2.4.3 秘匿する思い
ラジュリィと別れ、トーラレルは一足先に城内へと戻った。濃い赤色をした床を見下ろしながら、通路を進む。
(我ながら、大胆な発言をしたものだ)
先ほど、恋敵になるであろう相手に告げた言葉を思い出して、少女は僅かに頬を朱色に染めた。あれと同じ内容を直接、本人に伝えたらどうなってしまうのだろう。その場面を僅かに想像して、トーラレルは更に頬を赤くした。
軍閥貴族の娘に産まれ、辺境で隣国との戦いに備え、技術を磨いて力をつける。そのことだけに注力してきた自分のような女が、まさか、人間の異性にこんな感情を生むようになるなんて。そんなこと、これまでの彼女には予想もできなかった。
胸の高鳴りがしている。書籍の中でしか知らなかった初めての恋心というものは、制御するには難しすぎるように思えた。彼のことを好きなのだと自覚したから、次に会えるときが楽しみで、早く講義の時間が来ないかと考えてしまう。
トーラレルが自身の魔道鎧“イルガ・ルゥ”を父から与えられた時にも、喜びやときめき、高揚感を得たものだが、この思いはそれと似て非なる感情だった。
だが、緩みそうになった頬をトーラレルは引き締める。この思いをやたらと曝け出すのは危険だ。学院内にいる間は、できるだけ他者に知られないようにしないといけない。それだけ、この学び舎における御堂の立場は危ういのだ。
そう考えたとき、脳裏に「危険な恋」というフレーズが沸いて、少女は思わず吹き出しそうになった。こんな言葉が浮かぶほどに乙女な思考を己が持っていたことが、なぜだかおかしく感じたからだ。
「……イジン家の長女が、こんな風に考えられるようになるなんてね」
呟いて、自身の教室へと戻ろうと足を進める。その途中、後ろから駆け寄ってくる音が聞こえたので立ち止まった。
「姉様!」
そう声をかけてきたのはテンジャルだった。銀髪の髪を揺らし、振り返ったトーラレルの前で立ち止まった。急いで来たのか、息は上がり、肩を上下させている。何か火急のことがあったのかと、思考を切り替える。
「どうかしたかい、テンジャル、そんなに慌てて」
「いえ、少しでも早く姉様にお伝えをと、思いまして」
「落ち着きなよ。息を大きく吸って、吐いて、呼吸を整えるんだ」
言われた通りにテンジャルは数度、深呼吸をして、息を落ち着かせた。それを待ったトーラレルは「それで、何があったんだい」と改めて訪ねる。
「あの講師のことです! 姉様、あの男と親しくするのは、お止めください!」
思考を恋する乙女から切り替えたというのに、妹分が言い出したのはその意中の相手についてだった。気を入れたのが無駄になったように思えて、気が抜けてしまった。
「……講師ミドールと、何かあったの?」
「それです! あの講師をそう呼ぶ姉様は、どこかおかしいです!」
「敬意を示しているだけさ」
「人間の、しかも魔無しにそんな思いを抱くこと自体がおかしいのです!」
(……テンジャルの魔術至上主義にもまいったな)
困ったものだと、トーラレルは呆れ顔になった。この妹分は典型的な極端な思考をしている。魔術こそが至上の技であり、それを操ることに長けたエルフこそ、優良種属であるという考えに脳が染まっているのだ。これがエルフの多数派である。
少数派である変わり者に該当する少女は、我慢できずに溜め息を吐いた。
「それで、講師ミドールがどうかしたの?」
「私は、姉様の心変わりの元凶たる男に警告してきたのです。そしたら、あの男は武器を抜いて脅しをかけてきました! 危険です、関わると良くありません!」
必至な形相で言うテンジャルは気付かなかった。話を聞いていたトーラレルの瞳が静かに、怒りに近い感情を抱いたようになっていた。これは御堂に対してではなく、目の前の妹分に対してだった。
