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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第四章 ダメ怪盗ノーゴールドの湿った逆恨み
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第69話 冷めない憎しみのライオット

 踏み込んだ瞬間、視界が歪んだ。


 白く渦巻いていたはずの雪が、ふっと薄れる。

 代わりに、足元の地面がぶれるように揺らいで見えた。


「……っ」


 嫌な感覚に従い、踏み込みを半歩だけずらす。


 直後、さっきまで狙っていた位置を、何かが薙いだ。

 風だ。


 目に見えないまま、地面の砂だけが弾け飛ぶ。


 フィクティオは動いていない。

 だが、確実にこちらを迎撃している。


「どうした。来るのだろう?」


 変声機越しの声が、吹雪の中でもはっきりと届く。


「言われなくてもな」


 返しながら、一気に間合いを詰める。


 パイプを振り抜く。

 手応えは__また、ない。


 黒いマントが揺れたかと思った次の瞬間には、そこに実体がない。

 残像のように薄れて、霧と同化する。


「チッ……!」


 舌打ちと同時に、背後に意識を向ける。


 気配は、ある。


 だが位置が定まらない。

 近いはずなのに、遠いような、そんな歪んだ感覚。


「視覚に頼りすぎだ」


 声が横から落ちてくる。


 振り向くより早く、身体を沈める。


 頭上を、圧が通り過ぎた。

 空気そのものが叩きつけられたような衝撃。


 遅れて、背後の地面が抉れる。


「くっ……!」


 距離を取る。


 呼吸を整える間もなく、次の異変が来る。

 周囲の空気が一瞬にして冷えていく。


 さっきまでの吹雪とは違う。

 一点に凝縮された冷気が、足元から這い上がってくる。


 凍る__そう直感した瞬間、横へ飛ぶ。


 足場が砕けた。

 氷が張るより先に、地面ごと割れている。


「忙しい野郎だな……!」


 雷、風、雪。

 現象が切り替わる速度が異常だ。


 一つに対応した瞬間、もう次が来る。


 だが、共通していることがある。

 全部、間に合う。

 致命には届かない。


 インバネスコートが引く動きに、自分の感覚を重ねる。

 半歩、半拍、ずらす。


 その積み重ねで、ギリギリを抜け続ける。


「避けるだけか?」

「試してるだけだ。いくつ手品があるのかをな」


 低く返す。


 見えてきている。

 動きの癖が。


 フィクティオはその場からほとんど動いていない。

 だが攻撃は、必ず俺が次に通る場所を選んでくる。


 なら――


「そこだ!」


 一歩、踏み込む角度を変える。

 直線ではなく、円を描くように回り込む。


 次の雷が落ちる。

 だが、狙いは外れている。

 さっきまでの俺の位置だ。


「……ほう」


 初めて、わずかに声の調子が変わる。


 その隙を逃さない。

 一気に距離を詰める。


 今度は逃がさない。

 そう確信して、パイプを振り抜いた。

 __その直前。


 視界が、反転した。


「……は?」


 地面と空が入れ替わる。


 いや、違う。

 見えている位置が、ずれている。


 身体は前に出ているはずなのに、攻撃だけが空を切る。


 そのままバランスを崩しかける。


「幻に触れるのは、難しかろう」


 背後。

 振り向く。


 フィクティオは、数歩後ろに立っていた。

 さっきと同じ距離。

 同じ姿勢で。

 まるで最初から、そこにしかいなかったかのように。


「……なるほどな」


 息を吐く。

 見えているものを、そのまま信じるのは危険ってことか。


「やっと理解したか?」

「いや、全く。今ので何を理解しろと?」


 構え直す。

 握った鉄パイプに力を込める。


「でも、お前が面倒くさいってことだけは、よく分かった」


 そう言って、もう一度踏み込んだ。


 今度は一直線じゃない。

 揺らす。刻む。軌道をずらし続ける。


 フィクティオの視線は外さないまま、足だけで距離を詰める。


 風が来る。

 低い位置。膝を払う軌道。


 跳ぶ代わりに、踏み込みを止めて沈む。

 足元を風が抜ける。


 間髪入れず、次。


 上から圧が落ちる。

 身体を横へ滑らせる。


 空気がぶつかり、地面が抉れる。


 その隙に、さらに半歩。


 近い。


 確実に、さっきよりも。


「……なるほど。しぶといな」


 変声機越しの声に、わずかな興味が混じる。


「どうした、さっきより雑だぞ」

「十分だ。君程度ならな」


 吐き捨てるように言い返し、さらに踏み込む。


 狙いは当てることじゃない。

 離さないことだ。


 こいつは、いつでも消える。

 だが、こちらが張り付いていれば、その"暇"を削れる。


 新田が来るまでの時間を稼ぐ。

 それでいい。

 元より一対一でどうにかなる相手じゃない。


 そう割り切って、攻めを続ける。


 フィクティオは反撃を続けるが、その質が変わっていた。

 狙いは正確だが、深くは踏み込んでこない。


 致命には届かない。

 こちらの命を取りに来ている動きじゃない。


