表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/178

3.3.8 開幕前

 同じ頃。ラジュリィの部屋には静寂が訪れていた。

 机に向かった部屋主が書物のページをめくる音と、ベッドに寝そべった客人が、足をぱたりぱたりと交互に上下させてシーツを叩く音。それ以外の音と言えば、精々二人の呼吸音くらいであった。


「ねぇ、本当に良かったの? あれで」


 静寂を破ったのは客人、パルーアだった。うつ伏せになって枕に顎を乗せていた彼女の表情は、小さい不満と幼馴染みに対する心配の入り交じっている。


「ええ、あれが私にとって最善の選択です」


「私の提案に乗れば、確実に彼を手に入れられるかもしれなかったのに?」


 次の言葉に、ラジュリィは答えなかった。それに対する返答は先にしたばかりだ。

 結論から言えばラジュリィとトーラレルは、皇女からの提案を蹴った。


 二人とも、考えたことは同じである。

 協定を結んだとして、相手が抜け駆けをするかもしれない。

 逆に言えば、協定が邪魔で相手を出し抜くことができなくなる。

 そして最後に浮かんだこれが、決定的であった。


 “自分が御堂にとっての一番大事な人になれないかもしれない”。これだけは、どうしても許容し難かった。


 手を繋いで仲良くゴールという文化は、この世界ではまだ斬新すぎた。故に、皇女がした一見魅力的な提案は、ほんの少し二人の心を揺さぶるだけで終わってしまった。


 パルーアにしてみれば、それはかなり都合が悪い。なんとか考え直させようと口を回したが、二人とも意地固になって断るだけであった。どうして提案に乗らないのかと聞いてみれば、揃って「あの人は私こそが相応しい」と言う。


 挙げ句、パルーアを無視して、二人で話を進める始末。蚊帳の外にされた皇女が「ちょっと不敬じゃない?」とぼやいてもスルーであった。

 相手にされていないことで不機嫌になり、皇女はベッドに大の字で倒れ込む。その間に、あることをトーラレルが提案し、ラジュリィが承諾した。


 それは、明日行われる闘技大会で優勝した方が、優先して御堂へのアプローチできるというものだった。

 フェアな勝負をしようと言ったトーラレルは、自分に有利だと考えて提案したし、正々堂々戦いましょうと返したラジュリィは、自分に負ける要素がないと見て承諾した。


 どちらも全くと言って良いほど、フェアとも正々堂々とも考えていない。最初から勝ち目の薄い勝負をしないのは、貴族の基本である。


 寝そべったまま話を聞いていたパルーアが「それだとどちらが勝っても私にうま味がないじゃない」と口を挟む。だが、ラジュリィからは「帝都に行くことがあったら貸してあげます」と返され、トーラレルには「共和国へ足を運んでくださった際には、話し相手をさせますよ」と言われた。


 どちらも自分が勝つと疑っていない。一瞬、二人の視線が交差して火花が散るが、次の瞬間には余裕の笑みを浮かべている。


 首を曲げてその様子を見ていたパルーアは。「この子たち、いつもこんな感じで取り合いしてるのかしら」と思いつつも、もはや口を挟む気も失せて、後頭部をベッドに沈ませた。


 話が決まるや否や、トーラレルは挨拶もそこそこに部屋から出て行った。そのまま闘技大会でペアを組む相手の部屋に向かった。確実に勝利を掴むため、入念な打ち合わせがしたかった。何せ、相手をしなければならないのは怪物なのだ。少しも手を抜けない。


 彼女が扉を閉めて出て行くのを見送ったラジュリィの方は、部屋にある大きめの本棚の前まで行き、何やら物色を始めた。数分かけて目当ての書物を見つけると、それを引っ張り出して机の上で広げる。


 それは学徒に配られている魔道鎧の戦闘指南書であった。魔道鎧の性能では圧倒的優位に立っていても、戦闘経験ではトーラレルに大きく劣る彼女は、その差を少しでも知識で埋めようと考えていた。宿敵が油断ならない相手であることを、ラジュリィは良く理解している。


 なお、互いがぶつかるまでに戦うであろう他の学徒については、どちらも深く考えていない。立ち塞がったら実力で排除するのみ。路肩の石くらいにしか思っていなかった。


(……恋する乙女って、制御し難いものね)


 集中して指南書を読む幼馴染みを見て、パルーアは小さく息を吐いた。その制御が効かない感情を持っているのが、二人だけではないことを思い出して、抱えた枕の下で自嘲気味に笑う。


