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3/3

後編






 夜の公園は想像していたよりも暗くて、とても静かだった。

 というかこれは、もしかしなくても、人払いってやつをされている?


 どこかの室内を指定するよりは、屋外の方が護衛の人たちに迷惑かけないかなーと思って、宰相閣下をここに呼び出したけれど――かえって仕事を増やしちゃったかもしれない。


 歩きながら、一応持ってきたスケッチブックを抱きしめる。


 いきなり中の人が現れたら驚かせるかと思って、今日は仕事が終わってから一旦帰宅して、着ぐるみに着替えてやって来た。

 例の、新調したピンクのトカゲの着ぐるみ姿だ。前回よりは、ちょっとだけ可愛いんじゃないかな。



(本当は、三十分は欲しかったけど。さすがに申し訳ないし、でも十分じゃ短すぎるから、間をとって二十分)



 あまり余裕がないので、話したい内容を頭の中でもう一度整理する。


 まずは謝罪。何はなくとも、誠心誠意謝罪。

 急に呼び出したこと、宰相閣下のツガイという認識が甘かったこと、そもそも正体を誤魔化したこと。


 そして実は窓口担当職員の私がツガイでした、と明かして、ツガイ成立したい気持ちが固まったことも伝えて、今度こそちゃんと連絡先を交換しよう。


 ツガイ成立前症候群が心配だから症状を聞いて、あと自切した尻尾もどうなったか心配だなぁ。


 外遊いってらっしゃい。無理しないでください。も言いたいし。

 あ、食欲戻らなかったらいつでも通話やメッセージください。も、忘れないようにしなくちゃ。少しは楽になるはずだから。


 それからええと――帰国後のデートのこととか、細かいことはまだたくさんあるんだけど、話す時間が足りないかも。


 いや、筆談じゃないから結構いける?それとも後で、メッセージでやり取りした方がいい?

 お互い明日も仕事だし、特に宰相閣下は多忙だから、やっぱりなるべく早めに切り上げないとかな。



(デートからまだ一週間くらいなのに。ツガイのシジミ獣人として会うのは二回目でも、ツガイ相談所の職員としては、その前にプラス二回も会ってるのに。議会中継とかでも毎日見てるのに。全然足りない)



 なんかツガイって、業が深くない――?



 と、着ぐるみのフードの下で苦笑した時、遊歩道の先の街灯に照らされて立つ、背の高い人影に気がついた。

 





「こんばんは。こんなに遅い時間になってしまってすみません。今夜も可愛らしいお姿ですね」



 夜の公園にスケッチブックを抱えて現れた、ピンクのトカゲの着ぐるみ。

 そんな、よく考えたらホラー映画に出てきてもおかしくない格好の私を見ても、宰相閣下は柔らかく微笑んでそう言った。


 ――そのやけに穏やかな様子が、なんだか妙に引っかかる。



『こんばんは。お忙しいのに急に呼び出してしまって、本当に申し訳ありません』


 

 少し迷ってから、スケッチブックを開いた。

 使わないかもしれないけど念のため、とあらかじめ書いておいた文章を掲げて見せて、さらにページをめくる。



『来てくれて嬉しいです。ありがとうございます。実は、どうしても謝罪したいことがあって――』


「謝っていただくことなんて、何もありませんよ」



 途中で遮った宰相閣下が、そっとスケッチブックを私の手から抜き取った。そのまま閉じて、表紙をこちらに向けて返してくれる。


 その手つきは、まったく乱暴なものではなかったけれど――有無を言わさぬものではあった。



「?」



 違和感がますます強くなる。どうしたんだろう。今夜の宰相閣下は、これまでとは何かが違う。

 やっぱり、ツガイ成立前症候群でご飯が食べられなくて、具合が悪いのかな。


 戸惑っている私を見て、宰相閣下はまた、綺麗に微笑んで見せた。


 その笑顔は、どこか寂しそうで、とても悲しそうで――なのにものすごく、色気があった。



「!」



 数年前、不慮の事故で若くして、先代の国王陛下が崩御された時のことを思い出す。


 あの時、突然ツガイに先立たれ涙にくれて、悲しみに打ちひしがれる王妃様は、不謹慎ながら――とても色っぽかった。


 もちろん、獣人国民全員が国王陛下の死を悼んだし、未亡人になってしまった彼女の悲哀に満ちた様子に、胸を痛めはしたけれど。


 それと同時に、みんな悟ってしまったのだ。


 世の中には、ツガイを失って悲しむその姿から、凄絶な色香を放つ人がいるのだと――今、目の前にいる宰相閣下も、そうみたいだった。


 え、でも私、別に死んでないよね?



