第一章:ニゲラ
____ゆうかが、死んだ。
私がそのことを知ったのは、昨日の正午過ぎだった。
「交通事故、だってさ」
そう電話してきたりょうの声は震えていて、泣いてるんだな、と思った。
ゆうかは私の親友。
りょうは私の幼馴染みで、ゆうかの彼氏。
付き合って三年ぐらいの、仲がいいことで有名な幸せそのもののカップルだった。
『次、市役所前』
そう記されたバスのモニターを見て、席の横にあるボタンを押す。
ポーン、と軽やかな音がなって、ボタンの上のランプが赤く点灯する。
「…………ゆうか………」
神様なんて、いないんだね。
運命って、理不尽だね。
あなたが、死んでしまうなんて。
心の中のゆうかに、語りかける。
そんなことないよ、と、いつもの声と笑顔が返ってきたような気がした。
バスが停まる。
停留所に着いたみたいだ。
席を立って料金を払い、バスを降りる。
視線を巡らせると、無表情で下を向いているりょうの姿が見えた。
「………りょう」
名前を呼んで、駆け寄る。
昨日からほとんど何も口にしていないのだろう、顔色が悪い。
ゆっくり上げられた端正な顔には、目の下にくっきりとくまがあった。
「ごめん、待った?」
「…ううん、大丈夫。俺も今、着いたところだから」
そっか、と頷いて二人で歩き出す。
普段とは別人のように、りょうは肩を落としている。
最愛の人を失ったのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。
本当なら今ごろゆうかと絡んでいたのかも知れない腕は力なく下ろされて、あまりにも頼りない。
迷子になった子供みたいで、思わず手を取ろうとして、____止めた。
りょうの隣は、ゆうかの場所だ。
私の場所では、ない。
中途半端に伸ばした手を、そっと下ろす。
私にできることなんてない、という現実が悲しかった。
りょうに続いて、葬儀場に入る。
建物の中は、場違いなほどに明るかった。
二人分の足音が、重なって響く。
案内の表示に従って、ゆうかのお葬式が行われる部屋に向かった。
「りょうくん、あかりちゃん」
「「おばさん………」」
ゆうかのお母さんが私たちに気づいてくれて、私たちはそっちに向かう。
おばさんの目元は赤く腫れ上がっていた。
「わざわざ、ありがとうね。ゆうかもきっと、喜んでるわ……」
「…いえ………」
おばさんは笑っていたけど、無理をしているのは明らかだった。
おばさんの頬には、涙の跡がくっきりと残っていた。
「そうだ、まだ、時間あるし………。せっかくだから、ゆうかに会ってもらっていいかしら?」
「いいんですか?」
私より先に、りょうの声が答えた。
もちろん、と答えるおばさんが、ゆうかの棺をそっと開けてくれる。
そっと、白い布を取る。
ゆうかの顔は穏やかだったけれど、修復されたとはいえ隠しきれていない傷跡が彼女の白くて綺麗な肌に痛々しい。
「ゆうか……ゆうか…………っ!!」
昨日まで確かに、生きていたのに。
思わず取ったゆうかの手は、人とは思えないほどに冷たかった。
「どうして………?ねぇ、どうして、こんなに、冷たいの………?」
誰か、教えてよ。
なんで、ゆうかは死んだの?
「ひどいよ………!!」
唐突に失われた命は、あまりにも小さくて。
ゆうかの温もりは、もう戻って来ない。
そのことが直に感じられる分、涙が止まらなかった。
「ゆうか………!!」
耐えられなくなって、その場に座りこむ。
すぐ横に、握り締められたりょうの手があった。
りょうは涙は流していなかったけど、それでも、泣いていた。
お葬式のためにその場を離れた時、ようやく開かれたりょうの手には血が滲んでいた。
* * *
「…ただいま………」
「…お帰り。ご飯は?」
ごめん、いらない、とママに返してから、そのまま二階の部屋に直行する。
顔ぐらい見せなさい、と普段なら言われるところだけど、ママは何も言わなかった。
代わりに、ご飯冷蔵庫だから、という声が聞こえて、心の中でありがとう、という。
ドアを開けると、制服のままベッドに倒れ込んだ。
「ゆうか………」
骨になったゆうかは、すごく華奢だった。
もともと細かったけど、骨だけになるととても脆く見えた。
「りょう、大丈夫かな………」
りょうはあれから、ほとんど口をきかなかった。
別れ際に「じゃあね」って言って、「うん」って返してくれて、それだけ。
それまでは、お葬式でもバスの中でも、何も話さなかった。
昔よりずっと大人びた横顔には、ただ悲しみが広がっていた。
「……………」
スマートフォンを手に取って、電源を入れる。
数件届いていたメールに返信して、“新規作成”のアイコンをタッチした。
『りょうへ。
ごめん、こんな時に。
大丈夫?なわけ、ないか。
相談とかなら、聞くよ?
