幻惑
恋人・翡翠と引き離されたゆすらは、強敵・朱明の術中に陥っていた。
霊感少女で、始末人の神崎ゆすらと、態度がでかくて、口の悪いウサギ妖怪・翡翠の珍道中(ラブコメ風味)。
どこまでも、見わたす限りの黒い世界。
ゆすらは、一条の光も届かない、闇の中にいた。
「ここは、どこ?」
問いかける声は、響きもせずに、くるりと虚空が吸い込んだ。
「翡翠…」
ぽつり、と呟いて座り込んだゆすらは、急に人の声を捉えて、慌てて立ちあがった。
「声が…!」
しかし、ゆすらは、その目を大きく剥くことになる。
「ねえほら、見てよ…来たわよ、例の『霊感少女』気味悪〜い」
「あの人って、気さくだけどさ…なんか暗いよね」
「そうそう、なんていうか…あれ、近寄りがたいってヤツ?」
「そういえば、あの人…天涯孤独らしいよ?」
「うそ、マジぃ?それ」
「うん、らしいね…友達が同じサークルでさぁ」
ゆすらの前に現れた人影は、大学のクラスメートである、数名の女子だった。
ああ、そうだった…。
急速に、ゆすらの表情が、翳っていく。
陰口。
冷たい視線。
やはり、自分たちとは違う者を、人間は攻撃・および隔離する。
そんなもの、もうとっくに慣れたはずなのに。
なのに。
凍えてしまいそうだ。
次第に、声同士が重なり合い、よく聞き取れないノイズとなって、ゆすらに迫る。
怖れ。
不安。
好奇心。
妬み。
嫌悪。
さまざまな念が、黒い炎となって、彼女をあぶり出した。
無数の目が、ゆすらを見る。
ゆすらは、走り出した。
走っても、いくら走っても途切れることのない、永劫の闇。
転んで、つまづいても。
立ち止まっているヒマはない。
無数の目は、ざわざわとノイズを伴って、追いかけてくる。
もう、逃げられない。
彼女が足を止めた瞬間。
目の前の足場が、突然に消えた。
「…ああっ!!」
落下していく体。
どこまでも果てなく墜ちて。
このまま、終点に叩きつけられるのか。
きつく目を閉じた刹那、彼女の背中は、固い地面の感触を捉えていた。
一つ、瞠目をする。
闇に慣れた目が、そこに、見慣れた人影を映した。
目の前に、翡翠がいたのだ。
彼女の表情が、嬉しさに染まった。
「翡翠!来てくれたのね、よかったぁ…早く、うちに帰り」
ゆすらの言葉が、そこで途切れた。
抱き締めるゆすらを押し返すと、翡翠は背中を向けたのだ。
「ひ、すい?」
「触るな人間!」
冷たく、殺気のこもった彼の双眸に、ゆすらは凍りついた。
「冗談よね?翡翠…お願い、こっちを向いて」
しがみついた彼女の頬に、一条の傷が生まれ、鮮血が飛び散った。
「そんな…翡翠!」
叫ぶゆすらを、ちらりともせずに、翡翠は抱きついてきた、別の女の背中に腕を回す。
「いいのかい?翡翠、あんたを呼んでいるようだけど」
女が、三日月形に目を歪ませて、ニィ、と笑った。
「別に。あれは人間の女。俺を置いて、遠からず去ってしまうものだ…。俺はそんなものより、同族のお前の方がいい」
「そうかい、やっと、わかってくれたんだねぇ」
憮然と言った翡翠に、女は華やいだ声で応える。
今までなら、自分が、翡翠の腕の中にいたはずなのに…。
その女の、勝ち誇ったような笑みは、ゆすらの自信を叩き割るのに充分な威力を持っていた。
「どうして?」
ぽつり、と言ったゆすらに、女・朱明は、ケタケタといやらしく嗤う。
「どうして、だって?アンタ、自分をよく見てみな。血まみれじゃないか。あぁ…おぞましい。その手で、いくつ命を狩ったんだい?翡翠はねぇ、そんなお前の正体に嫌気がさしたんだよ。そんなことも判らないのかい、このケダモノが!」
ゆすらは、戦慄した。
清潔だったはずの服は、黒く血に染まり、両手は勿論、頭から足のつま先まで、血で濡れていたのだから。
「ああ…そんな、翡翠」
涙の溜まったゆすらの瞳は、翡翠だけを見ていた。
どうして。
ドウシテ、ミンナ、アタシヲヒトリニスルノ?
新たに、涙の盛りあがったゆすらの視界の端で、一際、濃い闇が膨らんだ。
「さぁ…お前たち、目の前にいるのは、お前たちをそんな目に遭わせた女だよ。存分に、いたぶっておやり」
ゆすらは、妖艶に嗤った朱明から、必死に後じさる。
「翡翠、翡翠!行かないでっ、あたしを独りにしないで!?」
声を限りに叫ぶ彼女に、闇が、覆い被さってきた。
肉が食いちぎられて。
あかい、赤い血がしぶく。
鋭い牙に、爪に腹を裂かれ。
内臓が引きずられて、咀嚼される。
悲鳴を、あげる間もなかった。
「‐‐―――――‐‐っ!?」
ゆすらは、永劫の闇の中で、声にならない断末魔を上げ続けた。
こんばんわ、維月です。
『のんびり行こうよ?』の11部のお届けにまいりました。
翡翠とゆすら、ただ今引き離されてます…。(汗)
ええと、朱明、彼女はどうしましょうか…。
妖艶な彼女は、かなりしたたかな女ですよ。
わが子達の中でも、かなり濃いキャラですね。
翡翠と、ゆすらのラブコメディー、これからももしよければこの先もおつきあいくださいますよう、お願い申し上げます。それでは、ごゆるりと、ご賞味くださいな♪