前編
(やっぱりこの方、宰相閣下だよね?)
ツガイ登録の申請用紙を記入しているお兄さんを見ながら、窓口職員としてどうにか笑顔を保とうと必死だった。
テレビや新聞ではスーツ姿しか見たことがなかったから、目の前に座るまで本当にまったく気がつかなかった。
だって普通に相談所に入ってきて、普通に受付番号をとって、普通に呼ばれるまでスマホいじりながら長椅子で待ってたんだもの、この人。
護衛の人とかいないのかな。いや、そんなはずないよね。
(名前は宰相閣下と同じ。年齢も宰相閣下と同じ。職業または勤務先欄――宰相府!確定だぁ)
記入を終えた申請書をわざわざこっち側に向けて、ボールペンまできっちり揃えて返してくれるのは、なんとなくイメージ通りだけど。
長い足を組んで、椅子に背を預けながら、壁に貼られた結婚式場やお見合いパーティーのポスターを眺め――睨んでいる?――姿には、こんな宰相閣下知らないよ!と心の中で困惑するしかない。
お仕事モードオフの日は年相応の服装なんだなあ、と半分現実逃避をしながら、引き出しから使い捨てのナイフを取り出して机に置いた。
「それでは最後に血を少々頂戴しますね。あ、綿棒で頬の内側を擦っていただく方法もございますが」
「いえ、ナイフで大丈夫です」
言うやいなや、スパッと思い切りよく指先を切りつける宰相閣下に、早い早い早い!と思わず声が出そうになった。
慌てて血を数滴採取して、手順通り絆創膏を渡そうとしたけれど断られて――彼の指の傷が、見る見るうちに塞がっていく。
ハッと顔を上げると目が合って、長い尻尾を揺らしながら、宰相閣下は軽く口端を上げた。
「トカゲ獣人なのでね。再生能力には、ちょっと自信があるんです」
専用の機械で申請書をスキャンし、血液もセットすればツガイ登録は完了。
これで即座に登録済みの全データから照合が開始される。
慣れた作業を済ませ、結果が転送されてくるタブレット端末を手に取って窓口に戻ると、宰相閣下は備えつけのパンフレットに目を通していた。
(いやー普通に格好いいお兄さんだなぁ。まだ二十代なのに史上最年少宰相だなんて、絶対怖い人だと思ってたのに)
ついまじまじと見つめてしまって、しまった失礼だったと反省する。
いつも通りの態度で、他の人と同じようにお声がけしよう――この様子からして、特別扱いは望んでいないだろう宰相閣下には、マニュアル通りの親しみやすい対応がベストだと思った。
「結果が出るまでもうしばらくお待ちください。ツガイの方が既に登録済みで、すぐに見つかると良いですね」
「そうですね。ところで、該当者なしの場合はどうなりますか?」
「お相手の方が登録されたら、こちらからお客様にご連絡を差し上げることになっております。何年も見つからない場合や、お相手がツガイ成立を望まれなかった場合は、相談所主催のお見合いパーティー等をご案内させていただきます」
「ああ。そういえば我が国のツガイ成婚率は、八割といったところでしたね」
我が国、という言い方はなんだか少し宰相らしかった。
それに数秒ほど迷ってから、ええいままよ、と来所の経緯について尋ねてしまうことにする。
「皆様にお聞きしておりますが、差し支えなければ本日ツガイ登録をされた理由などお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あー…理由ですか。俺はずっと男子校だったんですが、その頃からの友人たちに見事に裏切られまして」
「えっ」
素の一人称は「俺」なの!?とまず驚いてしまった。
議会中継では「私」と言っていたから、普段からそうだとばかり思い込んでいた。
そんな宰相閣下が、国内トップの進学校を首席で卒業したのは有名な話だ。
エスカレーター式のあそこ出身なら、幼小中高大ずっと男子校で間違いない。
でも、そこで出会った友人たちに裏切られたって――?
「結婚なんかくだらない、恋人なんて興味ない、と口を揃えて言うから、俺も仕方なく話を合わせて、ずっと彼女すら作らなかったのに。いつの間にか、全員ツガイ婚していたんですよ。信じられます?あんの裏切り者どもがよぉ」
「そ、それはその、残念でしたね?」
月並みな返答になってしまったが、他に何が言えただろう。
そしてツガイ相談所に駆け込んだ流れはわかったけれど、宰相府に担当者を呼び出したりせずに、わざわざ足を運んだ意味はわからない。
え、宰相閣下だよね?意外と普通の人だけど。
まさか――普通の人だから、普通にお休みとって窓口に来たってこと?嘘でしょう?
