第1話 俺の遊び場
「おいっ! そっちは踏むな!」
巨大な前脚が振り下ろされ、俺の胸ほどもある岩が粉々に砕け散った。飛び散った破片の一つが、白いキノコのすぐ横に突き刺さる。
「危なっ!」
ばあちゃんに頼まれたキノコを、せっかく見つけたところなのに。
俺は魔物の側面へ回り込み、足元の石を拾って投げつけた。石は黒褐色の甲殻に当たり、乾いた音を立てて砕ける。魔物がこちらを向いた。六本の歩脚で巨体を支え、二本の太い前脚を持ち上げた。大きく開いた顎から、鋭い牙が覗く。
相変わらずでかいやつだ。こいつとは前にも何度か出くわしたことがある。いつもなら相手にせず通り過ぎるんだけど、今日はそうもいかない。
「ほら、こっちだ!」
もう一つ石を投げると、魔物は唸り声を上げて突進してきた。俺は岩陰から離れるように走り出した。背後で岩が砕ける音がして、さっきまで立っていた場所が大きくえぐれる。
あんな攻撃を繰り返されたら、キノコまで土をかぶってしまう。
障害物の少ない場所を目指して走ると、魔物は地面を揺らしながら追いかけてきた。平らで開けた場所へ出たところで、俺は足を止めた。
「よし、ここならいいか」
魔物は勢いを緩めることなく突っ込んできた。俺は腰の剣を抜き、足に魔力を巡らせた。巨大な顎をかわすと、今度は右の前脚が頭上から振り下ろされた。
左手で前脚を受け止め、甲殻の縁に指を掛けた。どん、と足元の地面が揺れる。魔物が前脚を引こうとしても、俺の手からは抜けない。ほかの脚が地面を引っかき、石が辺りに散らばった。
「そんなに暴れるなって」
俺は掴んだ前脚を押し返した。巨体が大きくのけぞり、腹の下が見えた。そのまま一歩踏み込み、剣を振るう。
分厚い甲殻ごと胴体が斬り裂かれ、魔物は地面を揺らして横倒しになった。何度か脚が痙攣したあと、動かなくなった。
俺は斬り裂いた胴体から魔石を取り出し、《無限収納》へ放り込んだ。剣を鞘に収め、元の岩陰へ引き返す。
「さて、キノコは無事かな」
辺りには細かな石が散らばっていた。いくつかのキノコは土をかぶっていたものの、どれも潰れていない。
「おお、よかった!」
石をどけながら、大きく育ったキノコを選んでいった。前に小さなキノコを残しておいた岩陰を覗くと、あのときのやつが見違えるほど大きくなっていた。
「お、いい感じじゃん」
根元には新しい小さなキノコも生えている。そちらは残して、大きく育ったものを採った。布袋がほどよく膨らんだところで採集を終え、《無限収納》へしまった。
「よし、帰るか」
俺は第二十四階層の岩場を抜け、帰還門へ向かった。しばらくして門をくぐると、洞窟の入口近くへ戻った。
自然の洞窟を抜けて外へ出ると、潮の匂いがした。木々の向こうからは、いつもの波の音が聞こえてくる。俺は家へ続く山道を下り始めた。
◇
木々の間を抜けると、入り江と船着き場が見えてきた。じいちゃんの船が、いつもの場所に停まっている。入り江の外には、陸地の影も見えない海が広がっていた。
この島に住んでいるのは、俺とじいちゃんとばあちゃんの三人だけだ。家に着くころには、入り江の向こうが夕日に染まり始めていた。
「ただいま!」
玄関を開けると、台所からばあちゃんが顔を出した。
「おかえり、湊。キノコは見つかったかい?」
「うん。大きいのが採れたよ」
「それは助かったねえ。手を洗ったら持ってきておくれ」
手を洗って台所へ行き、《無限収納》から布袋を取り出した。ばあちゃんは中を覗き、目を細めた。
「まあ、立派なのばかり。今夜のお汁に使わせてもらうよ」
「楽しみ!」
「その前に、野菜を洗っておくれ」
「はーい」
野菜を洗い終えて居間へ行くと、じいちゃんが窓際で釣り道具を広げていた。
