手の上の運命
魔道書を見る事も無くパラパラと捲りながらベアトリーチェは深く考え込んでいた。
もちろんアカトリエルの事も不安材料の一つだが、それより彼女を不安にさせていたのはウェルギリウスの言葉だった。
『転生の法則』…『同じ魂を受け継ぐ者』………
「そんな事あるはずない………」
一万年もの時を経て魔道神の思い通りに時が動き出したなどおとぎ話もいい所だ。
私は計算されてガドリールを愛したのではない…そう信じたかった。
読む気の無い魔道書を閉じると彼女は後ろを振り向いた。いつものように夫がずっとこちらを見守っている。
もう既にじっと見られる事には慣れてしまった。
ガドリールは常に彼女を視界に入れておかないと安心出来ないらしい……
「一万年前はあなたは何をしていたの? 存在していた?」
ガドリールはゆっくりとその首を縦に振った。
「………妻が………居た?」
躊躇いがちな妻の言葉に次は頭を横に振る。
「記憶は?」
同じく頭が横に振られた。
「存在していたのは知っているのに記憶が無いなんておかしいわ」
《…………………………》
すると彼は自分の体を指差し、首を縦に振った。続けて頭を指差し、首を横に振る。
「身体が存在していた記憶はあるの?」
彼は頷いた。
だが、次に短く発せられた言葉が《それだけだ》と告げていた。
「そう…存在していた記憶だけなのね…その他に残っているものは何も無いのね」
小さく呟く妻をしばらく眺めるとガドリールは彼女のすぐ近くに出現しその顔を覗き込む。無数の瞳が何かを探るようにギョロギョロと動き回っていた。
「何?」
白く冷たい手が己の胸に触れ、その手がそのまま妻の胸に当てられる。
ガドリールが伝えたジェスチャーに彼女の顔が微笑んだ。
「私もよ…私の心もあなただけのもの」
黒い髪を愛しげに撫でながらベアトリーチェはその額に軽く口付けをした。
「…でも、あなたが人間だった時から私の心はあなたの物だったのに……あなたの心は違かった。それが時折空しかったわ。分からなかったでしょう?」
困惑するガドリールをしばらく見つめるとベアトリーチェはその頭を胸にしっかりと抱いた。
「ご免なさい。惑わせてしまったわね………あなたはその力に抗おうと必死だっただけ…今の言葉は忘れて」
彼と居るときは忘れよう。たとえ今の時が一万年前の終焉の魔道神によって計算し尽くされ、訪れた時でもガドリールの思いは本物だ。
…ウェルギリウスの言葉も…アカトリエルの事も考えるのはよそう……。
ベアトリーチェはガドリールである魔道神を胸に抱きながら自身にそう言い聞かせていた。




