73話 軍神魔王・カルナバル5
† † †
東の住宅街、その上空で壬生黒百合はイクスプロイット・エネミー“尸解兵・渾敦”と交差を繰り返していた。
(大気を踏みしめる能力――これは厄介)
渾敦が保有するアビリティ《空を笑う凶獣》は飛行能力、より正確に言えば虚空を地面のように踏みしめられる能力であった。飛行と踏みしめられる、この違いは実際に拳法家の場合、天と地の差がある。
『カカ!!』
『くんぞ、クロ!』
SDモナルダがペシペシと黒百合の頭を叩いた瞬間、ダン! と大気を踏みしめ渾敦が迫る。鋭い前蹴り、それを黒百合は一本の尾を大太刀に変えて受け止めた。
「――ッ!」
ドォ! と吹き飛ばされた黒百合は、足元に別の大太刀を形成。そこに降り立った時には、ヒュガガ! と二本の大鎧による両腕を作り出すと渾敦へと解き放った。左右から掌を打ち合わせるように迫る大鎧の両腕、それを前蹴りを繰り出した体勢だった渾敦は蹴り足で虚空を蹴り、紙一重で上へ回避した。
『ずっこくない!? うごきがおかしんだけど!?』
「飛んでいるなら、足元は踏みしめられない。ほとんど手打ちの攻撃だから、威力はないに等しい。でも、大気を足場のように踏みしめられるならあの無茶な軌道も頷ける」
奇しくもアカネがカラドックに語っていた、地面反力の問題だ。拳法家において、踏みしめられるか否か。その差は凄まじく大きい――加えて、こちらは足場は不安定。空中はどう考えても、渾敦の独壇場だ。
『おい、だいじょうぶなんだろうな、クロォ』
焦るSDモナルダを、黒百合は頭に手を伸ばして撫でて宥める。うまく髪飾りに腰掛けているのか、しっかりと固定されているようだ――。
(実は対処するだけなら簡単なんだけど……)
相手に気取られないよう、そこは口にはしない。相手はイクスプロイット・エネミーだ。ダメージ系《超過英雄譚》を複数使用しなければ、倒すことはできない――その条件がある限り、渾敦との勝負で重要なのはタイミングとなる。
「問題は、さっきすごい音がした北の方」
黒百合は、視線を送る。城壁の一部が壊れ、噴煙が上がるセント・アンジェリーナの北の城壁。そこで何が起きているのか、今の黒百合に知る術はなかった。
† † †
――なんなんだ、これは!?
そして、その現場にいながら状況を納得できていないのが他でもない“序列第二位魔王尸解仙蚩尤・影”だ。
《――イクスプロイット・エネミーには、称号《英雄候補》並びに《英雄》を所持していないPC・NPCはダメージを与えられません》
「ふむふむ」
システムメッセージの説明に、十三番目の騎士はしたり顔で頷く。それを見て、戟を構え直した蚩尤が細く強く息を吸い――止めると同時に踏み込んだ。
「――シィ!」
どこまでも鋭くどこまでも重い刺突。それに騎士は左手に取った赤いマントを翻した。
『アーツ《受け流し》』
口ではない、思考入力。マントの裾が戟の長柄に絡みつき、払った動きで軌道がずらされる。その瞬間、ガクン! と蚩尤は自分の動きが止まったことを知った。
(今度はなんだ!?)
蚩尤は全神経を研ぎ澄まし、その理由を察知する。騎士の左足だ。その爪先が蚩尤の刺突の際に踏み出した足の甲を踏んでいる――足、という起点を奪われ、動きが阻害されたのだ。
「っ!?」
ガン! と不意に蚩尤が天を仰がされる。騎士のバスタードソード、その柄頭が顎を強打し上を強引に向かされたのだ――その流れで騎士の左手がバスタードソードの柄を掴み、両手による大上段の振り下ろしが蚩尤を捉えた。
《――イクスプロイット・エネミーには、称号《英雄候補》並びに《英雄》を所持していないPC・NPCはダメージを与えられません》
「ふむふむ、やはりシステムメッセージは変わらないな」
振り下ろした剣が蚩尤の肩を捉えたものの弾かれた感覚に、騎士は後方へ滑るように後退。改めて、構え直す――もう、これで五度目の確認だった。
「……どういうことだ?」
「ん? そんなに難しいことはしていないよ。試しに今度は私から行こうか?」
右手のバスタードソードの切っ先を下げ、左手でマントの裾を掴む。その体勢で無造作に、騎士は蚩尤に近づいた。ここまではいい、おかしなところは一切ない。問題は――。
「チィ!!」
フ、とコマ送りのように剣の間合いに騎士が姿を現した。武術家だからこそ、体術を極めているからこそ、この異常さを蚩尤は理解する。
(予備動作抜きで、これか!)
