【9】怖がりな王子と彼の剣
「テオ、辞退してくれ」
「嫌だ」
部屋に帰ってからどんなに頼んでも、テオは首を縦に振ってはくれなかった。
「あんな図体だけでかいヤツに、オレが負けるとでも思ってるのかよ。こう見えてルドルフ様から、王子であるお前を任せられるくらいには強いんだぜ?」
テオが強いことくらいは知っていた。
俺のところを訪れるのは、何も側室希望の女ばかりじゃない。
おそらくは兄王子から仕向けられた、暗殺者も時々やってきた。
そのたびにそいつらを軽く撃退して見せたのは、他でもないテオだった。
父親が腕の立つ騎士だったこともあって、テオの潜在能力は高かった。
加えて母親も、そういう出の家柄だったこともあって、体格的にも環境的にも恵まれていたテオは、この歳ですでに騎士としての才覚を見せ始めていたのだ。
「そんな事を心配してるわけじゃない」
「じゃあ、何をそんなに怯えてるんだよ」
「それは……」
尋ねられて、言葉に詰まった。
大切だったラビの最後が思い出されて、胃が全てひっくりかえるように気分が悪くなった。
大切だったウサギのラビは、兄王子たちによって肉片になり、スープになって。
それを、俺は何も知らず美味しいと言って食べたのだ。
俺が苦しむ顔を見たいがためだけに、兄たちはラビの命を奪った。
たったそれだけのために。
親友を――俺が殺したようなものだった。
またあんな思いをしなくちゃならないのか。
テオが傷つけられることを思えば、気分が悪くなった。
口を押さえ膝をつく。
立っていられなくて、頭がくらくらとした。
「おい、どうしたんだよ!」
「……なんでも、ない」
俺を支えるように、テオが肩に手を置いてきた。
「なんでもないわけあるか! ちゃんと口にしろ。じゃないとオレは馬鹿だからわからない。お前分かり辛いんだよ」
テオは俺以上に辛そうな顔をしていて、戸惑う。
なんでテオがそんな顔をしているのか、俺にはわからなかった。
「苦しんでるのがわかるのに、何もできないのが一番悔しいんだ。考えてる事を言葉にしてくれたら、いくらでも力になれるのに。オレじゃ、駄目なのかよ……」
最後は彼らしくないか細い声で、テオは呟いて。
いつも笑っている彼の泣きそうな顔に、ひどく困惑した。
そこまでして、ようやく俺の態度が、テオをこんな風にしてしまったのだと気づいた。
誰かが自分の事で、こんなに取り乱すなんて当時の俺は思わなかったのだ。
自分に誰かの感情を揺さぶってしまうほどの影響力があるなんて、考えたことすらなかった。
父や母でさえ、俺が心を閉ざしてしまったときも、こんな風に取り乱したりはしなかった。
両親は、俺が王子達に虐められるかもしれないと予想くらいはしてたんだろう。
可哀想にとは思うけれど、それもまたしかたないと諦めているようなところもあったのだ。
「……怖いんだ。壊されるのが」
呟けば、手が震えているのに気づいた。
「あいつらにエリシアやテオが、ルドルフが壊されてしまうのが怖い。僕の大切だって気づいたら、奪われてしまう。ラビみたいに、殺されて……僕のせいで」
息がうまくできなくて、言葉が続かなかった。
自分自身を抱きしめた指先が、腕に食い込んだけれど痛みもなく、ただぐるぐると恐怖だけが、冷たくなった血と一緒に体を巡っている気がした。
「落ち着け、大丈夫だから」
テオに抱きしめられて、背中を撫でられ、しばらくしてようやく冷静さをとりもどす。
「オレたちは簡単に壊されてやるほど弱くない。お前の友達だったウサギの事はルドルフ様から聞いてる。でもな、守れなかったのは子供の時の話だろ」
優しく、でも力強く。
言い聞かせるような口調で、テオはそう口にした。
「今のお前はもうあの頃とは違う。大切なら、お前があんな奴らからエリシア様を守ってやればいいだけだ。それだけの力がアレンにはある。一緒にルドルフ様からしごきをうけた、あの日々を忘れたのか?」
にっと冗談めかして、テオが笑う。
