15ヤングガン・カルナバル
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「は? いやお前、それが謝る態度か? もっと誠意ってもんがあんだろ?」
平江が言ったその言葉に対し、唖然とする。形式上謝らせればそれで満足じゃあなかったというのか。
「……誠意、っていうのは」
しかしたとえばここで暴れたとして、得をする人間はこの場にいない。誰一人としていない。打ち明けた話、自分とムラマサが二人でかかれば、中年男性くらい簡単にのしてしまえるだろう。だが、それでどうした? ゴールは少年院だ。目に見えているではないか。
それでは、ここで平江が言うように、誠意を見せて芳賀山に謝ったとしたら? そうすると、大人という悪に、自分とムラマサの正義が屈したことになる。それでは事実上の死と同じではないだろうか。
最善の選択肢は何か? 芳賀山がこちらにつけば、それですべてが好転するだろう。だが、彼女が簡単にこちらに寝返るとも思えない。というか実際、簡単にこちらに寝返っていたのならば、自分たちは今こうしていなかっただろう。
「あ? 誠意っつったらお前ら、決まってんだろ。土下座だよ。土・下・座」
ふざけんなと。叫びたくなった。自分たちは生憎、平江などのために下げる頭など持ち合わせていないのである。
「芳賀山、お前、俺たちに土下座してほしいか?」
「おい、沙前、そんなこと――」
「先生は黙っていてください。今俺は、お前に話しているつもりはありません。芳賀山に話しかけているんです」
敬語が行方不明になりかけたが気にしないで、続ける。
「なあ芳賀山。お前が今後、本当のことを言ってくれたら――俺たちが、お前のことを守るよ」
だから、
「こっちに来てくれないか」
言った。
それに対し、芳賀山が、ごくわずかに頷き返してくれたのを確認する。ずっと伏し目だった顔がわずかにこちらを見たのだ。
「先生、やっぱり俺たちは謝りません。無罪です。全面的に無罪を主張します」
「おい、それは卑怯じゃないか? 芳賀山を『脅して』よぅ」
平江が左手で顎をさすりながら言う。
すぐにでもそのふざけた顔を殴ってやりたかったが、どうにか堪えて、先にムラマサを制しておく。正直、自分も、我慢の限界だ。この期に及んで芳賀山のスカートの中に右手を潜り込ませたままである平江に対してもそうだし、芳賀山を売ったクラスメイト達にもだし、そして、無力である自分たちに対しても、そうだ。
自分たちは、平江に、そして芳賀山を売ったいじめグループに、負けたのだ。屈したのだ。
暴力では、何も解決しないし、何も生まれない。正義の味方が悪を滅多打ちにし、勧善懲悪めでたしめでたしでハッピーエンドなのは、物語の中だけである。実際、深見真の「ヤングガン・カルナバル」「疾走する思春期のパラべラム」「僕の学校の暗殺部」は非常に読んだ後の後味が悪い。深見真の小説はこの三作しか読んでいないが、どれも非常にクレイジーだ。ある作品では主人公がヒロインと思いを伝えあったと思ったらそのヒロインは敵との戦闘であっけなく死ぬ(しかも一巻)し、違う作品では主人公の彼女が敵組織に攫われ、大勢の視線に晒されながら慰み者にされるし、またほかの作品では、ほとんどの登場人物が死に、最後には主人公さえも自分を犠牲にしてしまう。それら主人公たちはすべて、暴力をもってして敵組織、あるいはいるか人間と呼ばれる謎の生物、またあるいは乾燥者と呼ばれる能力者と戦う。その結果主人公が得られたものは世界の平和とか、亡き人を送る役目だとか、そんな形のないものだけだ。彼ら主人公たちは、確かに暴力で、世界を救うかもしれない。だが、自分を救えない。
確かに、物語はハッピーエンドに近い形で終わるかもしれない。
だが、これは――人生は、自分のための、自分の物語なのだ。小説とは違う。自分が救われることこそが、人生の最前提なのである。
だからこそ、今、暴力によって正義を貫き――押し通そうとしている自分は、負けたのだと、そういうことなのであった。
まあ実際、その時の自分がそんなことを考えているかといえば当然そんなわけではなく(当時は本を読む習慣が無かった)、ただ単に、我が身可愛さから保身のために保険を掛けたというかなんというか、つまり、
「先生はどうしても僕たちが芳賀山に対して暴行を加えたと言いたいわけですね?
そして、僕たちはそれを止めようとした一般人二人に怪我を負わせ、そして己の罪を認めないと、そう言いたいわけですね?
で、あまつさえ僕たちは、先生が目の前にいる場で『被害者』である芳賀山を脅し、自分たちは無罪だという風な供述を強制させたと、そう見えているわけですね?
――それで? 先生は、僕たちに土下座すれば許してやると、そう『仰い』ました。僕たちの無罪を信じる気はないわけですか」
相手に余計なことを言わせぬよう、高速で告げ終わったこちらに対し、平江は、
「悪いことやった奴ってのは大体そう言うんだよ。自分はやってないですぅ、ってな」
ヤングガン・カルナバルをはじめ、深見真先生の小説はどれも最高にクレイジーで面白いです。登場人物でさえあれば、ヒロインでさえ簡単に死んだり、読んでてまったく安心できません。どんなキャラでも絶対生き残るとは限らない。雑魚と戦ってる時でも、気を抜けば死ぬ。気は抜いていなくても、運が悪ければ死ぬ。物語補正とか、そういうのが一切ないんです。ちなみにSFとかファンタジーとか、バトルあるやつ書くときは結構影響されてます。




