1.2.8 葛藤の種
その夜。自室となった部屋。御堂はバスタブに溜めたお湯に浸かっていた。暖かい湯のありがたみを、この世界にやってきてから強く感じている。身体がリラックスすれば、自然と思考もほぐれ、考え事をするには最適の状態になるからだ。
(この風呂も、魔術によるものらしいな……)
夕方、城に戻ってきた時に、ローネと雑談をした時に聞けた話を思い出す。この城では、湯を沸かすのに魔素を込めて熱を発する道具が用いられている。ただ、これは希少な高級品で、庶民の間では薪風呂が一般的とのことだった。
では石炭のようなものはないのかと質問してみたが、そういった代物は、鉱山を有している領でなければ使われないという。その代わり、この土地の周辺では天然ガスが豊富に取れる。それを利用した照明器具が普及しているとのことだった。湯を沸かしたり火を直接使うには、利便性や安全面の問題から薪を用いるらしい。
(生活でお湯を使う場面は、案外多い……そのための薪を採取するのに、森へ入る必要があるだろうが……あんな化け物がいる世界なんだ。簡単な職というわけではないだろうな)
とすれば、御堂がネメスィで木こりを護衛でもしよう。いっそ、武装の光分子カッターで木々を切り倒してしまえば、それもまた貢献になるのではないか、ふとそんな考えが浮かんだ。
(だが、それで本職の木こりを敵に回す可能性もあるな)
この世界に、この領にしばらく滞在するなら、敵を作る行為に繋がることはとにかく避けるべきだ。変に敵を作って良いことなどない。
「しかし、味方を作りすぎるというもの、考えものか……」
そう呟く。御堂は昼間のことを思い出して、溜め息を吐いた。あの様子では、町民に元の世界へ帰るための情報を聞くのは難しいだろう。むしろ、変に知恵を働かせられて、嘘の情報を教えられるかもしれない。そう考えると、もう町民は情報源に成り得ない。
(あの娘……やってくれたものだ)
あの時、御堂が頭に浮かんだ考えとは、町民が御堂の功績を知っていたことは、ラジュリィの仕込みなのではないかという推測だった。ラジュリィは、自分という人材をどうしても手放したくないらしい。これは自惚れなどではなく、彼女の言動からしても明らかだ。御堂はそう分析していた。自分を縛り付けるために、逃げられない状況を作ろうとしている。
(だが、それがわかっているとして……)
相手は権力者の娘であり、自分を庇護する人間の一人である。その掌の上から逃れるということは、この世界における担保を失うことになる。二者択一の状況に持っていかれていることに気付いて、御堂は舌打ちした。
(騎士とやらになって、縛られるか。放浪の旅をしてでも、帰還の術を探すか……)
こればかりは、身体がリラックスしていてもすぐに決められない。御堂は思考をリセットするために、両手で湯を掬い上げて顔にぶつけて擦った。まだ、タイムリミットが来たわけではない。最悪、本当に最悪の手だが、ネメスィを繰って強引に逃げ出すという手段も取れる。
幸いなことに、ネメスィを操って戦えることは、御堂が持つこの世界で唯一であり、最強の武器になっている。それを売り込める先は、他にもあるはずだ。この世界にあるかわからないが、傭兵に身をやつすことを考える必要もある。
「身の振り方を、考えないといけないな」
独り言をぼやいて、御堂は湯から上がった。
***
身体を丹念に拭いて、用意された寝間着に着替え終えたとき、部屋の扉がノックされた。御堂が誰何する前に、扉の向こうにいる人物が名乗る。
「ムカラドだ。授け人よ、少し良いか」
「領主様……?」
なぜ、領主が直々にこの部屋に来たのだろう。権力者なのだから、呼び出せば良いだろうに……そう思いながらも、御堂は「しばしお待ちを」と言ってから、扉を開けた。そこには、ムカラド領主一人だけだった。御堂と同様に寝間着姿で、護衛も従者も連れていない。
授け人とは言え、部外者のいる部屋に単身でやってくるとは、不用心だなと御堂は少し呆れた。
「領主様、何か、ご用でしょうか」
「うむ、少し私用で話したいこと、聞きたいことがあったのだ。良いな?」
「かまいません。どうぞ中へ」
断る理由もないし、断れるわけもないので、御堂は領主を部屋に招き入れた。領主を座らせるのに、質素な木の椅子で良いものかと考えていたら、領主は勝手にその椅子に腰掛けた。案外、そういうことを気にしない性分らしい。
「さて、授け人……ミドールと呼んでよいな?」
「はい。この世界では、そう呼ばれておりますので」
「うむ、ミドールよ。其方は魔獣バルバドを一人で打ち倒してみせたと聞いた。その時の話をしてくれまいか」
「そんなことで良いのですか?」
「ああ、重要なことでな」
