街を守る秘密組織〈フリーデン〉
二〇五〇年、春――。
大都市『色神』の街路樹は、桜が満開だった。
淡い花びらが風に乗り、ゆっくりと空を舞う。
澄み切った青空の下、無数の飛行車が静かに行き交う。空中を滑るように進む車たちは、互いに距離を保ちながら整然と流れていた。
人が一歩踏み出せば、周囲の車両は自然に減速する。事故は“起こらないもの”として、この街からほとんど消え去っていた。
空中にはホログラム広告が咲き誇る。
企業ロゴやAIの案内が、桜の花びらと重なり合い、現実と虚構の境界を曖昧にしていた。
配達ドローンが規則的に飛び交い、荷物を正確に届ける。
清掃ロボットが路面を磨き、警備ドローンが無機質な視線で人々を見守る。
すべてが整いすぎた、穏やかな春の日。
――だからこそ。
ほんの小さな“乱れ”は、あまりにも目立った。
雪のような純白の髪に、白銀に煌めく瞳の少女――。
白雪ましろは、ひらひらと舞う桜の花びらの中、ほうきに跨り、風を切りながら疾風のごとく空を駆け抜けた。
彼女の肩には、小型の妖精型ロボット『イリス』が腰を下ろし、案内をしている。
「イリス、見つかった?」
「うん、ちょうど見つけた! 色神駅にいるよ!」
「オッケー! それじゃあ――」
ましろは姿勢を低くする。
「全速力で行くよ。振り落とされないでね」
「うん」
イリスはましろの肩にしっかりとしがみつく。
次の瞬間、一気に加速した。
周囲の風を切る音が響き、ましろの視線は真っ直ぐ前を見据えている。巧みな飛行技術で、空を行き交う飛行車やドローンを避けながら、猛スピードで色神駅へ向かった。
イリスはましろの肩に乗りながら、周りの飛行車や飛行バス、飛行タクシーやドローンを巧妙にハッキングし、衝突を未然に防ぐために素早く制御を行っていた。
制御ミスひとつで大事故につながる状況だったが、ましろはイリスを信じ、迷いなく前を見据えて突き進んだ。
ましろの飛行を目撃した人々は驚き、戸惑い、そして興奮していた。
飛行車の中で女性が目を見開き、中年男性は眉をひそめて空を見上げていた。高層ビルの縁にいた若者は、興奮した表情で目を輝かせた。
色神駅へ着くと、イリスは前方を指差しながら叫んだ。
「いた!」
ましろもその方向を見た。
そこには、赤いパワードスーツを身にまとった男が浮かんでいた。
男は無言で、右手をゆっくりと広げる。その仕草からは、自信と余裕、そして邪悪な意図が滲み出ていた。
次の瞬間、男の手のひらから、火花を散らしながら小型ミサイルが放たれた。
小型ミサイルは、赤い尾を引いて、駅ビルのガラス張りの壁めがけて一直線に飛翔した。
ビルの中で働く人々や、行き交う通勤客がその脅威に気づく間もなく、破壊と炎が迫りつつあった。
「させない!」
ましろは瞬時に右手をほうきから離し、スカートの中から素早くハンドガンを引き抜いた。器用にバランスを保ちながらハンドガンを構え、飛び行く小型ミサイルを視界の中央に捉えた。
わずかな誤差も許されない。
息を整え、瞬間的に引き金を引いた。
銃声が鋭く空を裂き、弾丸はミサイルの側面に正確に命中した。
直後、耳をつんざく爆発音と共に、閃光が空を引き裂き、黒煙が猛然と立ち上った。
「――ッ⁉」
近くにいた人々は何が起きたのかわからない様子だ。
一瞬の静寂の後、女性の悲鳴が響き渡り、広場の群衆は蜘蛛の子を散らすように四散し、慌ただしく逃げ出した。
抱きかかえた荷物を取り落とす者、子どもの手を引いて必死に駆け抜ける親、恐怖のあまりその場に崩れ落ちて動けなくなる者もいた。
人々の叫び声と足音が混ざり合い、広場は一瞬で混乱に陥った。
一方、男は空中でミサイルが爆発したことに戸惑っていた。
ましろはその隙を突き、ワイヤーガンに持ち替える。上空の男を狙い、即座にワイヤーを放った。
鋭いワイヤーが音もなく男の足首に絡みつくと、ましろはワイヤーガンを一気に振り下ろす。
