第一章 存在しない神社
あらすじ:【ミステリー+日本民俗+怪異+調査推理】
深夜零時、雨見市には、どの地図にも存在しない神社が現れる。参拝を終えれば、どんな願いも叶うという。ただしその願いは、願った者が最も受け入れ難い形で実現する。
奇怪な死が相次ぐなか、刑事の神崎と民俗学研究者の千鶴は、「夜行神社」と呼ばれる異様な存在を追い始める。
民俗の禁忌が明らかになるにつれ、すべての事件が一つの秘密へとつながっていることに二人は気づく。深夜に現れるのは本当に神社なのか。それとも、数百年にわたって生き続けてきた「願い」そのものなのか……。
「遺体の身元は確認できたか」
神崎は遺体のそばにしゃがみ込み、黙ったままだった。
遺体は廃駐車場の中央に倒れていた。目立った外傷も争った形跡もない。しかしその表情は、人生の最期にこの上なく恐ろしいものを目にしたかのように凍りついていた。死亡したのは三十五歳の会社員の男性だ。
「死因は、ひとまず心停止と見ていいでしょう」監察医が立ち上がりながら言った。
神崎は眉をひそめた。「遺体に外傷はないのか?」
「ありません」
「毒殺の可能性は?」
「それは解剖結果が出るまで分かりません」
そのとき、一人の若い警察官が足早に駆け寄ってきた。
「神崎警部、被害者のスマートフォンからデータを復元できました」
神崎は端末を受け取った。最後に残された動画の撮影時刻は、午前零時三分。
再生された映像は激しく揺れていた。被害者は早足で歩いているらしく、荒い息遣いが絶えず聞こえる。
「本当に……本当に現れた……」
カメラが上を向く。夜闇の中に、一社の神社がひっそりと建っていた。
神社はさほど大きくない。しかし不自然なほど完全な姿を保っていた。被害者の声が震え始める。
「本当にあった……夜行神社が……」
その瞬間、映像が激しくぶれた。
カメラは拝殿を捉えた。誰も触れていない鈴緒がひとりでに揺れ、澄んだ鈴の音が響く。次の瞬間、映像は途切れた。
……
会議室は静まり返っていた。
スクリーンには動画の最後の一コマが映し出されている。
最初に口を開いた者がいた。「合成映像じゃないのか?」
「編集の痕跡はありません」技術担当者が首を横に振った。
「GPSは?」
「遺体が発見された場所です」
別の刑事が思わず声を上げた。「だが、あそこには何もなかったぞ」
神崎は黙って写真を見つめた。今朝、自分の目で現場を確認している。そこにあったのは、長年放置された駐車場だけだった。神社どころか、石一つ見当たらなかった。
署長は眉間を揉んだ。「今月に入って、これで三件目だ」
三人の死に方は完全に一致していた。彼らに共通していたのは二点だけだ。
一つ目。全員が深夜零時を過ぎてから、同じ場所を訪れていた。
二つ目。全員が生前、ある名を口にしていた。【夜行神社】
署長は神崎を見た。「この事件は引き続き君に任せる。それから、会ってもらいたい人物がいる」
一冊の資料が神崎の前へ滑らされた。
神崎がファイルを開くと、そこにはこう記されていた。
【氏名:千鶴 職業:民俗学研究者】
備考欄には一文だけあった。千鶴は過去に、地方信仰に関わる七件の事件調査に参加している。
……
午後、神崎は大学の研究室を訪れた。書棚は神道、祭祀、地方史、民俗学関係の書籍でほとんど埋め尽くされていた。
一人の女性が机に向かい、資料を整理していた。
彼女は顔を上げた。「神崎さんですか? 千鶴です」
神崎はうなずくだけで挨拶を省き、タブレットを机に置いた。「これを見てくれ」
千鶴は動画を最初から最後まで見た。その間、表情は少しも変わらなかった。だが再生が終わると、真っ先にこう尋ねた。「遺体は鳥居の内側で見つかりましたか。それとも外側ですか?」
神崎は一瞬、言葉に詰まった。「どういう意味だ?」
「答えてください」
「外だ」
「なら、彼を殺したのは神社ではありません」千鶴は静かにタブレットを閉じた。
神崎は彼女を見据えた。「こんなものを信じているのか?」
「私が信じているのは、民俗です」
千鶴は書棚から一冊の地方史を抜き取り、ある頁を開いた。そこには色あせた文字で、こう記されていた。『子の刻に社現る。願う者、拝すべし。願い必ず成り、命必ず償う』
神崎は最後の言葉を見つめた。「命、必ず償う……」
「願いを叶えた者は、必ず代償を払わなければならない、という意味です」
神崎は首を横に振った。「古文書だけでは何の証明にもならない」
千鶴は反論せず、別の資料を取り出した。異なる年代に起きた同種の事件が記録されており、いずれも誰かが『夜行神社』のために命を落としていた。
神崎は素早く目を通し、ふと手を止めた。どの記録も最後の一頁だけが欠けている。まるで誰かが意図的に破り取ったかのようだった。
「最後の一頁は?」
千鶴は数秒黙ってから答えた。「存在しません」
「どういうことだ?」
「調査を担当した者は、誰一人として最後の一頁を書き終えられなかったからです」
研究室は突然、静寂に包まれた。
そのとき、神崎の携帯電話が鳴った。技術部門からだった。
受話口から切迫した声が飛び込んでくる。「神崎警部! 先ほど通報がありました。今朝のあの駐車場です。監視カメラに……神社が映っています」
神崎の顔色が変わった。「いつだ?」
「午後三時十七分です」
神崎は勢いよく顔を上げた。深夜にしか現れないはずの神社が、なぜ……昼間に現れた?




