第二十一話 夢の門を買う方法と、謝罪の順番
病院の天井は、異世界の空よりずっと低い。
白い蛍光灯が、規則正しい機械音と一緒に俺の意識を現実へ押し戻してくる。点滴のチューブが腕に繋がっていて、消毒液の匂いが鼻の奥に刺さった。
――戻ってきた。
戻ってきたのに、胸の奥がずっと落ち着かない。
俺は掌を開く。
薄い紋様。丸と線と点が絡む、あの“記号”がまだ残っている。
そして手首の腕時計。秒針が、ちゃんと動いている。
夢じゃない。あれは「ただの夢」じゃない。
隣の椅子に座っていた大翔が、俺の顔を覗き込んだ。
「透、顔色まだ悪い。無理すんなよ」
大翔は一人称を「僕」と言う。ゲームでも現実でも変わらないらしい。本人曰く「一人称なんてどうでもいいだろ」だが、どうでもよくない。人は一人称で信用を失う。
「無理してねえ。……ただ、焦ってる」
「それは分かる。僕も焦ってる」
大翔は目の下のクマを指で押した。
「透、四日だ。四日寝てた。学校も、幼馴染も、天使も、何が起きてるか分からない。だから焦るのは正しい。けど、今焦って動いて失敗したら、次がない」
正論だった。
正論だから腹が立つ。
「……分かってる」
俺は腕時計を見つめる。裏蓋の縁に浮いている極小の刻印――「翔」。
神谷翔。
夢世界の神殿責任者の名前。俺の父親の名前。
その二つが同じである以上、あの夢世界は“誰かの遊び”じゃなく、何かの仕掛けだ。俺を試すための。
そして俺は、勝って抜けた。
勝ったからこそ、今度は俺が主導権を取り返す番だ。
――なのに。
脳裏にずっと残っている顔がある。
銀髪の先輩。ユキ。
白とピンクの髪の後輩。サクラ。
俺は、あいつらに何も言わずに消えた。
勝手にいなくなって、勝手に現実に戻ってきた。
挙句に、あの世界の中心にいるエリシアに顔を覚えられて、戦って、交渉までして――。
もしこの先、現実側の事情で俺の正体がバレたら?
サクラとユキに何も言わずに消えた上に、原因まで持ち帰ったアホとして永遠に語り継がれる。
……いや、語り継がれるならまだいい。
あいつらが取り残されたままなら、俺は一生言い訳できない。
「大翔」
「ん?」
「決めた」
俺の声は、思ったより落ち着いていた。
「夢世界に戻る。サクラとユキに謝る。それから――エリシアを味方側に引き込む」
大翔は一瞬黙ってから、頷いた。
「僕もそう思ってた。……で、戻り方は?」
「そこだ」
夢世界は町一つ分しか再現できない。文字は再現できない。合意があれば出られないのがデフォルト。許可制の結界。
つまり、正面突破は無理だ。
許可を握る奴を味方にするか、許可そのものをすり抜ける手段が必要。
俺は息を吐いた。
「クラウドファンディングをやる」
大翔が目を丸くした。
「いきなり現代の武器使ってきた」
「現代は現代で戦う。……ただし表に出るのは、俺じゃなくお前だ」
「僕?」
「俺が前に出たら色々終わる」
俺の能力は「無能力者だと思われるほど強くなる」。逆に疑われるほど弱くなる。
夢世界を暴露して、救出プロジェクトの中心に立って、目立って、注目を浴びたら――その瞬間から俺の能力は削れていく。
しかも最悪なのは、エリシアが綾香みたいな“男子も鑑定できる”側と手を組んだ場合だ。
綾香は能力ログを検索できる。男性は鑑定不能が基本だが、俺だけ“読み込み中”みたいな異常が出る。そこを突かれたら詰む。
だから、俺は表に立たない。
俺がやるのは裏方。扉を作る。許可の穴を広げる。夢と現実を繋ぐ。
大翔が顎に手を当てた。
「なるほど……。僕が表で釣って、透が裏で仕留める?」
「釣り言うな」
「でも実際、釣りになる。絶対スパイも来る」
「来る」
断言できる。
夢世界を作れる能力者がいるなら、それを動かしている勢力もいる。そこが俺の募集を見逃すわけがない。
でも――来るなら来い。
