3.3.6 対策の承認
「なるほど、殿下の周囲でそのようなことが起きていたか」
学院が講師棟の一室。主任としての事務作業のために用意された部屋で、御堂はその講師主任であるトルネーに事の次第を話していた。
椅子に腰掛けたまま御堂の報告を受けた彼は、普段から険しい表情の皺をより深くした。少し間を置いて、何か考えるように組んでいた手を解くと、机を指で叩きながら、御堂の目を見る。
「確かに、これは憂慮すべき事態だ。皇女殿下を狙う賊がこの学院近辺にまで入り込んでいて、しかも狙いは学徒にまで及ぶ可能性もあるとなってはな」
「ああ、相手の正体は掴めていない上に、殿下の話を聞く限り、かなりの戦力か厄介な術と、魔術を封じる魔具を有している……洗脳や催眠と言う類の魔術は、習得も使用も難しいんだったな?」
「ふん、授け人でも良く学んでいるな。そういった魔術は、相手が知性を持つ生物であれば、それだけ難易度が増す。それに、畜生や魔獣ならともかく、人間やエルフを相手にかけようとしたら、互いの内向魔素量も関係してくる」
「魔獣に術をかけるのは、簡単だと言うことか?」
御堂が思い出したのは、皇女を迎えに行った際に出くわしたバルバドの群れだ。
「いいや、比較的にと言うだけで、並の術士では満足に操ることもできん。人間では、かなり難しいだろうな」
「そうなると……相当に高位の魔術師であるというわけだな。俺が戦ったバルバドは、かなりの数がいたし、先に処理した男たちも四人いた」
この二つが同一人物、あるいは同じ組織の者によって引き起こされたことは、御堂もトルネーもほぼ確実に思えた。学院内での警備も担当している講師主任は、厄介なことだと眉をしかめた。
「先にお前が言った、賊が厄介な術を持っているという疑いは、ほぼ間違いなく当たりだな。厄介な魔具というのは、おそらく術封じの類だろうな。そんな希少品を賊が有しているのも、おかしな話だが」
「しかし、それらがわかっただけでは対策を取りようがないだろう……明日の行事、取り止めにはできないのか」
御皇女行幸最後の催しとして執り行われる行事は、賊から皇女や学徒を守るのにはあまりに不都合だった。更に言えば、それには多くの観客も集まる。それら全てを警護するには、人手も戦力も足りなかった。
しかし、トルネーは顔を更にしかめて、目を閉じて黙り込んでしまった。御堂の方も、講師主任がこうした反応をすることは、予見できていた。それでも続ける。
「学徒が操る魔道鎧による闘技大会。外部から学徒の親兄弟までやってきて、魔道鎧なんて大物を動かしていれば、警備の隙だって出来る。これでは、賊に狙ってくれと言っているようなものだ」
「……お前の言うことはもっともだ。だが、中止にはできん」
これも、予期できた返答。御堂も声を荒げたりはせず「理由は教えてもらえるのか」と、むしろ静かな声で訪ねた。
「今言った通り、この催しは帝国、共和国問わず、貴族からの注目度が高い。すでに観戦のために学院都市へ入った貴族も大勢いる。お前はぴんと来ないかもしれんが、貴族が一カ所に集うということは、かなりの大事だ。やってきた貴族の見栄と面子がかかっているからな」
「それだけじゃないんだろう」
「ああ、だが、似たような話だ。ここまで貴族を集めておいて、直前になって取り止めるなどとなっては、学院長の顔に泥を塗ることになる。学院長だけではない、皇女殿下にも同様のことになるだろうな。何人の首が飛ぶかわからん」
「だが……!」
「まぁ聞け、実を言えば、学院に賊が紛れ込んだという情報自体は、こちらも掴んでいた。術封じの魔具についてもな」
「何……?」
それに関して、御堂は初耳だった。学院の上層部だけが知っている話だとしても、皇女の世話役を任された自分にも、それくらいは教えておいてほしかった。そう言った意を含んだ視線を向けると、トルネーはふんと鼻を鳴らして一蹴した。
「賊の詳細はわかっていないし、それが何を狙っているかもわからない。そんなあやふやとした情報をお前に知らせて、空回りでもされたらこちらが困る。だから伝えなかった」
「そういうことか……それでも、教えておいて欲しかった」
「はっ、ただでさえあの皇女殿下の世話という重労働があるというのに、賊の対処までやらせていたら、何が起きるかわからんだろうが。お前もそれをわからないわけではあるまい?」
トルネーは険を見せた御堂に、最後に青臭いなとまで付け加えた。言われ、御堂は納得半分不満半分の表情を浮かべ、目元を緩めた。こればかりは、噛み付いた自分に落ち度があると思い直したのだ。
