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第一話 剣聖カイルズ・アーガイン伯爵の嘘

楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価や感想、ご意見などをいただけると幸いです。

今後の糧や参考にしたいと思っております。


※2~3日で完結する予定です。

 剣聖カイルズ・アーガイン伯爵は困惑していた。

 目の前に立つ、本日十歳を迎えたばかりの愛娘の放った剣閃が、あまりにも鋭すぎたゆえだ。三ヶ月前とはまるで別人。

 しかし。



「ぬん!」



 カイルズは巨大な剣を振り下ろす。

 娘は片足を引きながらドレスの裾を翻して躱し、その勢いを利用して小さな肉体を低い位置で回転させた。


 扇状に広がる長い金色の髪。ほんのり赤らんだ頬。

 飛び散る汗さえ、結晶石のように輝いて見える。



 うちの娘、かわえぇぇぇ!



 目を奪われたほんの一瞬、回転での力の溜めを終えた娘の刃が、下段から襲い来る。



「やっ!」



 だが視えている。見切れぬほどではない。

 幾多の修羅場をくぐってきた剣聖カイルズ・アーガインには。



「フフ、まだまだ甘いな」



 カイルズはとっさに愛剣を寝かせてそれを受け止めた。

 金属同士のぶつかり合う甲高い音が、アーガイン流剣術道場に響き渡る。さらに追撃に出ようとしたリフィエラに対し、カイルズは静かに息を吐いて切っ先を下ろした。

 リフィエラがたたらを踏む。



「いかがなさいましたか。父上」



 鼻に掛かったような甘く幼い声。

 白を基調とした濃紺の縁取りのあるバトルドレスに身を包み、小さな胸を反らすように張って正眼に構え、リフィエラは愛らしい瞳でそう言った。



「しばし、しばし待つがいい。リフィエラよ」

「?」



 カイルズは幼少期より剣術を嗜んでいた。

 伯爵家の長男に生を受けたとはいえ、貴族が護身を目的として嗜む細剣(レイピア)剣術ではない。あのようなものは戦地においては何の役にも立たぬお遊びだからだ。


 最初に握ったのは両刃剣(ブロードソード)であった。片手で取り回しやすく、殺傷力もレイピアの比ではなかった。事実、カイルズは魔物退治や国防任務において凄まじい功績を残し、十代後半にはすでに騎士団小隊を任されるようになっていた。


 鍛え続けた肉体の発達により、使い古されたブロードソードでは頼りなく感じ始めていたのも、ちょうどその頃だ。短く、そして軽すぎるのだ。これでは肩を痛めてしまう。


 もっと、もっと重く、何者にも断ち斬られぬ頑丈な剣を。

 大剣(クレイモア)か。いいや、もっとだ。己ならばさらに大きな特大剣(ツヴァイヘンダー)か。左手を柄に、右手を刃の根元(リカッソ)に。


 やがてカイルズは戦場において、敵兵から死神と恐れられるようになる。

 己の身長ほどもあるツヴァイヘンダーをまるで片手剣であるかのような剣速で振り回し、世に仇成す魔物を斬り、仕えるアストラム帝国と敵対していた隣国ルイン王国の軍と戦って戦場に血風を巻き起こした。

 ツヴァイヘンダーの一振りで、三人もの騎士を斬った。その重撃で、巨大な攻城兵器を破壊したこともある。上位の魔物とて一撃だ。



 剣は己のすべてだ――!



 何度もツヴァイヘンダーを振るって自軍を救ううち、死神という忌むべき渾名は、やがて剣聖と呼ばれる名誉なものへと変化した。

 そうして数年後、ルイン王国はついにアストラム帝国に屈し、併合された。立役者となったのは、もちろん若き日のカイルズだ。

 この戦でカイルズは、皇帝陛下よりマーズウェストという地方都市の領主(ロード)に任命された。


 戦後には、人に仇成す竜を討つため、討伐隊に志願した。

 百余名からなる討伐隊はその大半が命を失ったが、邪竜もまたその命を散らした。とどめを刺したのは、むろん、己のツヴァイヘンダーだ。

 頑強な竜鱗を叩き割り、その頸を落とした。


 剣聖カイルズ・アーガイン伯爵の名声は、国内に留まらなかった。

 世界的英雄となった。順風満帆の人生だった。


 同時期、カイルズは己の剣術を後世に残すべく、アーガイン流剣術道場を創設した。

 さらに同時期、邪竜討伐隊でカイルズに神聖魔法をかけ続けてくれていた女性、併合したルイン王国の聖女だったミリカ・ベルファリオを妻に娶り、すぐに愛する娘にも恵まれた。


