鳥の居ぬ間に戦火
——朝。
瞼を開けると、世界は元通りに一変。
昨夜の黒は消え、視界いっぱいに広がるのは、どこまでも続く蒼。陽光を受けた海面が、きらきらと砕けるように輝いている。波は穏やかで、空は高い。潮風は軽く、どこか優しい。
まるで……昨日の緊張が嘘だったみたいに。
「……おはよう、みんな」
身体を起こす。
ホゲさんの背は、相変わらずゆっくりと上下していた。生命の鼓動。
周りを見ると、隊員たちも次々と目を覚まし始めている。
軽く体を伸ばす者、まだ眠そうに目を擦る者、まだ夢の中の者。
——戦いの前とは思えない、穏やかな光景。
「お、起きたかマスター」
振り向くと、ゴハートたちがいた。
「昨日はぐっすりだったな」
「作戦会議でお疲れでしたか?」
「いやぁ、揺れが気持ちよくてさ……」
「んだ……あれは快適だったべなぁ」
少しだけ笑う。
でも、その奥にあるものは……消えていない。
「おーい。カビ助くん、ギザン殿!」
そんな時、声が飛んできた。
振り向くと、隊長がこちらに手を上げている。
「……また、作戦会議かよ?」
ゴハートが露骨に顔をしかめた。
「昨日も呼ばれてただろ? どんだけ気に入られてんだよ」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「いいから行ってこいよ、英雄サマ」
軽く肩を叩かれる。
土台モンも、微笑むだけで何も言わない。
「今日は……多分、すぐ戻るよ」
そう言って、僕はその場を離れた。
昨日の会議で、おおまかな配置自体は決まった。今日は第二の道についての説明を受けるだけ。
◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎
ホゲさんの背の一角。
昨日と同じ場所に、主要メンバーが集まっていた。
博士、モグドンさん、フウロウさん、師匠、そして隊長。
その内……ただ一人。
「スゥ……スゥ……」
フウロウさんだけが、静かに座り込んでいた。
腕を組んだまま、壁にもたれ。目を閉じている。その表情はとても安らかだった。
「……ぐっすりですねぇ」
博士が小声で言う。
「珍しいだろ?」
モグドンさんが苦笑した。
確かに。あの人が、こんな風に気を抜いている姿は……初めて見たかもしれない。
いつも責任感に追われてて……休むべき立場にも関わらず仲間のために気を張り続ける男が。
「何があったんですかね?」
「昨夜は見張りを任せきりだったからな」
隊長が静かに言う。
「今日はこのまま始めよう。彼には休息が必要だ……」
その言葉に、誰も反論しなかった。
——むしろ、少しだけ安心したような空気。
「では、昨日の続き。シルヴァさんの示した“第二の道”について説明する」
やがて、隊長が口を開く。空気が、すっと引き締まる。
——僕は、無意識に息を整える。
「その内容は単純だ」
一拍。
「敵城の地下監獄に捕えられている“ある人物”を救出する」
「……監獄? あの場所ですか?」
思わず声が漏れる。
あの場所……僕らが閉じ込められていた、地下空間。
嫌な記憶が、少しだけ蘇る。
でも、市民達が捕えられているのは見たけど……あのシルヴァがが欲するような重要そうな人、いたっけ?
市民達の中には賢そうな人、強そうな人、怖い人はいた。
だが彼らを解放したところで、探検隊の皆さんには及ばないだろう。申し訳ないけど、それくらい探検隊は、少数精鋭って感じの人が集まっている。
「その救出をもって、戦況を大きく動かす……というわけですね?」
博士が続ける。
とはいえ、彼もその人物に心当たりはなさそうだ。
「その通りだ。そしてこの任務は——」
隊長は頷いた後、視線が横へと移る。
「ギザン殿と、“地上班”に任せたいと考えている」
「……ほう」
ギザンが、静かに頷いた。
彼が、僕たち突入班に選ばれなかった理由……! それはこういった、緊急の作戦に対応するためだった。僕たちがメドゥーサを人質とした交渉作戦に失敗した場合……彼が遂行するであろう、この『第二の道』が役に立つこととなる。ここまでがシルヴァの作戦の概要だった。
だが——皆、同じ疑問を浮かべている。
「ちょっと待ってくれ」
モグドンさんが眉をひそめる。
「“ある人物”ってのは何だ? そんな重要そうな奴が捕まってるなんて話、聞いてねぇぞ」
「俺も気になるな」
シャドさん……師匠も低く言う。
「戦況を動かすほどの存在……そんなの、“アイツ”以外に浮かばない」
“アイツ”? 師匠は心当たりがあるのか?
