雪降り虫
雪降り虫
雪がチラチラと降っている。豪雪の予報だったが空は晴れている。ただ、寒い。
こんな日はいつも思い出す。あの子はいつも、雪の日にやってきた。
あれは六十年ほど前、私がまだ十歳にもならなかったころだ。戦争が終わってから産まれた私たち世代でも、まだ戦争の貧しさのあおりを食っていた。
我が家は子供が五人、両親、祖父母、叔父が二人という大所帯だった。
二人の叔父はどちらも父の弟で、まだ学生だったし、祖父は戦地で負傷して働けなくなっていたので、父の稼ぎと祖父の少ない貯えだけで暮らしていた。
私たち兄弟は皆、いつも腹を減らしていた。春から秋には野草を採ったり川で魚を釣ったり出来るのだが、冬は禁漁になってしまうし、草も枯れてしまう。寒い中、空腹はますますひどくなるのだった。
家にいても腹が減るばかりだし、森に行けばカラスが捕り損ねた獣の死骸でも転がっているかもしれない、落ち損ねた果実が見つかるかもしれないと、毎日、うろついていた。
ある日、雪が降り、森の獣道も雪に埋もれて見えなくなった。私はいつもの通りに歩いていったのだが、雪が降り続け、足跡を隠してしまった。私は帰る道を見失い、うろうろと彷徨った。
寒さと空腹で動けなくなった時、木の陰から女の子がひょっこりと顔を出した。雪をザクザクと踏んで近づいてきて、着物の懐から金柑をいくつか出して食べさせてくれた。夢中になって食べている間に、女の子はいなくなっていた。それから歩きだすと、あっという間に家が見える場所まで出ることが出来た。
それから晴れるのを待ち、何度も森に入ったが、女の子には出会えなかった。
次にその子に出会ったのは、十年以上が過ぎてからだ。猟を覚えた私は森でキツネやイノシシを捕るようになっていた。
その毛皮や肉のおかげで冬に飢えることはなかったのだが、ある年、日照りで森が枯れ、イノシシなどが山から下りてきて、秋までに狩り尽くしてしまった。冬の森に残されたわずかな獣を捕るわけにはいかない。何年かぶりで、村全体が飢えた。
私は国からの禁猟令が出ていないのをいいことに、こっそり山に入った。このままでは村ごと飢えて死人が出るというところだったのだ。ちょうど良く雪が降っていて、外で人に出会うことはなかった。
やはり数が減りすぎているのか、歩いても歩いても、獣は見つからない。疲れ果てて木に寄りかかって休んでいると、木立の中から女の子が顔を出した。
あの子だった。昔、金柑をくれた、あの子が、あの日と同じ見た目のまま、立っていた。
まさか。十数年も経っているのだ。
恐らく、あの子の娘か姪か、そういうことだろう。あたりを付けた私は懐に入れていた握り飯を差し出した。
女の子はそっと近づいてきて握り飯を受け取ると、立ったまま食べだした。昔の借りを返したような、ほっとした気持ちになった。
女の子が握り飯を食べ終えるのを見届けて立ち上がり、森のさらに奥に向かおうとした。その私の袖を、女の子が引いた。
見ると、懐から竹皮で包んだ小さなものを出して広げた。松露だった。それも十数個も。これを町の料亭に持って行けば高値で買ってもらえるだろう。
女の子は私の手に松露の包みを握らせると、木立の中に消えて行った。
無事に冬を越した私たち一家は、山を挟んだ向こうの町へ引っ越した。町には仕事が売るほどあった。私も印刷所への就職が決まり、それなりに稼いでいた。
友人も多くでき、酒も煙草も覚えた。
酒の席で、私は雪の森の女の子の思い出を、ふと口にした。友人たちは面白がって森に行こうと言い出した。おりしも、しんしんと雪の降る夜だった。
印刷所の息子が仕事で使っているトラックを運転して、私は懐かしい村に戻り、森へ分け入った。
降る雪に、足跡はすぐに掻き消された。持ってきていたロープを目印に木にくくりつけて先へ先へ進んだ。静かだった。雪が降り落ちた音が聞こえそうだった。
あまりに、静かすぎた。
私は立ち止まり、振り返った。そこに友人たちの姿はなかった。はぐれたか。ロープを持っていたのは列の一番後ろにいたやつだ。
私はすっかり迷ってしまったのだった。
呆然と立ち尽くしていると、サクサクと軽い足音がした。獣ではない。そちらを見ると、あの女の子が木の陰から、ひょこりと姿を見せた。
もう、驚きはしなかった。この子は私にだけ姿を見せてくれる、森に住む、なにかなのだ。
私は女の子のためにポケットに忍ばせてきたキャラメルを差し出した。女の子は手を出さず、悲しそうな顔をした。浅はかな考えで、町の汚れた空気を持ってきてしまったような気がして恥ずかしく、女の子から目をそらした。
女の子は音もなく身をひるがえすと、木立の中に消えてしまった。
シンと静まった空気で頬が切れるように痛む。吐く息の白さが宙を舞う雪虫のように消えていく。
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。
声を頼りに友人たちのもとに戻り、それ以来、私は森に入っていない。