 やはり__


「……やっぱり、殺す気はねえか」

「必要がない。君は観察していれば、いずれ得られる情報もあるだろうしな」


 即答。


 感情の欠片もない声。


「情報源を自ら潰すほど愚かではない」

「ありがたい話だな……!」


 言いながら踏み込む。


 その一瞬。


 横から、別の気配が割り込んだ。


「__どけ!!」


 風を切る音。


 白を裂くように、影が飛び込んでくる。


 速い。


 明らかに人間の動きじゃない加速。

 そのまま、一直線にフィクティオへ。


「七海!?」


 木刀を振りかぶり、そのまま叩き込む__

 直前で、止まった。


 目に見えない何かにぶつかったように、軌道が弾かれる。


 衝撃が反転し、七海の身体が押し戻される。


「っ……!」


 着地と同時に、砂を滑らせながら距離を取る。


 だが止まらない。

 そのまま、もう一度踏み込む。


「ふざけんな……!」


 怒りに染まった声。


 迷いも、躊躇もない。

 再び加速する。


 今度は角度を変え、低く潜るように__

 また弾かれる。


 同じ位置。

 同じ“壁”。


「……七海、やめろ」


 低く言う。


 だが、届いていない。


「どけって言ってんでしょ!!」


 振り返りもしない。


 視線はフィクティオに固定されたまま。

 呼吸が荒い。

 完全に、頭に血が上っている。


「そいつはお前がどうこうできる相手じゃねえ!」


 言葉を強める。


 だが、七海は止まらない。

 むしろ、それで火がついたように踏み込む。


 三度目の突進。


 今度は跳ぶ。

 上から叩き潰す軌道。


 __弾かれる。

 今度は強い。

 空気そのものに殴られたように、身体が後ろへ弾き飛ばされる。

 着地しても勢いが殺しきれず、地面を滑る。


「っ……!」


 歯を食いしばり、即座に体勢を立て直す。


 それでも止まらない。

 また踏み込もうとする。


「七海!!」


 思わず声を張る。


 それでも、止まらない。

 聞こえていない。

 完全に、怒りで視界が狭まっている。


 フィクティオは動かない。

 ただ、静かにそれを見ている。

 まるで、観察でもするかのように。


「……なるほど」


 小さく呟く声。


「これも気になってはいたのだ。モルスの活動再開とも時期が一致する」


 その言葉に、嫌なものを感じる。

 おそらく、"戦慄のアーティファクト"の行方について、七海が鍵である可能性についての話だ。

 どこかから俺を監視する過程で七海のことを知ったのだろう。

 

 だからこそ、今の段階で七海は弾き飛ばされるだけで済んでいる。

 俺が殺されないのと全く同じ理屈だ。


 だが、それもいつまで持つか分からない。


「……チッ」


 踏み込む。

 七海の軌道に割り込むように前へ出る。


 まずはこいつを止める。

 無理やりでも、止めるしかない。


 七海は止まらない。

 俺の声など、最初から存在しないかのように。

 視線はフィクティオに縫い付けられたまま、そのまま踏み込む。いや、飛ぶ。

 俺の肩をかすめるように、上から。


 四度目の突撃。


「……っ、七海!」


 勢いは、さっきまでよりも明らかに強い。

 理屈も、間合いも、何もかもを捨てた突進。


 フィクティオは、それを見ていた。


「……まあ、良いか」


 わずかに首を傾ける。


「探偵だけいれば」


 その一言。

 その瞬間だった。


 視界の端で、何かが光る。

 フィクティオの袖口。

 ほんの一瞬、黒い宝石のような反射が走った。


「__っ!」


 考えるより早く、身体が動く。


 パイプを握り直し、最大まで伸ばす。

 限界まで引き延ばされた鉄が、一直線に空間を裂く。


 狙いは攻撃じゃない。

 割り込むこと。

 フィクティオと七海、その間へ。


 鉄が、二人の間に滑り込む。


 わずかに七海の動きが止まる。

 視界が遮られた、その一瞬。


「……なっ__」


 遅い。

 俺はそのまま踏み込み、七海にぶつかるように腕を回す。

 正面から、強引に抱き留める。


「っ、如月さ――」


 言葉は最後まで続かない。


 次の瞬間。

 背中に、何かが触れた。


 冷たい。

 異様なほどに。

 そして、重い。


 ずぶり、と。


 遅れて、感覚が追いつく。


「……っ」


 息が止まる。

 肺が空気を拒否する。


 何かが、刺さっている。


 背中から、体の奥へ。


 力が抜ける。

 支えきれない。


 そのまま七海ごと、地面に倒れ込む。


 覆いかぶさるように。


 押し潰すように。

 視界がぶれる。


「……っ、如月君!?」


 遠くから、声がした。


 新田の声だ。

 やけに遠い。

 やけに焦っている。


「如月君! それ――!」


 何を言っているのか、うまく聞き取れない。


 だが、感覚が追いついてきて、ようやく理解する。


 背中にあるもの。

 刺さっているものの正体を。


 氷だ。

 巨大な、氷の塊。

 それが、背中から突き刺さっている。



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