全員の視線が、隊長に集まる。彼は少し笑っていた。
「ああ……その“アイツ”で合ってると思うよ」
「俺も捕まっていたが……“アイツ”がいるなんて噂、聞かなかった」
「知らないのも無理はない。シルヴァさんによると彼は、監獄の最深部に厳重に封じられている」
「——その情報、確かなんだろうな?」
「情報筋は、“知識の森”のフルーティアらしい。これ以上ないだろ?」
「そうか……」
厳重に封じられている……!? そこまでの力を持っているのか、その人は。
それに、“知識の森”とかいう知らない単語で頭が追いつかない。あれ、でもミツバの話と似てるかも?
「で——誰なんだァ? ソイツは!」
ホゲさんも待ちきれず、振動を鳴らす。
そんな重要な人物が、あの監獄にいるとしたら?
隊長は、一瞬だけ目を伏せた。
やがて、彼は口を開く。
「その人物は——b」
だが、その時。
——ザバァァァァッ!!
爆音と共に、海面が弾けた。
「「「……!?」」」
全員が一斉に振り向く。
視界の端で、水柱がいくつも上がる。その中から——
「敵襲か……!?」
モグドンさんが舌打ちする。
現れたのは、人の形をした“何か”。
だが、その肌は鱗に覆われ、目は濁り、動きはどこかぎこちない。
「魚人……!!」
”魚人”とは、『スシ族』の一種。
海洋生物の血を引いた彼らには、その量に差がある。師匠のように人型を保った者たちもいるが、彼らやホゲさんのように……ほとんど魚と同じ姿の者が、そう呼ばれる。
「いや、少し違うな」
だが、師匠が即座に否定する。
「奴らの目を見ろ。感情が宿っていない!」
その言葉に、背筋が冷える。
——複製体。つまりは『ダークスター団』の手先だ。
「にしても、数が多い……!」
博士が叫ぶ。
実際その通りで。海面のあちこちから、次々と湧き上がってくる。
三十……五十……いや、それ以上。
まるで、海そのものが敵になったかのように。
「「総員、戦闘態勢!!」」
隊長の声が響く。
応じて、皆が動き出す。その瞬間——
「チッ……寝過ごしたか」
低い舌打ち。
振り向くと、フウロウさんがゆっくりと目を開いていた。
だがその目は、完全に覚醒している。
「俺の寝る間に接近とはな……! 運のいい奴らだ」
彼が立ち上がる。風が僅かにざわめいた。
実際……彼が起きていたら、この力で接近が感知されたのだろう。改めて、フウロウさんの能力は凄い。
「然し……本当に『運』なのか?」
そんな時、ギザンがポツリと呟いた。
「貴方は、内通者でもいるとお思いで?」
「可能性はある。いつの時代も、組織に裏切りは付き物だ」
彼の言葉に、フウロウさんは低く言う。
「我らが隊長の組織において、それだけは絶対にあり得ない……!」
ギザンは慌てて頭を下げる。
「そうか……すまぬ」
「構いません。運でなければ……そこの、メドゥーサの仕業でしょう」
彼の言葉からは、隊長への絶大な信頼が感じられた。
——プライドの高い古代の王であるギザンが、頭を下げるほどの圧。
「メドゥーサ……か」
モグドンさんが隊員に指示を出す。
「おい、ソイツの口を塞いでおけ」
「はい……了解です!」
「ふふ……」
当のメドゥーサは、不適な笑みを浮かべるだけ。
——何だか不穏な雰囲気。
そんな空気を吹き飛ばすかのように、ホゲさんの叫びが響き渡る。
「「来るぞォォォォォ!!!」」
その一言……振動と同時に。
魚人たちが、一斉にホゲさんの背へと飛びかかる。
——これは、ほんの“前触れ”に過ぎない。




