10・・人生初
元の世界に戻れるかもしれない八ヶ月後まで、この世界にいる。
ここでの生活の期限がわかったことで、腹を括れた気がする。
海外旅行ではないけれど、せっかくならこっちの生活を楽しんでやろうと心に決めた。
テレビやインターネットがないこの世界は時間を潰す娯楽が少ない。
暇な時間に文字の勉強を始めたら、意外にすんなり習得できてしまった。
これもチートの一つかもしれないけれど。
最近は自分で文献を読むようになった。
手に入る情報は少しでも多い方がいい。
何かしていないとお父さんもお姉ちゃんのことを考えしまい、胸がぎゅっと締め付けられるように痛くなる。
心配しているだろうなと思うと罪悪感に押しつぶされそうになる。
そして……エイミ。
お姉ちゃんとエイミは連絡先を知っているから、きっとお互いに連絡を取り合っているだろう。
お腹の子に障りがないといいのだけど。
§
「サアヤはテオの鍛錬風景を見たことある?まだなら、見に行かない?」
彩綾がここへきて一ヶ月ほど経ったある日、ライリーから誘いを受けた。
『サアヤ』と慣れ親しんだように呼びかけてくるライリーとは、毎日顔を合わせていることもあって気安く話せる関係になっていた。
「まだよ。演習を見に行きたい!……でも私が行っていいのかな?あんまり来て欲しくなさそうだと思ったけど」
彩綾の言葉にニヤリとライリーが笑う。
「どうせ、フード被れって言われてない?」
「ああ、言われてた」
「うわっ、自覚なしで重い」
笑い出したライリーをみて彩綾は首を傾げる。
「どういう意味?」
「それはサアヤが綺麗だから、他の奴らに見せたくないんだよ」
「それはないでしょ。そもそも私はテオさんの何者でもないんだし」
「まぁいいさ。とりあえず行こうか。今日は僕が付き添っているから、マントは無しでいいんじゃない」
マントを着るのが暑く感じる季節になってきたから、マント無しでいいって言うのは助かる。
「でも、どうして今日誘ってくれたの?」
「ん?ああ、久しぶりにテオが王都に戻ったって聞いたんだ。テオも帰還したばかりで忙しそうじゃん?サアヤに会いにまだ来れないみたいで。だから僕が連れて行ってあげるって言う訳」
と何か企んでいるような笑顔でライリーは歩き出した。
テオの家を出てから一ヶ月ほど経ったけれど、彩綾から絵手紙はまだ一度も送っていない。絵手紙を送る前に字も書けるようになってしまった。
それに手紙を送る必要もないくらい、律儀なテオは遠征の出発前と帰還後にライリーの執務室に来て必ず彩綾に顔を見せてくれる。
テオは遠征が多くて王都を離れている日が多かった。というよりも、王都にいる日の方が少ないのが当たり前のようだ。
つくづく、あの日テオが王都に居てくれて良かったと思う。
騎士団の演習場は王宮の外れに位置している。
ライリーの執務室からは歩きで10分ほどの場所だった。
─テオさん、この距離をいつもわざわざ来てくれるんだ。
テオに申し訳なく思いながら歩く彩綾に、ライリーが騎士団について教えてくれる。
テオは騎士団の中で彩綾が思っていた以上に、立場が上の人だった。
第三騎士団長の立場にあり、実力のある人らしい。
騎士団にはそれぞれ役割が違う4つの隊がある。
テオが所属する第三騎士団は、主に辺境へ遠征しにいく任務を請け負う。つまり隣国と戦う時や紛争の有事の際に最前線で戦う隊だ。
だから、平民貴族を問わず、腕に覚えのある人たちが所属しているそうだ。
4つの隊の中で一番苛酷で強い隊と言われる第三騎士団を率いているのがテオと聞いて驚いた。
「そういえばテオさんは第三騎士団長なのに、どうしてあの家に住んでいるの?」
騎士団長ならもっと大きな家で、それこそ使用人がたくさんいるような家に住むことができるほどの給料をもらっているらしい。
「ああ、待っている人がいるからね……テオは」
テオの家を初めて訪ねた夜、エミリーか?と慌ててドアを開けたテオを思い出した。
─テオさんはエミリーさんを待っている。
なんだか胸の奥がぎゅっと苦しくなった気がした。
「ここだよ」