「まあ悪友たちの件は、もうどうでも良いんですけどね。せっかくなので、これでツガイが見つかればと期待しています」
「あ、そうですね。ちょうど結果が出たようですし、見てみましょう――ツガイ情報一致者あり!良かったですね!」
ほっとした様子の宰相閣下からは画面が見えないよう、タブレット端末を操作してお相手の個人情報ページを開く。
次はこの中から、ツガイへの開示が許可されている情報だけを選んで、宰相閣下にお伝えして――頭の中で段取りを組んでいたその時、
(えっ?)
表示された名前を見て、理解が追いつかなかった。
見覚えのありすぎる氏名。生年月日。獣種。勤務先は、ツガイ相談所。
トカゲ宰相閣下のツガイとして現れたのは――新人研修の時に登録した、私の個人情報だった。
「何かありましたか?」
訝しげに声をかけられてハッとする。一体どれくらいの間、固まっていたのだろう。
判明した事実への衝撃は凄まじかったけれど、とにかく今は仕事中。このまま滞りなく宰相閣下の対応を、宰相閣下の、宰相――
(無理、無理無理無理っ!宰相夫人じゃない!?「私が貴方のツガイです」って言ったら、宰相夫人と化すじゃない、このままだと!私には絶対務まらないよ!?ご、誤魔化さなきゃっ)
必死に考えて言葉を捻り出す。声が震えないよう何度も唾を飲み込んでから、貼りつけた笑顔で口を開いた。
「失礼いたしました。お客様のツガイの方が、大変珍しい獣種でしたので、少し驚いてしまって」
「珍しい獣種?というと?」
「ホタテ、シジミ、ムール貝と、国内に三人しかいない貝獣人のうちの一人ですね――お客様のツガイは、シジミ貝の獣人です」
嘘は言っていない。ただ、「そのシジミ獣人は私なんです」と付け加えなかっただけ。
それなのに、罪悪感で胸の辺りがきゅっと痛む。でもここは、しっかりと口を閉じておくべきところ。
砂の中に潜って身を潜めるような気持ちで、ぎこちなく微笑み続けていると、宰相閣下が不思議そうに言った。
「貝獣人って、食用貝縛りなんですか?」
「お決めになった時、獣神様はお腹が空いていたのかもしれませんね」
「なるほど――っと、失礼」
急ぎの連絡でも来たのか、震えたスマホを操作して短く返信文を打つ宰相閣下。
それを見るともなしに見ていたけれど、ふと小さな閃きのようなものが脳内に走った。
「念のため申し上げておきますが、ツガイ相談所を経由せずにお相手の身元を調べるのは、違法行為。れっきとした犯罪となりますので」
ピタリと宰相閣下の指の動きが止まる。
「お客様のツガイの方は、獣種と年齢以外の情報は、開示に同意しておりません。それ以上のことをお知りになりたい場合は、当相談所を通じて、ご本人とやり取りしていただく形となります」
タブレット端末で、個人情報の開示許可を確認するふりをして、こっそり獣種と年齢以外のチェックを外していく。
上書き保存をしてから視線を向けると、宰相閣下は苦笑しながら軽く肩を竦めて、スマホをポケットに戻した。
「あちらにパソコンもご用意しておりますが」
「いえ、手書きしますよ。それが一番、誠意が伝わるんでしょう?」
ツガイが連絡先を開示していない場合は、手紙を書いて相談所の窓口に託すことになる。
その際、できれば直筆の方が望ましい――宰相閣下がさっき読んでいたパンフレットには、確かにそう書かれているけれど。
実際は失敗がないように、テンプレートに則って作成した文章を、印刷する人が多かった。あるいは、一度家に持ち帰って書いてくるか。
でも彼は、この場で迷うことなく手紙を書き始めた。
時候の挨拶も適切で、アドバイスすることが何もない。完全に、こういったものを書き慣れている風だった。
それはそうか。宰相閣下だもんね。というか字が綺麗すぎる――え、これに返事を書くの?私。どうしよう、気が引ける。
「それでは、こちらをお願いします」
「はい。確かに承りました。確実に、お相手のシジミ獣人さんにお渡ししますね」
実はもう、ツガイ本人の手に渡っていることはどうにか隠し通して、爽やかな薄緑色の封筒を受け取る。
