インテリマフィアのオルゾさんと無貌の天使
ぐっとエキーノが盾を構えて前に出た。盾を叩きつける動き。
アンジーはナイフでエキーノの盾から露出した部分を狙うが、軽くいなされ、ポリカーボネイトの表面に引っ掻き傷をつけただけだ。
アンジーは後退する。エキーノは深追いせず、元の位置に戻った。
エキーノは常にオルゾとロッセリーニ侯への進路を塞いでいる。その護衛としての姿勢を崩さないからアンジーは捕まっていないだけだ。彼女はそう判断せざるを得なかった。
オルゾの言葉が部屋に響く。
「そして今も脅迫を受けている。お前の大切だったものを殺すと。そうだろう、偽者」
「偽者って呼ぶな!」
アンジーは吠えた。そして思わず前に出た。
これもまたオルゾの挑発である。エキーノは冷静にアンジーの突き出す飛び出しナイフに盾の縁を当てた。刃と盾が接触するその刹那、エキーノは手首を僅かに返す。
ナイフが跳ね飛ばされた。武器を巻き上げる技、護衛の技ではない。武術の動きに近いだろう。
跳ねたナイフは絨毯の上に音もなく落ちる。エキーノの逆の右手がアンジーに迫る。ナイフを落としたことにより、その自由度が、脅威が増した。
アンジーは後退を余儀なくされる。もはやアレを拾う隙をエキーノは与えてくれまい。
「詰みだ」
「まだっ……!」
アンジーの目に闘志が消えていない。無手に見えるがまだ暗器の2つや3つ隠し持っているだろう。だが、だからなんだというのだ。
エキーノがオルゾの前に立っていること。その段階で詰んでいるのだ。
「俺からアドバイスをやろう。殺しは冷静にやるものだ。頭を冷やせ、思考を止めるな」
そんなことは分かっている。アンジーはそう叫びたかった。
だが、冷静になればどうしようもない状況だと、どう考えても失敗じゃないかとわかるだけだ。だから考えずに動くしかないのに。
オルゾは冷徹に言葉を続ける。アンジーの熱を奪うように。
「相手の思考を読むんだ。殺しも、ゲームも、取引も変わらん」
それらは全て殺しを教わる時、ヴィテッロ組の殺し屋たちからも言われていたような言葉だ。だが、アンジーにそれを実行させる暇など与えられていなかった。
耳元の声に縛られ、その通りに動かされる意思なき人形。オルゾが偽者と言うのに反発したが、なんのことはない、それ以下の存在だ。
アンジーは闘志が燃え尽きるのを感じた。
のろのろとした緩慢な動きで隠し持っていた口紅型の銃を取り出す。必殺の魔弾も決して届くまい。彼女は銃口を自身の顎に当てた。
「偽者の負けね」
オルゾは不満げに口元を歪めた。
「お前は偽者のまま死んでいく。それで良いのか、アンジー?」
「……っ! なぜ名前を!」
「俺には良くできた部下と妻がいてな。そいつらが仕事のついでに調べてきたのよ。アンジー、聖ペテロ養護施設のアンジー。お前が寝言で言っていたパパ、ママとは孤児院の院長や職員らに他ならない」
オルゾはその呟きを聞いた時はラファエラの両親と思っていたが、違うのだと気づいた。では誰か、と同年代の少女の行方不明者などを調査し始めたのだ。
しかしオルゾはナポリに行かねばならなかった。最終的に突き止めたのはステラマリナである。スクアーロらがヴィテッロ組を攻略している間に、キリスト教系の孤児院に辿りついたのだった。
「オイ、アンジー。ナニヲハナシテイル?」
耳元では苛立ったようなポモドーロの声が響く。だがオルゾの声はそれよりもずっとはっきりと耳に届いた。
「そのパパやママを殺すと脅迫されてでもいるんだろう?」
アンジーは小さく頷いた。
「オルゾ……」
「ああ、オルゾだとも。お前、俺に言ってないことがあるな」
「ごめん、なさい」
オルゾはふん、と鼻で笑って言う。
「違う」
アンジーの白い頬に涙が線を描いた。
「……私には何も無いのに?」
「何の問題が?」
「私には! 戸籍も、お金も、友達も、両親も! 自分の顔すらもう無いのに!」
それは慟哭であった。だが、マフィアたるオルゾたちもまた喪失を味わってきた者たちなのだ。
多くを失った先達としてオルゾはこう告げた。
「無貌の天使よ。確かにお前は他人より多くを失ったのだろう。だが、失ったらそれで終わりなのか? お前の手元に何も残っていないなら、それは新たに掴むことができるということだ」
アンジーの耳元ではポモドーロの指示と恫喝が響く。だがそれはもはや彼女の心に届かなかった。
「私にもできる……?」
「違う。お前だからこそできるんだ」
アンジーの手が震え、力が抜けた。からん、と地面に口紅型の銃が落ちる。彼女の口から掠れた声が出る。
「……お願い、助けてよ」
オルゾは口元を満足そうに歪めた。
「そうだ。よく言えた」




