若槻は目を丸くする。
「はい。行ったことはありませんけど、凄くあこがれてます。なんでそれを知ってるんですか?」
「さぁ、どうしてだろうな?」
不敵に俺は笑った。
彼女が大人になって、自分で幸せを選べる時がきて。
その時に、秋吉を選ぼうが、他の奴を選ぼうが、俺はそれを受け入れる。
まぁでも時がきて、一番に選んでもらえるように今からあがくくらい、許されているんじゃないだろうか。
立場も、身分もこの世界ではわずらわしいモノはない。
唯一年齢くらいだが、それくらいはどうにかなる。
きっと騎士とは違う守り方しかできないだろうけど、それでも彼女を守りたいとそんな事を思った。