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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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給湯装置

 重度とはいえ、所詮は車酔いである。安静にして休んでいれば、具合も良くなる。臨時の救護所とされた講堂に運び込まれた面々はすぐに快方に向かった。この三毛猫にしてもそうである。盛大に胃の中身をぶちまけたためか、寧ろ出発前よりすっきりした感じすらある。


 軽い足取りで、レーニンは同居人の元へ向かう。結局のところ、最後まで寝ているのは、悠然と昼寝を決め込んだこの小娘である。心地よく眠るこの暴君を誰も起こすことなどできなかったのだ。しかし、これは好機である。三毛猫はそう確信する。その暴虐なる振る舞いには、当然の報いが必要である。今こそ復仇の時なのだ。同居人の顔を覗き込む三毛猫は、大口を開いて、腹に力を込める。


 もっとも、その先は続かない。弾切れである。先刻、盛大に吐き出したばかりなのだから、当然の成り行きである。もっとも、その現実を受け入れられず、レーニンは固まる。その隙を突いて、寝ぼけた同居人が小動物の腹に手を回した。気付いた時には既に遅い。その細腕からは想像し難い力で、がっちりと拘束される。


「ふみゃー」


 同居人の寝言に、ぶみゃーと三毛猫の悲鳴が唱和する。報復を試みたところ、更に報復されてしまった格好である。やはり復讐は何も生みだしたりはしないのだ。努めて軋む胸骨から意識を逸らしつつ、レーニンは世の道理に思いを馳せる。同居人は単に反射で動いているだけだが、その辺は気にしてはならない。


 ──暫く猫の胸骨を生贄に快適な惰眠を貪ったお姫様は、やがて、最高にもふもふな目覚めを迎えると、溜まった雑務を片付け始める。不在中の出来事の報告を受けたり、先立って交渉は終えた新入職員に交付する契約書を印刷したりと、実に細々としたものである。第二常備軍設立準備室決済係たるレーニンも恙なく手形の捺印を終えた。ようやく解放されたのは、朱肉の残りを拭き取って貰った後のことである。


 くたびれた三毛猫はそそくさと事務局棟を後にする。深く息を吸うと、胸骨に優しい空気が肺に満ちた。自由である。そんな感慨に浸りながら歩いていると、妙なものが目に留まる。近衛騎士隊が移動に用いた荷馬車、その幌付きの荷台に、隊長の騎士が厳しい顔で座っているのだ。ただ座っているだけだというのに、緊迫感が漂っている。その様子を目の当たりにした三毛猫は、思わずビクっと二本の尻尾を立てる。


 道中の護衛に過ぎない近衛騎士隊がどうして未だに居座っているかと言えば、それが彼らの新たな仕事だからである。先の爆発事件を受けて、王城のお偉方は市街の治安状態を本格的に懸念し始めたらしい。重要人物である同居人の警護体制も相応に強化されることになり、その役回りが、既に護送任務に従事していた彼ら近衛小隊に回ってきたわけである。


 騎士団本部からの指令は、電話番を務めていたフレネル神父から口頭で伝えられた。この小隊長が豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたことが三毛猫の記憶にも新しい。明らかに正規の命令伝達経路ではないが、これは警護強化が王城でも唐突に決まった案件であることを示唆している。勿論、十分な準備をする時間など存在しない。製鉄所側にしてもそうである。将来の増員を見据えて、居留地の家屋は順次増設が続けられているから兵舎は確保できるが、警護部隊の屯所に適切な施設が存在しない。仕方がないので、幌付きの馬車が臨時の指揮所兼詰所として運用されている。


 レーニンは油断なく茂みに潜み、近衛騎士隊の様子を伺う。製鉄所の敷地は広く、精鋭といえども、一個小隊という数はあまりにも少ない。騎兵が警邏に、一部の衛士が門衛に配された他は、基本的に全員、事務局棟近くの荷馬車に詰めている。もし事が起これば、この取り置かれている戦力で一気に殴りかかるという筋書きである。故に、待つのも仕事というわけだが、この境遇は何とも辛いものがある。機嫌が悪そうなのもこのせいか。三毛猫はそのように推察する。


