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第5話:【大団円・答えは分からんけど、みんながいれば】


「――アパートの家賃が3万円のままなのに住人の戦闘力と下心が神話規模に増殖するなよ……」

僕の喉から、現世の時空を限界突破させるほどの絶叫が漏れた。

これ以上、僕の現世の戸籍と平穏をめちゃくちゃにかき乱されてたまるか。

僕は両腕を大きくクロスさせると、前世の千鶴姫としての莫大な霊力と、現世の『姫宮蓮』としてのブチ切れ感情を乗せて、本日最後となる黄金のハリセンを物質化させた。そのまま、全筋肉をオーバードライブさせて、コタツの周りで霊圧を散らし合っていた全員に向けて、神速のフルスイングを扇状に振り抜いた。

――パコパコパコパコパコォォォォォンッッッッ!!!

「「「「「ぶふぉっ!?(ごほうび……っ!?)」」」」」

部屋中に響き渡る、完璧な打点の一大破裂音。

顔面をクリーンヒットされたタマさん、ハヤテさん、さくらちゃん、桜の精、雨女、そしてはだけた白衣で突撃してきた暁は、全員がこの世の何よりも幸せそうな顔で、一筋の鼻血を美しく噴き出しながら弾け飛んだ。そのまま、吹き抜けのテラス席と化した壁の残骸や畳の隅へと、見事な人間型のクレーターを並べてズブズブと、嬉しそうに【陥没】していった。

どいつもこいつも、ボコボコにされて霊力の火花を散らしながら、一寸の反省もなく恍惚の泥沼に浸っている。本当に救いようのない、愛おしきドMの狂信者たちだった。

静寂が、ようやく半分吹き抜けになったカオスな六畳間に戻ってくる。

僕はハリセンを光の粒子として消滅させ、深く、深くため息をつくと、コタツの縁に腰を下ろした。

そんな僕の隣へ、パジャマ姿の陣内くんが、無言のままザッ、ザッ、と砂利(壁の破片)を踏み締めて歩み寄ってきた。彼は不登校の書類をそっとポケットにしまうと、右手に持っていた冷たい缶お茶を、僕の手にそっと握らせてくれた。

「……お疲れ、姫宮。今年も大変そうだな、お前の胃壁」

「陣内くん……っ。ごめんね、新年初日からこんな目に遭わせて。あと、お茶ありがとう」

呆れ果てたような、だけど僕を「姫宮蓮」として正しく哀れみ、隣にいてくれる現世の唯一のオアシスの温もりが、お茶の冷たさと一緒に、僕の荒んだ心にじんわりと染み渡っていく。

缶お茶を握りしめながら、僕は改めて、壁のクレーターから嬉しそうに這い出てきて、また僕の周りで「肉じゃがを食べなさい」「お布団へ往きましょう」「お嫁さんにしてね」と騒ぎ合っている全員の姿を見つめた。

数日前、あの決戦の最中に暁のピンチを見て、僕の胸の奥から湧き上がった、あの狂おしいほどの熱。

『暁を二度と失いたくない。彼に身も心もすべて捧げてしまいたい』と願ってしまった、ガチの性自認の揺らぎ。

自分が、千年の因縁を背負い、あの騎士を愛し抜いた『千鶴姫』なのか。

それとも、なよなよとして頼りなくても、男の子として普通の青春を生きたいと願う『姫宮蓮』なのか。

きっと、その答えは、すぐには出せないんだと思う。

だけど……

ふと、ボコボコになりながらも僕を見つめて、世界で一番優しい笑顔を浮かべているタマさんやハヤテさん、さくらちゃんたちを見る。

笑っていた全員が、不意に静かになった。

 その時だった。

 六畳間の隅、押し入れの奥の暗がりが、不自然なほどの静寂と共に、すぅっと色を失った。

 潰れた黒い染みのような何かが、空気ににじむように一瞬だけ滲み出す。常闇の主そのものではない。けれど、あの圧倒的な気配のほんの欠片――歪みの切れ端のようなものが、確かにそこにあった。

「――っ」

 反応は早かった。誰も声を揃えたわけじゃないのに、全員の体が同時に動いた。

 タマさんの九つの尾が瞬時に銀の光をまとい、ハヤテさんの羽が暗がりごと風で薙ぎ払う。暁の指先からは見慣れた金色の呪符が放たれ、さくらちゃんの掌から零れた淡い光が、染みの輪郭をゆっくりと包み込んで溶かしていく。