相談所で用意している様々な便箋セットの中で、私が一番好きなものを選んだなぁ、とか。
指が長くて綺麗で、封をする動作が凄く良かったなぁ、とか――この人が私のツガイだと判明した途端に、なんだか余計なことまで考えてしまう。
「お返事をお預かりしましたら、ご連絡差し上げますね。その際は受付番号は不要ですので、直接この窓口までお越しください」
「わかりました。失礼ですが、お名前は何とお読みすれば?」
思わず顔を上げると、宰相閣下は真っ直ぐにこちらを見ていた。
や、やめてやめてやめて!名前で覚えようとしないで。他のお客さんみたいに、窓口の番号で覚えてほしい。
怯えが表情に出ていないことを祈りながら、何でもないように返す。
「水海と申します。ですが――職員さん、で結構ですよ」
「え?」
「相手の顔と名前を記憶するのも、お仕事の一環かと存じますが。私は、ただのツガイ相談所の職員ですから」
意外なことを言われた、といった様子の宰相閣下に「本日はありがとうございました」と丁寧に一礼する。
手続きはこれでおしまい。何かに気づかれて私の平穏な人生までおしまいになる前に、彼には早く自宅に帰って、後は素敵な休日を過ごしてほしい。
新人研修の頃以来の、渾身のビジネススマイルを浮かべると、宰相閣下の長い尻尾がゆらりと揺れた。
「――政治家について、よくお分かりで」
立ち去る間際の宰相閣下は、微笑なのか苦笑なのか判断が難しかったけれど、確かに笑っていた。
一週間後。
窓口での応対業務が一段落したタイミングだったのに、心の中は少し騒ついていた。
今日の朝一で、ツガイのシジミ獣人さんからお返事が届きました、と宰相閣下に連絡したからだ。
ツガイ相談所の定型文を送っただけだけれど、これでいつ受け取りに来るかわからないので、つい身構えてしまう。
いやーでもさすがに。さすがに誰か人を寄越すでしょう。
今回は手紙を受け取るだけだし、委任状があれば代理人でも大丈夫なのは、宰相閣下が持ち帰ったパンフレットにも明記してあるもの。
このまま平和に一日が終わるといいなあ、と思ったところで、入口の自動ドアの向こうがにわかに騒がしくなった。
(えっ!ほ、本人が来ちゃった)
一瞬で静まり帰った相談所の中に入って来たのは、スーツ姿で姿勢良く歩く宰相閣下だった。
後ろからついて来るのは、秘書の人だろう。自動ドアのガラスの向こうには、黒服の護衛らしき人たちも何人も立っている。
まさに宰相閣下御一行、といった編成に狼狽えて、思わず視線を彷徨わせてしまった。
だ、誰か。誰か偉い人対応代わって!あ、所長――駄目だ、目を逸らされた。
「職員さん、こんにちは。ご連絡くださってありがとうございます」
「い、いえ。仕事ですので。あ、こちらがツガイの方からのお手紙です」
「拝見します」
は、拝見しちゃうの?今ここで!?
普通なら持ち帰って執務室でとか、移動中の車の中でとか――せめて、そこの椅子にでも座って読めばいいのに。
そう思ったけれど、宰相閣下の背中と腕時計を交互に見ている秘書さんの眉間のシワに、本当に時間がないんだと察する。
立ったまま構わずこの場で読み始めたのも、もしも手紙に返事を書く必要があったら、即座に対処するためなんだろう。
「来週のこの日時だそうです。スケジュール調整、お願いしますね」
「閣下、無理です。その日の会議は動かせません」
「なら他の予定を動かしてください。半日ほど空けてもらえれば、それで結構ですよ」
わざとらしいほど綺麗に微笑む宰相閣下に、秘書さんの雰囲気が剣呑なものへと変わる。
「は?ふざけんなよクソが。なにしれっと半休取ろうとしてやがる」
「元はと言えば、お前らが俺に黙って、こそこそ女作ったからだろうが。なら俺にだって、ツガイと会う権利があるよな?自業自得だろ」
「そ、れは――こっそり抜け駆けして、自分だけ結婚してやろう!と思ったら、たまたま被っただけで。別に誰も、お前を騙す気なんか」
声を潜めているつもりだろうけど、これ、国のナンバー2とその側近がする会話ではないのでは?