 ところで、この三毛猫にはもう一つ気掛かりなことがある。不機嫌な小隊長殿が、何故か隠れた観察者たるレーニンの方向をじっと見ているのだ。偶然と思い場所を移っても、どういうわけか標的追尾装置の如く首を振って追従してくる。もしかすると、後ろに何かあるのだろうか。そう考えて後ろを振り向いてみるが、何か特別なものがあるわけでもない。精々、ピンと立った二本の尻尾が見えるだけである。


 暫く右往左往してみるが、追尾を振り払うことは叶わない。気味の悪さを覚えたレーニンは、うにゃんと一鳴き、この場を後にする。背中からどうにも生暖かい視線を感じたが、振り返ることはしなかった。


 無事に監視の目を振り切ったレーニンは、道中、積み上げられた荷物を見つけると、それを伝って屋根に移動する。地上は危険なのである。何といっても、猫好きな獅子獣人が徘徊している。可能な限り、高所を取り続けるのがここでの処世術である。太陽との角度が頃合いの場所に陣取り、三毛猫は丸くなる。


 無駄に時間を食った同居人の寄り道のせいで、今日の安全講習は中止である。彼方を見遣れば、暇を持て余した製鉄所職員が牧場で家畜の世話をしたり、海辺で魚を釣ったり、または、空き地で単純に遊んでいる姿を見ることができる。その中には例の新入職員、あのダークエルフと仲間達の姿もある。地下の穴倉から回収した絨毯を干して、棒状の器具でぱんぱんと叩き、埃を掃っている。舞い上がる濃密な粉塵にげほげほと咳き込む様が遠くからでも見て取れる。


 そんな牧歌的な景色の中で不気味な策動を見せているのは、例の如く同居人である。絨毯の手入れに忙しい新入職員のところへ行って何かを交渉すると、やがて妥結したのか、淡い光を放つ物体を回収する。同居人が引き抜いた四角い地面の裏側に生えていた、古代の魔法器である。金目の物であるからと、油断のない同居人はこれを引き抜いて回収しておいたのだ。ちなみに、荷物持ちは随伴する護衛騎士、ピエトロの役目である。遠目に見る限り、なでなでを許すことを餌に釣ったらしい。


 一度、自宅である焼き物ハウスに戻った同居人は、それから居留地の方へと移動する。その動きを目で追っていた三毛猫も、俄かに移動を開始する。勿論、見物のためである。屋根から屋根へ軽快に飛び移り、最適な位置の確保に動く。その道中、飛距離が足りず地面に墜落してしまうが、三毛猫は動じない。猫らしく、きちんと空中で体躯を捻り、着地できたからである。いつもごろごろしていて運動不足などということはきっとない。きっとないのである。


 ついでに、同居人の姿も見失ったが、そちらも特に問題はない。首に鈴がついているお陰で探すのは容易いのだ。適当に歩き回ると、案の定、すぐにその所在を確認できた。場所は居留地の外れにある浴場、その裏側である。素早く駆け寄ると、荷物持ちのピエトロの他、見物客が居るのが確認できた。


「で、何するんだ?」


 ふてぶてしく問うたのは、あのダークエルフの隣にいたよく吠える少年である。どうやら、怪しげな同居人の所業を見物しについてきたらしい。そんな彼に、同居人は常の如く淡々と答える。


「フレネル神父にお願いされたのです。私が不在中もお風呂に入れるよう、給湯装置を作るのです」

「湯を沸かすってことは、かまどでも作るのか」

「いえ、もう少しここの流儀に則った方法があるのです」

「ここの流儀?」


 眉間に皺を寄せる少年をよそに、同居人は粛々と持参した布袋を探る。慎重な手つきで取り出したのは、赤くて丸い宝玉に歪な金属塊がべとりと張り付いた、名状し難い物体である。


「なんだそれ」

「なんだいこれ」


 少年と護衛騎士、二人が異口同音に問いかける。無理なからぬ反応である。三毛猫がその正体を察することができたのも、それを見たことがあるからに過ぎない。


「炎を噴き出す魔法の杖の、まあ、心臓部なのです」


 要するに、昨日壊したばかりの火炎魔導杖、その先端についていた魔石干渉回路である。


「でも、壊れてるよな」

「ならば、直せばよいのです」


 同居人は至極淡々と言い放つ。


 異常加熱によって焼損し、今や正常な機能を期待し得ないそれだが、原理上、修理は不可能ではない。魔石干渉回路は魔石の位相関係に従って一定の理力現象を生じさせるものである。正しく並べ直せば正常な機能を回復する。問題は、その正しい配置というのが専門知識と技能を要する繊細な代物であることだが、この小娘が作業する限り、大した障害ではないのだろう。平素から多用する幻影魔術の腕前を見る限り、その空間認識と操作の精度は異様に高い。