「知人の友人が、お見合いをしたと聞きました。両者はツガイの間柄ではないのですが、おめでたいことに、結婚が決まったとか。――お相手は、貝獣人の女性だそうですね」


「!?」


「俺の方は、最後に直接、お断りに来てくださったんですよね?なら、謝罪は不要です。お気遣いありがとうございました」



 違 い ま す け ど !?


 いや、でもこの誤解について、宰相閣下はなにも悪くない。だって、あまりにも嫌な偶然すぎる。


 人口の多い獣人国内でも、貝獣人はたったの三人だけ。

 私以外のどちらか。ホタテ貝獣人さんか、それともムール貝獣人さんかはわからないけれど、きっと凄く悩んだ上で、その大きな決断をしたんだろう。


 でも、それがこっちに飛び火するのだけは、心の底から勘弁してほしいんですが――!?


 そんな話を耳にした上で、急に夜遅く、二十分だけと呼び出されて、その上謝罪したいとまで言われたら。

 私なら、泣いてしまうかもしれない。というか本当に、この人、よくここまで来てくれたなと思う。


 体調だって悪いだろうし、仕事の予定だってあるのに。

 ツガイを断りに来たと思っている私に対して、それらには一切触れずに、気遣いに感謝の言葉まで告げちゃうの?仮にツガイが非成立になったら、自分はとんでもない不利益を被るのに?


 怒ることもなく、責めることもなく。

 ただ静かに嘆きを飲み込んで、少しだけ力の抜けた笑みを浮かべる宰相閣下の姿は、とても強くて――ひどく儚かった。



「それでは、俺はこれで。どうかお幸せに」


「あ!ちょ、ちょっと待ってください!ツガイは、ツガイは成立しますからっ」



 立ち去ろうとする宰相閣下を、私は慌てて引き止めたけれど、直後に判断ミスをしたと気がついた。

 新しいトカゲの着ぐるみは、フードタイプ。話す声なんか、それはもうダイレクトに響いてしまう。


 案の定、宰相閣下は見る見るうちに、驚きの表情へと変わった。



「その声は――ツガイ相談所の職員さん、ですか?どうして貴女がここに?」

 

「いえ、あの。こ、この度は誠に、申し訳ございませんでした!本当に本当に、ごめんなさいっ!」



 何から言えば良いのかわからなくて、とにかく謝り倒しながら、トカゲの着ぐるみのフードを上げる。

 その動きで、スケッチブックが音を立てて地面に落ちてしまったけれど、そんなのには構っていられなかった。


 混乱して、言葉が見つけられないでいる私を見た宰相閣下が、スッと目を細める。



「夜になると症状が悪化するそうですが、それ、脱いでしまって大丈夫ですか?」


「え?あ、はい!花粉症の薬は、飲んで来ましたので――」



 はっと思わず息を呑む。今、カマをかけられた。



「なるほど。つまり前回お会いしたのは、貴女ということですね。そして筆跡から、俺と手紙のやり取りをしていたのも。最初から全部、貴女だったと」


 

 ツガイのシジミ獣人が、着ぐるみ姿で先日のデートに現れた理由は、花粉症だから。

 それを知っているのは、聞いた宰相閣下と、言った本人である私だけ。焦っていたとはいえ、迂闊だった。



「俺も嫌われたものですね。シジミ獣人さんは、初めからツガイなんかに一切関わりたくなかった、ということですか」


「そんな!それは違います!」


「ツガイ相談所の職員の方を代理に立てて断るって、そういうことでしょう?貴女には、お手数をおかけしましたね。シジミ獣人さんに頼み込まれて、断りきれませんでした?」


「違うんですって!ツガイをお断りする話ではないですっ」



 必死に言い募るけれど、宰相閣下はもういい、といった風に、大きく首を横に振った。

 どうしよう。話が通じない。そのくらい深く傷つけてしまったんだと、思わず泣きそうになる。私には、そんな資格なんかないのに。



「職員さんはもう、こんな茶番に付き合わなくても結構ですよ。どうぞご帰宅ください。ああ、こんな時間ですし、誰かにご自宅まで送らせましょうか?俺はちょっと、無理そうですけど」