なんでもかんでも自分が動こうとするのは、この世界に来てから出来た御堂の悪癖かもしれない。ふと、地球にいた頃にも、教官から似たように咎められたことが一度あったのを思い出した。
(その時は、一人でなんでも背負おうとする奴は、自分の腕の本数もわかっていない馬鹿だと、教官から言われてしまったな)
「……その顔は、一応理解はしたということだな?」
「ああ、すまない。話をそらしてしまった」
小さく頭を下げた御堂にトルネーはまた鼻を鳴らした。それから両手の指を組み、口元を隠す。
「一言、お前に弁明してやる」
あの講師主任が珍しく、目線を外して気まずそうな体をした。何を言うのだろうと御堂が注目すると、いつもは静かながらも力のある言葉遣いをする彼の口が、言葉を紡いだ。
「行幸における役割さえなければ、お前を賊の対策に組み込んでいた。それくらいには、仕事ができる男だと我々は認識している……わかったな?」
そのらしくない遠回しな褒め言葉に、御堂はすっかり毒気を抜かれてしまった。ふっと、思わず微笑をこぼす。
「わかった、その信頼に応えられるようにさせてもらう」
「調子には乗るなよ」
「それもわかっている。それで、具体的にこちらはどう動く?」
話題を切り替え、真剣な顔になる。トルネーも指を解き、いつもの厳つい目付きに戻った。聞かれ、トルネーは「いくつか、そちらの動きに注文をつける」と切り出した。
「お前はきっと、魔道鎧で警護に入るのが最適だと考えているだろうが、今回それは無しだ」
「理由は?」
「先の報告であった、皇女殿下が受けたという術封じが使われたとしたら、魔術無しで賊に対抗できる者が一人でも多く殿下の側にいた方が良い。相手がその上で攻撃魔術を使ってきたとしても、我らには講師の外套があるからな」
これには納得できたので、御堂も素直に頷き、了承する。
「それはつまり、相手が魔道鎧を持ち出してくる可能性は低い、という認識で良いんだな?」
その上で、確認して起きたいことを訪ねた。相手が人間かエルフの魔術師であるならば、魔除けのローブがあればなんとか対抗できる。しかし、魔道鎧が出てきたら、AMWがない御堂では何もできない。御堂が考えている懸念をわかっているのか、トルネーは口調を変えず、淡々と答える。
「残念だが、絶対に無いとは言い切れない。学院都市に入り込む荷の確認は、この祭り騒ぎで疎かになってしまっているからな。それでも賊は生身で襲撃してくる方がありえると、こちらは考えている。魔術を封じるのならば、相手もそれに合わせて攻撃を仕掛けてくるだろうからな」
「ならば近くに俺の鎧、ネメスィを待機させておくのは問題ないか? それだけでも、対応力がかなり違うはずだ」
ある種の折衷案。せめてすぐに機体へ乗り込めるようにしておきたいという御堂の提案に、トルネーは何か考える風に口を閉じた。返事を待っていると「それくらいなら、良いか」と案を認めた。
「具体的な置き場所は、こちらで一案あるから任せてもらっても良いか、下男を何人か借りることになるが」
「構わん、お前に任せる……が、できるだけ人目につかないようにしてもらえると、ありがたい」
「その理由は……まぁ、察しはついているが」
今回、学院へやってくる貴族父兄からの己への評価を想像しただけで、トルネーの頼みの理由がわかってしまった。
「……非常に、非常にくだらないことだが、以前にお前が行った模擬演習での騒動を、良く思っていない貴族が多い。特に共和国のエルフからは悪感情が強くてな」
「表立って配置しておくと、貴族の機嫌を損ねるか」
「それはどうでも良い。が、警護に警護をつけなければならないという、本末転倒なことになりかねん……覚えておけミドール、お前が思っている以上に、貴族というのは感情で動く生き物だ」
「肝に銘じておくことにする」
貴族の子弟子女に学ばせる施設において、その貴族から認められている講師主任と、同じ立場ながらも評価が天と地ほど違う異邦人講師は、同時に深い溜め息を吐いた。
「ともかく、まだ他にも確認しておきたいことがある。良いか」
「無論だ。万全の体制で明日の行事を迎えることは、講師として最重要だからな」
二人の講師の話し合い、打ち合わせは、互いが納得するまでにかなりの時間を要した。結局、最後までトルネーは、御堂に学院側がしている備えの詳細を告げることをしなかった。それでも、御堂が強く聞き出そうとしなかったのは、講師主任と学院長に対する、一種の信頼があったからであった。