まるでどこかのゴルフ場かのように広い演習場が目の前に広がっている。
事務棟の後ろには天候が悪い時に使う、平たい屋根のついている演習場もあるそうだ。
「テオは……っと……いたいた!」
ライリーが指さす方を見ると、団員に号令をかけながら厳しい視線を送っているテオがいた。
陽の光でグレーブロンドの髪の毛がキラキラと光っているように見える。
「もっと近くに行かない?」
ライリーが向かおうとしている方向に、観覧の為かベンチが並んでいる場所があった。
そこで若い女性達が食い入るように演習を見つめている。
「騎士って危険な仕事ってこともあって、文官よりも高級取りになったりするんだよ。だから、女性からの人気も高いってわけ」
彩綾の視線に気づいたかのように、ライリーが説明してくれた。
今演習場にいるのはテオの第三騎士団だけだ。
ってことは、ここにいる女性達のお目当ての団員は第三騎士団員ってことね。
改めて演習場を見ると、女性達の多くがいる場所からテオがよく見える……気がする。
「えっと……あの方達のお目当ての殆どはテオさんだったりする?」
「ご名答」
彩綾の問いに、ライリーがニヤリと口の端を上げた。
「あいつモテるんだよ」
改めてテオに視線を送る。
「でも、どんな女性にも絶対に靡かないんだ。だから、孤高の存在みたいになって余計に人気が高まっているってわけ。なんだかずるいよな」
イケメンだらけの団員達の中でも一際、端正さが目立っている。
しなやかな体躯に高身長で独身の第三騎士団長。
そりゃ、女性達の目が釘付けになるわけよね。
「僕がテオと知り合ってから、あいつが興味を持った女性はサアヤしか知らないよ」
「……それは違うわ。最初に迷い人を保護してしまった責任感や義務感から、私によくしてくれているだけよ」
ライリーの言葉を否定する。
テオさんと私との間にそんなラブロマンス要素は皆無だと思う。
迷い人に頼られてしまったから、親切にしてくれているだけだ。
「そうかなぁ。あ、剣の打ち合い練習が始まったぞ」
素人目に見ても、テオが強いのがわかる。
向かってくる部下を次々に打ち負かしているテオは余裕がありそうだ。
「さすが、テオだよな。第三騎士団を率いるだけあるよな」
「テオさんは昔から強いの?」
「元々魔力量も多くて強かったぞ。才能だけじゃなくて、実戦をこなす内にもっと強くなっていった感じかな」
「実戦……そんなに実戦があるの?」
「ああ、テオは率先して遠征に行っていたしな。辺境のあたりには山賊みたいな奴らがいるんだよ。隣国がきな臭いもんだから流れてくる奴らもいるし、隣国に商機を見つけようと向かう奴も多いんだよ」
テオを見ていた彩綾は、他の団員達からチラチラ見られる視線に気がついた。
私、何かおかしいところがあるかしら。
自分の着ているワンピースはステラのお店で買ったものだから、この世界のものだし……破れてたりもしてないし、ちゃんと着ているし……。
ライリーにこっそり尋ねてみようと思って顔を近づけようとした矢先、団員達の視線に気づいたテオが彩綾の方を振り向いた。
テオの顔がみるみるうちに強張っていく。
まずい。
なんか怒っている。
怒気がテオの体全体を包んでいるかのような迫力の厳しい視線に、思わず狼狽えてしまう。
ライリーの服をそっと引っ張った。
「やっぱり見に来ちゃダメだったのよ。テオさんめちゃくちゃ怒ってて怖い……戻りましょう」
怯える彩綾をみて、ライリーが楽しそうに笑いながら体を寄せて小声で答える。
「大丈夫。気にしなくていいよ」
「テオさんから怒られるのは嫌よ。ライリーさんが代わりに怒られてくれるの?」
「ああ、僕が怒られるから安心して」
相変わらずニヤニヤした笑顔のままのライリーを軽く睨んだ。
「適当な事言ってない?大体その笑顔のライリーさんってなんか企んでいるのよね」
「ふふっ。サアヤもなかなか俺のことわかってきたじゃん」
軽口を小声で叩き合っていると、彩綾の頭上に影が落ちた。
あれ?と思って顔をあげると、仁王立ちでこちらを睨みつけているテオがいた。
「あ、テオさん……」
「何しにきたんだ」