「そういうわけにはいきません!」


「もしかして同情ではなく、お仕事ですか?これが職務?特別手当とか、ちゃんと出てます?何も出ていない場合は、監査の必要が生じるんですが」



 淡々とした口調で、お手本のように綺麗な笑顔のまま。

 そう言った宰相閣下は、それから私にも自分にも、たぶん世界中の誰に聞かせるでもない――そんな、とても小さな声で呟いた。


 それは思わず漏れてしまった、宰相閣下の本音だった。



「あー…やってらんねえ」



 胸の奥がぎゅううっと痛くなって、私は反射的に俯いた。

 良くない良くない良くない。この流れは絶対に、絶望的にダメなやつだ。


 もうどんな手を使ってもいいから、宰相閣下にきちんと話を聞いてもらわないと。時間だってあんまりないのに。どんな手を使っても。どんな、手を――


 あれこれ考えていた私の目に、ふと飛び込んできたのは、ピンクのトカゲの着ぐるみ。の、前開きファスナーだった。間髪入れず、それに手をかける。



「し、失礼しますっ」


「ちょっっっと!?何してんですか、貴女は!?」



 宰相閣下が、今まで聞いたことのないような声を上げた。そりゃそうだよね。やってること痴女だもの。


 それでも構わずファスナーを下ろして、着ぐるみを全部脱ぎ落とす。

 もちろん下は、ちゃんと着ている。


 前回はもう少し適当だったけれど、今回はクローゼットの中で、一番素敵なワンピースを着てきた――今の季節にはちょっと薄手だけど、ほんの二十分だけでも会えると思ったら、自然にこれを選んでいた。



「私は、誰かに頼まれて代理で来たわけじゃありません。仕事でもないです。ずっと自分の考えに従って、行動してきました」


「――それは、格好いいことですね」


「宰相閣下の方が、格好いいですよ。普通に、すごく格好いいお兄さんです」


「俺は今夜、自分史上一番に格好悪いですけどね?」



 宰相閣下が、さりげなく話の腰を折ろうとしてくる。

 たぶんもう、今夜は何も話したくないし、考えたくないんだろう。


 それでこのまま解散して、無理して明日から外遊に行って、ほとぼりが冷めた頃に帰国して、上手いこと後始末でもする気なのかもしれない。そうはさせてなるものか。



「宰相閣下が格好悪かったことなんて、一度もないですよ。少なくとも私は、見たことがありません」


「それは、どうもありがとうございます」


「いえ。格好良すぎて正直困っているので、是非とも謝っていただきたいところなのですが」


「は?――ああ、はい。格好良くて、すみません?」



 俺は何を言わされているんだ、と珍しく顔に書いてある宰相閣下に、覚悟を決めてさらに詰め寄る。

 何故か、仕事中に窓口で来客対応している時のような言葉遣いになってしまったけれど、気にする余裕なんか全然なかった。

 


「わざわざ謝罪していただいたところ恐縮ですが、まったく足りておりません」


「俺にどうしろと?――ツガイに振られたばかりの男を、からかうものじゃないですよ。だって貴女、既婚者でしょう?」


「え?」



 思わず聞き返すと、宰相閣下が小さく笑って、自分の左手を軽く挙げた。

 手の甲をこちらに向けて、薬指に何もないことをアピールするかのように、少しだけ揺らす。


 対する私の左手の薬指には、確かに、細くてシンプルな指輪があった。

 でもこれは、ツガイ相談所の職員として採用された時に、トラブル避けになるからと推奨されて購入した――



「ファッションリングなんですけど!?雑貨屋さんで、八百円で買ったやつ!私はちゃんと独身です、証明書も出せますっ」



 ――既婚者なのに、積極的にアプローチしてると思われてた!不倫のお誘いしてると思われてた!!


