電話怪談
電話怪談
本郷社長はよくいえばアクティブ、悪くいえばワンマンだ。何事も自分で見聞きしないと気がおさまらず毎日、現場に出向いていく。社員はいつも見張られているようで居心地の悪い思いをしていた。
外を駆け回る社長は三種類の携帯電話を使い分けている。得意先とテレビ電話でやり取りするためのスマートフォン。社内の連絡事項の伝達用のフィーチャーフォン。家族との連絡用のPHS。
この三種類の電話は、必要な者に必要な番号だけしか伝えない。得意先にはフィーチャーフォンとPHSの番号は知らせない。会社の部下たちにはスマートフォンとPHSの番号は教えない。家族にはスマートフォンとフィーチャーフォンの番号は教えない。
ただ一人だけ、秘書の神崎すみれだけは三種類の番号を把握し、いつでも本郷と連絡を取ることができる。しかし彼女がPHSに電話をかけることはない。着信履歴を残すなどという愚かな真似をする女ではない。だからこそ本郷はすみれにマンションを買い与え、高価な宝石や甘い言葉を与え続けているのだ。
妻からの電話の三回に一回は電波状況が悪いという理由ですぐに切る。夜はほとんど繋がらない。妻は「PHSって不便ね」とのんきに構えていた。
会社に一人だけ残って今日の外回りの成果を満足げに眺めていた本郷のスマートフォンに電話がかかってきた。秘書からだ。どうせ一人が寂しいという誘いだろう。にやけながら電話に出ると、砂嵐のような雑音が聞こえた。
「すみれ? おい、すみれ。聞こえるか」
「……す……て……」
砂嵐の合間に細々と声が聞こえるが何を言っているのか全く聞き取れない。
「電波が悪いんだ。切るぞ」
「……め……て……」
何かをうったえる声を無視して本郷は電話を切った。しばらく間を置いてからすみれのスマートフォンに電話をかけた。コール音が続くだけで繋がりもしなければ留守番電話に切り替わることもない。本郷はいらついて電話を切った。
それから数分して、また電話が鳴った。やはり表示されたのはすみれの番号だった。出てみると、やはり砂嵐の音が聞こえる。本郷のいらいらが募った。
「もういい! すみれ、今から行くから電話はもうよせ!」
本郷は怒鳴ると乱暴にスマートフォンをポケットにねじこみ、すみれの部屋に向かった。車を運転している間にもスマートフォンは何度も鳴った。本郷はいらいらとポケットからスマートフォンを取り出した。電話に出ようと画面に目をやった一瞬、歩道から人が飛び出してきた。ぶつかった衝撃で、はじめて事故を起こしたことに気づいた。車をおりて倒れている人に駆け寄る。
「……すみれ?」
ねじれた手足を投げ出して、すみれはぴくりとも動かなかった。
「すみれ……、いったい何が……」
スマートフォンが鳴った。すみれの番号からかかってきている。本郷はすみれの口元に頬を寄せた。息はない。体をまさぐってみたが、スマートフォンは見つからない。
スマートフォンはいつまでも鳴りやまない。恐る恐る通話ボタンを押した。
砂嵐はやんでいた。
「もしもし、すみれか?」
「知っているのよ」
スピーカーから聞こえてきた声と同時に、歩道から同じ声が聞こえた。振り返ると妻がスマートフォンを手に立っていた。
「おまえ……」
「スマートフォンって難しいのねえ。電話をかけるのに、ずいぶん手間取っちゃった」
「なにをしているんだ」
「あら、電話をかけているのよ。もしもし、あなた?」
妻の声が歩道からとスマートフォンから二重に聞こえる。
「もしもし、私ね、ずっと電話していたのよ。あなた、ちっとも出てくれないから、神崎さんのスマートフォンを借りたの。彼女、けちね。ちょっと借りるだけなのに、どうしても手を放してくれなくて」
「おまえが殺したのか?」
「なにを? 殺したって、それはあなたでしょう。すみれさんを轢き殺してしまって。これから電話で会議をするところだったのに」
「会議?」
「ねえ、電話に出て頂戴」
本郷のスマートフォンンが次の着信を知らせた。妻のPHSからの着信だった。歩道に立つ妻を見る。妻はスマートフォンを耳に当てて楽しそうに笑っている。PHSは持っていない。本郷は恐る恐るPHSからかかってきている電話に出た。
「もしもし……」
自分の声が車道から聞こえた。
「もしもし?」
声はすみれの方から聞こえてくる。すみれの死体をまさぐってみると、みょうな方向にねじ曲がった右手が妻のPHSを握っていた。
「もしもし、本郷さん……」
すみれの声がスピーカーから聞こえる。本郷の息が荒くなった。スマートフォンを握る手がぶるぶる震える。
「本郷さん……よく聞こえない、PHSはだめね……、繋がらない」
「だから言ったでしょう、すみれちゃん。あなたのスマートフォンを貸してって」
妻の声とすみれの声、両方が本郷のスマートフォンから聞こえてくる。
「さあ、話し合いましょう、あなた」
「本郷さん、もう逃げられないわ」
スマートフォンを取り落とした本郷の耳に砂嵐の音が聞こえた。ざあざあとざあざあと電波の悪い電話の音だ。どこにも繋がらない音だ。
「さあ、あなた」
「ねえ、本郷さん」
本郷はスマートフォンを握りしめて震えることしかできなかった。