空中から引き下ろされた男は、重力に抗うこともできず背中から地面に激突した。
その瞬間、鈍い衝撃音と共にコンクリートの地面が大きくひび割れ、細かい破片が四方に飛び散った。
男は一瞬動きを止めたが、その体からはなおもスーツの機械音が響き、完全には無力化されていなかった。
その間に、ましろは素早くワイヤーを切り離す。男が動き出す隙を与えないよう、ワイヤーガンの引き金を次々と引いた。
ワイヤーは正確に男の首、両手首、そして両足に絡みつき、その先端は鋭い音を立ててコンクリートに深々と突き刺さった。
それから、ましろは素早く周囲を確認した。
男との間、百メートル以内に人影は見当たらない。
街を管理する超AIが異常を即座に感知し、警備ロボットと見回りドローンが駅周辺の各通路に配備され、一般人を安全なルートへと誘導していた。
非常用アナウンスが複数のスピーカーから響き渡り、「落ち着いて避難してください」と繰り返す声が、パニック状態の群衆をわずかに沈静化させた。
ドローンは赤い誘導光を発しながら避難ルートを示し、警備ロボットは両手を広げて人々を押し進めるように動いていた。
人々の中には、スマホで撮影しようとしている者やライブ放送をしようとしている者がいた。
しかし、イリスは周囲の人々がスマホを掲げているのを確認すると、瞬時にその機能を妨害した。
「記録はさせないよ」
イリスは得意げに言い、妨害電波を放った。
ネット上で事件が拡散すれば、ましろたちの活動が表沙汰になる恐れがある。それは、さらなる混乱を引き起こしかねない。
イリスの妨害により、一般人のスマートデバイスはエラーを起こし、一時的に使えなくなった。
その後、駅前交番の警察官数名が急いで駆けつけてきた。
イリスは警視庁上層部の指示と偽り、彼らに避難誘導を命じた。
ましろは男の前に静かに降り立ち、ほうきを一瞬で手のひらサイズに縮小してポケットに収めた。
しばらくの間、男は地面に伏せたまま、起き上がることができずに必死にもがいていた。拘束されていることに気づくと、腕と脚を力任せに動かし始めた。身体を軋ませるような鋭い音と共に、地面に亀裂が走り、ついにはコンクリートごと引きちぎって立ち上がった。
その手でワイヤーを掴み、何度も激しく引っ張ると、金属が悲鳴を上げるような甲高い音を響かせ、断裂した。特製ワイヤーを軽々と破壊するその様子は、パワードスーツの異常な力を物語っていた。
「誰だ、お前……?」
男はましろに視線を向け、問いかけた。声には機械的なノイズが混ざり、言葉の端々がわずかに歪んでいた。マスク越しで、彼がどんな目つきをしているのかわからないが、殺気がひしひしと溢れ出ていた。
「お前が邪魔をしたのか?」
「止めなければ……多くの人が死んでた」
「それでいい。より多くの人間を殺す――それが俺の目的だ」
「……どうして、そんなことをするの?」
「この腐った国を正す……それが使命だ!」
男は低く震えるような声で呟き、次第にその声を荒げた。
「俺こそが、この国の救世主だ!」
男は両手を広げ、叫んだ。
「救世主を名乗るなら、罪なき人々を殺してもいいの?」
「罪ならある。監視された社会を変えようとしないことだ!」
「……あなた、ずっと一人で抱えてきたんだね」
ましろは少し間を置き、静かに語りかけた。その声には怒りや非難の色はなく、むしろ穏やかな響きがあった。
犯人を説得するときには、まず相手を理解する姿勢を見せることが効果的だと、ましろは知っていた。特に、こういった自分の行為に正義を見出している者には、否定ではなく共感が有効だ。
ましろは続けて言った。
「確かに、今の社会が理想的だとは、私も思わない」
「……お前、まさか俺たちの同志か?」
「……考えは、少し似てるかもしれない。だから――あなたの話、ちゃんと聞かせて」