 そこまで気がついてしまって、半泣きになりながら、ツガイ成立前症候群で少し痩せて、ゆるゆるになった指輪を外す。



「これは仕事で必要だったから、つけていただけです!」


「え、職場で使うのに八百円ですか?いえ、個人の自由だとは思いますが。さすがに安すぎません?あと一つか二つ、ゼロがあっても良いような」


「サイズも合わなくなっちゃったし、もうこれ要りません!ここに捨てていきますっ!」



 宰相閣下のもっともな指摘が、耳に痛い。


 私は半ギレの勢いのまま、指輪を夜の暗闇に向かって、えいっと投げた。

 けれどそれは、どこか遠くへ飛んでゆくことなく――長くてしなやかな尻尾の先で、優しくキャッチされてしまった。


 ああ、そういえばトカゲの尻尾切り以来どうなったか、心配していたけれど。ちゃんと再生したんだ!良かったぁ!じゃ、なくて。



「どうして受け止めちゃうんですか!?」


「さすがに、そこらに投げ捨てるのはどうかと。投げて物事が解決するのは、議会の机くらいのものですよ」



 しれっと言い放った宰相閣下は、私の指輪を手に取ると、静かにそれを見つめた。


 こちらを一瞥して、もう一度、視線を指輪に落とす。


 そして――



「――ああ、そういうことか。だから、あの反応か」


「宰相閣下?」


「それで誤魔化そうとしたものの、気が変わったと。なるほど。ようやく繋がったな――っと、これは失敬」



 宰相閣下は、今夜この公園で会った瞬間からずっと纏っていた、どこか物憂げな雰囲気を消して、別人のように明るく笑った。


 軽やかさと柔らかさを増した雰囲気は、いつも通り、いやそれ以上に楽しそうで、そしてとても嬉しそうで、見ているだけで私まで安心する。


 その時急に、気が抜けたせいか、小さなくしゃみが出てしまった。



「よろしければ、これを。遅くなって申し訳ない」



 宰相閣下が謝りながら、羽織っていたコートを脱いで、薄手のワンピース姿の私の肩にかけてくれる。

 ああ、宰相閣下のいい匂いがするなあ。


 ん?元々細身ではあったけど、宰相閣下、ちょっと痩せちゃった?――あ、ツガイ成立前症候群!?



「あの、ありがとうございます!でも私は、平気ですから。ご飯、食べられてないんですよね?倒れちゃいけないから、着ててくださいっ」


「それ、誰から聞きました?」


「えっ?病院の先生が、ツガイ間で症状はリンクするけど、女性より男性の方が重いって――」



 私の肩に触れていた宰相閣下の手に、少しだけ力が込められたのがわかった。






「どうぞ。足りなかったら、遠慮なく言ってくださいね」


「はい、いただきます。あぁ〜美味しい!おしるこ飲むの久しぶりだけど、こんなに美味しかったかなぁ」


「シチュエーションじゃないですか?俺もすごく美味しく感じてますよ」



 隣にツガイがいると、やっぱり違いますね。


 さらっとそんなことを言われて、ちょっとドキドキしてしまう。


 あのトカゲ宰相閣下が私のことを、当然のようにツガイとして扱っている――まだ全然慣れないけれど、これからどんどん馴染んでいくんだと思うと、それが凄く嬉しかった。


 今、私たちは夜の公園の中を、ベンチがあるところまで移動して、途中の自販機で買ったありったけのおしるこを飲んでいる。


 とりあえず私は二缶もらって、残りは全部、宰相閣下の分。

 ツガイ成立前症候群で食べられなかった日々を少しでも埋めるべく、二人でぴったり寄り添って座って、揃って糖分摂取に勤しむ所存だ。


 さっき口を滑らせたせいで、病院にかかる程度には、私にも症状が出ていたことがバレてしまった。


 それからの宰相閣下の判断は本当に早くて、微に入り細に入り診断内容や健康状態を確認された後、とりあえず栄養補給ですね、ということになって。


 「それじゃ二十分過ぎちゃいますよ」と言った私に、宰相閣下は「持つべきものは友ですよ」と事も無げに返したのだった。


 ごめんなさい、宰相閣下の悪友の皆さん。

 フォローが大変だろうことは重々承知しておりますが、もう少しだけ、このトカゲさんをお借りします。



「うーん。落ち着くべきところに落ち着いたとはいえ、やっぱり各方面に申し訳ないです。特に、宰相閣下におかれましては」


「気にすることはありませんよ。言ったでしょう?謝っていただくことなんて、何もないと。こうしてツガイに会えて、連絡先まで教えてもらえたんですから、俺は満足しています」



 上機嫌な宰相閣下は、私がシジミ貝獣人であることを誤魔化していた件やその他諸々なんて、もうどうでも良いみたいだった。


 言葉を濁してはいたけれど、ツガイ成立前症候群のせいで、どうやら本当に、何日も固形物が食べられなかったらしいのに。

 私のせいでツガイ成立が遅れてしまったと謝っても、優しい表情で首を傾げて、



「既に終わったことでしょう?"獣神は天にいまし すべて世は事もなし"ですよ」



 とまあ、これだもの。


 宰相閣下はどうやら、私が未婚だと知ったあたりで、出会った瞬間から私が辿った思考パターンとその結果を、大体把握してしまったらしい。


 嘘でしょう?尻尾で指輪を受け止めた後の、あの一瞬で?頭の回転、速すぎない?

