第94話 危機
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二度目のワクチン接種が近づいてきました。水を多めに飲めば多少軽くなると聞いているので、今から飲んどきます。
「ねーねー、まんなかついたよー」
知ってるよ、緑織ちゃん。
「ここでなにするのー?」
いろいろ調べてみるんだよ。水神さんにお願いしてね。
「おさかないっぱーい! とってきていーいー?」
うーん、危ない卵もいっぱいだからちょっとだけ待ってね。
「ニャーオー、おへんじしてよー!」
鬼畜だねあんた。膝ついて肩で息してんの見てわかんないかな。
様子を見ながら行きたかったのに、下ろした途端爆走されるなんて思わなかったよ。走らないって約束してたのに。おかげでもう湖のど真ん中だ。自分で走ったわけじゃないのに、下手に力んだせいで呼吸を整えられない。心臓破裂しそう。
「み、緑織、この近くに、はあ、魚以外、なんかおる?」
酸素を求めるせいで言葉が途切れ途切れになる。緑織は足場にしてる紋様から水中を覗き込んで、うーんと唸った。
「なんかねー、ゆらゆらしてるー」
「ゆ、ゆらゆら?」
何それ? 波じゃなくて?
「えっとねー、レンゲねえちゃんぐらいおおきくてー、とうめいでー、こっちみてるー」
……え? こっち見てる? 漣華さんばりのデカブツが? マジで?
急いで立ち上がって緑織を抱き上げる。直後、湖面が渦を巻き始めた。
サラサラと音を立てて、渦の中心が盛り上がる。危ない時感じるぞわぞわ感がないから、危険ではないと思う。でも正直怖い。
漣華さんを呼びたいけど、目が離せない。見る間に形が変わっていく。
一際高く盛り上がった先端が、指を絡ませ合った掌になった。指がほどかれて、二股に分かれて腕になる。
ゆっくりと下りてきた、私の背丈ほどある掌に掬い上げられて、尻餅をついた。湖面が遠くなる。胸元にしがみつく緑織の爪がちょっと痛い。
〖初めまして、スィグ・ツァリドナ。来てくれてありがとう〗
女の人の形になった水がにっこり微笑みかけてきた。でかい。でか過ぎる。どちらの大仏様ですかって聞きたくなるでかさだ。
「あの、私、直央っていうんです、けど……。ツ、ツァリドナ? って人じゃなくてですね……」
〖わかってるわ。神様から加護を授かっている方々を、私達はツァリドナと呼ぶの〗
くすくすと、水の女の人は笑った。この声、真っ暗な夢の中で聞いた声だ。
〖私はラタナ・メナ。湖の精霊。この湖と一緒に生まれたの〗
メナって、湖と同じ名前だな。
「えっと、ラタナさん、でいいですか?」
〖ええ〗
ラタナさんは嬉しそうに微笑んだ。可愛いな。
「あの、夢の中で会いました? 声を聞いたことがあるんですけど……」
〖そうよ。気づいてくれて嬉しいわ。私の声、あの町の誰にも届かなくて困っていたの〗
そう言って悲しそうな顔をするもんだから、つい頬を撫でてしまった。嫌がられるかと思ったけど、逆に頬擦りされた。
〖でもいいの。あなたが気づいてくれたから。スィグ・ツァリドナ。水神様の加護を持つあなたにお願いがあるの。アタナヤのことよ〗
柔らかかった表情が真剣なものに変わる。緑織を抱え直した。
〖アタナヤはアシュラン王国の国土の中ではこの湖にしか棲息していなかったの。ここを中心に、繁殖と死を細々と繰り返していたわ。だけどトールレン町の人々が水路を造ってしまった。卵が流れ出ていってしまったの〗
ラタナさんが悔しそうな顔をした。
〖湖の周りで虫や小動物に寄生する分には問題ないけど、町の生き物に寄生したら、成虫になったらどうなるかなんて考えなくてもわかるわ。止めようとしたけど、声が届かないせいで止められなかった。こんななりだけど、私には戦う術がないのよ〗
「そうなんですね……」
〖卵が町に辿り着いてしまってからも、アタナヤが育たないように祈ったわ。でも駄目だった。だから私の友達に、アタナヤが羽化する前に始末するよう頼んだの〗
冷気の塊が頬を撫でた。驚いて横を見れば、何もいなかった。
〖その仔はクェント。リセ・ルトリナという霧の妖精よ。この仔と一緒にあなたの夢に喚ばれたの。今までアタナヤが羽化する直前に宿主を攻撃してもらってたんだけど……。可哀想なことをしたわ〗
家畜達が負っていたあの不可思議な傷痕はそいつかい。
「殺す以外に方法はなかったんですか?」
〖ないわ。一度寄生されたら卵が孵らないことを、幼虫が育たないことを祈るしかない。あの晩はクェントが羽化に間に合わなかったの〗
「そうですか……。あの、直前じゃないといけない理由はあるんですか?」
〖アタナヤは育ちにくい魔虫だけど、蛹の殻はとても強いの。羽化してからじゃないとクェントの攻撃は届かない。死んでしまうかもしれない幼虫を恐れて動物達を殺すわけにはいかないから、蛹から羽化して、宿主から羽化するまでの間に仕留めるしかなかったの〗
そうか。二重の蛹ってことね。
〖お願い、スィグ・ツァリドナ。アタナヤの命の輪を元に戻したいの。彼らは町に行ってはいけない。どうか手伝って〗
今にも泣き出しそうな顔でラタナさんが言った。とは言っても、水門は閉じてるんだよね? ギルマス達も卵のことは知ってるし、大丈夫だと思うんだけど。
「あの、斧のギルマス達にはもう卵の存在を説明してるんです。水門も閉じてくれたし、しばらく待てば大丈夫かと」
〖ううん、間に合わなかったの〗
ラタナさんは首を振った。
〖あなたの仔ども達は流れていった卵を処理してくれたわ。だけどその前に流れ込んだ卵がいくつもあるの〗
血の気が引いた。目を丸くした緑織が見上げてくる。
〖宿主になったのが動物達ならまだよかった。成虫になったアタナヤの体が大きいだけで済むもの。だけど今回は違う。知恵がついて、賢くなって、作戦を練るようになるわ〗
「……まさか」
〖卵は既に孵ってしまった。今までにない早さで成長してる。個体によっては今夜羽化するわ〗
あの水路は家畜用の水だったはず。なのになんで? ……いや、自分が子どもの頃、言われてても大人の言うことを聞かなかった時もある。それと同じか。
〖あなたにしか頼めないの。お願い。町の子ども達を助けて〗




