「運が良かった」と言えるのか
三人称視点の、どこかのお話。
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夕暮れ前。乾いた風が、村の畑を撫でていく。
小さな集落。石造りの家々。井戸のそばでは子供たちが遊び、畑帰りの大人たちが笑いながら荷を運んでいた。
「おーい、ルカ! またサボってんのか!」
「サボってないよ! 休憩だって、休憩〜!」
ルカという名の少女が干し草の上に寝転がったまま叫ぶ。
周囲から笑い声が上がった。
ここは、のどかな田舎村。
大陸随一の都会街、ラッシャイタウンほど栄えてはいないけど……人々はみんな暖かいし、不自由もない。ドドリ村という場所では藁でできた住宅も残っているらしいが、それほど廃れているわけでもない。
最近は『探検隊』がこの大陸の各地を巡回しているらしい。
おかげで、この辺りは安全なのだと皆が思っていた。はずなのだが……
つい先日、ラッシャイタウンの市民が全て石化したという大事件があった。
探検隊の隊長もそれに巻き込まれたのか……最近は、巡回にやってくる隊員を一人も見ない。みんな、明るさのどこかで不安を感じている。
ルカたちは、村の安全を自分たちだけの力で、守らねばならない。
「お母ちゃん、お腹すいたよー」
「はいはい。もうすぐできるよ」
家の窓から、煮込みの匂いが漂う。
「う〜ん、いい匂い! 私、カボチャ好き!」
「ふふ、ルカのために頑張ったのよ〜。早く帰りましょう!」
平和。これが日常的に続けばいいのに——
ルカの母が無意識にそう思った、その時だった。
——パキッ。
誰かが、足を止めた。
「……あら?」
妙な音だった。
木が折れるような、石が砕けるような。
——村の入口の方?
そこに、“誰か”が立っていた。
「……旅人か?」
最初に気づいた見張り番の男が、目を細める。
黒いローブ。長い髪。遠目では、ただの女に見えた。
いや……“ただの女”と言うには、別嬪すぎるのだが……それでも、ただの人間であると、誰もが疑わなかった。
だが。
「——ひっ」
子供の一人が、小さく声を漏らす。
女の髪が、動いていた。
風による動きじゃない。
彼女の髪は、まるで生き物みたいに、うねうねと蠢く。
——あれは、蛇?
「な、なんだぁ……?」
村人たちの笑い声が止まる。
女は、ゆっくり顔を上げた。
冷たい瞳。
貼り付けたような笑み。
その瞬間。
「「目を合わせるなァァァ!!」」
絶叫が響いた。村の見張り役の男だった。
彼は知っていたのだ。最近広まった、“石化の怪物”の正体を。
だが、遅かった。
女の瞳が、鈍く光る。
「あ————」
音もなく。世界が、止まった。
最初に石になったのは、井戸端の女性だった。
「え……?」
困惑したまま開かれた瞳。頬を伝っていた汗が、石へ変わる。伸ばしかけた指先が灰色に固まり——次の瞬間には、呼吸すら止まっていた。
指先から、首から、全身へ。
——パキ、パキパキッ。
これが、石化……?
「「きゃああああああっ!!」」
悲鳴が弾けた。
「に、逃げろ!!」
「見るな!! 目を閉じろ!!」
村人たちが一斉に走り出す。
だが、混乱した人間ほど狙いやすい。女——メドゥーサは、笑っていた。
蛇髪が音を立てて揺れる。視線が、逃げ惑う人々をなぞっていく。彼女の石化能力の条件は、目を合わせることではなく……“光線を浴びること”なのだから。
一人。また一人。
石像が増えていく。
「父ちゃん!!」
「来るなァ!!」
逃げようとした男が、息子を庇うように両手を広げ——その姿勢のまま石になる。
——少年の泣き声。
荷物を抱えた老婆が転ぶ。
助け起こそうとした娘ごと、石になる。
畑へ逃げた者。家へ閉じこもった者。武器を持って立ち向かった者。
皆、次々に止まっていった。
静かに。一瞬で。
まるで、命そのものが切り取られていくみたいに。
「ひ……」
ルカは、玄関の前で震えていた。
見ちゃダメだ。分かっている。
でも……無視できない。
悲鳴が。不気味な発光音が。
蛇の蠢く声が。石像が倒れる音が。
——怖い。怖い怖い怖い。
母ちゃん。母ちゃんは?
恐る恐る、視線を動かす。
少し離れた、物置の前。
そこには——
「あ……」
家の鍵を持ったまま、石になった母の姿があった。
表情まで、そのまま。
驚いた顔。何かを言おうとした口。
全部、“その瞬間”で止まっている。
「ぁ……あ……」
涙が落ちる。
声を出したら終わる。分かっているのに、喉が震える。
その時。
足音が止まった。
すぐ近く。干し草の向こう側。
元凶の女が……いた。
ルカは息を止めた。
蛇の這う音だけが、近づいてくる。
終わる。殺される。
そう思った瞬間。
「——おい」
低い声。別方向からだった。
メドゥーサが顔を向ける。
村の自警団の男たち。
震えながらも、武器を構えて立っていた。
「綺麗なねぇちゃん、ここは引いてくれねぇか」
「ガキだけでも、逃がせ! クソが!」
「おい、無理だって分かってんだろ……?」
「でも……やるしかねぇだろ!」
足は震えている。顔色も真っ青だ。
それでも、彼らは立っていた。
メドゥーサが、くすりと笑う。
「素敵ですねぇ。ふふ……無意味なのに」
次の瞬間。
光。そして——静寂。
数秒後。重い音が響いた。
——ドサッ。
石像になった青年の一人が、前のめりに倒れた音だった。
「…………」
ルカは、動けなかった。
村が終わっていく。
知ってる人たちが。昨日まで笑っていた人たちが……“物”になっていく。
正確には“物”……つまり“石そのもの”ではなく、中には人々がそのまま閉じ込められているだけなのだが。ルカにとっては関係のない話だった。
やがて、風だけが残る。
メドゥーサは、退屈そうに辺りを見回す。
もう動く者はいない。
——彼女は、興味を失ったように踵を返した。
蛇髪を揺らしながら、次の村を襲うために。
その背中を、ルカはただ見ていることしかできなかった。
「運が……良かった?」
夕陽が沈む頃。村には、石像だけが並んでいた。
さっきまで響いていた悲鳴は、もうない。鍋の煮える音も、子供の声も。
残っているのは、風が石像の隙間を抜ける音だけだった。
「あ、ああ……」
悲しみなのか、怒りなのか。分からない感情だけが、取り残されていた。
——それを分かち合う相手は、もういない。