こっちも、欲しいものがある。
夢世界に干渉できる能力。
夢世界と現実を繋ぐ扉。
そのために、協力できる能力者を集める。
「僕の能力で“手順書”も作れる」
大翔が小声で言った。
「クラファンの立ち上げ、拡散、連絡窓口、応募者の選別。全部、目的を一つに絞れば手順が出るはずだ。……ただし、僕が心の底からやりたいと思わないと出ない」
「やりたいだろ」
「やりたい。僕、友達と遊ぶ約束したから。約束守りたい」
大翔はまっすぐ言って、そして照れくさそうに目を逸らした。
「……そのためなら、僕は何でもする」
その言葉に、俺の胸の奥が少しだけ軽くなった。
こいつは信用できる。
少なくとも、目的がシンプルすぎて裏切りに向いてない。
「じゃあやるぞ。……病室で」
「看護師さんに怒られる」
「怒られたら反省室三十分だと思え」
「その罰、透にとって経験値じゃん」
「うるせえ」
その日の夜。
大翔のスマホで、クラウドファンディングのページが立ち上がった。
タイトルは大翔が考えた。
『夢世界救出プロジェクト:閉じ込められた人を現実に戻す』
胡散臭い。胡散臭すぎる。
俺が眉をひそめると、大翔は真顔で言った。
「胡散臭い方が拡散される。真面目すぎると埋もれる」
「お前、ネットの闇に適応するな」
「僕はMMOやってたから」
「それ免罪符にならねえよ」
概要欄には、夢世界の仕様を“証言”として書いた。
・町一つ分の現実コピー
・文字だけ再現できない(文字に触れると認知が滑る)
・合意があると退出がロックされる
・夢世界内でも能力は使用できる
・救出のため、協力可能な能力者を募集(匿名可)
・資金は検証と救出のための機材・医療費・運用に使用
そして一番大事な一文。
『※このページの目的は資金よりも協力者募集です。特定の能力(“扉”“接続”“解除”“転移”)を持つ方は、優先的に連絡をください』
最後に、大翔が一言足した。
『釣りだと思うなら、釣りでいい。僕は友達を取り戻す』
大翔の名前は出さない。代表者名は匿名。連絡先は専用アドレス。SNSは新規アカウント。
俺は眺めながら、息を吐いた。
「……これで来るか」
「来る。良くも悪くも」
大翔は投稿ボタンを押した。
世界に投げた。
その瞬間から、俺たちは“網”を広げたことになる。
善意も、悪意も、全部引っかかる網。
コメント欄がすぐ荒れた。
『釣り乙』
『夢の中の話を現実だと言い張るな』
『中二病もほどほどに』
『証拠出せ』
『天使少女の件と関係ある?』
『これ普通に犯罪じゃね?』
大翔は眉一つ動かさずに、淡々と返信した。
『証拠は出せない。文字が使えないから』
『信じないなら帰っていい。僕は協力者だけ欲しい』
煽ってる。絶妙に煽ってる。
「お前、喧嘩上手いな」
「ゲームで鍛えた」
「それも免罪符にならねえって」
しかし、荒れるのは悪いことじゃない。
閲覧数が伸びる。拡散される。目に触れる。
そして――釣れる。
翌朝、応募が来た。
十件、二十件。大半は冷やかし、妄想、詐欺、あるいは“何かの勧誘”。
その中に、ひときわ簡潔な文面が混じっていた。
『扉を作れます。対象のいる場所に繋がる扉。1日1つ、実体化は1時間まで。証拠を見せます。条件があります』
俺と大翔は同時に画面を覗き込んだ。
「……それっぽいの来たな」
「来た。透、来たよ」
大翔の声が少し震えていた。
俺は深呼吸して言った。
「条件って何だ」
返信はすぐ来た。
『対象を強くイメージできること。対象の“痕跡”が必要。写真、匂い、持ち物、髪の毛、どれでもいい。強いほど精度が上がる』
痕跡。
夢世界の住人には、現実の痕跡がない。
普通なら詰みだ。
だが――俺にはある。
掌の紋様。
腕時計の刻印。
それに、俺は夢世界で“触れた”。袖に触れた。手を掴まれた。反省室に放り込まれた。恐怖と匂いと声を覚えてる。