 同居人がおもむろに放り投げると、この魔石と金属の塊は空中に浮遊する。次の瞬間、歪に冷え固まった金属部分が蠢き、放射状に鋭い金属の枝を伸ばした。その先端には翡翠色の小さな結晶体が張り付いている。金属塊に半ば埋もれていた風石の結晶である。これを巨大な火石結晶の周囲に配することで、火炎魔導杖の基本となる惑星状配置を回復しようとしているのである。


「なんかうねうねして気持ち悪いな」


 見物人が気楽な感想を述べている間に、作業は新たな局面に移る。小刻みに動く金属枝を伝って、眩い銀色の細線が蔦のように伸びる。枝の基材とは別種の金属、恐らくは魔力伝導素材である導魔銀の細線である。その成長速度は著しく、間もなく螺旋を描いて魔石を締め上げる。


 二種の魔石、火石と風石が仄かな燐光を放ち始めたのは、この直後のことである。魔力の導通経路が確保され、励起が始まったらしい。これに呼応するように、金属の枝がわさわさと蠢く。その動きが唐突に停止すると、俄かに魔石の輝きが増す。目を凝らせば、火石の先で陽炎が揺らめいているのが見えた。


「とりあえず、再配置が完了したのです」

「もうできたのか」


 ここまでの作業は、魔石干渉回路のキャリブレーションだったということらしい。何度か魔石を輝かせ、その動作が正常であることを確認した同居人は次の作業に着手する。未だ浮遊するこの装置を両手で包み込み、それから開花するように手を放すと、魔石を保持する金属の枝の途中から、細い金属枝が生え始める。その途中からは、更に細い棘も生える。自己相似図形、いわゆるフラクタルというやつである。これらの細い枝は衝突すると合流し、徐々に微細な網状構造を形成していく。木が枝葉を茂らせるような景色だが、これは調定を終えた魔石干渉回路を保護するための補強構造である。


 最後に、同居人は布袋から小さな金の塊を取り出し、浮遊する装置の上に乗せる。忽ちバターのように融け落ちた塊は、複雑な金属構造物を伝って薄く、しかし、満遍なく覆っていく。冶金魔術と流体制御魔術で強引に金メッキを施しているのである。


「綺麗だねぇ」

「でも、湯を沸かすのに、こんな贅沢する必要があるのか?」

「この装置、基本的には鉄製なのです。こうでもしないとすぐに錆びてしまいます」

「だからって、それ、金だろう?」

「金も立派な工業原料なのです」


 そんな話をしているうちに、被膜作業も滞りなく完了する。元は簡素だった杖の飾りは、今や黄金色に輝く繊細な金属細工と化している。とてもではないが、同種の道具とは思い難い。その見事な変貌に二人の見物人は歓声を上げるが、陰から見守るレーニンは首を捻る。達成感溢れる景色であることは事実だが、結局のところ、これはヒーターが完成しただけである。魔石干渉回路は常人に扱えるものではない以上、湯を沸かすためには他にも諸々の付帯設備が必要である。


「さて、ピエトロ。それをこちらへ」

「ほら、どうぞ、姫様」


 案の定、同居人の手は止まらない。次に持ち出したのは、新入職員から巻き上げた件の魔法器である。葡萄の房の如く淡い水色の輝石が連なった代物で、ちょっとしたシャンデリア程度の大きさがある。ついでに言えば、重さも相応のものである。それを護衛騎士はひょいと持ち上げると、同居人の近くで地面に転がす。ついでに、お代とばかりに同居人の頭をなでなでした。


「そういえば、お前、その明かりが何かわかるのか?」

「その辺は『塔』の専門家の領分なのです。恐らくは水道設備の一部なのでしょうが」

「じゃあ、そんなもので何しようって言うんだ?」

「機材としては使えなくとも、素材としては使えるのです」


 しれっと言い放つと、同居人はおもむろに手刀で虚空を切る。すると、房状の魔法器、太くなった軸の根元部分がずれて、音もなく滑り落ちた。それを器用に受け止めて、同居人はおもむろに断面を示す。鏡面の如く周囲の景色が映り込むそれは、眩い銀色をしている。その色彩に、レーニンは既視感を覚える。


