彷徨う想い
夜が更け大半の双剣徒たちが眠りに付いた頃、白馬に跨ったアカトリエルが本陣に帰還した。
「アカトリエル様お戻りになられましたか? 一体どうなさって」
駆け寄ってくるクロノスをするりとかわすと彼は沈んだ面持ちで「何でもない」と呟いた。
「コンデュイール・レヴェゼの二人の友人が三時間前にいらっしゃいましたよ」
「………そうか………すまん、しばらく一人にしてくれ」
訝しげな視線を向けて来る部下に目線を合わせる事なく、アカトリエルは脱力した風体で階段を駆け上ると最上階の自室に消えた。
「ベアトリーチェ」
扉に施錠した彼は数時間前にこの腕に抱いていた女の姿を思い出し、その場に座り込んだ。
頭を抱え、唇をきつく噛み締める。
あの暖かく柔らかな女の身体の感触がまだ体に残っている。風にたなびく金の髪に芳しい香り…そして甘美な唇の味…
しかしベアトリーチェが向けたのは恐怖に怯える顔だった。
「お父様やめて…」あの悲痛の叫びは五年前にも一度見ている。
「私はあの男と同じ事をしようとしていたのか………」
だが、この思いを自分はどうする事も出来ない。
求めれば求めるほどに制御が利かなくなっている現実を突きつけられアカトリエルは自分自身に嫌悪していた。
「どうすればいい……」
大きな窓から降り注ぐ月明かりが部屋に備えてある女神像を照らし出していた。
「私はどうすればいい!!!」
祈りを捧げる白い女神像に掴みかかりながら憤りの疑問を叫ぶ。
「答えてくれベアトリーチェ! 私はどうすればいい」
無表情な固い石造の唇にそっと触れながら問いかけるが彼女は何の言葉も発する事はない。
「背徳者の質問には答えられぬというのか…背徳者には………」
像を掴む手が怒りに打ち震えていた。
「背徳者に差し伸べる手は無いというのかっ!!!!」
あれ程までに恋し焦がれていた女神の石造に行き場の無い感情をぶつけると、アカトリエルはそれを勢いよく引き倒した。
祭壇から落ち、重い音を立てて転がる女神像の首に細い亀裂が入る。
匂いも無い、声も発しない。冷たく固い石の塊。
……今見てみれば何の魅力も感じない。
「私は今まで何をしていたのだ……我が妻は何も話さず、笑う事さえもしない……こんな木偶に何故生涯を捧げる事を誓った?」
そう歎きながら膝を突き、うな垂れた彼は転がる女神像を恨めしげに見つめた。
ベアトリーチェ・レーニュを模したかのような女の石像。大きさも実際の彼女の身長と大差無い…
慈悲深い美しい顔も全く同じ……
「ベアトリーチェ……」
アカトリエルはそう呟くと女神の像をその胸に抱き、固く冷たい石像の唇に唇を重ねた。
「ウェルギリウス殿の言葉の通りだ………」
年老いた父の言葉が頭に浮かび上がる。
『会ってしまってはそれでは留まらなくなる。しまいには魔道神から奪いたいという衝動に駆られる事になるぞ』
「魔道神から…奪えるものなら……」
冷たい石像を抱きしめながらアカトリエルは痛切に呟いた。