3−4: 若者
目が覚めて、あたりを見渡した。何人かが挨拶をしてくれる。それに手を振って応えた。
体を起こし、横を見た。教父が荷物に腰を下していた。
「彼は?」
教父はロザリオを指で繰っていた。
「彼は?」
「先生、こちらに」
教父は立ち、私を待った。まだ体は思い。早くとも数ヶ月はかかるだろう
私が立ち上がるのを見ると教父は歩き始めた。避難所から出て、すこし離れた軍のテントへと。そこで兵と落ち合い、中に入った。そこにはボディ・バッグが並んでいた。
教父と兵はテントの隅に行き、一つ離れて置いてあるボディ・バッグの脇に立った。
私はそのボディ・バッグをみつめていた。
教父は膝をつき、その上のジッパを開いた。そこには、あの若者が寝ていた。
私はただそこに寝ている若者を見ていた。
「誰がやったのかはわかりません」
教父が私を見上げて言った。
「正確には、誰も言わないのですが」
兵が言った。
「そうか……」
若者の顔には痣があったがあった。おそらく体にも。
「先生、大丈夫ですか?」
兵が声をかけてきた。
「大丈夫とは言えないな。だけど、今の私の状態では、涙も出ないんだな」
「ショックでしょうから」
兵が言った。
「それもあるが。私の状態がね」
教父はジッパを閉め、私の横に立ち手を取った。
「泣く日は来ますよ。泣ける日は。それがいつになったとしても」
教父は一層強く私の手を握った。
「これを先生のせいではありません」
「なら誰のせいなんだ?」
「同僚の兵から聞いています。昨日、彼は、法務博士と話しをしていたそうです」
「ですが、法務博士のせいでもない。もし法務博士のせいだとするなら、それはその人の弱さによるものです」
弱さ。それはどのような弱さなのか。
私は教父を見た。
「若者は法務博士に、彼の信念を信頼すると言っていたそうです。法務博士には彼なりの信念があると。それを信頼すると。ならばこそ議論ができると」
信念、信頼、信仰。この状況にあって持つものは、必要なものはなんなのだろう。
「ですが、法務博士はその信頼に耐えられなかった。おそらくあの男に言ったのでしょう」
「想像でしかありませんが、彼が法務博士を切り崩しにかかったというような」
兵が言った。
「信頼することが、議論することが切り崩すことか?」
私は兵を見た。
「それが切り崩すことなのか?」
「彼らにとってはそうなのでしょう」
「先生、」
教父が言った。
「世間一般における議論とはそういう認識なんです。勝つか負けるか。さもなくば妥協するか。利益を得るか、上位に立つか。それが世の議論なんです」
「そんなものは議論とは……」
「えぇ、そうです。そんなものは議論とは呼ばない。古代ギリシアから論理と合理性にももとづかず、ヘーゲルらのいわゆる正反合にももとづかない」
若者が納まっているボディ・バッグに目がいってしまう。
「先生、ですが、世の議論とはそういうものなのです。それが世の理性であり、知性なんです」
ふと、教父がそれを言うのもおかしなことにも思えた。だが、それを強い、それと付き合い、ながらも教理と形而上学的議論を続けていた教院を引き継いでいる。教父はそれを引き継いでいる。
教父はそれらを知っている。教父は、それらとどう折り合いをつけているのだろう。それを支えているのが信仰なのだろうか。
科学など、その役には立たない。それが私が信じるものだとしても、他の人々の役には立たない。
役に立つのは、軍の力であり、教院の信仰だ。
あの男がそれらをどれほど持っているのかはわからない。だが、テロリスト、とくに原理主義者はその両方を持っているのではないか。
それらにどう対処できるのか。それらの力を見せ付けられた人々に、どうしろと言えるのか。ボディ・バッグの中で横たわっている若者のように、信念を持て、信頼しろ、恐れるなと言えるだろうか。
頬に暖かいものを感じた。拭うと、それは涙だった。それはなにに対しての波だったのか。
「祈りを」
そう教父につぶやいた。
教父はうなずき、祈りをあげた。それを復唱し、私も祈った。何に祈ったのかもわからない。何について祈ったのかもわからない。ただの祈りだった。何に対してのでもなく、何についてのでもない、祈りそのものだった。
祈りを終えると、私は避難所に戻った。そこには何人かが、もう私を、それともあの若者を待っていた。
「今日の話をはじめよう」
私は本を開き、ノートを床に開き、そして話しはじめた。