反応に困って、とにかく全力で何も聞こえていないふりをする。
ガラスドアの向こうからこちらを見ている、護衛の統括と思われる男の人に向かって、宰相閣下が笑顔のまま、立てた親指を下に向けた。
ああ、あの人も宰相閣下の悪友なんだなあ。
なんてことを思っていたら、少し気が抜けてきてしまった――そんな中で、去り際に宰相閣下は、なにやらとんでもないことを言い残して行った。
「それでは、これで失礼しますね。お騒がせしました。来週、無事にツガイと会えそうで本当に良かったです」
「!?」
え、えっ?私、ちゃんと手紙でデートのお誘い断ったよね!?
お昼の休憩時間に入った瞬間、更衣室に駆け込んだ。
ロッカーから通勤用の鞄を出して、その中を確認して――膝から崩れ落ちそうになる。ま、間違えた。
「下書きの方渡しちゃった!どうしよう!?」
あまりにも初歩的なミスだった。
一週間前に受け取った、宰相閣下からツガイのシジミ獣人宛ての手紙。
それを家に持ち帰り、何度も何度も書き直しながら、私はどうにかお断りのお返事を書いた。
まずは素直に、宰相閣下のお相手は自分には荷が重いこと。
だからツガイ関係を成立させるのは、難しいと思うこと。
そして失礼ながら、私に構わず誰か他の良い方を見つけてほしくて、ツガイ相談所主催のお見合いパーティーのチラシを同封しようとして――これはきっと嫌味に受け取られちゃうな、と感じて途中でやめた。
よく考えたら、名家の生まれの宰相閣下はツガイにこだわらなければ、これからいくらでもお見合いの話があるだろうし。
だとすると、もっとわかりやすく、遠回しではない直接的なお断りの言葉でも大丈夫かな。でも、なるべくご気分を害さないように。
――そうあちこち変更して、数えきれないくらい書き直した末に完成した本物の手紙が今、ここにある。
ということは、実際に宰相閣下にお渡ししてしまった、下書きの方の手紙には。
宰相夫人は荷が重いという不安と、
ツガイ成立は難しそうという懸念に続いて、
なので、こっちの方が良いと思います!二時間ちょっとの予定です!と、唐突に日時と集合場所だけが書かれていることになる。
肝心のお見合いパーティーの案内チラシは、同封しなかったわけだから――あれでは、宰相閣下からのデートのお誘いに「短時間なら応じます」と返答したようにしか見えない、と気づいてしまった。
「い、一国の宰相閣下を相手にっ!"不安も懸念もあるけれど、まぁ悩むより会ってみる方が良さそうね。来週のこの日この時間だったら、二〜三時間くらいなら割いてあげるわ"って答えちゃってる!?どうしてこうなるのぉ」
しかも超多忙な相手に対し、いきなり来週を指定して、代替案その他は一切なし。どんな爆美女でも許されない所業だよ!――え、シジミ獣人さん、普通に変な人なんだけど!?