 

 ただし、「シジミ貝獣人さんは他の人と結婚するからツガイは非成立」という勘違いについてだけは、丁寧に、それはもう丁寧に、丁寧すぎるくらい丁寧に、事実確認をされたけれど。



「ホタテ貝の方か、ムール貝の方かはわかりませんが。つまりは貝獣人の女性と、ツガイとして結ばれるのに失敗した男がいる――ということですね。それは、俺ではありませんが」


「そうですね。そういうことになりますね」


「俺ではないですが、選ばれなかったその男には、同情を禁じ得ませんね。お悔やみを申し上げておきましょう」


「たぶん、亡くなってはいないと思いますけど。というかちょっとだけ、俺は攻略成功しましたけどね!とか思ってません?」



 指摘すると宰相閣下は、尻尾の先を機嫌良さげに揺らしながら、悪戯が見つかった時のような顔で笑った。



「――俺について、よくお分かりで」


「それはもう、ツガイですから」






 宰相閣下がまた一缶、おしるこを開封する。


 喉仏が上下するのが、なんともいえずセクシーで、うっかり目を離せないでいると、横目で見られて笑われてしまった。うぐぐ、その流し目は反則でしょう。


 でも、すらっとした体型の人なのに、思ったよりいっぱい飲めるんだなぁ。



「健啖家でいらっしゃいますね」


「よく言われますが、普段の食事量は人並みですよ。食べようと思えば、いくらでも入るというだけです」


「そうなんですか。でもこの感じだと、外遊先でも困らなそうですね!間に合って良かったあ」

 


 ほっと胸を撫で下ろす私とは対照的に、宰相閣下は大きなため息をついて、こちらを見た。だから、流し目はダメですってば。



「どうして俺は、ツガイと心が結ばれた翌日から、一週間も国外に出なければならないんです?さすがに可哀想すぎません?――ああ。政府専用機、爆発しねえかなぁ」


「それ、爆発したら絶対シャレにならないやつですよね!?我慢しましょう?――私も、我慢しますから」



 言っているうちになんだか寂しくなって、長い足を組んで座る宰相閣下の膝に、片方の手をそっと乗せてみる。


 この人の帰りを待つ一週間を想像すると、声にもつい、寂寥が滲んでしまった――宰相閣下は何故か、ちょうど空になった缶を、激しい音を立てて握り潰した。


 いやそれ、スチール缶じゃない?獣人用のスチール缶。ゴリラ獣人が握って、ようやくヘコむやつだよね?



「荷物を一つ増やすので、こっそり鞄に入っていただけたりは」


「しません。密入国になっちゃうでしょう!」


「そうですよね。しませんよね。ところで話は変わりますが、パスポートってお持ちですか?」


「話、全然変わってない!?非合法な手段が潰されたからって、合法的手段に切り替えようとしないでくださいっ」



 宰相閣下が、声を立てて笑った。

 かなり珍しいように思うけれど、きっとこれからは、何度でも見られる。だからこそ。


 ツガイ成立直後に離れ離れになるのが辛くても、一週間くらい、耐えてみせなきゃね。


 気合を入れ直すために両の拳を握ると、左手の方に、不埒な動きをするトカゲの尻尾が現れた。

 薬指にはめ直したファッションリングを、尻尾の先が優しく撫でる。



「く、くすぐったいんですけど」


「一週間はこのまま、つけていてくださいね。俺がいない間に、他の男に貴女を奪われたら困りますから」


「誰も奪いませんって。これだって上司に言われたから、仕事中ずっと外さなかっただけで」


「いえいえ。それで助かる命があるんですよ。外遊から戻ったら、サイズが合うものを贈らせてください。ゼロは四つほど、増やしておきますね」


「あはは!それはどうも。ありがとうございます」



 あんまりさらっと告げられたから、笑って流してしまったけれど――今この人、とんでもないこと言わなかった?


 数秒後に気がついた私は、八百円の指輪をした左手を、急いで背中に隠したけれど。

 宰相閣下は、とても優しい目でこちらを見つめながら、「言質は取りましたよ」と穏やかに笑う。


 リズム良く揺れるトカゲ尻尾の持ち主は、前言を撤回してくれるつもりなんて、砂粒ほども無さそうだった。






「そろそろ本気で時間切れですか。離れがたいですね。――いや、無理だろ。このまま帰せる気がしないんですが?」


「明日もお互い、お仕事ですから。大人ってつらいですね」


「俺はまだ、大人な行為は何もしていませんよ。だから、もう子どもってことでよくないですか?」



 絶対に我慢できなくなるから、今夜は並んで座る以上はなにも、手を繋ぐことすらしていない。


 ツガイ成立前症候群の方は、くっついていた僅かな時間でもだいぶ良くなっていたし、後は毎日連絡を取り合えば、きっと大丈夫なはずだけれど。


 ――心が全然、大丈夫じゃないんだよね!