イメージは、強すぎるほどだ。
「……いける」
俺が呟くと、大翔も頷いた。
「会おう。僕が行く」
「いや、俺も行く」
「透、退院できてない」
「点滴抜けば歩ける」
「看護師さんに殺される」
「夢世界の魔物より怖いのやめろ」
結局、大翔が“手順書”を使った。
『退院前の患者を病院から出す方法(合法)』なんて目的では出ない。目的が不純すぎる。
代わりに『協力者と会うために必要な最短の手順』。
それで導き出された答えは――「面会時間に病院内のカフェで会う」だった。
合法。最短。賢い。
その日の夕方、病院の一階カフェ。
現れたのは、黒髪の女性だった。年は二十歳前後。制服ではないが、学生っぽい雰囲気。目が鋭くて、無駄がない。
「……プロジェクト代表はあなた?」
女性は大翔を見て言った。
大翔が自然に笑う。
「僕です。……と言っても、僕は窓口。中心人物じゃない」
上手い。中心人物じゃない、と先に言っておくのは大事だ。
俺は黙って隣に座った。病院のパジャマに見えないよう上着を羽織っているが、顔色は誤魔化せない。
女性が俺を見て、眉をひそめた。
「寝てた人?」
「そう」
大翔が答えた。
「僕の友達です。……この人を助けたい。それが僕の目的」
女性は小さく息を吐いた。
「……分かった。私は門倉です。名前は玲音。能力は文面の通り。“対象に繋がる扉”を一日一つ、一時間だけ実体化できる」
玲音は指先で、テーブルの上に小さな円を描いた。
「扉は現実に作る。中に入れば対象のいる場所に繋がる。対象が“現実のどこか”なら普通の移動。対象が“現実じゃない場所”なら……接続は不安定になる。戻れる保証はない」
戻れる保証がない。
その言葉が胸に刺さった。
だが、俺は頷いた。
「戻る。戻らないと意味がない」
玲音は俺を観察するように見てから、言った。
「条件。対象の痕跡。あなた、あるの?」
俺は掌を見せた。
薄い紋様。
玲音の瞳がわずかに揺れた。
「……それ、何」
「俺にも分からない。……でも“向こう”で残った」
玲音は数秒黙り、それから小さく頷いた。
「十分。強い。……じゃあ証拠見せる」
玲音は小さく息を吸い、目を閉じた。
空気がひやりとする。
次の瞬間、カフェの隅――誰も座っていない席の横に、木製の扉が出現した。
ありえない。
現実に、突然“扉”が生まれた。
玲音が目を開ける。
「一時間。この扉の向こうに“対象”がいる。行く?」
大翔が俺を見る。
「透。行くなら、今」
俺は頷いた。
「行く」
玲音が釘を刺す。
「扉は一時間で消える。消えたら、こちら側からは引っ張れない」
つまり、迷ったら死ぬ。
俺は腕時計を握りしめた。
秒針が、カチカチと鳴る。
大翔が息を吸い、言った。
「僕も行く」
「お前は現実側で……」
「行く。僕の目的は透を取り戻すことだ。透が行くなら、僕も行く」
大翔は迷いなく言い切った。
その顔を見て、俺は諦めた。
「……じゃあ、絶対離れんな」
「分かってる。僕、手順書で“死なない方法”も探すから」
「それはそれで嫌なフラグ立てるな」
玲音が扉を見つめる。
「……じゃあ入るよ。対象はあなたの“記憶の中心”にいる人で繋いだ。ブレたら落ちる」
俺の記憶の中心。
浮かぶのは、金髪のシスター天使の笑顔だった。
エリシア。
優しい顔で反省室に放り込む門番。
俺は扉に手をかけた。
現実の木の感触がするのに、向こう側から冷たい石の匂いが流れてくる。
扉を開けた瞬間、視界が裏返った。
石畳。
冷たい空気。
そして――文字のない世界の、音の少ないざわめき。
戻ってきた。
俺は咄嗟に自分の手を見る。
紋様は、まだある。
腕時計も、ある。
大翔も、玲音も、隣に立っていた。
「……うわ、ほんとに“向こう”だ」
大翔が呆れたように言った。
「僕、今でも信じ切れてないのに、景色が説得してくる」