ましろは一歩、男に近づいた。その歩みはゆっくりとしたものだったが、迷いのない毅然としたものだった。
男は視線を少し落とし、拳を握りしめた。
数秒間沈黙し、静かに呟く。
「そうか……わかった」
視線を鋭く上げ、ゆっくりと歩み寄り、ましろの前で立ち止まる。
差し出された右手は、一見すれば和解の意志を示すようにも見えた。
しかし、微かな殺気をましろは見逃さなかった。
男の右手は握手の位置を越え、ましろの顔前まで上がった。
男の指がましろを指した瞬間、その先端が機械音を立てて開いた。
「死ねっ!」
男が低く呟くや否や、発砲音のような鋭い音と共に弾丸が放たれた。
ましろは反射的に身を屈め、その弾道を紙一重で躱した。流れるように素早く男の右腕を両手で掴み、そのまま回転するように体重をかけた。
「はっ!」
重力と技術を組み合わせた力強い動作により、男の巨体を担ぎ上げると、一気に地面へ叩きつけた。
硬いコンクリートが粉砕音を立てて砕け、男のパワードスーツが火花を散らした。
ましろはすぐに後ろへ跳び、距離を取った。
そのとき、イリスが静かにましろの耳元へと舞い降り、囁いた。
「あいつ、スーツ内のAIと会話してるみたいだから、説得は難しいかも」
「そうみたいだね」
洗脳を解くには時間がかかる……でも、今はその猶予がない。
この時点で、ましろは説得を諦めた。
「――なら、やっぱりスーツの機能を止めるしかないね!」
「そうだね」
イリスも同意し、二人は鋭い眼差しで男を見据えた。
「少し離れてて……」
ましろが指示を出すと、イリスは即座に距離を取り、安全な場所から見守った。
男は当然のように無傷で立ち上がった。
「まさか、あれを避けるとは。お前、ただ者じゃないな?」
「あなた、殺気がだだ洩れ。避けるのは簡単だよ」
「そうか……」
男は納得したように呟き、ゆっくりと右腕を突き出した。先ほどと同じようにましろを指差すと、指先が開き、連続で三発の弾丸を放った。
ましろは全ての弾道を見切り、無駄のない最小限の動きで躱した。
「バカな⁉ どんな反射神経をしている⁉」
「言ったでしょ。そんな攻撃、何発撃っても当たらないから」
「ふん……じゃあ、これならどうだ?」
男は胸の前で腕を組み、力を込めながら前傾姿勢になった。機械音を響かせながら肩甲骨の四角い装備が飛び出し、中から小型ミサイル六発が発射された。
ミサイルは空中で急激に軌道を変え、ましろを狙い一斉に襲いかかった。
ましろはハンドガンを素早く構え、迷いなく発砲する。
乾いた銃声が六回鳴り響き、放たれた弾丸は正確にミサイルの胴体へと命中した。
爆発音と共に火花が散り、破片が空中に舞う。
弾切れを確認したましろは、一切の無駄なくマガジンを交換し、瞬時に次に備えた。
「そうか……さっきのミサイルも、それで撃ち落としたんだな?」
男はスーツの中で、狂気じみた歪んだ笑みを浮かべた。
ましろがどれだけ対応力を見せようとも、自分が完全に優位だという確信は揺らいでいないようだ。
「――弾は当たらず、ミサイルも撃ち落とされる……だが、俺の力を前にして、お前がどこまで耐えられるか、見ものだな!」
その声には確かな自信と、スーツの力に陶酔する危険な雰囲気が滲み出ていた。
男の背部から青白い炎が噴き出し、轟音と共に身体が宙へと浮き上がった。次の瞬間、猛烈な勢いで突撃する。
拳を固めた右手には異常なほどの力が宿り、その一撃が当たれば、ただでは済まないのは明らかだ。
ましろは冷静に体を捻り、迫る拳の風圧を感じながらギリギリで避けた。
だが、男の攻撃は止まらない。
繰り出される拳が地面や壁を砕きながら、ましろを容赦なく追い詰めていく。
ましろは男の攻撃を軽快に避けながら、逆に間合いを詰め、ハンドガンで急所を狙う。
それは見事な連携動作だったが、放たれた非殺傷弾は、男のパワードスーツの装甲に軽い音を立てて弾かれ、まるで鉄壁のように反射した。