「魔力を伝える、導魔銀の塊なのです」


 その理由を、同居人は淡々と言い放つ。


「この結晶がどうして光るのか、疑問に思ったことはありませんか? 大抵の魔石は、魔力を印加すると励起して光るのです。ということは、この物体には魔力を集める機能があるということで、その種の装置には大抵の場合、魔力伝導材料としてこの種の金属が使われているのです」

「魔法金属ってことか? それじゃあ、つまり」

「同量の金よりも、幾らかは高価なものです」

「謀ったな?」

「人聞きの悪い。きちんと話を通したではありませんか」


 同居人は淡々と反論するが、勿論、謀ったのである。恐らくは重要事項不告知とかいうやつである。被害者である少年は睨みつけるが、この小娘は応じない。更に少年は牙を剥いて威嚇するが、それも無視である。まるで子犬と虎の戦いである。本来ならば制止しなければならない立場のピエトロだが、まだ手を出したわけではないからと、苦笑いしながら見守っている。


 この間、同居人が何をしているかと言えば、粛々と粘土を捏ねている。頃合いなことに、先日の所内配管整備工事の折に使わなかった粘土がそのまま浴場裏に放置されていたのである。同居人がこれを持ち出す理由は知れている。成形のし易さを生かして、即席の構造部品を作るつもりなのだ。


 見守ること暫し、部品はすぐに出来上がる。細長い素焼きの円柱と、壺と、半分となったアーチ状の何かである。庭の置物に頃合いの物体であるが、装飾の類は特にない。まさに実用一辺倒の仕上がりである。その辺は製作者の性格がよく反映されている。


「ああもう、無視するなよ!」


 その順調な進捗に、少年はいよいよ声を荒げる。


「仕方がありません。貴方に一番風呂を独占する権利を差し上げましょう。それで手打ちとしませんか?」

「誰がそんなどうでも良い権利で引き下がるか!」

「この権利の良さがわからないとは、貴方もまだまだお子様なのですね」

「お前の方が明らかに年下だろう!」

「忠告しておくのです。無暗に年齢の話をすると、女性に嫌われますよ?」


 散々煽った挙句にこれである。この種の話がセンシティブになるほど同居人が歳を召しているとは思い難いが、それに一般論的な説得力がある故に、少年は言葉に詰まる。結果を見れば同居人の完勝である。

それはそうと、この小娘、実際には何歳なのだろうか。ふと湧き上がった素朴な疑問に、成り行きを傍から見守る三毛猫は首を捻る。剣呑な金色の視線がこの小動物を貫いたのは刹那の後である。


 邪推を気取られたか、それとも、元から捕捉されていたのか。何にせよ、見つかっては仕方がない。にゃーんと一鳴き、レーニンは物陰から歩み出る。堂々と作業を見物するためである。同居人の間合いに入らないようにそれとなく蛇行すると、手頃な高台ということで、ピエトロの肩に飛び乗る。仮にも現役の武官である。唐突なエントリーに驚いたらしいが、姿勢の方は小動もしない。にゃーと挨拶すると、気の良い護衛騎士は丸まった背中をわしゃわしゃと撫でてくれた。


「もうひとつ助言しておきましょう。ゴミのような権利でも、捌き方次第ではお金になるのです」

「詐欺の講釈はいい。それより、この図々しい猫は何なんだ?」

「レーニンはレーニンなのです。好奇心旺盛なあまり、死地に踏み込むうっかり猫さんなのです」

「意味わかんねえよ」


 寝言にさりげなく恫喝を混ぜてくるあたりが実にこの同居人らしい。ぶるりと震えた三毛猫は、それからピエトロに頬擦りする。今のうちに媚びを売って、有事の際には盾とするのである。


 そんなレーニンを冷たく見据えながら、同居人は手にした導魔銀の塊をぱきぱきと砕く。素手で金属を砕くとはいかにも豪胆な景色だが、この小娘にそんな腕力があるはずもない。例の如く、何かの魔術の応用である。硬質な音を奏でながら粉砕を続けること暫し、塊が小石程度の大きさとなると、同居人はその幾つかを素焼きの壺に放り込む。不思議なことに、中でべちゃりと粘着質な音がした。