「そういえば。宰相閣下にまだ、お伝えしていなかったことがありました」


「なんでしょうか?俺の自宅で良ければ、聞きますよ」


「さりげなくお持ち帰りしようとしないでください!――本当に、誘惑されちゃいそうだから」



 そう言った瞬間、宰相閣下が片手で顔を覆って、深い深いため息をついた。


 正直な気持ちを言ったつもりだったけれど、よく考えたら今のはちょっと、離れたがらない彼に対して、酷だったかもしれない。


 それでも、どうぞ、とこちらに手を向けて発言を促してくれるのだから、私のツガイは本当に優しい人だと思う。



「すべては宰相閣下のお察しの通りなんですが。本当は私が、変に誤魔化したりしないで、最初からちゃんと明かすべきだったなぁと思って」


「というと、初めて会った日のお話ですね?ツガイ情報一致者あり、のくだりでしょうか」


「はい。あの時私は、お客様のツガイは、シジミ貝の獣人です。とだけ言いましたけど」



 そのシジミ獣人は私なんです、と告げなかったことで、彼をいろいろと振り回してしまった。


 確かにあの時点ではまだ、宰相閣下がどんな方かよくわかっていなかったので、警戒するのも無理はなかったのかもしれない。


 でもやっぱり、今となってみれば、ツガイとして誠実な態度ではなかったなあと思うのだ。だから。



「そのシジミ獣人は、」



 言葉にしようとしたところで――なんだか猛烈に、恥ずかしくなってきてしまった。


 え、あれ?なんで?

 ツガイだってことはバレたし、私も受け入れたし、冗談めかしてなら、私は貴方のツガイですって言えたのに。


 面と向かって伝えようとしただけで、どうしてこんなに照れちゃうんだろう?



「宰相閣下のツガイは、」



 言い方を変えてみたけれど、私なんです、と続くはずの言葉が、どうしても出てこない。


 あれかな。ツガイ相談所の窓口職員として話したことの、続きだからかな。

 たぶん、そこから私本人の言葉で続けようとしても、上手く切り替えられないのだ。


 宰相閣下は、オンオフの切り替えがあんなに上手いのになぁ。

 と思ったところで、そんな彼の長い尻尾が、くるりと私の手首に優しく巻きついた。



「ところで、職員さん。俺のツガイは、シジミ貝の獣人だそうですが」



 あれ?さっきまで、教えた下の名前で呼んでなかったっけ?

 と不思議に思う私の前で、宰相閣下は、あの日みたいに軽く口端を上げた。


 違うのは、今はその目が、愛おしそうに細められていること。



「貝獣人って、とても珍しい獣種ですよね。本当にいるんでしょうか?」



 あぁ、また助けてもらえちゃうんだと苦笑する。

 でもこういう人だから、私はこの宰相閣下を、最後まで誤魔化しきれなかったんだろうなあとも思う。


 優しくて誠実で、普通に格好いいお兄さんなのは、いくらなんでもズルいでしょう?



「――そうだ。参考までに、貴女の獣種をお聞きしても?」



 私のツガイがあんまり格好いいから、なんだか鼓動が速く、胸が熱くなってきてしまった。


 シジミ貝獣人の私は、熱されるとすぐ、口を開いてしまうから。


 宰相閣下に微笑み返して、今度こそ、

 愛しいツガイと同じくらい誠実に、答えを伝えよう。



「私の、獣種は――」












アナウンサー

「えー速報です。本日、宰相閣下がツガイ婚をしたとの情報が入ってきました」

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― 新着の感想 ―
冷静に読んでると議会で尻尾切りしたってことは多分、尻尾はズボンに専用の穴が空いてるわけで尻尾がなくなった後ろ姿は宰相閣下のプリケツの谷間がチラ見せされてるんじゃってことですね。(某ドナルドのプリケツ動…
宰相閣下、かっこよすぎ。そしてハムスター獣人がツボすぎますw もっと読みたい…
お!野党はヤジしかしてないと考えてる人だ!
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