ましろは一瞬眉をひそめ、冷静に銃口を下げた。非殺傷弾が効果を発揮しないことを悟り、ハンドガンをレッグホルスターに収めた。
しばらく息の詰まる攻防が続いた。
男がイライラしたように舌打ちし、大きく振り下ろした拳がましろの髪をかすめる。
ましろは軽やかに身を翻しながらその攻撃を避け、瞬時に男との間合いを詰めた。その動きはまるで雷光が走るかのように鋭く、素早かった。
男の胸に両手を当て、力を込める。
「はっ!」
その瞬間、周囲の空気が震え、爆ぜるような衝撃波が男の胸を貫いた。
男の動きが一瞬止まり、その隙にましろは、鋭い回し蹴りを彼の横顔に叩き込んだ。
男は勢いよく吹き飛び、駅前広間にある人型モニュメントに激突した。
その衝撃で、モニュメントが粉々に砕け散った。
「あっ……!」
ましろは思わず声を上げた。
「ましろちゃん……物壊すと、後でコマンデュールに怒られるよ」
「ごめん、つい……」
ましろは笑って誤魔化そうとしたが、現実は変えられない。
任務では極力周りの物を壊さないようにしなければならない。でなければ、後々誤魔化すのが大変になるからだ。
ましろははっと何かを閃いた。
「今のは私のせいじゃない。あの男が全部悪いんだよ!」
そう言い訳し、ましろは男を指差した。
イリスはじっとましろを見つめた。
沈黙。
ましろは気まずそうに視線を逸らし、額に冷や汗が滲んだ。
しばらくして、男はゆっくりと、無表情で立ち上がった。
その瞬間、ましろとイリスは表情を引き締め、男に視線を戻した。
ましろの攻撃は、常人であれば一撃で骨が粉砕されるほどの威力だ。
しかし、男の身体を覆うパワードスーツはそのすべてを無効化し、表面にわずかな傷すら残らなかった。それはただの装甲ではなく、異常な耐久性を持つ防御機構だ。
男は再び腕を組み、力を込めると、六発の小型ミサイルを一斉に発射した。
先ほどと同じように、小型ミサイルは上空に舞い上がり、ましろに狙いを定めて襲いかかった。
ましろは素早くレッグホルスターに手を伸ばし、ハンドガンを抜こうとした。
しかしその刹那、男が超スピードで迫り、ましろに拳を繰り出した。
男はパワードスーツの装甲なら、小型ミサイルに当たって爆発に巻き込まれても防げると判断したようだ。おそらく、スーツに搭載されたAIの助言だろう。
ましろは男の鋭い拳や蹴りを躱しながら、次々と襲いかかる小型ミサイルも巧みに避けた。
小型ミサイルは着弾しない限り爆発しない。だが、回避されるとすぐに方向転換し、ましろをしつこく追尾し続けた。
ましろは小型ミサイルの執拗な追尾を冷静に見極めながら、一発ずつ正確に撃ち落としていく。彼女の射撃技術に死角はなかった。
しかし、男の肩部ランチャーは、止まることなく新たなミサイルを次々と発射し続けた。
何度撃ち落としても減らないその数に、ましろは内心嫌気がさしながらも、足を止めることなく攻撃を躱し続けた。
次第にましろは、攻め入る隙を見つけられず、防戦一方に追い込まれていった。
「このままじゃ、いつまで経っても終わらない……!」
ましろがつい愚痴をこぼした、次の瞬間――。
突然一発の小型ミサイルが向きを変え、周囲の人々に向かって飛んでいった。
男の操作で狙いを変更したようだ。
ましろはすぐに気づき、男を睨みつけた。マスク越しに、男がニヤリと笑ったように見えた。
男が新たなミサイルを発射しようとしたが、ましろはその一瞬の隙を逃さず、ワイヤーガンを素早く引き抜き、即座に引き金を引いた。
ワイヤーは高速で伸び、正確に男の胴体と両腕を絡め取った。
男が引きちぎろうとする間もなく、ましろはそのワイヤーを力強く引き寄せた。
男は体勢を崩し、頭から勢いよくましろに向かって飛んだ。
ましろは迫る男の頭に鋭い踵落としを叩き込み、地面に激しく叩きつけた。
その衝撃で、男の体はコンクリートの地面にめり込んだ。