(さて、どうしようかしら)


 この展開は彼女にとって少し予想外だったが、まだ目的達成を諦めたわけではない。計画をどのように修正すれば、欲する成果を得られるか。皇族としてだけではなく、一人の少女としての欲が出た皇女は、思案し始める。


 三人の思惑が交差しながら、闘技大会開催までの時間は近づいてきていた。


 ***


 夕闇が窓から射し込む部屋。質素な家具が置かれた狭い宿の一室で、学院に属する講師であるゲヴィター・ウラドク・トンペッタは、懐にある道具の感触を何度も確かめていた。


 指で金属質なそれに触れる度、彼の心には影が差した。自身の行おうとしていることに対する後ろめたさ、不安、後悔の念が、いくら決意したつもりになっても消えない。


 学院に講師として雇われて十五年。年若い者たちに魔術を教える職務を彼よりも長く続けている者は、数えるほどしかいない。大抵の講師は、十年も経たない内に、様々な理由でやめていってしまうのだ。


 自身よりも優秀になっていく若者を直視できない者。

 親御からの重圧に耐えきれなかった者。

 種族間の諍いに巻き込まれて心を磨り減らした者。


 他にも理由をあげれば際限がない。貴族として、魔術師として、プライドを持ったまま学院の講師を続けるというのは、それだけ困難なのである。だが、ゲヴィターは教鞭を振るい続けている。


 プライドを捨てたわけではない。貴族としての自覚は、他のどの講師より持っているつもりである。優秀な若輩に対して開き直ったわけでもない。学徒と比べて自身が魔術で劣ると思い知らされた時は、腐るよりも先に鍛錬をより多く行った。


 ゲヴィターという男は、彼なりの矜持と思想、努力の上で講師を続けているのだ。

 だが、今、彼が加担していることは、それらを全て無駄にしてしまいかねない。それがどうしても、恐ろしかった。


 しかし、もはや後に引くことはできない。この行為が、彼にとっての正義になってしまったのだから。


 懐から手を抜く。これ以上迷っていても、明日に支障が出るだけである。そう思い立ったとき、ノックも無く部屋の扉が開き、待ち人がやってきた。


「良いお顔をされてらっしゃいますね。あれだけ悩んでらしたのが嘘のよう」


 現れたのは、細い身体に真っ黒な外套を纏った女。切れ長な瞳と口元が、蠱惑的に微笑んでいる。先日、酒場でゲヴィターを拐かしてきたエルフだった。


「今さら、考えすぎることもないと考えただけだ」


「そうでございましょうね。もはや貴方様に残っているのは学院へ、帝国へ牙を剥く道のみ、今更に思慮することなどありますでしょうか」


「ない。だからここにいる」


「結構でございます」


 エルフは三日月のような笑みを強めてゲヴィターに近づきしな垂れかかり、その腰に手を回した。柔らかくまさぐった手は、そこに何も吊されていないことを確認すると、静かに離れる。


「今になって身体を検められるとは、信用されていないようだな?」


「失礼をしました。今回の件、少しでも失敗があってはなりませんので」


 身体を離し、小さく頭を下げて来た女に、ゲヴィターは表情を変えない。


「事は慎重に、ということか」


「不快になられましたか?」


「いいや、事を成すには万全を期すべきというのは共感が持てる考えだ」


「それはよかった……魔具の当てはあると聞いていますが、信じてよろしいですか?」


「ああ、心配は無用だ」


 ゲヴィターがまた懐に手をやって、手の中にある道具を確かめたので、エルフは和やかに頷いた。


「わかりました。では、件の詳細についてを――」


 それから、エルフは明日に学院で決行する作戦について、細やかに説明し始める。それを聞く間も、ゲヴィターは無表情であった。特段、それを不自然に思わなかったのか、エルフはそのまま話し続ける。


「――その後、貴方様には私と共に逃げていただくことになります。追っ手に関しては我々で対応しますので、ご心配なく」


「承知した。明日はよろしく頼む」


「はい、貴方様の願いが達成できるよう、力添えさせていただきます」


 告げて、エルフの女は部屋を出て行く。その足音が遠ざかっていくのを確認すると、ゲヴィターは懐から魔道具を取り出した。それを見つめて、これからのことを思案するように瞑目する。


 彼の手にあったのは、二つの指輪。指にはめて打ち鳴らすことで魔術を行使することができる、希少な魔道具があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