プロ雑用係は黒騎士さん
──就職初日。
プロ雑用係の朝は早い。
まだ誰もいない、アジト代わりの小汚い倉庫に一人たたずむトロフ。
この倉庫は仮のもので、いつか大きな場所に引っ越すらしいのだが、それまでは大事にしなければならない。
まだ人のいない内に掃除を済ませてしまうおうと行動し始めた。
汚れきって真っ黒の木床に洗剤を撒いて、水浸しのモップで綺麗にしていく。
ツルツルと床がすべるので、誰もいない早朝でなくてはできないのだ。
何度か水で流したあとに、から拭きをしてピカピカに仕上げていく。
ほおずりしても大丈夫なくらいキレイになった。
木床用のワックスもかけようと思ったのだが、それはまた時間があるときに。
このあとは防具の手入れや、備品の整理などが待っている。
地味なことだが、全体を支える大切な仕事だ。
どんな仕事でも金をもらうということは、プロであると意識しなければならない。
「俺は雑用係のプロなのだからな」
「おっ、トロフ早いじゃーん? なんか、本当に冒険者より雑用が似合ってんな、オメーはよぉ。ギャハハ」
元パーティーメンバーの戦士がやってきた。
少し酔っているのか、顔を赤らめて、赤ワインの瓶を片手にフラフラしている。
「あーっと、こぼしちまったぁ。これも片付けておけよ? 雑用係のトロフよぉ?」
戦士はわざとらしく、赤ワインの瓶を地面に投げ割って、中身をぶちまけていた。
それに対してトロフは、何も言わずに片付け始めた。
床に這いつくばるようにして、手袋をはめた指で破片を拾っていく。
「チッ、空気読んで反論してくるとか、殴りかかってくるとかしろよ」
「──おい、お前たち。何をしている?」
「げっ、アロンソリーダー……。な、なんでもありませーん!」
戦士は慌てた表情で逃げて行った。
代わりにやってきたのは昨日、演説で姿を見せていた姫騎士アロンソであった。
彼女は少しだけ申し訳なさそうな表情でしゃがみ込み、素手で割れた瓶の片付けを手伝おうとした。
「待てリーダー、触るな」
「えっ?」
「お前はジャマだ」
「そ、そう……。やっぱり不満よね……。ごめんなさい。
本当はもっと別の仕事を回してあげたいのだけれど、まだ人が少なくて……。
その、本当に……ご、ごめんなさい……!」
昨日の凜々しさの一欠片も無い、14歳という年相応の少女の顔で、泣きそうになる姫騎士アロンソ。
そのまま走り去ってしまった。
「不満……? なにを言っているんだ?」
一人残されたトロフは疑問符を浮かべていた。
彼からすれば、ただ戦士が酔って落とした瓶を片付けていて、それに素手で触ると危ないとアロンソに注意しただけなのだ。
……とてつもなく空気が読めなく、口下手なトロフであった。
トロフは午後になるまで、かなりのハイペースで雑用をこなした。
全員分の武具メンテをこなし、倉庫の中をほぼ一人で整理したのだ。
「お、なんか俺の装備が新品みたいになってるじゃねーか」
「こっちの床もすげぇピカピカだぜ」
やってきた冒険者から次々とあがる賞賛の声だが、トロフは『俺がやった』などとは言わなかった。主張しなかった。
それはプロとして当然ということなのか、ただの口下手なのか、はたまた興味がないだけなのか。
早朝の姿を見ていた戦士だけが、不機嫌そうに舌打ちをしていた。
「おーい、誰か。サブリーダーのサンソンさんを見かけなかったか? リーダーのアロンソさんが探しているって伝えて欲しいのだが」
倉庫内に聞こえる冒険者の声。
そういえば、とトロフは思い出した。
昨日の夜、吸血鬼の女性と逢い引きしていたのを目撃していた。
プライベートなことだとは思っていたが、サブリーダーという業務に影響が出るのなら報告するのも、このプロ雑用係トロフの仕事──と行動することにした。
* * * * * * * *
というわけで、姫騎士アロンソの個室の前にやってきたのである。
お約束と言わんばかりに扉が少しだけ開いていて、これまたお約束とばかりに衣擦れの音が聞こえる。
中を覗き見なくても、これは着替え中である。
不慮の事故として処理するための、神のお膳立てともいえる。
ここでドアを開けてしまって、その14歳少女の瑞々しい裸体を合法的に覗き見るイベント。
普通ならば空気を読んで実行すべきイベントだ。
だが、トロフは──。
「すまん、ちょっと時間いいか?」
あろうことか半開きのドアを気持ち悪いと思い、サッと閉めてから、律儀にノックをして、声をかけたのだ。
過去、この世界で大人気だった英雄譚『ヴァンパイア・スレイヤー』の展開であったならば、読者から叩かれ、作者のマウンテン先生が鬱になってヤケ酒に逃げていたであろう。