その隙に、ましろは一般人を狙った小型ミサイルを追いかけた。走りながらハンドガンを構え、正確な一発を放つ。
その鋭い一撃は、真っ直ぐにミサイルの中心を貫き、爆発音と共に残骸が空中で散った。
「ふぅ……」
ましろは短く息をついた。
その時――。
背筋を這い上がるような悪寒が、ましろを襲った。
視線を上げると、いつの間にか無数の小型ミサイルがましろの周囲を取り囲み、狙いを定めるように静止していた。
ましろは男を鋭く睨みつける。
「終わりだ……!」
男が低く告げると、数十発の小型ミサイルが一斉にましろへと襲いかかった。
逃げ場がなく、ましろはその場から一切動かなかった。
万事休す――誰もがそう思った。
しかし次の瞬間、小型ミサイルはましろに届く寸前、空中でぴたりと停止した。
「なに⁉」男は驚きの声を上げた。
「助かったよ、イリス」ましろは静かに呟いた。
「ごめん、少し時間がかかっちゃった」イリスは答えた。
ましろが粘り強く回避している間に、イリスはミサイルの通信を解析し、その制御権を完全に奪った。
「これ、お返しするね」
イリスはそう言い放ち、指先を軽く動かすと、ミサイルが一斉に男へと向きを変え、彼に向かって飛んでいった。
男は咄嗟に胸の前で腕を交差し、防御態勢を取った。
ミサイルは男に全弾命中し、爆風と共に猛烈な衝撃を引き起こした。
その爆風の衝撃で、周囲の人々は体勢を崩し、近くの窓ガラスは激しく割れた。
「あっ……!」イリスは思わず声を上げた。
「イリス……物壊すと、後でコマンデュールに叱られるよ」
「あははは、ごめんなさい」
周囲には濃密な爆煙が広がり、視界が完全に遮られた。
瓦礫の崩れる音や、焦げた金属の匂いが充満する。
ましろとイリスは警戒を緩めなかった。
やがて、煙の中からぼんやりとしたシルエットが浮かび上がり、視界が広がると、ふらつく男の姿が現れた。
さすがのパワードスーツもダメージを受けているようだが、男の体は無傷で、スーツは依然として機能を保っていた。
「まだ動けるの?」
ましろは呆れたように呟いた。
「でも、もう――」
ましろが続けて言おうとしたその瞬間――。
男はジェット噴射で生み出した驚異的なスピードで一気に距離を詰め、強烈な蹴りを繰り出した。
(動きが変わった⁉)
ましろは反射的に体を反らし、ギリギリで男の蹴りを躱した。
イリスも瞬時にその場を離れ、距離を取った。
男の動きは一変していた。
それまでの力任せな攻撃が、まるで熟練した武闘家のような鋭さを帯び、無駄のない動きへと変わった。隙のないステップと、予測困難な攻撃が次々と繰り出される。
イリスは瞬時に分析を行い、その原因を突き止めると、冷静にましろに伝えた。
「ましろちゃん、気をつけて。AIの自動操縦に切り替わってる!」
「そういうことか……」
ましろは納得したように頷き、容赦なく繰り出される男の連続攻撃を躱し続けた。
しかし、男の動きは、まるでましろの次の動きを先読みしているかのように精密で、攻撃の隙すら与えなかった。ましろがこれまでの戦いで見せた回避動作や間合いの取り方が、スーツのAIによって徹底的に分析されているのがわかる。
だが、ましろは男のわずかな隙を見逃さなかった。
鋭い一撃を躱したその刹那、ましろは男の懐に滑り込み、一瞬で数発の掌打を胸部に叩き込んだ。
パワードスーツの胸部には深い亀裂が走り、火花を散らすその様は、ショート寸前の機械そのものだった。
さらに、男がよろめいた隙に、ましろはこめかみに強烈な蹴りを叩き込む。
鋭い蹴りが直撃し、男が地面に崩れ落ちると、すかさずイリスが駆け寄る。
イリスは男の額に手を当て、即座にハッキングを開始した。
目を閉じ、体の周囲に微かな光のラインが走った。
スーツ内のAIが必死に抵抗を試みたが、イリスの高度なアルゴリズムによって、わずか数秒で突破された。
「システム制御、完了……」