半泣きで頭を抱えてみても、直接会って謝る、そしてツガイ成立をなんとか断る、以外の解決方法がまるで思い浮かばない。
あの秘書さんとの会話を聞いていなければ、いや、宰相閣下のあんな嬉しそうな様子を知らなければ、再度お断りのお手紙を書くことができたかもしれないけれど。
「私には、もう無理……。決戦は来週だから――秘密兵器を注文しなきゃ!」
決意とともに、スマホをぎゅっと握りしめた。
デート当日は、良いとも悪いとも言えないような曇り空だった。
何か言いたげな運転手さんには申し訳ないけれど、気がつかないふりをして、タクシーの窓からツガイ相談所の正面入口の様子をうかがう。
お見合いパーティーの参加者たちが集まっている中に、宰相閣下の姿はない。よしよし。
今日私は元々お休みだったから、昨日の退勤時に、正面入口のガラスドアに貼り紙をしておいたのだ。
お見合いパーティー参加者以外の待ち合わせは、裏口でお願いします。と――さすがにこの格好で、大勢の参加者の中、宰相閣下と落ち合う勇気はない。
だから電車ではなく、わざわざタクシーで来たんだもの。
「すみません、運転手さん。裏口の方に回してください」
このタクシーを降りたら、私はしばらく貝になる。いや、生まれた時からシジミ貝獣人ではあるんだけど、ここから約三時間、ひたすら無言で過ごすという意味だ。
いろいろ書いてきたスケッチブックを、動かしづらい両手で抱えて、絶対ツガイをお断りするぞ!と気合を入れ直した。
「!?」
タクシーから降りた私を見た宰相閣下は、さすがに動揺して、まるで幻のツチノコ獣人を本当に見つけた!みたいな顔をした。
無理もない。デートの待ち合わせをしたツガイが、全身緑のトカゲの着ぐるみ姿で現れたら、誰だってそうなるだろう。
それでもさすがは宰相閣下。すぐに立ち直って、初めましての挨拶と、デートに応じたことへの感謝を口にしてくれた――長い尻尾の先が、まだちょっとだけ揺れていたけれど。
『今日はよろしくお願いします。私のお返事、緊張して変なこと書いてましたよね。大変失礼しました』
変なのは手紙の内容もだけど、それに対する謝罪を、スケッチブックで筆談してくる着ぐるみ女自体だと思う。
なのに丁寧にフォローしてくれる宰相閣下が、いっそ聖人君子に思えてきた。
あ、でもこの整えた笑顔はたぶん、お仕事モードだなぁ――仕事の合間に、わざわざスーツから私服に着替えて来てくれたのに。冷静さを保つために宰相スイッチ入れさせちゃって、本当に申し訳ない。
『私、獣人らしくないですけど、花粉症なんです。今年は特にひどくて、声まで出なくなっちゃって。だから、こんな服装と筆談でごめんなさい』
「それは大変ですね。今日は三時間の予定でしたが、俺のことはお気になさらず。どうか無理はしないでください」
獣人は滅多に花粉症にならないので、その症状にはあまり詳しくない。だから言い訳に使ってみたけれど、この反応はどうなんだろう。
何か事情がありそうだから、怪しいと思っていても、あえて聞かないでくれているのかも。
こうして、着ぐるみを服装、と言い切る奇天烈なツガイだと嘲笑われることもなく、宰相閣下との短時間デートが始まった。
(ううっ、想像していた以上に道ゆく人たちの視線が痛い)
人通りが少ないうちは良かったけれど、駅に近づくにつれて、ヒソヒソ話と刺すような視線がどんどん辛くなってきた。
ツガイ相談所で待ち合わせをして、三時間以内で遊ぶとなると、何をするにしても歩いて駅前に出るコース一択。
だからこうなる覚悟はしていたんだけど――正直きつい。たぶん、これまでの人生で一番注目されている。
スケッチブックを持った着ぐるみと若いイケメンの組み合わせに、あれ何かの撮影?なんて声も聞こえてきた。
そうだったら良かったんですが、カメラさんたちはいないんですよ。
宰相閣下の護衛の皆さんは、どこかにいるかもしれないけれど――そういえばタクシーを降りた瞬間、不審人物として取り押さえられなくて、本当に良かった。
ちらっと隣を歩く彼を見ると、この雰囲気にもまるで動じていなかった。
宰相閣下だもんね。知らない人にじろじろ見られるのは、もう慣れちゃってるか。スーツを着ていないから、全然バレてないのがまた凄いなぁ。
「今日は映画を観ようと思うんですが、何か気になっている作品はありますか?」
そう聞かれて、暗い室内なら着ぐるみ姿でも目立たない!獣神様の助け!と思わず拝みたくなった。
持参した太い油性ペンで、スケッチブックに映画のタイトルを書く。なんだか、野球のマスコットキャラクターにでもなった気分だ。
「では、それにしましょうか」
『職場の同僚が、オススメって言ってたんです!観られて嬉しいです!』
「そうなんですね。ああ、お仕事は何をされているんですか?」
『ツガを頑張って作ってます!すごく甘いんですよ。ちょっと作るの大変ですけど」
「お菓子か何かでしょうか?寡聞にして存じませんでした」
ご安心ください、宰相閣下。私もそんな食べ物は初耳でございます。
それにしても危なかった、うっかりツガイ相談所と書いてしまうところだった、と安堵に胸を撫で下ろす。
こういうことを聞くためのデートなんだし、世間話でもよくある話題なので、別に探りを入れられたとは思わない――ただ少しだけ、油断ならない!と警戒して、心の貝を閉じたくなってしまったけれど。ぱたん。
(映画観るの、すごく久しぶり!楽しみだなあ。でもチケットだけじゃなく、ポップコーンやドリンク代まで出してもらっちゃった。次こそ私が出さないと!)