もちろん、トロフとしては小さじ一杯ほどの悪意も意図もない。
「──あっ!? ご、ごめんなさい。少しだけ待ってください、着替えの最中なので!」
「そうか。大した用事ではないのだが、すまないな」
トロフからは見えないが、姫騎士アロンソは“可愛い子ライオン柄のパジャマ”を脱いでいる最中で、縞模様の下着があらわになっていた。
大急ぎで着替えようとするも、扉一枚を隔てて異性がいると思うと頬が熱くなり、赤面してしまい、正確に指が動かせない。
無意味だが、発育途中の胸を腕で隠しながらパジャマを脱いでいく。
「あ痛ぁっ!?」
「む? どうした? なにか不慮の事態か? 俺の手が必要か?」
「だ、だいじょーぶです! ちょっと転んだだけなので気にしないでください、絶対にぜーったいに開けないでください!」
男として、普通なら扉を開けるべきタイミングなのだが、空気を読まないトロフは言うとおり仁王立ちしていた。
開けるなと言われたら開けない。そういうことなのだ。
扉の向こうで姫騎士アロンソは、転んであられもない姿をさらしていた。
ヨガのポーズのような、地べたを舐めて、天地逆転したような大胆すぎるポーズ。
とても人に見せられたものではない。
演説のときの威厳が一瞬で吹き飛ぶので、ドアを開けていたら大変なことになっていただろう。
ハッと、尻を突き出したマヌケなポーズの最中で思い出した。
人を待たせているのだから急がねば、と。
隠すとかそういうのは無し、羞恥心を捨てて、シュババババっと脱いで、外行き用の服を着込んでいく。
黒のストッキングに脚を通し、シルクのブラウスのボタンを留め、短めのスカートを履き、魔石で飾られたティアラをセット。
長い金髪をリボンで縛り、白銀の鎧を……鎧を……一人では装着ができない。
仕方ない、とここでアロンソは妥協して、外にいるトロフを招き入れることにした。
サブリーダーのサンソン以外は部屋に入れたことがないので、内心ドキドキしている。
「ど、どうぞ。お入りになってくださいませ」
まだ口調も少し変である。
「では、失礼する」
「はい。おはようございます、トロフさん」
「ほぅ」
トロフは感心していた。
まだ昨日、組織に入ったばかりなのに、もう名前を覚えられていたからだ。
特別ではない存在の名まで把握しているのは、記憶力が元からいいか、努力して覚えたかのどちらかだろう。カリスマを求められるリーダーに向いている。
部屋の中は質素だった。
倉庫の一室をあてがっただけの、最低限の机やクローゼットがあるくらい。
姫“騎士”の名にふさわしい、飾り気無しの質実剛健といったところだろうか。
……と、先ほどの着替えを見ていないトロフは思っていた。
「朝方は清掃ご苦労様でした。目立たぬお仕事だと思われていますが、とても大切なお仕事です」
「俺は雑用係のプロだ。当然の事をしたまで」
トロフの堂々とした言動に、アロンソは柔らかな笑みを浮かべた。
と、同時に……朝の清掃を見たあと、部屋に戻って二度寝していたとはいえないと思い出したりもした。
だが表面上では姫騎士フェイスのままをなんとか維持。
「それで、用件というのはなんでしょうか?」
ニコリとアロンソ。
「サブリーダーのサンソン・カラスコが、吸血鬼と性交をしていた」
「……は?」
笑顔のまま引きつるアロンソ。
あまりのパワーワードに、顔面の筋肉がうまく動かない。
「詳細を告げると、十回の性交をしていた」
「じゅ、十回……」
トロフの言葉に、フリーズしかけているアロンソ。
だが、脳内のどこかで警鐘が鳴り響く。
トロフは気にしていないようだが、状況や立場から考えると──。
「サブリーダーを探しているという参考になると思って話した」
「あ、あの……間違いないんですか、それ……? それって、本当だとしたら、それって──」
直後、外から怒号が響いてきた。
いくつもの悲鳴や雄叫び。
「た、大変だー!! 吸血鬼の眷属“グール”が攻めてきたぞーッ!!」
吸血鬼討伐組織のサブリーダーが、吸血鬼と繋がっていた。
それがどういうことかというのは、状況がすべて指し示してくれていた。
「え……なに……。うそ……、本当にサンソンが……裏切っていたというの……」
「ふむ、そういうことなのか?」
唐変木すぎるトロフとしては、男女関係がどうのこうのというのは鈍感すぎて理解が難しかった。
性欲を戦に使う、ハニートラップという概念が存在しない。
「あ、あはは……終わりよ……。もうお終いなのよ……」
頭を抱えて縮こまる姫騎士アロンソ。
トロフは首をかしげていた。
「どうしてだ? リーダーのお前がいれば吸血鬼を倒せるのではなかったのか?」
「あんなの……! 嘘に決まってるじゃない!!