 その意味は程なく判明する。銀色の何かが這い上がり、壺の壁面をべっとりと塗り潰してしまったからである。硬度を失った導魔銀を引き伸ばし、内部を被膜したということらしい。表面は鏡面のような仕上がりで、反射する青空の色彩が、あたかも水が満たされているような錯覚を与えている。


 この裏で、同居人は次の設備に着手している。粘土を焼き固めて、大きな素焼きのバスタブめいたものを作っているのだ。これは壁越しに、浴槽に隣接する位置に設けられた。配管を通じ、浴槽と湯を共有するための配置である。同居人は恐ろしく手が早い。既に穿孔は完了し、連続成形された素焼きの配管が上と下、二つに並んで開通している。


 バスタブが出来上がると、同居人は他の焼き物部品を手に取り、粛々と組み立てていく。最初に円柱状の部品が雑に置かれ、その側面、バスタブの上に突き出るように半分しかないアーチ状の部品が取り付けられる。先端には何かを取り付けるための窪みが設けられており、そこには先程修理された火炎魔導杖が嵌め込まれた。位置関係としては、バスタブの中に火炎魔導杖が突っ込まれる形で固定されることになる。


 内部被膜作業の済んだ壺は円柱状部品の上に据えられた。その固定作業が完了すると、壺の口から髪の毛のような銀糸が伸び、螺旋を描きながら壺の外面、円柱、アーチ部品に絡み付きながら、火炎魔導杖側の導魔銀端点に接続する。これで工程は一通り完了したのだろう。同居人がどやぁと平らな胸を張っているので、空気を呼んだピエトロがその頭を撫でてあげる。


 かくして、何かが出来上がったのだが、それが何かというと、レーニンにはよくわからない。装置構成からみて、壺から杖へ魔力を供給するものであろうことは容易に察しが付くが、どうして壺が壺の形状を必要とするのか、そこがよくわからない。


「で、これ何なんだ?」

「給湯装置なのです」

「そう聞いてるが、これでどう湯を沸かせと」

「フレネル神父を呼んで来たら実演して見せるのです。それまで待っていると良いでしょう」


 淡々とそう告げると、同居人はするりとこの場を抜け出す。特に素早いわけでもないのだが、制止する暇もなく離脱する妙技である。取り残された少年と護衛騎士は顔を見合わせる。


 それからややあって、同居人は顔の怖い神父と、ついでに、事務局の面々を連れてくる。事務局棟はさほど離れていないのだが、存外遅いお戻りであった。その理由は、同居人の抱えるものが物語る。


「にわとり?」


 戸惑う少年の声に、抱えられた生物はコケッ?と反応を返す。紛うことなく鶏である。市場に出かけた折、無為に買い集めてきたうちの一羽だが、同居人は牧場に駆けてこれを回収してきたらしい。


「前置きは良いでしょう。給湯装置ができたので、試運転を兼ねてその使用を実演するのです」


 増えた聴衆を前に淡々と宣言すると、同居人は件の装置に歩み寄る。すると、こぽこぽと水音がして、浴槽と、それと連結する素焼きのバスタブに水が流れ込む。給水塔と浴場は同居人謹製の焼き物配管で接続されている。その水栓を魔術で遠隔操作したのである。


 みるみるうちに水位は増し、バスタブに突っ込む格好で固定された火炎魔導杖が水に浸かる。その程度の水量があれば十分なのだろう。唐突に水音が止むと、同居人はずっと抱えたままの鶏を優しく撫でる。その最中、不意にばちりと大きな音が生じて、それが次なる手順に取り掛かる合図となった。


「さほど難しいことはありません。浴槽に水を張ったら、装置に燃料を投入するだけです」


 怜悧に言い放つと、同居人は痙攣する鶏を装置の一部、壺状部品の縁に押し当てる。次の瞬間、この小娘は何かの栓でも開くかのように、その首をぽんと引きちぎった。心臓は未だ動いているらしい。鼓動に合わせて吹き出る鮮血は、そのまま壺の中へと注がれる。