おやすみ。
また、明日。
あかり』
送信。
送ってから、りょうは明日、学校行くのかな、と思った。
ほんの一分ぐらいで、スマートフォンが着信を知らせる。
『ありがとう。
また明日。』
いかにもりょうらしい、シンプルなメール。
でも、りょうは今頃泣いてるんだろうな、と思った。
昔から、人前で涙は見せなかった。
家族にも、友達にも。
りょうが泣いたのは、私の前、だけだった。
いつなんだろう。
りょうが私の前で泣かなくなったのは。
二人で手を繋がなくなったのは。
「大好き」の言葉が恥ずかしくなったのは。
______だから、なのかな。
りょうが震えた声で掛けてきた電話が、嬉しくないとは、言い切れないのは______。
* * *
次の日、りょうは学校に来なかった。
朝のHRで、ゆうかの死を伝えられた。
心底驚いた顔をする人、顔を覆って泣き出す人、唇を噛み締める人、………。
反応は様々だったけれど、皆、ゆうかの死を悲しんでいるのは確かだった。
でも、私には、りょうほど悲しみが深い人はいないと思えた。
私は、りょうがゆうかをどんなに想っているか、ゆうかがりょうをどんなに想っているか、知っていた。
それを思い返すと、どうしようもなく胸が締め付けられる。
授業はとてもじゃないけど受けられなかった。
私は学校を早退すると、心配になってりょうの家に向かった。
* * *
「お邪魔します………」
鍵は、開いていた。
「りょう、鍵、掛けとくよー?」
幼い頃から慣れ親しんだ家の階段を上がる。
勝手知ったる他人の家、と言わんばかりにりょうの部屋の前にくると、ノックをして中に入った。
「何で………?」
りょうが驚きを露にする。
普段は私に見せない表情に少しだけ違和感を感じた。
「早退してきた。…授業受ける気に、ならなくって」
りょうが、昔みたいになるほど、と頷く。
「心配してくれたんだ。……ありがと、ゆうか」
____________一瞬、耳を疑った。
今、…………………………何て。
“ゆうか”、って……………………?
「りょう……………………?私は、あかりだよ…………?」
嫌な汗が伝い落ちる。
心臓が脈打つのが自分でわかった。
「あかりは、死んじゃったじゃないか……………」
もう限界だった。
りょうの部屋を飛び出して、まともに靴も履かずに家を出た。
自分の家に走って帰ると、そのまま部屋のベッドに飛び込む。
違うのに。
私は、ゆうかじゃないのに。
ゆうかの生きていた証を、奪っちゃダメなのに。
でも、りょうの中では______。
「私とゆうかが、入れ変わってる………。」
私がゆうかで。
死んじゃったゆうかが、私で。
つまりは、そういうことなのだろう。
ふと、メールの着メロが鳴った。
『ゆうか?
何かあったの?大丈夫?
俺はいつでもゆうかの味方だから。
何かあったら、何でも聞く。
大好き。 りょう』
『りょうへ。
ありがとう、大丈夫。
ちょっと気分悪かっただけ。
もう平気だから、安心して?
私も、大好き。
ゆうか』
送信ボタンを、押す。
「ごめん、……ゆうか、…………ごめんね……………!!!」
もう耐えられない。
涙が、後から後から溢れてくる。
ずっと、りょうのことが、好きだった。
ゆうかのために、封じこめたのに。
「『大好き』なんて言われて、……もう、無理だよ…………」
ごめんね、ゆうか。
私、弱くて。
結局、自分を抑えられなかった。
許してくれるとは思わないけど、それでも、ごめんね。
ゆうか、私、ゆうかのこと、大好きだよ。
* * *
「おはよう、ゆうか」
「おはよう、りょう。お邪魔します」
`ゆうか´である`私´が、階段を上がる。
りょうが、首をかしげた。
「ゆうかって、俺ん家、来たことあるっけ?」
「ううん、女の勘ってやつ」
何だそれ、とりょうが笑う。
部屋は、懐かしいりょうの匂いがした。
「りょうの匂いだ」
「そんなの、ある?」
「うん、すっごく、いい匂い」
ぎゅうっ、とりょうが`私´を抱き締める。
「可愛い、ゆうか」
「えぇ?そんなこと、ないよ」
そう言いながら、りょうの胸に頬をすりよせる。
昔よりかなり厚くなった胸板は、“男の人”の感じがした。
「ゆうか」
___やめて…………。
ゆうかは、ここにはいない。
「ん?」
それでも答えてしまう私を、ゆうか、あなたは許してくれる?
私、卑怯だよね。
りょうが好きで。
ずっと、ずっと、好きで。
ゆうかが死んだのをいいことに、ゆうかの場所を乗っ取って。
_____でもね、りょうが抱き締めているのはあなただよ、ゆうか。
私じゃ、ないの。
「何で、泣いてるの………?」
あなたが求めているのは、私じゃないのはわかってる。
“ゆうか”として、求めているだけ。
それでも、私はりょうが好きだよ。
だから、いつか、一度だけで、いいから。
______本当の私を抱き締めて______




