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プロローグ

 二〇三五年、春。

 白雪家には穏やかな時間が流れていた。

ベビーベッドの中では、生まれて間もないましろが静かな寝息を立てている。

母はそっとましろの頬を撫でた。

「将来はどんな子になるかしら」

「元気でいてくれれば、それでいいさ」

 父は優しく笑った。

父は研究者、母はエージェント。

二人は国の治安を守る秘密組織〈フリーデン〉の一員だった。

危険な仕事に関わることも少なくない。

だからこそ願っていた。

この子だけは平和で、幸せな人生を歩んでほしいと。

その瞬間――。

突然、部屋の明かりが落ちた。

玄関のロックが強制解除され、ドアが開いた。

母の表情が変わる。

父も異変を察した。

 異様な気配が、リビングへ近づいて来る。

 現れたのは、道化の仮面をかぶった人物だった。

手にはナイフ。全身から底知れない殺気を放っている。

暗闇の中、母の顔から血の気が引く。

「その殺気……まさか、殺し屋……!」

 道化は何も答えない。

だが、それだけで十分だった。

母は瞬時に刀を抜く。

「ましろをお願い!」

「分かった!」

父はベビーベッドへ駆け寄った。

次の瞬間。

道化の姿が掻き消える。

「なっ――」

気づけば、母の目前にいた。

キィン――ッ!

ナイフと刀が激しくぶつかり合う。

母は咄嗟に刃を受け止め、そのまま鋭い斬撃を繰り出した。

道化は身を捻って躱し、ナイフで反撃する。

火花が散る中、互いに一歩も譲らない――その実力は互角だった。

その時だった。

ましろが目を覚ます。

突然の気配と金属音に驚き、大声で泣き出した。

その泣き声を聞き、仮面の奥で口元がわずかに吊り上がった。

道化はベビーベッドへ向かって駆け出した。

「やめろっ!」

母は反射的に飛び出し、ましろを庇うように立ち塞がる。

その刹那。

道化の軌道が変わる。

それは最初から仕組まれた誘いだった。

母の意識がましろへ向いた一瞬の隙を突き、ナイフが閃く。

「がっ……!」

母の胸が深く切り裂かれた。

道化の狙いは、最初から母だった。

「うぉおおおお!」

 母が倒れるのを見た父は、ましろを守ろうと身を投げ出した。

 道化は強烈な蹴りを叩き込んだ。

父の身体が吹き飛び、壁へ激突する。

骨が砕ける音が響いた。

「ぐっ……!」

頭部から血が流れ落ちる。

二人は、もはや立ち上がれない。

 道化は二人を一瞥すると、静かに踵を返した。

だが――。

 母は震える腕で刀を握り締める。

最後の力を振り絞り、渾身の一撃を放った。

刃は道化の肩を浅く斬り裂く。

道化は足を止め、ゆっくりと振り返った。

冷たい視線を母へ向ける。

とどめを刺そうとした瞬間。

遠くから接近する複数の気配――〈フリーデン〉の増援を察知した。

「仲間がやってくるか」

 道化は再び母を見据え、低く呟いた。

「まあいい。任務は達成した。これ以上、戦う意味はない」

道化は踵を返し、そのまま夜の闇へ消えた。

部屋にはましろの泣き声だけが響き渡る。

電源が回復し、部屋の灯りがついた。

「う……」

父は最後の力を振り絞り、近くの端末を起動した。

「……イリス……」

淡い光が集まり、少女のホログラムが現れた。

人工知能――イリスだった。

『起動しました』

「ましろを……守ってくれ……」

『了承しました』

イリスはベビーベッドへ近づく。

『保護対象を確認』

 優しい音楽を流し、ましろをなだめた。

 やがてましろは泣き止み、ゆっくりと眠った。

父は安堵したように微笑む。

「幸せに……生きてほしい……」

『最優先任務として登録します』

それを聞いた父は静かに目を閉じた。

間もなく、フリーデンの仲間たちが駆けつける。

彼らが見つけたのは、命を落とした二人と――無事に守り抜かれた一人の赤ん坊だった。

白雪ましろ。

そして十五年後――。

かつて守られるだけだった少女は、一人のエージェントとして戦いの世界へ足を踏み入れる。



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