 ぶくぶくと泡の音が聞こえ始めたのは、この直後のことである。目を転じれば、火炎魔導杖の中心、大きな火石の結晶が力強く輝いて、立ち上る湯気を赤々と染めている。あの壺から魔力を供給されて、魔石干渉回路が駆動しているのである。「燃料」とはよく言ったものである。何を思って家畜の買い増しを続けていたのかと思えば、こんな目論見があったわけである。


「これはまた、随分と生々しい燃料ですね」

「締めたて、鮮度抜群なのです。今宵のおかずも一品増えるのです」

「それは、まあ、喜ばしいことですね」


 同居人と同じく感情を表に出さないフレネル神父だが、これには流石に思うところがあったらしい。その後ろに集う事務局の女性職員に至っては言わずもがな、暇を持て余して見物に来た近衛騎士隊要員ですら、ナチュラルに捧げられた生贄に引いている。


 それでも、同居人は揺るがない。脚を掴んで逆さ吊りにし、哀れな死骸から一通り血液を絞り出すと、同居人は唐突に水球を召喚して、中空に固定する。その正体が熱湯であると知れたのは、そこに死骸を叩き込んだ際に生じた、猛烈な湯気のためである。さっと湯通しを済ませると、同居人は死骸から淡々と羽を毟り取る。無駄に良い手際である。かくして、犠牲となった鶏はあっという間にただの鶏肉となった。


「魔術師って、みんなこんな感じなのか?」

「否定はしません」


 慄く少年に、やはり試運転を見物しに来ていたエリーがきっぱりと告げる。一見する限り、彼は平静そのものである。容姿はメイドだが、彼の本業は魔術師である。この種の景色にも耐性があるとみえる。


「血液は魔力の媒質であり、生物における主要な魔力貯蔵器官と位置付けられています。それを動力に用いるのは合理的な発想ではあります。あるのですが、流石にやり方が少々身も蓋もないような」


 もっとも、平静ではあっても冷静ではないのが真実らしい。同居人の作った妙な装置に、ついつい魔術師として論考を加えてしまう。その意味に気付くのが、少し遅れてしまった。


「ええと、やけに詳しいんだな」

「あっ。ええと、主人があのお方ですので」

「ああ、ああ、そういうことか」


 幸いだったのは、実に尤もらしい言い訳が近場にあったところだろうか。


「そうそう、そういうことなのです」


 ついでに、ご当人も堂々たる肯定を告げる。この同居人、天然のようでいて、自分がどのように思われているかに関しては存外きちんと把握できているらしい。実に面倒な手合いである。


「そうかそうか。それで、どうしてお前がこんなに近いんだ?」

「それはですね。鶏肉から内臓を取り除かないといけないので、エリーに押し付けようかと」


 淡々と思惑を説明しながら、既に同居人はぐいぐいとエリーに鶏肉を押し付けている。問答無用の構えである。これには苦笑い一つ、エリーも受け取らざるを得ない。


「自分でやろうとは思わないのか?」

「私はもう少しお風呂の様子を見なければならないのです。それとも、貴方は内臓が散乱していたり、仄かに鶏の出汁が効いたお風呂が好みなのですか?」

「なるほどわかった。やめてくれ」


 ついでに、隣の少年も黙らせる。


 状況が落ち着いたところで、エリーはそそくさと調理場へ向かう。何はともあれ、早々に臓物の始末をつけなければ美味しく鶏肉を食べられないからである。調達経緯はさておき、鶏肉それ自体に貴賤など存在しないのだ。そこを弁えた肉食系の事務局要員数名が手伝いを申し出て、同道する。


 その後姿を見送ると、同居人も俄かに動きを起こす。


「さて、我々も行くのです」


 淡々と宣言すると、同居人は強引に少年の手を引く。


「行くって、どこへ?」

「そこのお風呂へ、湯加減を確認するのです」

「俺が行く必要あるのか?」


 そう戸惑いを口にする少年だが、かといって、拒むわけでもない。彼は同居人の奇行を見物するためにここに居るのである。拒む理由がない。同居人に引かれるまま、彼は浴場へと連行されていく。フレネル神父を筆頭に、その他の観衆がこれに続いた。事務局員にとっては給湯装置の運用手順を確認するという実際的な側面もあるが、もう半分はやはり暇潰しなのである。若干ゴアな場面もあったが、この風変わりな装置の実力がどれほどのものであるかは関心の対象であるらしい。