 彼女こそが目の前に立つ幼き少女、リフィエラ・アーガインである。


 リフィエラは己に劣らぬほどの天賦の才を持っていた。

 母譲りの美貌と知性、そして父譲りの肉体性能。それを知ったとき、カイルズは狂喜乱舞した。愛する娘の人生もまた、己と同じくして幸福を辿るものと知れたからだ。


 リフィエラは赤子の頃から剣聖たる父と、聖女たるミリカの背を見て育った。

 立ち上がると同時に玩具の剣を手にし、剣聖の父の下で剣術を遊びながら学んだ。

 言葉を発すると同時に、聖女たる母の下で楽しみながら神の言葉を学んだ。


 だが、誤算はすぐにやってきた。


 才能に恵まれすぎていたのだ。彼女は。

 九つになり入学した士官騎士学校(ナイツアカデミア)の教師を、一度だけ座学で邪気なく論破した。恥をかかされた教師はリフィエラに冷たくあたり、剣術演習の時間に彼女をしごき始めた。

 このことはリフィエラが他言しなかったため、なかなか表沙汰になることはなかった。図に乗った教師はリフィエラを目の敵にする。


 しかしわずか一ヶ月後、リフィエラは剣術の時間にこの教師を叩きのめした。九つの子が二十代である男性教師に剣術で勝ってしまったのだ。何度再戦しても、結果は変わらなかった。


 唖然とする教師を前にして、リフィエラは自ら頭を垂れて言った。

 幼く、鼻に掛かったような甘い声で。



「一ヶ月にも及ぶ良き薫陶、ありがとうございました。このような未熟者に対し、本気でぶつかってくださった教師はあなただけだった。ですがもはや、座学、剣術ともに、あなたから学べることはないようだ。本日、わたしは卒業させていただく」



 無邪気に微笑みながら、心よりの感謝を込めて。

 わずか九つの子がだ。

 事実、彼の知力も武力も、すでにリフィエラには及ばないのだから。


 己の所業を恥じ、この一件を機に心を入れ替えた教師は、十数年後に騎士団中隊を率いて偉業を成し遂げることになるが、このときはまだ誰も知らない。


 カイルズは戸惑った。

 誤算だった。まさか将来を約束される士官騎士学校を、勝手に辞めて帰ってくるとは。だが、同時に誇らしくもあった。


 私の愛する娘は、これほどまでに優れているのだ、と。


 ならばと、母ミリカはリフィエラに、ルイン併合地区にある全寮制の神聖魔法学園セイクリッドメイジ・アカデミアに入ってはどうかと薦めた。神の声聞く聖女を目指すのも、悪くはないからだ。