玲音は周囲を見回して、小さく舌打ちした。
「……文字、ない。これ、やばい。ほんとに世界のコピーじゃん」
俺は息を吐いた。
「時間がない。まず謝る」
俺は走った。
神殿へ向かう道を覚えている。ユキが案内した寮の位置も、サクラが待っていた森の入口も。
途中、制服姿の天使少女たちが俺を見てざわめいたが、構っていられない。
寮の近く。
銀髪のユキが、ちょうど水桶を運んでいた。
俺を見た瞬間、ユキの目が大きく見開かれる。
「……透?」
その声が、胸に刺さった。
俺は立ち止まって、頭を下げた。
「……ごめん」
ユキの指が、水桶の縁を強く握る。
「どこへ行っていたのですか」
怒ってる。静かに。冷たく。
俺は誤魔化さなかった。
「……勝手に消えた。言い訳できない。謝りに来た」
その瞬間、横から声が飛んだ。
「ユキセンパイ! その人ですか!? 勝手に消えた人!」
白とピンクの髪――サクラが飛び出してきた。
目が赤い。泣いた跡。
俺は喉が詰まった。
「……サクラも、ごめん」
「ごめんで済むと思ってるんですか!」
サクラが詰め寄ってくる。
「私、ずっと……! ずっと、ここで、待ってたのに!」
胸が痛い。
俺は頭を下げたまま言った。
「……俺は現実に戻った。夢世界だった。……戻った先で、倒れて、四日寝てた」
サクラが固まる。
ユキの目が細くなる。
「夢世界……?」
俺は早口で説明した。町サイズの現実コピー。文字がない欠陥。合意ロック。許可制。神殿。エリシア。外側結界。
大翔と玲音も名乗った。
「僕は真宮寺大翔。透の友達」
「門倉玲音。扉を作れる。……一時間だけ」
ユキが玲音を見て言った。
「……扉が、外に繋がるのですか」
「繋がる。対象がブレなければ」
サクラが唇を噛む。
「じゃあ……じゃあ私たちも帰れる?」
俺は頷いた。
「帰れる可能性がある。……でも、その前にやることがある」
ユキが静かに言った。
「エリシア、ですね」
「そう」
俺は拳を握った。
「エリシアが綾香みたいな“男子も鑑定できる”側と手を組んだら、俺は詰む。……だから、味方にする。最低でも中立にする」
サクラが眉をひそめる。
「綾香って誰」
「現実側の強い能力者。……説明はあと。今は時間がない」
玲音が腕時計を指差す。
「あと五十分。移動と交渉で終わるよ」
俺は頷き、神殿へ向かった。
神殿裏の回廊。
エリシアは、そこにいた。
相変わらず祈るように手を合わせ、声のない祈りをしている。
俺が近づくと、彼女は振り向いて微笑んだ。
「まあ。透さん」
視線が大翔、玲音、サクラ、ユキに流れる。
「……お友達が増えましたね」
俺は一歩前に出て、言った。
「勝手に消えてごめん。……それと、頼みがある」
「聞きましょう」
「味方になってほしい」
エリシアは瞬きをした。
「理由は?」
俺は正直に言った。
「エリシアが現実側と繋がったら、俺は詰む可能性がある。……特に“男子も鑑定できる能力者”と手を組まれたら終わりだ」
エリシアの目が少し細くなる。
「透さんは、秘密が多いですね」
「……俺は、秘密がある方が生き残れる」
エリシアはにこっと笑う。
「では、なぜ私が透さんの味方をする必要があるのですか。私はここで十分です。神が与えた土地です。捨てる理由がありません」
来た。いつもの反論。
俺は首を振った。
「捨てろとは言わない。繋ぐ」
俺は玲音を示した。
「現実側には“扉”を作れる能力者がいる。一日一個、一時間。……これを恒久化できれば、みんなが好きに出入りできる」
エリシアは玲音を見て、静かに言った。
「……扉の力。魅力的ですね」
その言葉に、俺の背中が冷えた。
エリシアが“外”に興味を持ったら、外の誰かもエリシアに興味を持つ。
興味は観測になり、観測は疑いになり、疑いは俺の力を削る。
だからこそ、交渉は“制御”が必要だ。
俺は畳みかけた。
