突然の来訪
漆黒の森の中に映える真っ赤なマントを全身で覆い、フードを被った人物。背は高いが、その体付きからしてどうやら女らしい。
「あら…どなた? こんな夜更けにあなた一人?」
目深に被ったフードで目は見えないが、家の中から溢れる光がマントと同じ真っ赤な紅をした唇を鮮明に照らしている。
「ウェルギリウス様はいらっしゃいますか?」
女は澄んだ声でそう言うとフードを取った。
白い肌に黄金の髪。薄い青のシャドウ……だが、異様に光る深紅の瞳が人では無い事を物語っていた。
「ウェル? ウェルなら居るけど…あなたは……」
女より早くジョルジュの後ろから低い声が答えた。
「ベアトリーチェ・レーニュ………」
声の主はウェルギリウスだ。
「ウェルギリウス様…お元気になられたようですね」
美しい女はジョルジュの後ろに立つ背の高い老人にニッコリと微笑むと頭を下げた。
「ウェル。このお嬢さんは?」
「ベアトリーチェ・レーニュ。魔城に住まう魔神の妻だ」
その言葉にジョルジュは言葉を失った。
「あなたが………」
「ご免なさい。貴女の旦那様と息子さんを危険に巻き込んでしまって…」
「そんな…嫌だわ…そんな事…あなたが居なかったら、彼は生きて戻っては来れなかったのよ?」
意外な返答にベアトリーチェは目を丸くした。
もっと詰られ、責め立てられるかと思っていたが、老女は穏やかに彼女の冷え切った手を取ると室内に招き入れた。
「さあ、中に入って。こんなに手が冷えてしまって……今暖かなお茶を淹れるわね」
温かな手に包まれ彼女はジョルジュに誘われるがままに暖かな部屋の中に招待された。
暖炉の前に座らせられ、すぐにいい香りのハーブティーが用意される。
「さあ飲んで。私の特製よ」
「すごくいい香り……いただきます」
一口啜るとベアトリーチェは「美味しい」と呟いた。
思えば生き返った日から水しか口にしていない。
生きた物しか食せなくなってしまったガドリールと同じ苦しみを味わうために食事さえして来なかった………
「魔道神はどうした」
しばらくすると部屋の奥からウェルギリウスが城から持ち去った手記を片手にベアトリーチェの前に腰を下した。
「少し早く眠ってもらったわ…あなたにこれを渡したくて…」
彼女が差し出したのは数冊の分厚い本だった。
「!! …これは…!!」
「それ一冊じゃ解読出来ないでしょう? まだ無事だった彼の手記は山ほどあるのだけれど…取りあえず残った中で一番古い物を十冊持って来たの」
「ガドリールの手記か……素晴らしいな」
「私では解読出来ないから。彼がこの中に書き記す文字を私は習わなかったの。あなたたちの母国語を覚えるだけで精一杯だった」
「だろうな…この手記に書かれている文字は恐らく世界一難解な物だ。デザスポワールでも司祭文字と言われ、その名の通り司祭にしか伝えられない言語だからな」
「それではあなたが解読可能な最後の一人って事なんでしょうね。……彼は人の言葉を話さなくなってしまったし…」
再びハーブティーを口にし、一息付くとベアトリーチェは目の前の老人を真剣な面持ちで見つめた。
「お願いがあるの…その言葉を私に教えて。そして彼を確実にあの城に封じるための術がそこに書かれているなら伝授して欲しいのよ。ガドリールに教えたように………」
「教授か? しかし………」
ウェルギリウスの視線が首に備え付けられた枷に向けられたのを見るとベアトリーチェはその冷たい枷に手を当てた。
「これは確実に封じる方法ではないとあなたも言っていたでしょう? ……その通りよ。今はまだ大丈夫かもしれない……でも、彼は力を解放しなくても人間の一人や二人は簡単に捕まえられるわ。どれほど先かは分からないけど確実に飢えの極限が来る。そうしたらまた犠牲者が出るわ」
しばらくして老人は美しい女に不思議な質問をした。
「どのようにここへ来た」
「………彼と同じ方法よ………」
「瞬間転移魔道術か。すごいな…人間では決して得られない神歩法、補助究極魔法の一つだ。魔道神のガドリールは当たり前のようにそれを駆使していたが……お前も既に人の域を超えてしまったな」
「全然よ、自分の体一つで精一杯…距離も彼の足元にも及ばないわ。北の樹海の依頼箱から何回も繰り返してやっとここに辿りつくのよ?それでも……エテルニテの街に来たのは五年ぶり」
懐かしさを噛み締めながらベアトリーチェは軽く微笑んだ。
あの城に行った十五歳の時にガドリールから出された条件の一つはもう二度とこの街に戻らず、生涯をあの城で過ごすという事だったが、まさかこのような形で再び下界に降りようとは思わなかった。
既に一度死んでしまっているのだから、ある意味生涯はあの城で過ごした事になる。