イリスは静かに呟きながら目を開けた。
パワードスーツは完全に機能を停止し、沈黙した。
「ふう……これでもう大丈夫」イリスは額の汗を静かに拭った。
「お疲れ様」
ましろは労いの言葉をかけ、男に視線を向けた。一瞬、悲しげな表情が浮かび、すぐに冷静な表情に切り替えた。
「急いで回収するよ」
決着が着いた頃、現場にはすでにましろの仲間の掃除部隊が到着し、一般人の対応や後処理をしていた。
もみ消しには、迅速な対応が求められる。
ましろが所属する組織〈フリーデン〉——それは、日本国内の犯罪やテロを未然に防ぐための極秘の治安維持組織だ。
その存在は公には知られておらず、影から国家の平穏を守り続けている。
ましろは〈フリーデン〉に所属するエージェントで、コードネームは『ヴァイス』。
幼いころから組織に属し、並外れた能力で数々の事件を未然に防いできた。
大都市『色神』のとある場所――一般人は誰も知らず、近づくことすら許されない地に、〈フリーデン〉の本部がある。
本部には超AI『テュール』が存在し、犯罪の兆候を検知・分析してエージェントを支援している。
ましろはイリスと共に、捕らえた男を〈フリーデン〉本部へ連行した。
ロビーにいた仲間に適当に報告し、すぐに本部を立ち去ろうとしたが、突然背後から声をかけられた。
「ご苦労だったな、ヴァイス」
重厚感のある低い声がロビーに響き渡る。
周囲の仲間たちは背筋を伸ばす。
ロビーに現れたのは、灰色の髪に、顔に傷がある強面の男——彼こそが、〈フリーデン〉の指揮官だ。
ましろはゆっくりと振り返り、気まずそうに口を開いた。
「コマンデュール……」
イリスは空中で姿勢を整え、無言で丁寧にお辞儀をした。
指揮官は静かに歩み寄り、ましろの目の前で立ち止まった。
「報告はすでに受けている。よくやってくれた」
「ははは……ど、どうも……」
「だが――」
指揮官は鋭い眼差しでましろを見据え、冷徹に言い放った。
「派手に暴れ過ぎだ。もう少し、何とかならなかったのか?」
「いや~、標的が予想以上に手強くて……」
「誤魔化すのも、簡単じゃないんだぞ」
「……ごめんね」
静寂。
ロビーに緊張感が走る。
少し間を置き、指揮官は「はぁ……」と深くため息をついた。
「まあ、きみがいなければ、被害はもっと甚大だっただろう。その点を考慮して、今回は不問にする」
仲間たちは緊張の糸が切れたかのように、一斉に息をついた。
イリスはほっと胸を撫で下ろし、ましろは明るい表情を浮かべて安心したように言った。
「ほんと⁉ よかった! さすがコマンデュール!」
「気を抜くのはまだ早い。この男はただの駒だ。何者かに利用されたにすぎん。大元を早く見つけ、そいつを叩くまでは――」
「それなら、イリスがもう突き止めたよ!」
「……なにっ⁉」
「そいつもすぐに捕まえてくるから、少し待ってて」
そう言うと、ましろはイリスを肩に乗せ、二人は〈フリーデン〉本部を後にした。
皆が寝静まった未明――。
色神の街に佇むひとけのないビルの屋上に、ましろの姿があった。
ビルの屋上には強い風が吹き荒れ、ましろの輝く髪が激しくなびいていた。
ましろは片手にハンドガンを握りしめ、その風を受けながら、一キロほど先の廃ビルを鋭く見据えていた。
隣には、イリスが静かに宙に浮いていた。
「ましろちゃん、準備はいい?」イリスは言った。
「うん、いつでもいけるよ!」
イリスは両手を額に当て、目を凝らし、廃ビルの三階の部屋を覗き込んだ。
部屋にはやせ型の若い男がいた。
男は落ち着かない様子で、部屋の中を何度も往復していた。
この廃ビルは数年前から使われておらず、廃材があちこちに散乱し、割れた蛍光灯や窓ガラスが薄暗い光を反射していた。防犯カメラは無残にも壊れ、まるで時間が止まったような廃墟だった。
人の気配はまるでなく、悪事を働くにはうってつけの場所だった。
