【2】幼い王子と異国の姫君
城に戻れば、怖い顔をした二十代くらいの青年騎士がエリシアを待っていた。
茶色や赤毛の多いこの島国の人に対し、この騎士は金の髪に青い瞳。
彼はこの島国の人というよりも、俺の国であるグリムントの人間と見た目がよく似ていた。
「あなたは何を考えているんですか! 恐れ多くも三大大国の一つ、グリムントの王子を護衛も付けず城下町へ連れ出すなんて!」
「そんなに怒らないで、ルドルフ。折角来てもらったのに、つまらない思いをして帰すなんてできないでしょう?」
ルドルフと呼ばれた騎士に叱られて、しょんぼりしながらもエリシアはそんな事を言った。
「エリシアを、怒らないで。僕、楽しかったから」
「……王子がそう言うのであれば」
俺がそういうと、ルドルフは引き下がってくれたけれど、まだ不満そうだった。
それから滞在中、俺はエリシアの元を訪れるようになった。
俺がエリシアと城下町へ行ったということは、俺の父である王にも伝わった。
エリシアが困った事になるんじゃないかと焦った俺は、必死になってエリシアを庇った。
久しぶりによく喋る俺に、王は驚いた様子で、エリシアとの一件を不問にしてくれた。
それどころか、王の指示で、滞在中の俺の相手はエリシアがやってくれることになった。
エリシアは俺を色んなところへ連れ出してくれた。
グリムントではなかなかお眼にかかれない、透き通った青い海に白い砂浜。
花が咲き誇る平原に、独特の進化を遂げた動物たち。
もちろん護衛付きではあったけれど、その時間はとても楽しかった。
お茶を一緒に飲んだり、この国の事を教えてもらったりもして。
エリシアの話はたわいのないものだったけど、それが妙に心地よかった。
この国や家族のことが本当に好きなんだなって伝わってきた。
エリシアは頭がよく、女性に知識はいらないとされていた俺の国では珍しいタイプの子だった。
俺の国のことを知りたがり、新しい技術の話や政策の話になると真剣な顔つきになる。
「今日もありがとうございました」
「お礼を言うのは、僕の方」
「いいえ。王子の話はためになります。人にわかりやすく教えるのが、王子は上手いですよね。はい、これ。今日の授業料です」
そう言って、エリシアが手渡してくるのはお手製のお菓子。
食べる事が好きなエリシアは、お姫様でありながら自分で料理をつくる。
その中でもお菓子作りが得意だった。
繊細さや優美さには欠けるけれど、食べるとほっとする味。
王宮のお菓子よりも、俺はこっちの方が好きだった。
「それにしても、王子の国は、わたしの国より進んでますよね。一度行ってみたいなぁ」
「それなら、くるといい。エリシアなら歓迎する」
「ふふっ、楽しみにしてますね」
エリシアはまだ興奮冷めやらぬ様子で、未知の知識に目を輝かせていたけれど、きっとその時は俺の言葉を本気にはしてなかったんだろう。
それでもいいと、俺も思っていた。
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国に帰って、しばらくして。
俺は驚く話を聞いた。
エリシアの国ヴェルテが、自然災害にあい、大打撃を受けたという話だった。
援助を与える代わりに傘下に下れ。
弱ったヴェルテに、三大大国の一つであるレティシアが、自分達に都合のいい内容を押し付けて脅迫しているのだと王は言った。
「どうにか、できないのですか?」
「できるとも。簡単なことだ。お前がヴェルテから妻を娶り、我が国との縁を強くすればいい。そうすれば、レティシアへの牽制にもなるし、我が国も自然と援助ができる。あの国を、助けたくはないか?」
王は優しい声で、俺にそう言った。
蛮族と呼ばれる島国・ヴェルテの王族を正妻に迎えれば、俺に王位の継承権はない。
大国の王になるには、それなりの妻が必要になるからだ。
王は俺を王位から遠ざけ、兄王子から守ると同時に、正妻のご機嫌をとっておきたいようだった。
王はヴェルテとの貿易に対して、益を見出していているようだったし、ヴェルテと婚姻関係を結び、協力体制をつくりたいというのもあったんだとは思う。
「あの国には十五人の姫がいるそうだ。好きな姫を選んでいいぞ。未婚の姫のうち、八番目の姫は相当な美人らしいし、十一、十二番目の姫はお前と同じ歳だ。どうする?」
「七番目のエリシアで」
王は俺がエリシアを選ぶと見越していたんだろう。
初めて俺がモノを欲しがったというように、嬉しそうな顔をしていた。