私なんかが何もできるはずない!
全部……全部……サンソンがお膳立てしてくれたのよ……。
私はただの村娘……」
「うん……?」
「私は姫騎士でもなんでもないの……。
神のお告げというのも酔っ払いの言葉を勘違いしただけだし、
“力ある者”というのも酔っ払いの言葉を勘違いしただけだし、
吸血鬼を一人で退けたというのも酔っ払いを追いはらっただけで……」
「どれだけ酔っ払いに絡まれた幼少期だったんだ」
「それをサンソンが無理やり伝説とかに仕立て上げて、私を旗頭にして組織を立ち上げて……。
でも、心意気だけは真実だと思ってた、信じていた。
本当に、人間を家畜としか思っていない吸血鬼に対抗するためだって……」
姫騎士として作り上げられた村娘アロンソは、詐欺師のサンソンに騙されていた。
それっぽい見目麗しい外見や、幼い頃の勘違い逸話……。自信ある立ち振る舞いと、演技力のあった村娘アロンソを使った組織。
その詐欺師サンソンが語る正義だけを信じ、虚栄に身を浸していただけだったのだ。
「でも……サンソンは、きっとお金のためだけに私を使っていたのね……。
吸血鬼を倒すはずが、吸血鬼と繋がっていて……。
あげくに私たちは、そのために差し出された生贄……。
──もうお終いよ」
絶望と言う名の空気。
それを読んでしまい、飲まれたアロンソは顔面蒼白で生きる気力を無くしていた。
ただ涙を浮かべ、死んだような魚の目で悔やむのみ。
「なぁ、アロンソ。防具を貸してくれないか? 俺のは売ってしまってな」
「ぼ、防具……? それなら、私用にと購入しておいた魔術の鎧があるけど……。
でも、どうして? 吸血鬼相手に人間は絶対に勝てない……」
トロフは、床に置かれていたバケツのような黒い兜を手に取った。
それはただただ、機能性のみを求めたような愚直、無骨なデザイン。
トロフにはピッタリの兜であった。
「も、もしかして私が逃げるための時間稼ぎになろうと……」
トロフは何も答えず、バケツ兜を装着した。
完全に顔面が隠れ、もうこれで中身が誰かはわからない。
同時に、魔術の鎧は一瞬にして、飾り気の無いフルプレートアーマーを顕現させた。
兜に連動して、なにもないところから本体の鎧が出現する仕組みなのだ。
黒騎士となったトロフはパイルバンカーと小盾を装着し、マントをなびかせながら、部屋から無言で去って行く。
怒号が未だ聞こえる敵地へ。
それをただ見送るしかできない、プライドも正義も寄る辺も、何もかも失った14歳の弱々しい少女──。
「ごめんなさい……。身代わりにしてごめんなさい……。
時間稼ぎにしてごめんなさい……。きっと死なせてしまう……ごめんなさい」
裏切られ、心が折れてしまったアロンソは、地べたに這いつくばり謝罪を続けた。
「冒険者の皆さん、トロフさん、成仏してください恨まないでください……ッ!!」
身代わり? 死ぬ? 何を言っているのかさっぱりわからん……。
トロフはバケツ兜の中で、背後から聞こえる声が──空気が読めなかった。