「手だってこんなにでかくなって、豆だらけだ。図体だって少しはでかくなったのに、そんなんじゃエリシア様は任せられませんって、ルドルフ様に言われるぞ」
俺の手の平を広げるようにして、テオはそう言った。
テオの言葉に、あぁそうかと思う。
怯えて心を閉ざすくらいしか身を守る方法がなかった、幼い俺とはもう違う。
小さくて自らを抱きしめることくらいしかできなかった手は、もう大きくて誰かを守ることくらいはできる。
この手にはルドルフがくれた剣と、心にはエリシアがくれる優しい言葉と微笑みがあった。
「……テオの言う通りだな。壊されたくなければ、守ればいい。それだけのことだ」
口にすれば、そうこなくっちゃと言うようにテオが笑う。
「じゃあ、オレがアイツと手合わせすることに文句はないよな?」
「それは駄目だ」
テオの言葉を、間髪入れずに却下する。
「なんでだよ!」
「テオが出るまでもない。僕が相手をする」
納得がいかないと訴えてくるテオに、不敵に笑って見せた。
テオは驚いて顔をして。
それから、一緒に街へ抜け出したり、悪戯をするときに見せる、共犯者のような笑みを浮かべた。
「勝てるんだろうな?」
「むしろテオこそ、僕が勝てないとでも思ってるのか?」
堂々とした態度で、尋ね返す。
「いいや。今から相手の心配をしてるとこ」
互いに笑い合えば、さっきまで何を怖がっていたのかと馬鹿らしく思えた。
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結婚式の余興に剣を交わす。
剣舞ならまだしも、晴れの舞台に血が流れるかもしれないことをするのは、悪趣味極まりないと思う。
けれど主役である兄王子が、どうしてもやりたいというので、その催しは行われた。
自分の騎士の強さを見せ付けることが、自分の強さの誇示になるとでも兄王子は考えていたんだろう。
それでいて、自分の方が弟の俺より優れていると見せつけ、それでいて俺を傷つけられる絶好の機会だ。
舞台となった会場で、兄王子は戦う前から勝者の笑みを浮かべていた。
ルールはどちらかが負けと言うまで戦う、シンプルなもの。
兄王子の騎士は、テオの二倍はあろうかという腕回り。力自慢といったところで、腕が出るようなデザインの鎧を着ていた。
互いの剣の先は潰されていて、訓練用のものという事になっていたけれど、相手の剣に関しては、それが守られているかどうかさえ微妙なところだった。
「兄上」
「なんだ、今更怖気づいて止めてくださいと頼みにでもきたか?」
話しかければ、兄王子は機嫌の良い声でそんな事を言う。
「いいえ。ただ、僕の騎士が出るまでもなさそうなので、僕が彼の相手をしてもいいでしょうか」
俺の申し出に、兄王子は楽しそうに笑った。
「そんなにその蛮族の騎士が大切か? 何の執着も示さなかったお前がそんなことを言い出すなんてな。力かげんを間違った私の騎士が、お前に怪我を負わせたとしても知らないぞ?」
「問題ありません。たとえ死んだとしても、罪に問うつもりもありません」
答えた俺に、ますます愉快だというように兄王子は口元を歪めた。
「そうかそうか。だが、それでは少しこちらに有利すぎるな。そうだ、ここは私がお前の相手をしよう」
四番目のこの兄王子は、剣に覚えがあった。
俺を公の場で、叩き潰せると思ったのだろう。
「お言葉ですがやめておいたほうがいいと思います。今日は兄上の晴れの舞台。兄上自身が負けてしまうのは、新郎として格好が付かないかと」
「ほぅ、言うようになったなアレン」
人が親切に忠告してやったにも関わらず、兄王子はそれを挑発と受け取ったようだった。
「父上、予定を変更して、私とアレンが戦ってもいいでしょうか」
兄王子の言葉に、父である王は少し眉をしかめた。
ただでさえ予定外の催しであるにも関わらず、王子たちが戦うという。
見世物としては面白いかもしれないが、きっと王は気が気じゃなかっただろう。
四番目の兄は、王宮剣術を身につけていた。
その腕前は王も認めるところで、ずっと王城から離れて守られるように暮らしていた俺が勝てるわけないと思っていたんだと思う。