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「これからあなたの妻になります、エリシアです。末永くよろしくお願いしますね」
グリムントにやってきたエリシアは、礼儀正しく俺に挨拶した。
妻といっても、正式に結婚するのは少し先の話だった。
当時の俺は十二歳で、この国で結婚できるのは、男は成人である十五歳になってからと決まっていた。
王は俺をグリムントの王宮から離れた城へ住まわせる事にし、エリシアは俺が十五歳になるまで一緒に暮らすこととなった。
今思うとたぶんこれは、感情を消してしまった俺に対する、王の計らいでもあったんだと思う。
兄王子たちからいじめを受けていた俺だったけれど、王や実の母は俺に対してかなり甘かった。
そして王の思惑通り、俺はどんどん感情を取り戻した。
声を出して会話をして、笑ったりもした。
エリシアはいつだって笑顔で、この国を楽しんでくれた。
俺はそれが嬉しくて、エリシアに色んなことを教えようと、必死にこの国のことを勉強した。
エリシアが喜びそうな事を捜して、それをエリシアに伝えるのが楽しかった。
けど、時折エリシアが遠い目をしてることにも俺は気づいていた。
寂しいのかなと思って声をかけると、そんなことないですよとエリシアは笑って隠してしまう。
そうやって一緒に過ごしていくうちに、俺はだんだんとある事に気づいていった。
エリシアの隣には、いつもあのルドルフがいる。
彼はエリシア付きの騎士だった。
ルドルフはいつだってエリシアが姫らしくない無茶をしたりすると叱るけど、その目は優しい。
エリシアだって、ルドルフに甘えている。
二人は兄妹みたいなものなのだと言っていたのだけど、エリシアの事がどんどん好きになっていくたびに、二人の仲が気になった。
それだけじゃなくて、エリシアの側には他にも男がいた。
グリムントからエリシアのために用意された世話役も、食事係も何もかも皆男。
女は一握りだけ。
しかもみんな顔がよく、若い男ばかりだった。
今思えば、あれは俺を王にと思う人々の手回しだったんだろう。
エリシアが他の男と情事を結ぶように、裏から手を回していた。
王子の婚約者であるエリシアの側に、故郷から若い男の騎士が側につくことを許されたのも、同じような理由からなのかもしれない。
エリシアを排除して、俺にふさわしい姫を。
そうして、俺が王になった暁には、自分が後見人にと企む貴族も存在していた。
正直、グリムントは内側から腐っていて、色んな思惑が渦巻いていた。
似たような理由から、まだ十二歳の俺のところに、女がやってくることもあった。
蛮族の娘よりも、うちの娘をどうぞ。
側室もありな国だったから、貴族が時々俺の部屋に娘を送り込んでくるのだ。
跳ね除けられず、襲われると思った時、ルドルフの部下に助けられた。
ルドルフはこのグリムントの王室が腐っていることを見抜いていたのか、部下を俺の護衛として密かにつけてくれていたのだ。
「よろしくな、王子様」
そういって気さくに手を差し出してきたルドルフの部下は、俺の三つ年上で名前をテオと言った。
ルドルフと同じく、グリムントの民の特徴である、金髪に青い目をした少年。
両親共にグリムントの民だったが、ヴェルテに移住してそこで育ったらしい。
自分のルーツであるグリムントへ行きたいと、エリシアの騎士として志願したようだった。
歳も近かった俺とテオは、すぐに唯一無二の親友になった。
「ルドルフも、テオと同じ理由であのような見た目をしているのか?」
「いいや。ルドルフ様は、れっきとしたヴェルテの民だぜ。昔から王に仕える騎士の一族の出身だしな。ただ、凄い昔の先祖にグリムントの民がいたみたいで、一族の中で一人だけあの見た目なんだってさ」
ある日、気になっていたことを訪ねたら、テオがそう教えてくれた。
一族の中での異端。
たった一人金の眼を持って生まれた俺と、似ている気がした。
「本来ルドルフ様の実力なら、七番目の姫の護衛なんかじゃなくて、もっといい役がもらえて当然なんだけどな。見た目のせいで、出世できないんだ。まぁルドルフ様もそれを望んでないから、これでいいんだろうけどさ」
勿体無いよなとテオはそう言った。
異質だから、王へと押し上げられそうになっている俺と、異質だから上にいけないルドルフ。
妙な親近感を俺は覚えていた。
エリシアと一緒にいると、自然とルドルフと一緒にいる時間も増える。
ぶっきらぼうで怖いと最初は思っていた俺だったけれど、テオに話を聞いた日からそれほど苦手意識はなくなった。