 そして陣内くんは、何も持たないまま、ただ僕を背中に庇うようにして立っていた。

「……俺には祓えないけど。お前を一番先に隠すことくらいは、できる」

 その一言が、なぜか一番効いた。

 数秒後、暗がりの滲みは煙のようにほどけて消えた。残ったのは、ただの古びた押し入れの闇と、誰かが息を呑む音だけ。

 ――次が来る。さくらちゃんが大晦日の夜に言っていた、神界の歪み。今のはきっと、その切れ端だ。

 暁が、口を開いた。

「千鶴。お前が男であろうと、答えが出なかろうと、どこへ逃げようと。俺が必ずお前を幸せにする。千年待ったことを、俺は後悔していない。今世も、次の世も、俺はそのつもりだ」

 狂気も執着も下心も、何一つなかった。ただ、静かで、深くて、どこまでも真っ直ぐな目だった。

暁の言葉が、六畳間の空気に静かに落ちた。

 僕は、しばらく何も言えなかった。

 缶お茶を握りしめたまま、コタツの縁に座って、ただ彼の背中を見ていた。さっきまで切れ端の闇を一人で祓い、今は何事もなかったように呪符を指の間に収めているその背中を。

 千年、待っていたと言った。

 後悔していないと言った。

 今世も、次の世も、と言った。

 (……ずるいな)

 答えは出ない。自分が千鶴姫なのか姫宮蓮なのか、暁を好きなのかそういう話なのか、まだ何一つ整理がついていない。きっと当分つかない。

 だけど。

 たった今、あの暗がりの前に一人で立った男の背中を見て、僕の胸の奥で何かが、静かに、音もなく、決まった。

「……暁」

 我ながら、驚くほど落ち着いた声が出た。

 暁がゆっくりと振り返る。いつもの重すぎる熱も、千年分の執着も、今この瞬間だけは鳴りを潜めて、ただ静かに、僕を見ていた。

「答えは、まだ出ない。千鶴なのか蓮なのかも、お前のことをどう思ってるのかも、全部まだわからない」

 一拍。

「だけど、離れることは許さない。そばにいろ」

 暁は、瞬きをしなかった。

 一秒、二秒。

 それから、ゆっくりと、深く頭を垂れた。

「――御意」

 たった二文字だった。だけどその声には、千年分の何かが、静かに、全部入っていた。

「……陰陽師、随分と詩的でずるいな」

 小さく唇を尖らせながら、タマさんが九つの尾をゆっくりと揺らした。だけどその声に、いつもの艶やかなからかいの色はなかった。

 それから、まっすぐに僕の目を見た。

「お姉様。男の器のあなたが、肉じゃがを美味しそうに食べる顔が、私は何より好きです。前世でも今世でも、ずっとその笑顔を守りたかった。……私が、あなたを幸せにして差し上げます」

「ずるいのはタマの方では? いつも一番乗りで懐に入り込むくせに」

 ほんの少しだけ口元を緩めながら、ハヤテさんが言い返す。

 そして、大きな羽を静かに広げた。風よけのように、僕を包むように。

「お姉様。あなたが疲れた時、私の羽の中で眠っていいのですよ。ずっとそばにいます。私たちが、あなたを幸せにします」

 暁と、タマさんと、ハヤテさんの視線が、一瞬だけ静かに火花を散らす。だけど誰も、それ以上は譲らなかった。

 最後に、さくらちゃんが、神様の後光を収めて、ただの女の子の顔で微笑んだ。

「蓮くん。私ね、神様になっても、ずっと蓮くんのそばにいたいって思ってるの。幸せにするとか難しいことは分からないけど……蓮くんが笑ってる場所に、いつもいたい」

「さくら様は、ずるいなんてレベルじゃない反則です」

 タマさんが小さく呟いたけれど、誰も否定しなかった。

 全員の言葉が、静かに重なって、六畳間に満ちた。

 僕は、何も言えなかった。

 答えなんて、まだ出ない。誰を選ぶかも、自分が何者なのかも、まだ分からない。

 そこへ、陣内が静かに缶お茶を一本、僕の手に押しつけてきた。

「幸せにするとか、俺には無理だけど。……お茶くらいは、渡せるから」

 目を逸らしながら、ぼそりと言った。耳が少し赤かった。

 僕は、笑った。

 泣かなかった。ただ、笑った。

普通の男子高校生の青春とは少し、いや、劇的に違うけれど。

「……うん。答えは分からんけどさ」

 缶お茶を両手で包みながら、いつもの、なよなよとした頼りない、だけど心からの笑顔で呟いた。

「――みんながいれば、きっと大丈夫だよ」

(『前世のツッコミ姫』 完)


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