「やらせてください、父上」
俺がそう言えば、少し悩んで王は許可をだした。
ざわめきと共に試合が始まり、合図とともに打ち合う。
俺をひ弱な王子様だと思っている兄王子は、余裕をかまして大きな動作で剣をふるってきた。
こちらに強さを誇示したいのだろうけれど、その剣撃の重さも、スピードも何もかも。
ルドルフにしごかれている俺には温すぎた。
攻撃をすることなく、ただ剣を受け、力を逃がしながら力量を図る。
兄王子の型は確かに綺麗だ。
けれどそれは魅せるためのモノであって、実践向きじゃない。
こいつは、ルドルフやテオに比べたら、全然弱い。
瞬時にそう見抜く。
そして、思う。
なんで自分は、こんな人を怖がっていたのだろうと。
俺の方がこの人よりも強いのだと、気づいてしまった。
「ほらほら、どうした!」
声をあげて切りかかってくる兄王子は、俺がただ攻撃をしていないだけだということにも、気づいていない。
今の一撃だって、脇が甘すぎて簡単に崩せる攻撃だ。
なのに、負けるはずはないと奢っている。
目の前にいるのが、自分よりも弱い小動物だと思い込んでいる。
すっと死角に移動して、一気に間をつめる。
それだけで、兄王子は驚いて体勢を崩す。
そのまま剣を弾き飛ばしてもよかったけれど、それだと試合が終わってしまうので、軽く攻撃を加える。
兄王子が少し焦った様子で攻撃を防ぐ。
そのまますっと剣を流し、流れるように二撃目、三撃目を打ち込んだ。
相手がぎりぎり止められるくらいの力を乗せて、いつもルドルフが稽古をつけてくれるときのように。
そうして打ち続ければ、兄王子はやがて自分が手加減されているのだと気づいたようだった。
プライドが傷ついたのだろう。
攻撃が荒くなり、力任せなものになる。
「ひぃっ」
これくらいが潮時かと剣を弾き、首筋に剣先を突きつければ兄王子がうめいた。
「だから恥をかきますよと忠告したのに。言っておきますが兄上、僕の騎士は、僕よりも遥かに強いです。これに懲りたら手を出さないでくださいね?」
脅すように睨みつける。
兄王子の瞳には、かろうじてプライドがあったけれど、俺に対する怯えのようなものがあって。
こんなのに今までいいようにされていたのかと、阿呆らしくなった。
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「やったな、アレン!」
試合が終わって、感極まった様子のテオが俺を迎えてくれた。
「楽勝だった」
「だろうな。見ててすぐわかった。いやーすかっとしたぜ!」
ははっとテオが笑いながら、健闘を讃えるように肩を組んできた。
「テオのお陰だ。ありがとう」
「何だよ、改まって」
「怖がっていた僕の背をテオが押してくれなければ、いつまでも僕は兄たちの影に怯えるところだった」
素直に礼を言えば、テオは少し照れくさそうにしていた。
「なんだよ。そういう事を言われると謝り辛くなるだろ。お前があんな嫌味にも耐えてたのは、オレたちを守るためだったのに。オレ、臆病者だとか酷い事いっぱい言った」
ごめんとテオが謝ってくる。
「あとさ、アレンがあいつからオレを庇おうとしてくれた事、嬉しかった。それと……僕の騎士って言ってくれたことも」
テオは照れたように口にする。言われて、兄王子にテオのことを自分の騎士だと口にしていたと気づく。
完全に無意識だった。
テオはエリシア付きの騎士ではあったけれど、ルドルフのようにエリシアに剣を捧げているわけではなかった。
剣を捧げるというのは、一生その人を守るという騎士にとって重い誓いだ。
それをしてしまえば、他の人の騎士になることを許されない。
つまりは、騎士は主と運命共同体だ。
テオが俺に剣を捧げてくれて、俺だけの騎士なってくれたなら。
そんな思いが心のどこかにあって、口に出ていたに違いなかった。
けれど、こんな俺が主だと、テオが今以上に苦労することは分かっている。
だから俺はテオの言葉に、ただ曖昧に笑い返すことしかできなかった。