2.4.2 宣戦布告
同じ頃、トーラレルもまた、一人の少女に呼び出しを受けていた。場所は剣術の講義などを行っている広場の片隅である。そこは、ちょうど日陰になっていて薄暗い。待ちぼうけしているエルフの少女は、手紙の差出人を思い浮かべて、思案していた。
(イセカー家の令嬢が、僕に何の用事だろうか……などと、考えられないね。心当たりが多すぎる)
おそらくは、彼女がご執心であるという騎士。講師でもある御堂についてだろう。彼と親しい態度を取っている自分に、何か言いたいことがあると見ていた。
(しかし、テンジャルを撒こうと思って早く移動したつもりだったが、それも杞憂だった)
いつもトーラレルにつきそってくる幼馴染みのエルフの顔を思い浮かべる。流石に呼び出しに他人を連れてくるのは悪いと思い、無理矢理にでもついてこようとするであろうテンジャルを煙に撒く時間を作っていた。
けれども当のテンジャルは、休み時間になるや否やさっさと教室から出て行ってしまった。自身も用事があったので引き留めなかったのだが、神妙な顔をしていたので、彼女も何かあったのかもしれない。
そうこう考えている内に、トーラレルの耳に足音が聞こえてきた。少女特有の軽い足音、聴覚も鋭い彼女には、それが呼び出し主であるラジュリィのものだとすぐにわかった。
(さて、彼のことで穏便に済ませられるかな)
噂で、相当の執着心を持っていると聞いている。トーラレルはなんとかして、怒れるであろう人間を諌めようかと思案する。
建物の裏手から、ラジュリィが姿を現した。“深海の真珠”と呼ばれるに相応しい美しい相貌と瑠璃色の髪。噂に違わず、人間にしておくのが勿体ないというエルフがいるのも納得がいくなと、トーラレルは内心で相手を評した。
「やぁ、ラジュリィさん」
「トーラレルさん。お久しぶりですね……と言っても、覚えてらっしゃらないかしら」
「いいや、覚えているさ。本当に幼い頃に一度、顔を見ただけだったけど、その頃から君は美しかったからね」
「私も、貴女はとても凜々しい、美しい女性になると思っていました」
世辞を言い合う二人。片やいつもの薄い笑み、片や澄まし顔。ここだけ切り取れば、ただの貴族令嬢同士のご挨拶に見える。だが、澄まし顔の少女は、内心にどろどろとした仄暗い劣情を抱いている。
「それで、こんなところに呼び出して何用かな?」
「本題に入りましょう。私の騎士であるミドールとは、どのような関係なのですか? 随分と目をかけてもらっているようですが」
「率直に聞くね」
「遠回しに言うのも、煩わしいですから」
思っていた通りのラジュリィからの問いに、トーラレルは肩を竦めて見せた。想定通り過ぎて、余裕すら感じている。
「どんな関係も何も、講師と学徒だよ。それ以上に見えるかい?」
すぐにそう返し、会話を切り上げようと思った。人間の恋煩いに巻き込まれるのは、面倒だからだ。だが、そう考えているはずなのに、トーラレルの心の片隅に小さい棘が刺さったような感触を覚えた。己の心中に沸いた違和感に、小さく眉を顰める。
傍目には、本心で否定したように見えるトーラレルに、ラジュリィは真っ向から睨み付けるように視線を鋭くした。
「はぐらかしですね」
「……なんだって?」
「嘘だと、言っているのですよ」
「どこに嘘があると言うんだい?」
彼女は何を言っているのか、と頭を振るトーラレルだったが、内心ではどきりと心音をたててしまっていた。先ほど抱いた違和感が、徐々に大きくなってきている。
「貴女の騎士ミドールに対する行動は、どう見ても好奇心を超えたものを感じさせます。違いますか?」
「……違うね、あの人は尊敬に値する講師で、私はそうだと思えたから、親しくしているだけだ」
自分で言っていて、トーラレルはどんどんと心に刺さった棘のような感覚が大きくなっているのを感じた。
それはなぜかと自問する。答えは一つだ。知らず知らずの内に、自分は自分に嘘をついている。己の心に、嘘で蓋をしようとしている。それを自覚しつつあった。