御堂は、領主の意図を図りかねた。そんなこと、その場にいた兵や、兵士長のオーランから報告されているだろう。それなのに御堂の部屋に赴いて、話を聞きに来た。何か目的があると考えるべきだ。だが、今回は隠し事をしても良いことがない。素直に話すことにした。
「あのバルバドという生物が、森から突然に現れ、作業をしていた兵士に襲いかかろうとしたのです。自分は兵士に害が及ぶと考え、咄嗟に行動し、バルバドを倒しました。個人的な推測ですが、これには人為的なものを感じます」
「それは、バルバドを差し向けた者がおる。ということだな? 私も同じ考えだ。あれは本来、もっと山深くに生息している。城の周辺に出てくることなど、本来はないのだ」
「やはり、そうでしたか……」
御堂は、自分の推測が当たっていたことで、嫌な予感を覚えた。あれを故意に兵士に襲いかからせた者がいる。それはつまり、この領地か、この帝国という国に、明確な敵意を持つ勢力がいるということだ。しかし、領主は「今回は、その見えない敵に関することではないのだ」と、話を折った。
「……バルバドは、魔道鎧でも一体でどうにかできる存在ではない。すでに聞いておると思うがな」
「はい」
「だが、其方はそれを成して見せた。あの白い魔道鎧の力か、其方の力なのか、そう問われると、私は其方の力なのだと思う」
「恐縮です」
領主も、ネメスィの力ではなく、御堂の技術によって魔獣を倒したのだと考えていた。そのことは、御堂に一つの安心感を与えた。けれども、領主の発した次の言葉で、御堂は自分の懸念していたことが起きかけていることを知った。
「だがな、城にいる家臣の中には、其方ではなく魔道鎧が特別だからできたのだと考える者もおる……この意味がわかるだろう」
「……はい」
つまり、御堂よりも、ネメスィに価値を見いだしている者がいる。その推測はある意味で正しい。技術的にも情報源的にも、パイロット本人よりも、AMWを調べた方が得られるものは多いだろう。それに気付いている者が出始めた。しかも、その持ち主である授け人は、それを良しとしていない。そうなれば、
「其方を害して、魔道鎧を奪ってしまえという意見が、私の元に来たのだ。あれがあれば、授け人に用はないとな……無論、すぐに却下したがな」
「……自分は、この領にとって有益になれていない。ということを伝えにいらっしゃったのですか?」
「いいや、其方は良くやっているし、良くやろうとしている。それは私もよくわかっている。だがな、人間は欲深い生き物だ。それだけでは足りぬと、鶏に金の卵を産ませられる飼い主を殺して、鶏を奪おうとする愚か者も、出てくるのだ。それが我が家臣におるとは、虚しいことだがな」
「自分は、どうすれば良いでしょうか」
御堂の問いかける視線を、領主は真っ直ぐと受けた。その上で提案する。
「簡単なのは、我が娘の騎士となり、この世界に骨を埋めると決意することだ。鶏が持ち主ごと手に入ると知れば、馬鹿な考えを起こす者も大人しくなる」
「ですが、それは……」
「嫌か? ミドールよ、其方、何故そこまでして元の世界に帰りたいと願う。良ければ聞かせてくれないか」
「……では、話させていただきます」
それから、御堂は領主にもわかるように噛み砕きながら、自分の身の上話をした。両親をテロリスト、賊に殺され、軍を逆恨みしたことに、その軍の人間に助けられ、教えをこうたこと。そして、御堂はその恩人と共に、国を守りたいと考えていたことを、時間にして十分ほどかけて話した。領主は、質問を挟むこともなく、黙ってそれを聞いていた。
「――以上です。長々と申し訳なく」
「いや、其方という人間が、少しは理解できた気がする。よく話してくれた」
ムカラド領主は、窓の外に目をやって、少し思いに耽る風にした。御堂は静かに、次の言葉を待つ。
「……ミドールよ。其方の愛国心、実に立派だと思う。優れた戦士だ。しかしな、これは言うまいかと思っていたが……元の世界に帰れた授け人は、この数百年以上で、一人もいないのだ」
「……それは、薄々とわかっていました」
「それでも、其方は帰りたいと願う。だがな、一人の若者が、叶えられない願いを追って、志半ばで朽ちてしまうということを、私は見過ごせないのだ。それが優秀な者であったなら、なおさらな」
領主の声音と御堂を見る表情は、権力者のそれではなかった。一人の若者を心から心配している、年長者のものだった。御堂は内心で少し狼狽える、本気で自分のことを案じてくれているとは、思ってもいなかったのである。
「しかし……自分は」
「良い。其方はまだここに来て日が浅い。見えないことも多かろう。追い出しはせぬ、ゆっくりと決めるが良い……若き授け人よ」
そう告げて、ムカラドは「長居してすまなんだな。ではな」と、席を立って部屋から出て行った。それを静かに見送った御堂は、
「……くそっ」
また一つ、葛藤の種が出来てしまったことに、悪態を吐いたのだった。