「条件がある。エリシア、現実側の誰とも直接組むな。少なくとも“男子鑑定者”とは繋がるな」
エリシアは困ったように笑った。
「透さん。命令ですか?」
「お願いだ」
俺は頭を下げた。
「俺が悪かった。勝手に消えた。……だから今、責任を取る。扉を作る。ここを捨てなくてもいい。けど、閉じ込められるのは終わらせたい」
静寂。
サクラが息を止めているのが分かった。
ユキの目が揺れている。
大翔が小さく言った。
「僕も同じ。透だけじゃない。ここに閉じ込められた人、助けたい」
玲音も言う。
「私は損得で動くタイプだけど……閉じ込める仕様は嫌い。扉があるなら、開けたくなる」
エリシアは少しだけ目を伏せ、それから微笑んだ。
「……仕方ありませんね」
その言い方は、二十話で聞いた。
だが今回は続きが違った。
「透さんが私に勝ったのは事実です。約束も守るべきでしょう」
エリシアはゆっくり言う。
「ただし、条件があります」
来た。
条件がなければエリシアじゃない。
「私の監督下で行ってください。神殿を通す“許可”は私が管理します。扉の向こうであなたが何をするか――私は見届けます」
監督。
つまり首輪。
でも、首輪がある方が安全な時もある。
俺は頷いた。
「……分かった」
エリシアが、にこっと笑う。
「それから透さん。勝手に消えた罰は――」
「反省室とか言うな」
「延長です」
「言いやがった!」
サクラが思わず吹き出した。
ユキも口元を押さえる。
大翔が小声で言う。
「透、これ味方化っていうより飼育じゃない?」
「うるせえ。今はそれでいい」
玲音が腕時計を見た。
「あと二十分。帰るならそろそろ」
俺はサクラとユキを見る。
「……帰る。必ずまた来る。今度は、消えない」
サクラが唇を噛んで、頷いた。
「……約束ですよ」
ユキが静かに言った。
「次は、説明もしてください。あなたの秘密も、少しずつでいいから」
俺は頷いた。
「……少しずつな」
エリシアが穏やかに言う。
「約束は守ってくださいね。透さん」
その声が、現実へ戻る合図みたいに聞こえた。
玲音の扉へ走る。
扉の縁がわずかに揺れている。接続が不安定になってきた。
大翔が俺の腕を掴む。
「透、最後に一個だけ。僕、クラファンのコメント見てて気づいたことがある」
「何だ」
「釣れたのは協力者だけじゃない。……“見てるやつ”がいる」
背中が冷える。
「どんな」
「コメントじゃない。支援。匿名で、いきなり高額が入った。メッセージが添えてあった」
大翔が唇を噛む。
「『神殿の責任者に会え』って」
神殿の責任者。
神谷翔。
父の名前。
俺は息を止めた。
エリシアが言った“監督”が、急にありがたく思えてしまった。
扉の前で、俺は一度だけ振り返った。
夢世界の空は、相変わらず低い。
でもその低さの向こうに、確かに出口がある。
俺は大翔を見て言った。
「……帰ったら、次の手順を作る。扉を恒久化する。夢と現実を自由に出入りできるようにする」
大翔が頷く。
「僕も手伝う。約束守るために」
玲音が急かす。
「時間切れ。早く!」
俺たちは扉をくぐった。
視界が白くなり、消毒液の匂いが戻ってくる。
病院のカフェ。
現実。
そして、スマホの通知が鳴り続けていた。
『夢世界救出プロジェクト:新規支援者メッセージ』
大翔が画面を見て、顔をしかめる。
「……追加が来てる」
「何て?」
大翔は、低い声で読み上げた。
「『次は“綾香”に会え』」
――綾香。
藍川綾香。
男子も鑑定できる可能性のある、最悪の名前。
俺の背中に、冷たい汗が流れた。
詰みの匂いがする。
でも同時に、道も見えた。
だからこそ、俺は決めた。
エリシアを味方にする。
扉を恒久化する。
そして、誰が夢世界を作ったのか――その本丸に触れる。
腕時計の秒針が、カチ、カチ、と鳴る。
次の戦いの開始を告げる音みたいに。