照明が落ちて暗くなったシアターは、本当に快適だった。
周囲から注目されないし、頑張って筆談しなくていいし、着ぐるみをちょっとズラして気兼ねなく飲食もできちゃうし。
この格好のまま入場できるか不安だったけれど、そこはありがたいことに、宰相閣下が上手く説明してくれた。
本編直前に上映されるマナームービーも大好きなので、スーツ姿の泥棒のパントマイムを喜んで観ていたら、暗闇の中でもそれが伝わったのか、隣の席の宰相閣下が小さく笑った。
(あれ?そういえばこの映画を観たら、三時間のデートのうち二時間も潰れちゃうけどいいのかな)
なんだか変なデートプラン、と思ったところで気がついた。
たぶん宰相閣下が、内容を変更してくれたんだ。私が着ぐるみ姿で歩くのを恥ずかしがってる、と察して。
最初は貝獣人らしく、全身包まれてて落ち着くなぁなんて呑気に構えていた。
それが段々、視線が多く集まるにつれてしんどくなってきて、でもちゃんと隠し通せていると思っていたのに。
胸の奥がぎゅうっとなったのは、そんな宰相閣下の気遣いにか、それとも映画が始まって、すごく可愛い犬が出てきたからか――どっちなのか、よくわからなかった。
涙が次から次へと勝手に出てきて、なかなか止まる気配を見せない。
宰相閣下は、とても困った顔をしていた。
「申し訳ありません。映画を提案したのは失敗でしたね。まさか開始早々、犬が死ぬとは」
濡れて内側がべしょべしょになった着ぐるみの中で、必死に首を横に振る。すごく良い映画だった。観たことは全然後悔していない。
『これは感動の涙です。大丈夫!あの後サイボーグになって、ご主人様と再会して、何故かご主人様もサイボーグになって、最終的に一人と一匹で合体して、ラスボスを木っ端微塵に吹き飛ばしてサムズアップしたの、とっても素敵でした!』
「そうですか。それなら良かったです。――感動?アクションコメディ映画でしたけどね?」
宰相閣下が何か呟いたけれど、いい加減しゃくり上げるのは止めないと、と必死だったのでよく聞こえなかった。
映画が終わって、連れられるままに来たここは、初めて入るお洒落なカフェ。
個室席に座れたから、これで少しは落ち着いて会話ができると思う。残念ながら、残り時間は後わずかだけれど。
「――それで、友人たちに贈られたのがこの本ですよ。これ読んだらお前もツガイが見つかるから!とか言って。いや、その前にまず、普通にツガイ相談所に行くでしょう?実際、こうしてすぐに会えましたしね」
私があまり自分のことを言いたがらないから、宰相閣下はいろいろと楽しいお話や、それからご自分のことも話してくれた。頭がいい人って、話題選びも上手で凄いなあと感心する。
もちろんどうしてツガイを探したのか、その理由も教えてくれて、黙って抜け駆けツガイ婚をした悪友たちからもらったという本は、スマホで検索して商品画像を見せてくれた。
『その本持ってます!私のは電子書籍版ですけど。でも確か、三ページくらい読んで諦めたかも』
「気持ちはわかりますよ。避けたい方のオカルトというか、距離を置きたい方のスピリチュアルというか」
『ヤバい方の自己啓発本みたいな文体ですよね!最後まで読んだんですか?よく読了できましたね』
職業柄、ツガイに関する書籍は個人的にもよく読むけれど、癖が強くてついていけずに脱落した本だった。
まさか、あれを読み通せる人がいるなんて。純粋に尊敬してしまう。
「それはもう、あいつらに対する男の意地ですよ。まだ見ぬツガイの姿が思い浮かぶという瞑想も、一応やりましたからね。妙な結果しか出ないので、推奨はできかねますが」
『やったんですか!?すごい、勇者様がいる!どんなことが起きたんですか?』
「目を閉じていたらツガイが見えてくるという話だったのに、出てきたのはツガイ相談所で担当してくれた窓口の職員さんでした。信憑性に欠けますね」
――悲鳴をどうにか飲み込んだ自分を、誰か褒めてほしい。
宰相閣下の様子から、他意はないようなので、残りのミルクティーを飲み干すことで急な沈黙を誤魔化した。
「ああ、そろそろ時間ですね。出ましょうか」
え、もう?あっという間の三時間だったなぁ。まあ、二時間近く映画を観たからかな?