廃ビルの前には、小型の偵察ドローンが二台、静かに空中を巡回していた。静音性に優れ、黒い機体は風景に溶け込み、至近距離でなければ気づけない。
しばらくすると、イリスは視線を少し下げ、声を上げた。
「来た!」
ましろはすぐに目を向けた。
二人の視線の先に、黒い車が現れた。
車は廃ビルの前で停車し、中から黒いスーツを着た三人の男が降りてきた。
一人は四十代くらいの見た目で、背が低く丸い体格をしている。
後の二人は屈強な体格に黒いサングラスを掛けている。一人が背の低い男を警護するように動き、もう一人はスーツケースを握りしめていた。
男たちは廃ビルを見上げ、用心深く左右を確認すると、静かに中へ足を踏み入れた。
静まり返った内部に、足音だけがコツコツと響く。
男たちは階段を上がり、迷わず三階の部屋の前で立ち止まる。ノックをしたあと「は、はい!」という裏返った声を聞き、ドアをゆっくりと開けて中に入った。
「待たせたな」背の低い男は不気味な笑みを浮かべながら言った。
「い、いえ……」やせ型の男は答えた。
「約束通り、一人で来たようだな」
「はい」
「スマートデバイスは身につけてないな?」
「はい」
背の低い男はニヤリと笑った。
「合格だ」
そう言うと、背の低い男は振り向き、後ろに待機していた屈強な男に顎で指示を送った。
指示を受けた屈強な男は、持っていたスーツケースを背の低い男に渡し、すぐに下がった。
「ふっふっふっ……これできみも我らの同士だ。さあ、ともにこの腐った社会を破壊し、新たな国を築こう」
背の低い男はスーツケースをやせ型の男に差し出し、彼も手を伸ばしてそれを受け取ろうとしていた。
その瞬間――鋭い破砕音と共に窓ガラスが粉々に砕け散り、ましろが突入した。
「――ッ⁉」
その場にいた男たちは、ましろの突入に驚き、口をあんぐりと開けた。
少し前——。
ましろはやせ型の男がビルに入ったのを確認すると、行動を開始した。ポケットから手のひらサイズの円柱型機器を取り出し、ボタンを押すと、それはグンッと勢いよく伸び、ほうき状になった。飛行するほうきだ。
ましろは起動したほうきに腰を下ろし、イリスがふわりと肩に乗ると、廃ビルに向かって一直線に飛んだ。
廃ビルまで残り五十メートルのところで、ましろは目を凝らした。
イリスの言っていた通り、二台の偵察ドローンが周辺を浮遊しているのが見えた。
ましろはハンドガンで狙いを定め、素早く二発放った。
弾丸は正確に命中し、二台のドローンは機能を停止して落ちていった。
「イリスは外で待機ね」
「了解」
イリスはましろの肩から飛び立ち、外で待機した。
ましろはほうきに立ち乗りし、巧みにバランスを保ちながら、勢いよく廃ビル三階の窓ガラスに向かって突き進んだ。目の前に迫ると、ほうきを足場にして跳び、蹴りで窓ガラスを突き破る。その勢いのまま、廃ビル三階の部屋に飛び込んだ。
ましろが突入した瞬間、四人の男たちは一斉に息を呑んだ。
背の低い男は思わずスーツケースから手を離し、それが床を滑った。
一方、屈強な男二人はすぐに事態を察し、無言で胸元に手を伸ばした。素早く銃を引き抜くと、即座にましろに銃口を向け、迷わず数発の弾丸を放った。
ましろは身を低くしながら横に跳ね、放たれた弾丸を巧みに躱すと、流れるような動きで屈強な男二人へと銃口を向け、間髪入れず二発放った。
ましろの放った非殺傷弾は、二人の眉間を正確に撃ち抜いた。
屈強な男たちは同時に気を失い、地面へと崩れ落ちた。
次に、ましろは背の低い男を狙い、素早く視線を向けた。
しかし、男と目が合った瞬間、ましろは動きを止め、鋭い目つきで睨みつけた。
背の低い男は目を見開き、至近距離でましろの額に銃口をぴたりと合わせていた。
息を呑むような静寂が広がる。
それでも、ましろは一切の動揺を見せなかった。
「死ね!」
背の低い男は冷笑を浮かべながら、引き金を引いた。