 勿論、暇の塊であるところのレーニンも同様である。にゃーにゃーと力強く鳴いて、猫番を務める護衛騎士に追随を要求する。断固たる要求に、彼はすぐに折れた。苦笑い一つ、肩にしがみ付く三毛猫を両腕で抱え直すと、浴場の入り口で渋滞する一団の方へ歩み始める。


「お風呂と言うには何だかぶくぶく言ってるんだけど、大丈夫なのかな」


 その折、盛大に湯気を噴き上げる装置の様子にピエトロが懸念を示していたのだが、にゃーんと昂る三毛猫は、勿論そんな呟きなど聞いてはいなかった。



 * * * * *



 発端は、とある宿の主人が騎士団へ相談に来たことだった。


 曰く、その宿泊客、流れ者の傭兵の一団が荷物を置いて忽然と姿を消してしまったらしい。実にケチな連中である。代金は日払いで、現在、部屋は彼らの遺した荷物によって占拠されている状態にある。どうにか客の傭兵を見つけて今日の代金を払わせるか、荷物を持って行かせるかしたい。そうでなければ、遺失物として騎士団に荷物を預けたい。主人の要望は概ねそんなところである。


 昨晩の爆発騒ぎを受けて騎士団は厳戒態勢にあるが、だからといって、この種の平常業務を疎かにはできない。荷物の引き取りはやんわりとお断りしつつ、行方不明者としてその傭兵団の所在を捜すことになった。さしあたりは情報集めである。傭兵の人相を聞き取る他、遺留品から素性を探るため、衛兵が宿に派遣されることになった。大事の後なので人手は不足気味である。今朝、下水道でドブを浚ったばかりの面子の中から、運悪く見かけが元気そうと判断された数名が担当として駆り出された。


 遺留品は雑多なものだった。野営のための天幕。寝袋。食器。保存食料。酒や油の入った革袋。工具。槍などの長柄武具。刃物の手入れ道具。用途不明の端材もあった。目を惹く物は手記だろうか。言語はペルセリア語、今はライデール領となった東方で使われる言語である。他に、重い物が詰まった鉄の箱も見つかった。金庫である。中をこじ開けてみると詰まっていたのは低廉な銅貨ばかりだったが、量が量だけに、王国貨幣に換算すれば数百リーン銀貨分にはなる。馬鹿にできるものではない。


 違和感を覚えた衛兵達は、もう少し詳細に荷物を改めることにした。今度は逆の観点、傭兵が一体何を持って出て行ったのか探ろうとしたのだ。一見して足りないのは防具の類である。金属製の胴鎧がひとつあったが、十人は居たという傭兵と数が合わない。更に吟味してみると、武器も足りない。なまくらの両手剣一振りに数本のダガー、とげとげのメイスが見つかったが、やはり人数と平仄が合わない。この一団は武装の上、どこかに出かけたのである。そう結論するのが自然だった。


 これはもしかすると、思った以上に本格的な事件なのかもしれない。誰もがそう思い始めた頃、衛兵の一人があることに気付く。ダガーの柄、その底に簡素な文様が刻印されているのである。察するに、製造した鍛冶工房の紋章である。職人が自らの仕事の証を刻み込むのは特別なことではない。ついでに言えば、一種の製造元の表示ではあるが、その表記を網羅した目録があるわけでもないから、直ちに製造場所や調達経路を掴めるというものでもない。それでも、その衛兵は刻まれた文様に釘付けとなった。


 彼はその文様を知っていた。宿を訪れるより少し前、並木街の爆発現場で見つけた金属塊にこれと似た文様が刻まれていた。爆発の衝撃で破断していたが、思い返せば、あれは確かにダガーの柄ではなかったか。見るからに数打ち品の安物とはいえ、少々出来過ぎた偶然である。不審に思った彼は事の次第を詰所の上官に報告する。高度の事件性ありとして詰所の警務隊から騎士団本部の捜査部にこの案件が付託されるにあたって、文様の件も付記事項として伝達された。


 ──発端はどうということはない、小さな気付きである。些細だから、容易に見過ごされる。案件を受理した捜査部は忙しい。人心を動揺させる爆発事件の直後にあって、重要性の劣る事件に人手を割く余裕はないのだ。だからこそ、その真に意味するところが理解されるには、まだ幾らかの時間を要していた。


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