だが、その想いを認めるわけにはいかない。それを認めてしまったら、その尊敬の念を抱いている相手にも、周囲にも迷惑をかける。だから、虚勢を張る。
「講師ミドールと僕は、ただの講師と学徒の関係だよ。それが、君にとって不都合なことなのかい?」
「いいえ、本当にそうなら、私はなんとも思いません……気付いておられないのですか?」
「何が?」
聞き返すトーラレルに、今度はラジュリィが呆れたかのように肩を竦めて、言った。
「貴女が騎士ミドールを見るときの目は、恋する乙女に他ならないものだと言うことです」
それは図らずともトーラレルにとっての図星となった。少女は自身の行動を思い返す。
近くに御堂がいるとき、いつも視線で彼を追っている自分。話しかける口実を探している自分。彼自らに指南を受けられることに喜んでいる自分。それらを理解してしまった。
(……それでも、認めるわけには……)
エルフの少女は理性から、それでも嘘をつかねば、虚勢を張らねばならないという理由を探す。理由はいくらでも見つかる。種族間の溝、家のこと、周囲のこと。そうする必要はいくらでもあった。
だが、それよりも大きい「彼への想いを偽りたくない」という心が、十六歳の少女の心中を支配する。
なので、エルフの少女は息を一つ吐き、決意を固めた。もう、己に嘘をつくのは、心を偽るのはやめようと、そう決めた。
「……もし、僕の想いが君の言うとおりのものだったとして、君に何か不都合があるのかい?」
トーラレルの表情が、それまでしていた薄い笑みから変わる。つっと瞳を細め、挑発するようになった。それに対して、ラジュリィが今度は溜め息を吐いた。
「あの方は、騎士ミドールは私の身内です。強いて言えば、私のものです。人のものに手を出すなど、はしたないと思わないのですか?」
「彼は僕たちの講師だ。いつ君の専属になったんだい? そちらこそ、あまり講師ミドールの手を煩わせるべきではないんじゃないかな」
ラジュリィの琥珀色の瞳が、きっと鋭くなる。トーラレルの薄緑色の瞳が、また挑発的に細まる。無言で睨み合う二人。両者から殺気すら漏れている。ここにもし、話の発端である御堂がいたら、頭を抱えて困り果てていただろう。
「とにかく、私の騎士ミドールに、気安くしないでください。迷惑です」
「嫌だね。講師ミドールは、僕のために手を焼くのが役目だと言ってくれたんだ。君にとやかく言われる筋合いはないね」
「あの人のことを、何も知らないくせに」
「これから知ればいいさ」
「私たちの絆は絶対です。横入りされる隙などありません」
「それはどうかな? 君の話を聞いていると、講師ミドールが如何に苦労しているか、察せられる気がするよ」
言われ、ラジュリィの表情が段々と険しくなる。視線で人を殺せそうなほどに、殺意を隠そうとしていない。そんな視線を向けられているというのに、トーラレルは普段通りの飄々とした態度を崩さない。
「そもそも、貴女は彼に恋慕はしていないと、否定していたではないですか」
「そうだと決めつけた君が言うのかい? まぁ、そうだね。この想いを自覚しなければ、僕は彼を尊敬の対象とだけ見ていただろうね」
「やはり恋をしていたと?」
「どうやら、そうらしい。こんな感情を異性に抱いたのは、生まれて初めてだ。講師ミドールには、責任を取って貰わないといけないね」
「そんな責任、騎士ミドールにはありません! 貴女が勝手にそう思っているだけです!」
「いいや、あるさ。それに、自身の先祖と同じ授け人に恋をする。運命的だとすら思うよ」
「なんと図々しいことを!」
「ともかく、彼は君のものじゃない。勝手に独占欲を抱くのは好きにすればいいけど、それで彼を困らせないでほしいね。あの人は、皆の講師なんだから」
最後にそう言い放って、トーラレルは身を翻した。もう相手のことも見ずに、背を向けてその場から離れて行く。その姿が消えるまで、ラジュリィは凄まじい形相で彼女を睨み付けていた。
一人の少女が想いを自覚し、宣戦布告は成った。御堂がこのことを知るのは、かなり後のことになる。