この少女が御堂に対して何をして、その結果どうなったかなど、付き合いが長いトーラレルには手に取るようにわかった。
「……テンジャル。君、講師ミドールに失礼を働いただろう」
「失礼など、向こうが先に――」
「君の早とちりの多さと短気さ、僕は良く知っているつもりだけれどね?」
「うぐっ……」
そう言われ、黙り込んでしまった妹分。自分の推測は当たっていることを確信したトーラレルは、彼女を嗜めることにした。
「テンジャル、彼に教えを請うているのは私なんだから、講師ミドールにあたるのは筋違いだろう」
「魔無しの講師から教わることなど、あるのですか」
「君だって見ただろう、彼の剣術の腕を、それに噂通り、魔道鎧も相当使えるとも聞いた。授け人というのは、やはり規格外だね」
トーラレルが御堂を褒める言葉を口にする度、テンジャルの顔が不満そうに膨れる。確かに、人間にしては容姿端麗であるし、講師をするだけの技術もある。
だが、それでも魔術が使えない一点がある時点で、御堂を認めるわけにはいかない。そんな思いが、テンジャルの中で強まっていた。今さっき、そんな相手に一瞬で負けたことも、反発心を生む要因になっている。
「だからこそ、僕は彼を尊敬し、学べることもあると見たんだ」
「人間風情に入れ込むなど、エルフとしての名が泣きます。考え直してください」
「そうやって人間を舐めていると、いつか足下を掬われて痛い目を見るよ。テンジャルこそ、少し考えを改めた方が良いんじゃないかな」
「……あの男の、何がそんなに良いのです。相談に一度乗ってくれただけの相手を、そこまで信じられる根拠はあるのですか」
「……講師ミドールが言ったのかい?」
もしや、彼が口を割ったのかと、トーラレルは眉をぴくりと揺らす。いや、彼がそう簡単に秘密を漏らすわけがない。そう思い直し、平常心を保った。
「何があったのかは聞いていません。それより、なぜ私たち同胞ではなく、人間に頼ったのです!」
「僕だって同じエルフ、同じ学徒には相談し難いことくらいあるさ」
「あんな男より我々が頼りにならないと言うんですか?!」
怒気すら出し始めたテンジャルが語気を強める。ここまで怒られると、流石に鎮めないとまずいと感じたトーラレルは、顎に手をやって思案する。
(いっそ、私の思いを言えたら楽なのかもしれないけれど)
一瞬、そう考える。だがそれは悪手だとすぐわかった。告げたが最後、この妹分は大反対の末に周囲を巻き込んで大暴れするだろう。そうなったら、最悪の結末が待っていることは間違いないと思えた。
「テンジャル。僕は彼を尊敬しているのは事実だ。こればかりは曲げようがない。イジン家のエルフとしてね」
「そんな……!」
考えを変えないと言われ、テンジャルが絶望したような泣き顔を浮かべる。だが、彼女は続ける。
「だけど、それだけなんだよ。それ以上の感情は抱きようがない。言ってしまえば、講師ミドールを利用して、僕は技術と力を得ようとしているのさ。学徒としてね」
「な、なるほど……?」
「講師に何かを教えてもらうのは学徒として当然ことだよ。そういう関係の相談をしたんだ。これからも良く教えてくれという意味のね。変な誤解を生んでしまって、悪かったよ」
ごめんと小さく頭を下げたトーラレルを見て、一瞬ぽかんとしたテンジャルは慌てて両手を左右に振る。
「い、いえ! 私こそ出過ぎた真似をしました、申し訳ありません!」
「わかってくれれば良いんだ。さ、次の講義が始まってしまう、早く教室へ戻ろう」
そう言って、さっさと早足で歩き始めたトーラレルの後ろを、テンジャルが慌てて追う。
前を行く少女は、なんとかして誤魔化せたことに、内心で安堵していたのだった。
このとき、これを遠くから魔術を使って聞いていた者がいた。
「講師を尊敬か……馬鹿らしい」
その男は頬を歪め、邪なことを考えながら、逆方向に立ち去った。




