四度目の再会
風一つ無い穏やかな夜に一陣の疾風が巻き起こり、分厚い魔道書を十冊ずつ束ねた重い塊が総計十個大地に転がった。
「あんっもうっ!!」
ヒールの高い深紅のハイヒールを一度カツンと打ちつけながらベアトリーチェは自分の周りを見回して一言苛立った言葉を叫んだ。
静まり返った漆黒の樹海をキョロキョロと見渡すが、人家の光りは見られない。
「ちょっと質量が大きすぎるのかしら…昨日は五回で辿り付けたのに今日はこれで十回目よ?」
自分の周りに転がるガドリールの手記は一冊が二キロ近くと、かなり重い。
取り合えず漁って見つけてきた魔道書の一部を百冊自分と共に転移させてきたが、転移するたびに今のような状況が繰り広げられている。
魔城の麓である北の樹海からウェルギリウスが住むこの東の樹海まで直線で100km以上の道のりを昨日は五回の瞬間転移の繰り返しで渡りきる事が出来たが、今日は十回繰り返してもまだ着かなかった。
姿を現すたびに総重量約200kgの本をぶちまけ、街中では何回か街人に拾うのを手伝ってもらっている。
そしてその度に不思議そうな目でこちらを見つめられた。
馬車も荷車もないのにこれだけの物を運んでいるのだから当然といえば当然なのだが………
治安のいい場所に出られたのならまだマシな方。
エテルニテのはぐれ物が集まる袋小路に出てしまった時は危なかった。
上等な赤いマントで全身を覆っているとは言え、とんでもない野良美人が彼らの縄張りの真っ只中に現れたのだから、どうなるかは凡そ予想が付く。
魔道神と凄まじい夫婦喧嘩を展開するほど強いのだから自分の身の危険は入っていないが、それよりも魔法で自然にいなす事の方が難しい。
「東の樹海みたいだけど……嫌だわ。ガドリールならきっと一回の瞬間転移でたどり着けるんでしょうね…もうっ」
転がる塊を再び自分の周りを囲むように置きなおすとベアトリーチェはふぅ…と息を吐いた。
そして精神統一をし始めた時、彼女の耳に馬が大地を踏みしめる音が微かに届いた。
(誰か来る…こんな夜に、この樹海を?)
蹄の音が徐々に近付くにつれて闇の中に白いシルエットが姿を現す。
「あら? 彼は………」
やがて一人の双剣徒を乗せた白馬は彼女の隣で立ち止まる。
「やはりお前か………」
ウェルギリウスの家にいつものように足を運ぶ途中、吹き抜けた一瞬の風に魔力を感じ彼はそれを追うようにここに来た。
何も考えず、ただ身体がひとりでに動いてしまった…と言う方がしっくりと来るだろう。
「アカトリエルだったかしら? ウェルギリウス様のご子息ね。あの時はありがとう。怪我はもう大丈夫? かなり左肩の肉を持っていかれてしまっていたけど。直ってないのなら直しましょうか?」
フードを取った美しい女の姿をしばらく見つめると彼は儀式のように円状に並べられる本の束に目を移した。
「何をしている」
「あなたのお父様の家に行くのよ。この本たちと一緒にね」
「? …どういう事だ…昨日の夜も行ったらしいではないか」
「ガドリールの研究資料を解読してもらうのよ。デザスポワールの司祭の言語を教えてもらう為にしばらくは通うわ」
「でもね」と呟くとベアトリーチェは再び周りの本を見渡し、溜息を付く。
「ちょっと欲張りすぎたみたい…中々距離が進まないのよ」
そしてしばらく考えると彼女は何かを思い立ったかのように手を打ち鳴らしアカトリエルを見上げた。
「あなた、少し運んでくれない? 少し減ればここから一回でたどり着けると思うの」
馬に付けられたランプの光が照らし出す女神と同じ姿の女。それが微笑み、話す魅力的な姿をアカトリエルは黙って見つめていた。
「どうしたの? それとも行く場所が違う? それならいいわ。私が自分で行くから」
「いや」
彼女の言葉にはっと気付いた彼は首を振ると馬を降り、本の束を拾い上げた。
鞍の皮製の紐に本を結ってあるロープを括り付けるアカトリエルをまじまじと見つめながら、彼女は彼の背後で背伸びをし、片手を上に挙げ彼の頭の位置を確認する仕草をしてみる。
「何をしている」
「いいえ、あなた身長いくつ? 高いわね……二百……十ぐらい?」
いきなり問われた不思議な言葉に彼は手を止め、ベアトリーチェを振り向いた。
何かを思うように憂いの視線が突き刺さり、身体が硬直する。
「………何だ………それが………」
「彼が人間だった時と腰の位置が同じなのよ。……彼も手足が長くて頭身が高かったから。…当たったでしょう?」
「っ…………」
なぞなぞを解いた子供のように無邪気に笑む女。その姿に心臓が鷲掴みにされた気分だった。
ベアトリーチェが言う『彼』とは恐らく人間であった頃の魔道神の事だ。
「懐かしい……何年も前のよう……」
夢うつつに呟く女を見つめながらアカトリエルは自分を抑えるために胸の短剣を握り締めた。
「…そうか………父の国の男は皆が長身らしいからな……」
溢れる感情を押し留めながら彼は再び数個の本の束をくくりつけ始めた。
「もういいわ。半分も減れば後一回で行ける。ありがとう」
五束になった魔道書の中心に立つとベアトリーチェは「待ってるわ」と言って杖を掲げた。
突如現れた疾風が取り巻き彼女は魔道書と共に姿を消す。
「……彼と同じ……か…まるで私は道化だな」
血が滲むほどにきつく唇を噛み締めるとアカトリエルは勢いよく馬に跨り、ベアトリーチェの後を追った。