弾丸が放たれた瞬間、ましろはその軌道を鋭く見切り、反射的に半歩身を引き、紙一重で躱した。
「なに⁉」
男が驚愕する間もなく、ましろは素早くハンドガンを構え、彼の眉間に非殺傷弾を撃ち込んだ。
背の低い男も屈強な男たちと同じく、気を失って地面に崩れ落ちた。
一方、やせ型の男は腰を抜かし、床に手をついたまま狼狽していた。
ましろは一瞬ハンドガンを構えたが、すぐにその腕を下ろし、冷徹な眼差しをやせ型の男に向けた。静かに歩み寄り、首筋に素早く手刀を打ち込むと、男は力なくその場に崩れ落ちた。
一段落つくと、イリスがましろのそばに飛んできて、労いの言葉をかけた。
「ましろちゃん、お疲れ様」
ましろはハンドガンをレッグホルスターに収め、ワイヤーガンを手に取った。
ワイヤーガンを気絶した四人に放ち、彼らを拘束した。
「イリス、この四人の素性を調べて」
「了解」
イリスは拘束された四人を横一列に並べ始めた。
一人ずつ首根っこを掴み、雑に引きずって並べた。小さな体で懸命に動くその姿は、どこか微笑ましい。
四人を並べ終えると、イリスは順に上から下へ視線を動かし、彼らの顔や体格のデータから個人情報を調べ始めた。
その間、ましろはスーツケースを開けた。
中身は金属的な光沢を放つ赤色のパワードスーツだった。昼に戦闘した男が装着していたものと同型のパワードスーツだった。戦闘用に特化したデザインが際立っている。
このパワードスーツは、違法に製造されたものだ。
半年ほど前、パワードスーツの開発企業が何者かにハッキングされ、開発データが盗まれたという事件があった。
それ以降、しばらく動きはなかったが、先日、違法に製造されたパワードスーツを配っている者がいるという情報をイリスが入手した。
それで、ましろは今回の任務に当たっていた。
イリスは男たちのデータ照合を終えると、「よし!」と満足げに頷き、ましろのそばにふわりと舞い上がった。
「データは全部送ったよ」
その報告を受け、ましろはほっと息をつき、肩の力を抜いた。
「これで任務完了だね。あとは回収班に任せよう」
「うん!」
イリスは頷き、ましろの肩に乗った。
ましろたちがその場を立ち去ろうとした瞬間、背の低い男が「う、うう……」と意識を取り戻した。
男はゆっくりと目を開き、顔を上げ、ましろたちを見た。
「きっ、きさまら……まさか、〈フリーデン〉か⁉」
その言葉を聞いた瞬間、ましろは素早くハンドガンを抜き、銃口を向けた。
その様子を見て、男は確信したように高笑った。
「ふっ、ふはははは……! やはりそうか! 都市伝説かと思っていたが、どうやら本物のようだな!」
「その名……どこで知ったの?」
ましろは冷徹に尋ねた。その目には鋭さが宿っていた。
しかし、男は答えず、薄く笑みを浮かべるだけだった。その表情には、秘密を握った者だけが持つ不気味な余裕が滲んでいた。
ましろは深く息をつき、冷ややかな目を男に向けた。
「まあいい。どうせ、すぐに忘れるから」
「ふふ……俺を殺したとしても、同志たちが――」
男が言い終わる前に、ましろは迷わず引き金を引き、残弾全てを容赦なく撃ち込んだ。
一発、二発、三発……冷酷なまでに容赦なく撃ち込み、弾倉が空になると静かに銃を下ろした。
男は死んでいないが、激痛を伴う弾丸を連続して浴び、完全に意識を失って倒れ込んだ。
ましろがハンドガンをレッグホルスターに収めたその時、〈フリーデン〉の回収班が到着し、続々と部屋の中に入ってきた。
その中の一人がましろに歩み寄り、軽く敬礼してから声をかけた。
「お疲れ様でした、ヴァイスさん」
「お疲れ様……それじゃあ、後はお願い」
「はい」
ましろは向き直り、窓に向かって歩いた。
窓の外にはほうきが静かに待機していた。
ましろはほうきに腰を下ろし、夜の闇に溶け込むように飛び去っていった。
月明かりに照らされたその姿は、瞬く間に見えなくなった。




