謎の老紳士の誘い
「あ、社長からメッセージ入ってた。『契約も終わったし、俺は別の仕事があるから帰る。試合が終わったら自力で帰れ』だって? ああ、もう……」
控室から闘士用のラウンジに出たところで通知に気づき、スマートフォンを見た莉愛は思わずため息をついた。メッセージが送られた時間は試合開始前、否、チュートリアルが始まる前だ。加藤は莉愛の試合になど全く興味がなかったらしい。
莉愛がややイライラしながら帰ろうと一歩踏み出したところで、誰かとぶつかった。
「あっ、ごめんなさい。よそ見してて。大丈夫ですか?」
「いえこちらこそすみません、急いでて……ってアキリアちゃん、だっけ。さっきはありがとう。あと、試合も。あなたがいなかったら、狙われてたのはわたしだったから……。一位、おめでとう。あなたに勝てなかったのは残念だけど、一応二位で残って、女子王座の本戦にも出られるようになったし。あと……あの人たちに勝てたの、初めてなんだ」
莉愛がぶつかった相手は彼女に気付くと、頭を下げ、はにかんだ笑みを浮かべてややたどたどしく言った。
「こちらこそ……というか、お礼なんていいよ。あたしも正直助かったっていうか、ううん、あたし、あなたを利用しただけなんだよ。だから……。とにかく、試合のことはそれだけ。ええと、あたし、秋山 莉愛。莉愛でいいよ。良かったら、これからも宜しく」
礼を言われたことに面食らった莉愛は慌ててぶんぶんと手を振った。その様子にはとりんがぷっと噴き出した。
「わたしは羽鳥 飛鳥。闘技場以外では飛鳥って呼んで。あ……ゴメンね、わたし、ちょっと急いでるから。また今度」
飛鳥はそれだけ言うと、やや申し訳なさそうに手を振り、「入場制限掛かってないと良いけど……」などと呟きながら急ぎ足に外に出ていく。その急ぐ様子が気になった莉愛は、この後特に予定もなく暇であったこともあり、飛鳥を追いかけてみることにした。
「ああ……やっぱり入場制限掛かっちゃってた……。わたしたちの試合のときからほぼ満員だったもんなあ……」
闘技場の観客用入口の前で、飛鳥ががっくりと肩を落としていた。それを見つけた莉愛は彼女に駆け寄る。
「あ、莉愛ちゃん。なんだ、莉愛ちゃんも見るつもりだったの? でも残念。もう入場制限掛かっちゃったよ。あーあ、見たかったなあ……殺戮機械の試合」
莉愛に気付いた飛鳥が、残念そうにため息をついた。
「え? 殺戮機械? それってどこかで……あっ、殺戮機械M45? そういえばこれから試合だとかなんとか社長が言ってた!」
莉愛は社長室での会話を思い出す。ということは、次の試合にはあの昴が出るということになる。
「そうそう! 無敗でSクラスまで勝ち上がってきた実力派の闘士と、闘技場最強女王ドリーミィメロディアとの対戦! 屈指の好カード!」
先程までの彼女からは想像もできない熱さで飛鳥が捲し立てた。
「ねえ、その試合見れないの⁉」
莉愛は飛鳥に詰め寄る。自分にあれだけ冷たい態度をとった幼馴染がどんな試合をするのかには興味があった。
「え? そうだなあ……配信で見るしかないかなあ。せっかくここにいるのに、残念だけど」
「君達、ひょっとして闘士かな? 次の試合を観戦するつもりだったのかね?」
肩を落とす二人に、突然声が掛かった。振り向くと、仕立ての良いサマージャケットを羽織った、ふさふさとした白髪の老紳士が佇んでいた。その隣にはピシッとスーツを着こなす三十前後の真面目そうな、体格が良く眼光の鋭い男性がぴったりと付き従っている。
「あ、はい、そうです」
少しだけ飛鳥より早く平静をとり戻した莉愛が頷いた。
「ほう、彼らの試合を見て学びたいということかな? 向上心があるのは良い事だ。なら私が個室のチケットを持っているから、一緒に観戦しないかね?」
老紳士はにこりと笑って提案した。連れの男性が顔色を変え、何か、恐らくは文句を言おうとするのを彼は片手で制した。
「えっ、本当に良いんですか⁉ ぜひ、ぜひお願いします!」
突然声を掛けられて驚き固まっていたのはどこへやら、戸惑う莉愛に代わって飛鳥がやたらと積極的に答えた。そんな飛鳥を莉愛はちょいちょいと引っ張り、
「ちょっと飛鳥、何言ってるの! 怪しいよ。知らない人についてっちゃダメだって!」
と、声を掛けてきた相手には聞こえないよう小声で注意する。
「でもさ、お金持ってそうっていうか余裕ありそうな人だし、上品そうな感じだし、おじいさんだし、大丈夫じゃない? それにさ、めったにないチャンスだよ! 大人気のSクラス闘士二人の頂上決戦だよ? 指定席、あっという間に売り切れたやつだよ? それを個室で見られるとかさ、行くっきゃないよ」
飛鳥は熱っぽく力説した。彼女の決意は固そうだった。
(あたしが嫌だって言っても、飛鳥は絶対行っちゃうよね。一人で行かせるよりは、二人の方が安全かな。それに……やっぱりあたしも気になるんだよね)
結局、莉愛も好奇心の方が勝ったのだった。
「アキリアこと秋山 莉愛君と、はとりんこと羽鳥 飛鳥君、か。二人ともCクラスの闘士で、先ほどの試合は一位と二位か。では女子王座トーナメントに出場するのだな。是非勝ち上がってくれたまえ」
飛鳥と莉愛が簡単な自己紹介を終えると、老紳士がそう言ってにこりと笑った。
老紳士は品よく、愛想よく、温厚そうな笑顔を浮かべてはいるものの、その眼光にはどこか鋭いものがあった。いくつもの死線を潜り抜けてきたような、そんな強かさが見え隠れしている。身長はそこまで高くはないが姿勢が良いのと、纏う雰囲気から実際よりも大きく見える。老紳士の素性も聞きたいところだが、向こうが何も言わない以上、二人から聞くわけにもいかなかった。
「ああ、そうだった、失礼。私の事は……そうだな、哲、とでも呼んでくれ。彼は身の回りの諸々を世話してくれる樫尾君だ。私はこの闘技場のファンでね、落ち着いて見るために個室を押さえているのだが……まあ彼と二人だけなのも寂しいからね、君達が来てくれて良かったよ」
そんな二人の疑問を察したのか、老紳士は相変わらずの笑顔でそう告げた。
(本当の名前も教えてもらえないのか……。アヤシイなあ。この人、どこかで見たような、っていうか誰かに似てる気がするんだよね……。でも分からないや。アヤシイけど、とりあえず危険はなさそうだからいいか)
結局のところ老紳士は本名も素性も不明だが、莉愛は納得するより他になかった。
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