 リフィエラは素直に神聖魔法学園に入った。


 だがまたしても一ヶ月後、唐突に帝都リアーズベル大教会の大司教からの手紙を手に、彼女は戻ってきてしまったのだ。

 手紙には神学をすべて修め、支援・治癒・付与、すべての神聖魔法を習得してしまったのだと記されていた。すでに神聖魔法学園で彼女が学べることはなくなったということだ。


 カイルズは行き場のないリフィエラを、自らの道場に通わせた。

 そこでもリフィエラはメキメキと腕を上げ、日ごとに兄弟子たちを圧倒していった。もはや彼女と正面から打ち合える者は、成人した高弟たちの中にすらいなかった。


 一ヶ月たらずで師範代にまで上り詰めたリフィエラに対し、最後に立ち塞がった壁は、アーガイン流剣術道場の開祖、剣聖たる父カイルズ・アーガイン伯爵その人だった。


 リフィエラは毎日のように剣聖カイルズに戦いを挑んだ。久しぶりに見せる生き生きとした顔の娘に、カイルズは厳しくも優しい薫陶を与え続けた。


 だが、カイルズにとって二度目の誤算がやってくる。

 世界に比肩する者なしと言われる剣聖カイルズですら、彼女の剣術に油断ができなくなりつつあったのだ。


 そしてリフィエラが十歳の誕生日を迎えた今日――……。



「いかがなさいましたか。父上」

「いや。ふむ」



 十数合打ち合った。彼女の望む通り、互いに真剣でだ。しかも長年愛用してきた特大剣(ツヴァイヘンダー)まで持ち出して。

 引き換え、リフィエラの持つ剣は、己がかつて愛用していた、ただの古びた両刃剣(ブロードソード)に過ぎない。


 本来ならば打ち合えるはずなどないのだ。

 刃がかち合えば、一瞬で手から弾き飛ばされるほどの重量差があるのだから。使用者同士の体重も、剣の重量も違い過ぎる。


 にもかかわらず、リフィエラはきょとんとして。平然と。



「父上?」



 カイルズは恐れた。つうと、額から汗が頬に伝った。


 刃を合わせたとき、打ち込んだ己の剣はすべて力を去なされ、打ち込まれたリフィエラの剣は刃で受け止めた。一見すれば互角に見えたはずだ。


 だが。今し方。


 彼女の剣を受け止めたとき、両足が浮いた。十歳の少女の剣から放たれたその凄まじい衝撃に、大の大人の両足が浮いたのだ。

 まるで竜の爪を剣で防いだときに近い衝撃が、全身に走った。邪竜討伐時はミリカの支援魔法があったおかげで、どうということもなかったのだが。



 ぁ(いった)ぁ~……。



 顔で笑って、心で泣いて。

 腕が骨の髄までじんじんと痺れていた。筋肉が断裂し、血管が破れたかと錯覚した。

 カイルズは心の底から焦った。



 ……あかんわ、これ……続けたら死んじゃうかもしれん……。

 つ~かもう、折れちゃってんだよね~……。私の肋骨(あばら)……。

 さっき剣で防いだときにさぁ~……、押し切られて折れちゃったのよねぇ~……。



 リフィエラが静かに息を吐いて、ブロードソードの切っ先を下ろした。

 汗一つかいていない。呼吸の乱れすらないのにだ。

 幼い少女を取り巻いていた濃厚な闘気が、瞬時に霧散する。


 内心の安堵をひた隠し、精一杯格好をつけた低い声で、カイルズが尋ねた。



「ふむ。今日はもう終わりにするか、リフィエラ?」



 当然、肋骨が粉砕されたことなど顔には出さない。愛する娘に対する父の矜持である。痛みによる脂汗は止めようがないけれど。あとでミリカに神聖魔法・治癒で治してもらわねば。


 リフィエラはカイルズに視線を向けて、首を左右に振る。



「いえ。どうも父上が――」

「わ、私が? 私が何っ!?」



 バレてる? パパがほんとは限界なのバレてるの!?



 リフィエラが再びため息をついた。

 そうして重々しく口を開く。



「集中してくれてはおられぬようです。やはり音に聞こえし剣聖たる父上でも、我が娘を相手に本気など出せませぬか?」

「――!」



 カイルズは心の中で小さくガッツポーズをした。



 勘違いしてくれてるぅ~! そういうところが可愛いんだぞ、リフィたんったらぁ! もう~、このこのぉ~!



 だがおくびにも出さず、カイルズはキリリと引き締まった表情で毅然としてこたえる。低く、道場に響く渋い声で。



「当然であろう。稽古用の木剣ならばともかく、愛する娘に殺気のこもった刃を向けられる父親がどこの世界にいるものか」

「やはりそうでしたか。竜殺しのツヴァイヘンダーを握った父上が、よもや()()()()なわけがありませぬゆえ」



 こ、ここ、この程度ぉぉ~~~!?

 パパ哀しい。すっごい本気だったのに。



「しかしこのままでは、わたしはいつまで経っても父上、あなたを超えられない。わたしは父上とは違って自身に神聖魔法(バフ)までかけているというのに、この有様なのですから。く、不甲斐ない……!」

「はは。当然であろう。遙か長きにわたる剣術の途を甘く見るな、リフィエラ。神聖魔法の有無などで覆せるものではない」



 いや、超えちゃってんだよね~……。

 ミリカさんに同じ神聖魔法をかけてもらえば、まだ私のほうが強い()()だけど、一対一だともう完全に超えられちゃってんのよね~……。

 自己バフって強いよねぇ~……。

 でもさぁ、私には神聖魔法がないからリフィたんだけズルい~なんて言ったら、父親としての威厳なくしそうだし、そこはやっぱ素直には認めらんないよねぇ~……。娘にはいつまでも尊敬していてほしいよねぇ~……。てか痛いよね~、肋骨……。