それに、ルドルフは慣れると案外いいやつだった。
ルドルフは姫の幼馴染であり、島国では一番の剣の使い手ということだった。
あの島国は平和で戦いとは無縁に見えて、実は何度も侵略にさらされてきたという歴史がある。
剣技や武術が独自の発展を遂げていて、島の人々の結束力が固いのは、そのためでもあるんだろう。
舞のようなヴェルテの剣技は、相手の力を受け流し、こちらの力とする弱い者のための剣だとルドルフは言った。
「よければお教えしましょうか?」
興味を持った俺に、ルドルフが稽古を付けてくれるようになった。
ルドルフは教えるのが上手くて、俺の腕はメキメキ上達していった。
だんだんと俺がルドルフに慣れてくると、ルドルフはエリシアだけじゃなく、俺にも構い始めた。
「王子、姫と遊ぶのにかまけて勉強をしないと、将来困ったことになりますよ。さぁ今日は昨日遅れた分の勉強をしましょう」
「何故壷を割ったことを隠していたのです。たとえ王子でも、悪いことをしたら、素直に謝らないと駄目でしょう」
他の家来達が言わないことを、遠慮なしにルドルフは言ってくる。
姫の王子には、しっかりしてもらわければ。
そんな思いが透けてみえたけれど、ちゃんと俺のためを思って言ってくれてるのもわかった。
だから、ルドルフが叱ってくれるのが、俺は嬉しかった。
本当の兄たちよりも、兄のように俺はルドルフを慕うようになった。
ルドルフは一度懐に入れてしまうと、放っておけない性格らしく、俺と姫をなんだかんだいいながら面倒を見てくれた。
エリシアやテオとやんちゃをしては、ルドルフに叱られる。
ルドルフはまるで暖かい毛布のように俺たちを包んで、悪意ある者たちから守ってくれた。
そんな苦労を見せないくらいに、優しく。
日々が物凄く心地よくて。
このままこんな時が続けばいいのにと、俺は思うようになっていた。
そんなある日、エリシアと一緒に外へ出かけたら、いきなり暴漢が襲ってきた。
ルドルフが助けてくれなければ、大怪我を負っていた。
とっさの事に、俺は何もできなかった。
そんな自分が嫌で、守られてばかりの子供だと実感した。
悔しくて、隠れて泣いた。
その日から俺は、剣の授業にさらに熱心になった。
エリシアをせめて守れるようになりたくて、いつもの授業の後にこっそり特訓していたら、ルドルフが付き合ってくれるようになった。
ルドルフとの付き合いが長くなって、俺は気づいたことがあった。
普段あまり言葉数の多くないルドルフの話の中で、一番多いのは姫のこと。
姫の事を語るときは、キツイ眉間のシワが緩む。
いくら鈍い俺でも、ルドルフは姫が好きなんだとわかった。
けど、恋敵であるはずの俺にも、ルドルフは公平で。
剣の特訓は時折厳しすぎるんじゃないかと思うこともあったけれど、ちゃんと稽古をつけてくれるルドルフが、俺は好きだった。
そして、エリシアも、そんなルドルフが好きだ。
それに気づくのにも、時間は掛からなかった。
エリシアは俺のことを、子供としてしか見ていない。
政略結婚の相手としか見てない。
けど、エリシアは俺のことを嫌いじゃないし、それが側にいてくれる理由になるなら、それでいいと俺は思っていた。
大好きな二人が想いあっている。
だったら、身を引こう。
そんな事を考えられるような、いい子では俺はなかった。
二人がくっつくことは、ありえない。
俺との婚約を解消すれば、エリシアの愛する故郷・ヴェルテはグリムントの加護を失う。
騎士と姫なんて、小説の題材にはなっても、実際に行きつく先は悲恋のみだ。
駆け落ちや無理心中になるのが目に見えている。
それよりも、俺とエリシアが結ばれて、ルドルフが側で見守る方が二人にとって幸せなんじゃないか。
……なんて半分は本気で、半分は言い訳だった。
実際俺の中で、一番を占める気持ちは、『エリシアを誰にも渡したくない』で。
それでいて、ルドルフも側にいてくれたのなら、いう事ない。
そんなずるい事を俺は考えていた。
二人にとって、それが辛いかもしれないなんて、あまり考えないようにして。
大切な玩具を、手放したくない子供だったのだ。俺は。
打算的で、とても模範解答とは思えない卑怯な本音。
俺はせめて、エリシアにふさわしいとルドルフに認めてもらえるような男になろうと決めた。
ルドルフに対して、後ろめたい想いがあったのかもしれないけど、筋を通そうとしたあたり前世の俺は真っ直ぐだった。
それくらい、俺にとって二人とも大切な存在になっていたのだ。