騎士がやっているのは、日本の古武術に伝わる特殊な歩法だ。身体の力を抜き、膝から崩れ落ちる――その崩れ落ちるという動きを利用して一切の予備動作抜きで前へ踏み込む特殊な歩法。他でもない、この騎士の娘婿が得意とした歩法であった。
「ッ!」
蚩尤は身を沈め、首を横から刈りに来た剣を回避。そこから身を跳ね上げて、反撃を試みる――はずだった。
「――っと」
だが、蚩尤が身を跳ね上げるより早く。騎士の左足に肩を踏まれ、動きを抑え込まれる。あまりにもあっけなく、あまりにも容易く――蚩尤の行動がキャンセルされる。
『VRゲームの妙、というヤツだよ。動作のでかがり、動作の起点。それが起きなければ、動作のすべてがキャンセルされる』
騎士の『ゾーン』による思考入力を同じく『ゾーン』で思考読解した蚩尤は、次の動きをしようとする。だが、そのことごとく、起点を騎士は自然に読み取り、抑えていった。
『リアルでは、ここまで上手くいかない。VRゲームに「動作を判定しなくてはいけない」という独自のルールが存在するからこそ、起きる現象だ。0と1の隙間、フレームの境界線。そこに踏み入れて初めてできる、ま、ちょっとした特技だよ』
『――イカれてるのか、お前!』
魔王が戦慄する、もはや『ゾーン』がどうだとか反射速度がどうだとかそういうレベルの話ではない。VRゲームの根幹、動くという表現、その基本中の基本。世界の法則に対する反逆とも言うべき神業だった。
『あいにく、言われ慣れた台詞だ』
騎士が下段から剣を振り上げる。蚩尤の胴を捉えた切っ先は、魔王の身体をわずかに浮かせて後退するのみだった。
《――イクスプロイット・エネミーには、称号《英雄候補》並びに《英雄》を所持していないPC・NPCはダメージを与えられません》
その六度目のシステムメッセージを聞きながら、騎士――サー・ロジャーは考える。
(とはいえ長くはもたないな、これは。長時間『ゾーン』を発動させると、目が霞むのだよね)
サー・ロジャーは最強か否か? ――その問いに本人はこう答えるだろう。一〇分という時間制限を付けていいのなら、いかなるVR格闘アクションゲームであろうと今だに最強である、と。
しかし、寄る年波には勝てない。長時間の集中に、老いた身体がついていけないのだ。身体を鍛え直し、体力は徐々に取り戻している。だが、神経はそうはいかないからだ。
(それに加えて、うーむ。このお嬢さん、本当に学習しとらんかね? 最近のAIは本当に優秀だね、うん)
あまりこちらの手の内を見せるのも、と思うのだが、お嬢さんが楽しみながら学習してくれるので面白くなってつい教え込んでしまう。悪い癖だな、と思う反面、ワクワクもするのだ。
「さて、なにを見せてくれる? “魔王”。まさか、これで終わりとは言わんだろう?」
久々に枯れたはずの血が騒ぐ戦いだ、それを楽しみたい自分もいる――サー・ロジャーの挑発に、蚩尤は戟を改めて構えた。
「いや、対処法はあるんだが、やりたくない」
負け惜しみではなく、尸解仙として魔王として、人の形を失えば騎士の神業を無効化できる確信はあった。だが、それは駄目だ。武術家としての自分の敗北を意味する。
「決めた、我はお前に武を持って勝つ。でないと駄目だ」
尸解仙、魔王として勝ったとしても、武術家として敗北したその事実は己の中の武人を殺すことにほかならない。そうなれば、もはや自分は本当の意味でただの悪逆無道に成り果てるだけだ――それが尸解仙として魔王として正しくても我でなくなることを意味する。
「悪と武、双方揃っての我よ。付き合ってもらうぞ、騎士よ」
「断っても突き合わせるのだろう?」
「――当っ、然っ、だ!!」
魔王が戟による連続突きを繰り出す。騎士は舌を巻く、もう対処してきた。こちらよりも遠い間合いからの攻撃、そうなれば出掛かりを潰すという強制キャンセルは使えない。
繰り出される殺気の線を躱しながら、騎士は思考入力で言い放つ。
『他にも芸はいくらでもあるよ?』
『そのすべてを攻略するまでッ!』
技と技、武勇と武勇。互いに決して、無粋な真似はしようとしない。だからこそ、魔王と騎士は真っ向から武を持って鎬を削りあった。
† † †
これが二一世紀VR格闘ゲーム史上最強と呼ばれた男の実力、その一端である。
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