思わず口を噤んだ彩綾をじろりとみた後、ライリーを見ながらテオが低い声を出した。
「ふふっ。何ってテオの演習姿をサアヤに見せに来たんだよ」
「なんで、お前が連れてくるんだ」
「だって、遠征から帰ってきたのに全然こっちに顔を見せてくれないから……。ね、心配したよね?」
突然話を振られた彩綾は、考える間も無く首を縦に振る。
遠征に行ったテオとは一週間近く会っていなかったから、元気にやっているかしら、と思ったのは事実だ。
彩綾の顔を固まったように見つめたままのテオの後ろから「団長!」という声が聞こえてきた。
見ると、数人の若い騎士団員達が笑顔でやってきてテオの横に並ぶ。
「「「こんにちは!」」」
「……こんにちは」
立ち上がった彩綾に口々に挨拶をしてくる。
あんな怖い顔をしているけど、テオさんは団員達から好かれているのね。
そう思うと、こちらも笑顔になってしまう。
「団長のお知り合いなんですか?」
「めちゃくちゃ綺麗ですね!」
「紹介してくださいよ!」
口々に話し始めた団員達をテオが睨みつけたけれど、鋭い眼光に慣れているのか全く動じない。
「この方は団長の恋人ですか?」
突然、直球が飛んできた。
滅相もない、と慌てて彩綾が首を振ると、尋ねてきた団員が面白そうにテオを茶化した。
「なんだ。漸く団長も『娼婦キラー』から卒業するのかと思ったのに」
ん?すごい単語が聞こえてきたぞ。
きょとんとした彩綾を見たテオが「おい!」と慌てたように団員達を睨む。
なんとなくモヤモヤしたけれど、テオは26才の独身者。
どこへ通おうとそれはテオの勝手だ。
そんなことをぼんやりと思っていると、いつの間にか彩綾は団員達に囲まれていた。
「誰か恋人いますか?」
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「俺が立候補してもいいですか?」
「いや、俺も!俺、結構大きな商会の息子なんでお金には困らせませんよ」
寄ってきた騎士達の勢いに、おもわず後退りをする。
あー対応がめんどくさい。
どうしよう。
逃げてしまおうと思った彩綾はもう一歩後ろに下がった。
下がったところに段差があったようで、足を取られてバランスを崩してしまう。
─しまった。
咄嗟に体勢を立て直そうと足に力を入れて踏ん張った彩綾は左足の足首に鈍痛を感じながらも、みっともなく転ばずに済んでほっとする。
「大丈夫か?」
いつの間にかテオが横にいた。
背中に温かなものを感じる。どうやら、テオが彩綾の背中を支えて受け止めてくれたようだ。
彩綾が頷くと、テオが部下達に「お前達グランド六周してこい!」と唸るような声で叫んだ。
「はい!!」と震えたような声で返事した団員達は慌てて駆けていく。
「……すまなかった」
「いえ!支えてくれてありがとうございます」
テオの温かな手に体重をかけてしまっていたことに気がついた彩綾は、慌てて一歩前に出て離れようとした。
「痛っ!」
鈍痛を感じた左足に体重を乗せた時にピリッとした痛みが走ったせいで、思わず声が出てしまった。
「怪我をしたのか?」
慌てたようにテオが彩綾の顔を覗き込む。
「多分、さっき足を捻っただけだから……」
最後まで言い終わらないうちに、テオが彩綾を横抱きに抱えて歩き出した。
「ひゃあ!ちょ、ちょっと!テオさん!!」
慌てたようにテオを呼ぶ彩綾を一瞥すると「早く医務室へ行くべきだ」とテオが返してきた。
抱えられたことで、テオの顔と距離が近くなる。
ほぼ真下から見上げたテオの顔が端正すぎて目のやり場に困る。
「一人で行けます」
「痛みがあるのであれば歩くと酷くなる。少しだけ我慢しろ」
「私、重いですよ。腰やられますよ」
「は?軽すぎだろ」
じろりと見下ろしたテオは「黙っておけ」と言うとスタスタと歩き続ける。
これっていわゆる、お姫様抱っこだよね?!
人生でしてもらう機会なんてないと思っていた。
初めてのことに、彩綾はどこに視線を向ければいいかわからないし、どこまでテオの腕に体重をかけていいのかわからなくて、体をカチコチに強張らせたまま医務室まで運ばれた。