「じいちゃん、ただいま」
「おう。時間どおりじゃな」
「うん。岩場ででかいやつが暴れてたけどね」
「怪我はないか?」
「ないよ。ほら」
両腕を広げて見せると、じいちゃんは俺の顔まで確かめてから頷いた。
「ならええ」
じいちゃんはリールを手に取り、ハンドルを回した。ぎ、と小さな音がして、途中で止まる。
「あれ、まだ直らないの?」
「ああ。中の部品がすり減っとる。古い型じゃから、替えもなかなか見つからん」
じいちゃんが側面の蓋を開けると、小さな金属部品が見えた。端が削れ、片側だけ形が変わっている。
「もう買い替えたほうがいいんじゃない?」
「まだ直せるかもしれん。もう少し見てみるわい」
「魚が掛かったときに止まったらどうするんだよ」
「直るまでは使わんよ。それとも、お前が代わりに魚を獲ってきてくれるか?」
「俺じゃ、じいちゃんみたいには釣れないって」
じいちゃんは声を立てて笑い、傷だらけのリールを布で拭いた。
「今度、本土へ行ったときに新しいのも見てみたら?」
「まあ、そのうちな」
じいちゃんは蓋を閉め、リールを丁寧に布で包んで道具箱へ戻した。
新しいのを買ってやれたらいいんだけどな。
俺は自分の部屋へ行き、《無限収納》から昼間の魔石を取り出した。そういえば、前に本土へ行ったとき、魔石の買い取り店の看板を見かけたな。
「あそこなら、これも買い取ってくれるかな」
手のひらの魔石を眺める。ほかにも魔石はあるけれど、まずはこれ一つを持っていってみよう。
俺は小さな布袋に魔石を入れ、机の引き出しにしまった。じいちゃんに新しい釣り道具を買えたら、ばあちゃんにも何か選んであげたいな。
廊下へ出ると、台所から食器の触れ合う音が聞こえてきた。そろそろ夕飯らしい。俺は居間へ戻り、棚からお膳を取り出した。
◇
夕飯には、じいちゃんが獲ってきた魚の煮付けと畑の野菜、それから俺が採ったキノコの汁物が並んだ。汁をひと口飲むと、いつもより香ばしい匂いが鼻へ抜けた。
「これ、うまい!」
「今日はキノコを焼いてから入れてみたんだよ」
「そうなんだ。今度もこれがいいな」
ばあちゃんが笑う。じいちゃんも黙っておかわりをしていた。
「そうだ、湊。明日も洞窟へ行くのかい?」
「うん。朝から行くつもりだよ」
「それなら、前に採ってきてくれた香草をお願いできるかい? 魚のお腹に詰めて焼いてみたいんだよ」
「ああ、第一階層の小川に生えてるやつ?」
「そうそう。生のまま使いたいから、潰さずに持ってきておくれ」
「あそこならすぐ分かるよ。明日採ってくる」
「助かるねえ」
じいちゃんが魚の骨を皿の端へ寄せながら口を開いた。
「明日は午後から風が強くなる。昼までには戻れよ」
「分かってる。近道もしないよ」
「まだそこまでは言っとらんぞ」
「言いそうな顔してたから」
ばあちゃんが笑い出した。
「昔は山道で迷って、じいさんに迎えに来てもらったものねえ」
「あれは途中で道がなくなってただけだって」
「それを迷ったって言うんじゃ」
じいちゃんは澄ました顔で魚を口へ運んだ。まったく、二人ともよく覚えてるな。まあ、迎えに来てもらったのは本当だから、言い返せないけど。
◇
食事のあと、俺は明日のために少し大きめの布袋を用意した。香草の葉は柔らかいから、潰さずに持ち帰りたい。
袋を玄関の棚に置いたところで、この前、小川で見かけた鹿に似た魔物の群れを思い出した。森へ入っていくのが気になって後を追ったけれど、途中で帰る時間になってしまった。
あいつら、森の奥で何をしているんだろう。
明日は香草を採ったら、もう少し様子を見に行こう。
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