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身近に迫る恐れ

「ジョルジュ、これは何だ」

 食卓に並ぶ豪華な食事にウェルギリウスは思わず面食らった。

 テーブルの上には手作りの焼き菓子まで乗っている。

「だって、あの娘今夜も来るのでしょう? 女の子ってお菓子好きじゃない?」

「ジョルジュ、しかしベアトリーチェは私の所に教授を受けに来るのであって遊びに来るのではないぞ」

「知ってますよ。それでもお菓子作りなんてダンテが小さい頃にやっていただけだから…本当はこういう事が大好きなの。でもあなたは甘いものがあまり好きでは無いし…自分一人だけの分を作っても張り合いが…」

 呼び鈴の音に年老いた女は言葉も途中に玄関へ小走りに歩み寄った。

「まるで娘を持った母親だな…」

 穏やかな妻の豹変振りにウェルギリウスは息を付いた。

 だがしかし乙女のようにはしゃぐ彼女の姿も悪くは無い。

 今まで散々苦労をかけて来た分、好きにさせてやろうと微かに笑みを零した。

「こんばんは」

 扉の外に昨日と同じように立つ赤いマントの女。

 彼女の足元にある大きな五つの束にジョルジュが驚きの声を上げた。

「まぁ、こんなに大荷物で、重かったでしょう?」

「いいえ、腕力は関係ありませんから」

「そんな、ちょっと待ってね。今ウェルが来るから部屋の中に運んでもらいましょう」

 すぐさまジョルジュの後ろに現れたウェルギリウスはその言葉に思わず溜息を付いた。

 どうやら今の妻の頭には夫の腕が一本しかないという事実を忘れてしまっているらしい。

 すかさずベアトリーチェが首を振る。

「ウェルギリウス様のお手は(わずら)わせなくて結構ですわ。病み上がりですのに……それに」

 ベアトリーチェが漆黒の森の中を見つめていた。

「何だ。夫を連れて来たのではあるまいな」

 ウェルギリウスの言葉にベアトリーチェがクスリと微笑んだ。

「デザスポワールの男性にも冗談が言えるのね。………途中であなたの息子に会ったのよ。半分持ってもらったわ」

 耳を疑い、老人の顔が鋭く豹変した。

「ダンテに会ったのか?」

「ええ、偶然ね」

 偶然などではない。アカトリエルがいつもこの家を訪れるのには数時間も後だ。

 その事実は一週間前から崩れたことが無い。

 ……恐らく彼自身が時間をずらしたのだろう……この目の前の女に会うために………

「ベアトリーチェ…無事か?」

 その不可解な言葉に彼女は「えっ?」と振り向いた。

「何を言っているの? 私の力は分かるでしょう? 暴漢なんか怖く無いわ」

「そうでは………。いや、すまん…そうだな……忘れてくれ」

 ベアトリーチェならずジョルジュもキョトンとしながらウェルギリウスを見つめていると、程なくして早い馬の蹄の音が遥か彼方から近付いて来る。

「やだ本当にダンテだわ。今日はどうしたのかしら、ずい分早いのね」

 馬の(いなな)きと共に家の前に到着するとアカトリエルは両親に軽く会釈をし、(くら)にぶら下げた残り五つの魔道書の束を玄関口に降ろした。

「ダンテ早いじゃない。どうしたの?」

 フードを取り、彼はベアトリーチェと自分に鋭い視線を投げかけて来るウェルギリウスを見ると魔道書の束を両手で抱え、部屋の中へ運んだ。

「……あなたの食事が恋しくなりました……」

 人形のような息子の言葉に母の姿がさらに明るくなる。

「私が運びますから。あなた方は中でお待ちを……」

「ベアトリーチェ、後はダンテに任せて中にお入りなさいな」

 ジョルジュは彼女の手を引きつれながら部屋の奥の食卓に喜び勇みながら入っていった。


 二人が消え、しばらく息子の姿を眺めていた老人が彼の背に嫌味染みた言葉を投げかける。

「食事が恋しくなったなど見え透いた嘘だなダンテ」

「…………………」

「お前が恋しくなったのはベアトリーチェ・レーニュだろう」

 アカトリエルの足が止まった。

「ご心配には及びません。…彼女をどうこうしようとは思っていません…ただ今一度会いたかっただけ」

「会いたかっただと? それだけで済むと思っているのか!」

「…………………」

「会いたかっただけ……。会ってしまってはそれでは留まらなくなる! しまいには魔道神から奪いたいという衝動に駆られることになるぞ」

 アカトリエルの行く末は分かっている。

 生まれて初めて女神以外の異性を愛してしまったのだ。

 会いたいと恋し焦がれるだけならばいずれ手の届かぬ存在と知り、諦めが付くだろう。

 ……だが手の届く存在だと分かってしまってはそれ以上の欲が出るのは必須。

 双剣徒とは言え人間だ。会いたいが触れたいになり、そのうち腕に抱きたくなる……

「ダンテ、ベアトリーチェ・レーニュは手に入らぬ…あの娘は魔道神の物だ。それ以外誰のものでもない、ベアトリーチェ・レーニュ本人の物でもないのだ。言い方を変えればガドリールの所有物なのだぞ」

「人は所有物にはなり得ぬ………」

「あの娘を生かしているのは奴の血だ! あの身体の細部、髪の毛一本に至るまでの全てがガドリールの物なのだ」

「………………」

「あなた、ダンテ、どうなさったの? お食事にしましょう」

 中々室内に入って来ない二人を不思議に思ったか、食卓からジョルジュが顔を出す。

「魔道神と張ろうと思うな」

「以前あなたは私が例の黒魔道師に敗北する事を恐れていました……」

 その言葉にウェルギリウスは目を見開いた。

 自分が決して勝利する事が出来なかったアーリウスの息子にアカトリエルが負ける屈辱。

 …だがしかし…老人はそっと瞳を閉じ、呟いた。

「私の自尊心など今やどうでもいい。………私はそれより大切なものを持っている。それを守る方が先だ」

 アカトリエルの肩を軽く叩くとウェルギリウスは首を傾げている妻に短い返事を返すと食卓に足を進めた。


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