そんなことを考えながら宰相閣下について行ったら、何故かカフェの外に出ていた。あ、あれ?
『お会計は?』
「払っておきました」
『えっ!すみません!今日はずっとごちそうさまでした。それで、このタクシーは?』
「呼んでおきました」
必要かと思いまして。と微笑む宰相閣下は、私がタクシーで現れたから、帰りもそうしてくれたんだろう。
何度も何度も、本当にさりげなく気遣ってくれて。この人、これでずっと恋人がいなかったなんて嘘でしょう?どうして?――ああ、男同士の付き合いで作らなかったって言ってたっけ。
スケッチブックにお礼の言葉を書いて見せ、モタモタとタクシーに乗り込もうとする私を自然にエスコートしてくれながら、宰相閣下はたった今思い出したように囁いた。
「そういえば、あの映画。来年、続編が公開されるそうですよ。楽しみですね?」
「!!」
こくこく、と大きく頷いた私の着ぐるみヘッドが取れてしまいそうなのを押さえながら、宰相閣下は笑って続ける。
「次はもっと良い席で観ましょう。前売り券、買っておきますね。近いうちに手紙も書きますから――もし気が向いたら、貴女からもいただけると嬉しいです」
ドアが閉まる瞬間、「今日は楽しかった。会ってくれてありがとう」と、とても優しい声で言われた。
それに反応を返す前に、せっかちなタクシーは走り出してしまう。
角を曲がってお互いの姿が見えなくなるまで、宰相閣下は片手と尻尾の先を軽く振って、私を見送ってくれていた。
「あぁ〜すっごく楽しかった!来年の映画、待ちきれないなあ!でも、帰りのタクシー代まで支払い済んでて、びっくりしちゃった。次回こそは、私がお金を出――そうとしてるっ!?なんで、どうして!?」
一人暮らしの部屋に入って、トカゲの着ぐるみを脱ぎ捨ててベッドにダイブしたところで、ようやく我に返った。
え、え?いや、え?
私、ツガイの成立をお断りするために出かけたよね?あの決意と気合は、一体どこで落として来てしまったの?
呆然としながら、ちゃんと持って行ったのに、結局開くことすらなかったお財布とスマホを見つめる。
名前や連絡先は、宰相閣下にふんわり尋ねられたのをやんわり流したら、そのまま聞かないでいてくれた。
でもツガイに関する話題だって出たのに、核心に迫るものじゃなかったから、今後のツガイ関係を断っての非成立にはできなかった――たぶん、彼はあえてそうなるように仕向けた。
来年、という遠い約束。
ツガイ相談所を通した、手紙のやり取りの継続の提案。
それらを流れるように持ちかけてきた宰相閣下は、つまり、長期戦の構えということだろう。
ただしさりげなく、最もお断りしづらい形をとられてしまったけれど。
「確実に一手だけ進めてくるなんて――せ、政治家って怖い!いや、すごく優しくもあるんだけど!」
やっぱり、あんな宰相閣下の奥さんなんて、私には出来っこない。宰相夫人、ムリ絶対。
改めてそう思うのに、そっと逃げ道を塞いでくるその手腕と――喋っているだけでとても楽しい、普通に格好いいお兄さんだった彼の姿を思い出すと、なんだか、このまま誤魔化しきれる気もしなかった。
「宰相夫人って、どんな感じなんだろう。ずっとイメージだけで怖がっていたけど。どういうことをするのかな?」
そーっとスマホに手を伸ばす。少しだけ、ほんの少しだけ、検索してみようか。
ああ、でもその前にまず、あの本の四ページ以降を読まないと。近々あるだろう次のデートで、また話題に出るかもしれないから。
「瞑想も試してみたいけど。きっと目の前に、宰相閣下が出てきちゃうよね。どうしよう――?」




