きょうきいおくてそる
いつか本編に繋がる、別のお話。
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昔、カールという名の“博士”がいた。
彼は研究のための資材を確保すべく、とある村を訪れる。
だが、一足遅かった。
彼が村に向けて旅立った頃に——!
「敵襲だ……。鬼が来るぞ……!」
「うわああああああ!」
「おぎゃあ、おぎゃあ」
「少し黙りなさい!」
その村は、紛争により滅びたのである。
家は焼け、逃げ遅れた者は爆ぜ、“名前を持っていた者”は誰一人として残らなかった。
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「ええん、うええん!」
泣き声が、瓦礫の隙間から聞こえていた。
煙の匂いと、焦げた鉄の臭気が混ざる中で、その音だけが不自然に澄んでいる。
「……こんなところに」
カールは足を止め、崩れた壁の陰を覗き込んだ。
小さな体だった。まだ言葉も持たない、ただ泣くことしかできない存在。
布に包まれたまま、ひとり、取り残されている。
男は周囲を見回したが、親らしき影はどこにもなかった。
遠くで爆音が、空気を震わせる。
親に、捨てられたのか?
敵から逃げる時に、邪魔だとでも判断したのだろう。
「……なるほど」
短く息を吐き、カールは赤子を抱き上げた。
その泣き声が、腕の中でわずかに弱まる。
「縁があった、ということにしておこう」
そうして、その日から、二人の生活が始まった。
この赤子は、後に『ウィル』という名が付けられることになる。
カールは研究の傍らで、彼を立派に育て上げた。
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「ウィル?」
呼ばれると、少年はすぐに顔を上げる。
「はい、博士」
返事は早い。足音も軽い。
駆け寄る途中で、机の上の散らかった資料に目をやり、倒れかけている器具をさりげなく直す。
頼まれていない事でも、必要だと感じれば手が動く。
それが、ウィルという少年だった。
「その試薬を取ってくれ。青いラベルの方だ」
「はい」
迷いなく棚から取り出し、差し出す。
位置も、手順も、もう覚えている。
その後はすぐに、先程見かけた資料の片付けを始める。
「……助かるよ」
カール博士は小さく頷き、再び作業に戻る。
その背中を見ながら、ウィルは次に必要になりそうな器具を静かに整えていく。
「博士のけんきゅうをかんせいさせるために……私もがんばらないと」
研究室は、決して整っているとは言えなかった。
紙は積み上がり、器具は無造作に置かれ、時折、危険な薬品の匂いが漂う。
だがウィルにとっては、それが日常だった。
当然、紛争中の村に生まれた記憶はない。
気づいた時には、博士がいて、この場所があった。
彼にとって、カール博士は“親”以上に大切な存在になっていた。
それで十分だった。
自分を捨てた本当の親など、知る必要もない。
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「ウィル、あまり無理はするな」
ある日、作業の手を止めたカールが言った。
「手伝いはありがたいが、お前は子供だ。たまには友達と遊んできなさい」
カールは六歳のウィルを、保育施設に通わせていた。
だがウィルは、通園中以外の時間を、全てカールの手伝いに充てている。
「でも、私があそんでいたら……博士のてまがふえてしまいます」
ウィルは少しだけ首を傾げる。
「博士につくすのが、私のやくめです」
親には、育ててくれた恩を返すのが当然。
親には、絶対の忠誠を誓う。
——ウィルの考えはそう固まっていた。
その言葉に、カールは一瞬だけ目を細めた。
自分が育てた子がこうなってしまったことに、責任を感じていた。
「役目、か……」
苦笑にも似た息が漏れた。
これは、教育すべき状況ではある。だがカールは……
「そういうものではないんだがな、本当は」
自身を大切に思ってくれている……可愛らしい子に、怒鳴る事が出来ない。
——夜になると、研究室は静かになる。
カールは子の健康のために、昼夜のサイクルを正常に行なっていた。
機材が動く音は、昼間と変わらないはずなのに、どこか遠く感じる。
簡素なベッドに横になりながら、ウィルは天井を見上げる。
今日やったこと、明日やること。
頭の中で整理して、足りないところを考える。
もっと早く動けたかもしれない。もっと役に立てたかもしれない。
そんなことを思いながら、目を閉じる。
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「ウィル」
名前を呼ばれることが、好きだった。
自分の存在が、確かに分かるから。大好きな博士が付けてくれた名前。
——この人が自分の“親”であることを、実感できる。
「……いいか、お前は」
ある日の夕方、博士がぽつりと言った。
「自分で選ぶ男になれ」
「えらぶ?」
ウィルは一瞬、意味が分からなかった。
自分は十分に選択している。
博士の手間を省くために、何ができるかを選択している。
なのに、何故?
「何をするか、どう生きるか。誰かに決められるものじゃない」
ウィルは少しだけ考え、そして答える。
この問いに対する答えって、これでいいよね?
私は博士と違って頭が良くないから、質問の意図がわかんないや。
「じゃあ、私は……博士のてつだいをしますよ」
迷いはなかった。
その選択が、限られた世界の中のものであることを、彼はまだ知らない。
「……そうか」
カールは短く頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
ウィルは笑った。
それでいいと思った。
ずっと博士と居られるなら、それで十分だと。
——それが、名前と共に失われる日が近いことも知らずに。




