岩壁要塞
寒い夜空の中に二頭の馬の蹄の音だけが静かに響く。
タナトスに案内されながら、もうかれこれ三時間近く暗い夜道を歩き続けている。
教会から西の樹海を抜け、彼らはいつしか切り立った岩山の細い道を突き進んでいた。眼下には黒い樹海と街の明かりがチラホラと輝いている。
「魔城と同じような所にあるのな」
遥か下を見下ろしながらヴェントが独り言のように呟いた。
城に行く時に通った古代の巡礼道のように舗装はされてはいないが、暗い崖沿いの道はヘビのようにうねりながらも確実に上へ上へと伸びている。
「もう少しだ」
馬上で器用に眠るオランジュを支えながらタナトスはしばらく進んだところに出現した岩山の細い亀裂の中に入って行った。
幅が僅か馬一頭通れるほどしかない岩と岩の間にヴェントの馬も潜り込むと、月の光でさえ届かない闇の中を前をタナトスの馬の灯りを頼りに突き進んでいく。
遥か頭上を見上げると岩に囲まれた細い隙間から夜空の星が輝いて見えた。
規則的な馬の蹄が響く中をしばらく突き進むと突然狭い道を通せん坊するように鉄の壁が現れる。
「タナトス! ただ今戻った!」
タナトスがそう叫ぶと、程なくして鉄の巨大な扉が歯車の音と共に上へ上へと引き上げられていった。
そして扉の向こうに突如出現した広い場所にヴェントは思わず声を上げた。
周囲を高い岩壁に覆われた空間に壁を彫って造られたと思われる見事なまでの要塞が頭上高く聳えていたのだ。
「すっげぇ………」
広い修練場を囲むように岸壁に掘られた岩の要塞。無数の窓からは蝋燭の明かりが漏れ、赤々と燃え上がる巨大な松明が修練場を照らしている。
「おいオランジュ! 起きろよ!! ほらスゲェぞ!」
いまだ馬上でグッスリと眠り続ける少女を揺り起こすとヴェントは目を輝かせながら修練場の中心に歩み出た。
「山丸ごとが建造物ってスゲェな。」
円筒状にくり貫かれた巨大要塞。これでは確かに街からは見えない。
「きゃあぁぁぁぁぁ!!!!」
程なくして後ろから黄色い声が響き渡った。
後ろを振り返ってみると目を覚ましたオランジュがヴェント以上に目を輝かせながら広い修練場を駆けずり回っている。
「すごいすごいすごいぃぃぃ!! ヴェントすごいね!! きゃああ!! おっきな建物が周りの壁に埋まってるよぉぉ!!!」
「埋まってるって………」
正確には岸壁が直接建築物になっているのだが、なるほど…言われてみれば埋まっているように見えなくも無い。
不意にはしゃぎ回るオランジュの瞳が建物の中から姿を現した一人の人物に向けられた。
遠くの正面入り口の階段の上から見覚えのある顔をした白ローブの少年が駆け下りて来たのだ。
「ヴェント!! あれ…あれって…そうだよね」
オランジュが指し示した指の先を見ると………
「うおぉぉぉ!! マジか? コンデルかよあれ!!」
双剣徒特有の長剣も、胸の短剣も、フードつきのマントも被っていない白いローブの少年はまさに一週間前から姿を消していたコンデュイール本人であった。
「ヴェント!! 久しぶりだね!! アカトリエル様がおっしゃっていた通りだ」
心なしか言葉遣いも少し変わっているような気がする…
「アカトリエル様って…お前双剣徒みてぇになっちまってるぞ!! こいつ! 女神の婿候補かぁ?!」
コンデュイールの首根っこを片腕で羽交い絞めにし、ヴェントははしゃぎながらその金の髪をクシャクシャっと揉み解した。
「イタイイタイ…ヴェントちょっとなんでいつも僕の頭を…」
「何だよお前、まだ頭抜糸してねぇの?」
「いや…違うけど…ってあいたぁぁぁ!!!」
ヴェントを真似るようにオランジュが「ひさしぶりぃ!」と叫び彼の腰をバシンと叩いた弾みでコンデュイールが悲鳴に似た声を上げた。
「オランジュ……ちょ…ちょっと、今は重度の筋肉痛で…体のあちこちが痛むんだよ」
「筋肉痛って………」
「はは…ちょっと修行がハードで………」
引きつった笑いを浮かべるとコンデュイールは「ううっ」と唸りながら腰を痛そうに伸ばした。
「コンデュイール、アカトリエル様はお帰りになられたか?」
馬を納屋番に渡すとタナトスは長剣を整えながらヴェント+(プラス)オランジュに揉みくちゃにされる少年に語りかけた。
「あっ…タッ…タナトス様、すいません」
急いで痛む背筋を伸ばすとコンデュイールは姿勢を整え、一礼をした。
「アカトリエル様はまだお帰りになられては居ないようですが……」
「そうか…今日はずい分とお帰りが遅いな。いつもより四時間も早くお出になったのだが」
そう呟くとタナトスは要塞の中へ姿を消した。
「コンデル知ってっか? あの人アバラ一本折れてるんだってよ……それで軽傷って……信じられねぇよな」
タナトスの後姿を眺めながらヴェントがコンデュイールの耳元で小さく囁いた。
「知ってるよ。出陣した方々は皆何らかの傷を負っていらっしゃるからね……クロノス様なんて半数以上の肋骨を負傷してしまっているけど…いつものように見習いの双剣徒たちの訓練を指導してるよ」
その言葉にヴェントが「マジッ?!」と目を見開いた。
「コンデルそんな人たちの中でやっていけるの?」
オランジュが心配そうに彼の顔を見上げた。
「やっていけるの? …って…ハハ…もう手遅れだよ。修行者として入っちゃった以上やっていくしかないからね…取り合えず部屋に案内するよ。僕と一緒の部屋なんだけど…」
そう言うとコンデュイールは二人を要塞の中に案内した。