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「運が良かった」と言えるのか

三人称視点の、どこかのお話。

************************************************



 夕暮れ前。乾いた風が、村の畑を撫でていく。

 小さな集落。石造りの家々。井戸のそばでは子供たちが遊び、畑帰りの大人たちが笑いながら荷を運んでいた。


「おーい、ルカ! またサボってんのか!」

「サボってないよ! 休憩だって、休憩〜!」


 ルカという名の少女が干し草の上に寝転がったまま叫ぶ。

 周囲から笑い声が上がった。


 ここは、のどかな田舎村。

 大陸随一の都会街、ラッシャイタウンほど栄えてはいないけど……人々はみんな暖かいし、不自由もない。ドドリ村という場所では藁でできた住宅も残っているらしいが、それほど廃れているわけでもない。


 最近は『探検隊』がこの大陸の各地を巡回しているらしい。

 おかげで、この辺りは安全なのだと皆が思っていた。はずなのだが……


 つい先日、ラッシャイタウンの市民が全て石化したという大事件があった。

 探検隊の隊長もそれに巻き込まれたのか……最近は、巡回にやってくる隊員を一人も見ない。みんな、明るさのどこかで不安を感じている。

 ルカたちは、村の安全を自分たちだけの力で、守らねばならない。


「お母ちゃん、お腹すいたよー」

「はいはい。もうすぐできるよ」


 家の窓から、煮込みの匂いが漂う。


「う〜ん、いい匂い! 私、カボチャ好き!」

「ふふ、ルカのために頑張ったのよ〜。早く帰りましょう!」


 平和。これが日常的に続けばいいのに——

 ルカの母が無意識にそう思った、その時だった。


 ——パキッ。

 誰かが、足を止めた。


「……あら?」


 妙な音だった。

 木が折れるような、石が砕けるような。


 ——村の入口の方?


 そこに、“誰か”が立っていた。


「……旅人か?」

 最初に気づいた見張り番の男が、目を細める。


 黒いローブ。長い髪。遠目では、ただの女に見えた。

 いや……“ただの女”と言うには、別嬪すぎるのだが……それでも、ただの人間であると、誰もが疑わなかった。


 だが。


「——ひっ」

 子供の一人が、小さく声を漏らす。


 女の髪が、動いていた。


 風による動きじゃない。

 彼女の髪は、まるで生き物みたいに、うねうねと蠢く。


 ——あれは、蛇?


「な、なんだぁ……?」


 村人たちの笑い声が止まる。

 女は、ゆっくり顔を上げた。


 冷たい瞳。

 貼り付けたような笑み。


 その瞬間。


「「目を合わせるなァァァ!!」」


 絶叫が響いた。村の見張り役の男だった。

 彼は知っていたのだ。最近広まった、“石化の怪物”の正体を。


 だが、遅かった。

 女の瞳が、鈍く光る。


「あ————」


 音もなく。世界が、止まった。

 最初に石になったのは、井戸端の女性だった。


「え……?」


 困惑したまま開かれた瞳。頬を伝っていた汗が、石へ変わる。伸ばしかけた指先が灰色に固まり——次の瞬間には、呼吸すら止まっていた。


 指先から、首から、全身へ。

 ——パキ、パキパキッ。


 これが、石化……?


「「きゃああああああっ!!」」

 悲鳴が弾けた。


「に、逃げろ!!」

「見るな!! 目を閉じろ!!」


 村人たちが一斉に走り出す。

 だが、混乱した人間ほど狙いやすい。女——メドゥーサは、笑っていた。

 蛇髪が音を立てて揺れる。視線が、逃げ惑う人々をなぞっていく。彼女の石化能力の条件は、目を合わせることではなく……“光線を浴びること”なのだから。


 一人。また一人。

 石像が増えていく。


「父ちゃん!!」

「来るなァ!!」


 逃げようとした男が、息子を庇うように両手を広げ——その姿勢のまま石になる。

 ——少年の泣き声。


 荷物を抱えた老婆が転ぶ。

 助け起こそうとした娘ごと、石になる。


 畑へ逃げた者。家へ閉じこもった者。武器を持って立ち向かった者。

 皆、次々に止まっていった。


 静かに。一瞬で。

 まるで、命そのものが切り取られていくみたいに。


「ひ……」

 ルカは、玄関の前で震えていた。


 見ちゃダメだ。分かっている。

 でも……無視できない。


 悲鳴が。不気味な発光音が。

 蛇の蠢く声が。石像が倒れる音が。


 ——怖い。怖い怖い怖い。

 母ちゃん。母ちゃんは?


 恐る恐る、視線を動かす。


 少し離れた、物置の前。

 そこには——


「あ……」


 家の鍵を持ったまま、石になった母の姿があった。

 表情まで、そのまま。


 驚いた顔。何かを言おうとした口。

 全部、“その瞬間”で止まっている。


「ぁ……あ……」


 涙が落ちる。


 声を出したら終わる。分かっているのに、喉が震える。


 その時。

 足音が止まった。


 すぐ近く。干し草の向こう側。

 元凶の女が……いた。


 ルカは息を止めた。

 蛇の這う音だけが、近づいてくる。


 終わる。殺される。


 そう思った瞬間。

「——おい」


 低い声。別方向からだった。


 メドゥーサが顔を向ける。


 村の自警団の男たち。

 震えながらも、武器を構えて立っていた。


「綺麗なねぇちゃん、ここは引いてくれねぇか」

「ガキだけでも、逃がせ! クソが!」

「おい、無理だって分かってんだろ……?」

「でも……やるしかねぇだろ!」


 足は震えている。顔色も真っ青だ。

 それでも、彼らは立っていた。


 メドゥーサが、くすりと笑う。


「素敵ですねぇ。ふふ……無意味なのに」


 次の瞬間。

 光。そして——静寂。


 数秒後。重い音が響いた。

 ——ドサッ。


 石像になった青年の一人が、前のめりに倒れた音だった。


「…………」

 ルカは、動けなかった。


 村が終わっていく。

 知ってる人たちが。昨日まで笑っていた人たちが……“物”になっていく。

 正確には“物”……つまり“石そのもの”ではなく、中には人々がそのまま閉じ込められているだけなのだが。ルカにとっては関係のない話だった。


 やがて、風だけが残る。


 メドゥーサは、退屈そうに辺りを見回す。


 もう動く者はいない。

 ——彼女は、興味を失ったように踵を返した。

 蛇髪を揺らしながら、次の村を襲うために。


 その背中を、ルカはただ見ていることしかできなかった。


「運が……良かった?」


 夕陽が沈む頃。村には、石像だけが並んでいた。

 さっきまで響いていた悲鳴は、もうない。鍋の煮える音も、子供の声も。

残っているのは、風が石像の隙間を抜ける音だけだった。


「あ、ああ……」


 悲しみなのか、怒りなのか。分からない感情だけが、取り残されていた。

 ——それを分かち合う相手は、もういない。


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