「とはいえ、私とおまえでは、剣にかかわってきた年月が違い過ぎる。おまえは自分の速度で成長するがいい。さすれば私と同様に、いずれは武の極みに達することができるであろう」

「わたしは今日、その極みたる父上に追いつきたかったのです。あなたの背をずっと追ってきた。隣に並び立つ日を夢見て」



 いやぁ、でもその背中ってほんとは幻なのよねぇ~……。実際はもう私がリフィたんの背中見せつけられちゃってんのよねぇ~……。



 実際問題、このまま稽古稽古でリフィエラの相手をし続けたら、近いうちに身体をぶっ壊されることになるだろう。この愛してやまない娘に。

 正直最近では、彼女の稽古相手はもう限界だった。稽古後に妻である聖女ミリカに神聖魔法・治癒をかけてもらわなければ、すでに満身創痍となっていただろう。事実、今日も肋骨は折れているし、腕の痺れもまだ取れていない。



 うん? あ、痺れじゃないわ、これ。ヒビ入ってるわ。手首あたりがドス紫に変色してて腫れてきたもん。



 こうなってしまっては、もはや最終手段に出る他ない。

 カイルズが真摯な表情で静かに咳払いを一つした。そして低く威厳に満ちた声で愛する娘に告げる。



「ならばリフィエラ。おまえに良き薫陶を与えてくれる友を捜すがいい。私とミリカがそうであったように、互いに尊敬し、高め合える相棒を捜すのだ」



 その愛する妻ミリカは、柱の陰から夫の体たらくを「プゥークスクス」と笑いながら覗いていることに、二人は気づいていない。



「相棒、ですか」

「そうだ。おまえには比類なき天賦の才がある。剣術の将来性については、剣聖である私が保証しよう。神聖魔法に関しては聖女であるミリカが保証してくれよう。だが、本気で高め合えるだけの力を持った存在だけが、おまえにはいない。それが私とおまえの差となり出ているのだろう」

「なるほど! 力を合わせたり、ぶつかり合ったりして、己を高めるのですね!」

「そうだ」



 素直!



「かつての私もおまえと同じ悩みを抱えていたときがあった。しかしミリカと出逢ったことで私は邪竜をも打ち倒せる力を得た。己に並びし力を持つ相棒さえいれば、おまえもそう遠くない未来、私のいる武の極地に立てるはずだ」

「わたしなど父上や母上に比べればまだまだです。その地が見えてすらいない」



 その盲目的なまでの尊敬が心地良いわ! フゥーハハハハ!



「そうかもしれぬ。だが、おまえは将来的には私もミリカも及ばぬ境地に達するだろう。互いに高め合えるだけの、おまえに釣り合うほどの相棒を見つけることができたならばな。しかしその天賦では、そう簡単には見つからぬであろう。ゆえに早いうちから捜しておくに越したことはない」

「なるほど」



 それほどの存在は、簡単には見つからないだろう。たかが剣聖()クラスでも見つからないのに、うちの娘クラスなどそうそういるわけがない。

 とりあえず剣術の興味が自身ではなく外部の強者どもに向けば、父親としての威厳はもうしばらく保てる。あと十年も時間を稼げれば、年齢を敗北の言い訳にも使えるだろう。



 剣聖カイルズ・アーガイン伯爵。

 深き愛ゆえに、どこまでも姑息な男だった。


 そのような考えなどつゆ知らず、リフィエラは幼い唇に掌をあてて、しばし目を閉じて黙考する。



「……父上に匹敵する殿方か。ふむ、なるほど。これは難解。だが、ふふ。だからこそおもしろい。燃えてくるというものだ」

「そうであろう? ………………え? 殿方? や、殿方に限ら――」



 リフィエラが瞼を上げた。

 可愛らしいくりくりお目々が光り輝く。



「ならば父上、わたしは近く帝都に向かい、強者集いし帝国騎士団に入団しようと思います。そこで将来の婿殿を捜すことといたしましょう」

「!?」



 えっ!? リフィたん結婚する気なの!? 嫌だぁ~っ!!



 カイルズは焦った。

 実例を夫婦で語ったのは痛恨の失敗だった。


剣聖(笑)

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[良い点] 新作投稿ありがとうございます(*^▽^)/★*☆♪ 満身創痍で脂汗流しながらも余裕を見せようと頑張る。 そんな健気で我慢強いパパさんが素敵だ(笑) [一言] てっきり、娘が強さを隠して父親…
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